NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

病気の情報をどうやって入手するか。インターネットの上手な使い方と患者会の役割。

 

 

(KS2)患者会の活動して僕いつも行ってみんな言うんだけど、インターネットでみん調べました調べましたばっかりで、すごい落ち込んで情報がない人おって、医療を調べるんじゃなくてインターネットは言葉を調べるところですから、わからない言葉はインターネットでなんぼでも調べてください。ただ、治療の方法は調べたらダメです。本当に古い情報から新しい情報とか、偏った情報がすごく多いのでそれで気が滅入って余計悪くなってしまうので、自分の子供がどうのこうのとか最近言われる方がすごく多いのだけど、インターネットはね、患者会のあり、ネットワークとかその中のことから真実やったらいいけど、ただ潰瘍性大腸炎で検索してポンと出てきた患者から、こんなことでしんどかったとか、個人がなになに言ったからとかじゃなくて、ある意味ネットワークでは言葉を調べてもらったらいい。
(KS4)僕も 同じ意見で、最初の頃インターネットで調べたらものすごく怖くなったんです。患者会のアピールするわけはやないんですけど、インターネットは情報がたくさん乗っているんですけど、言い方悪いかもしれないんですけど、すごくうまくいかなかった人がたくさん書いているような気がするんです。読んでると、なんか悪い情報ばっかり入ってきて、すごくしんどくなってくる。でも患者会でこう見てみると意外と働けてるやん、元気な人がいっぱいおるやんって、そこがあったのでインターネットで情報集めるのはいいんですけれど、やはり全て書いてないと思うんです。薬の怖いところとかそればっかりじゃなくて、もし元気になったらこういうところに行きたいとか、話をするっていうはすごくプラスになると思うので、そういった形で使ってもらったらいいなと思う。患者会では生きた言葉がいっぱいあるので、
(KS3)一人で 抱え込まないのと、その時病気になってもうはっきり言って真っ白じゃないですか。医療機関は医療についてで、福祉とか、社会的なアプローチとかそういうのはあまり言ってくれないので、そこに繋がるネットワークを私らも頑張っていかないといけないけど、そういうのが病院としても繋げるところを作って欲しいし、知識として何かあった時に、怪我でも病気でもそうやけど、どこにみんな相談したらいいかということを知っといてもらったら、何かあったときいい。癌なんかでも、支援するところがあるみたいに、相談窓口や支援するところがあるんですよ。そのときはこうやって検索とか、保健所に聞いてくださいとかそういうふうに一人じゃないですよっていうのを伝えられたらいいなと思います。

病気とどう付き合うか、ベテラン患者の知恵が紹介されています。

 

 

(KS1)これは 段々年と共に「ああ、これは別にこの病気に限らず色んな病気ほかにたくさんもってはる人もいてはるやけやし、全くの健常者っていうのはこの年になってくるといてないので、うまく付き合っていくしかないんかなっていう、精神的な面でカバーできてきたっていうので。それとなんとなくこう普段の生活にしてもみんなと同じようにっていうか、それまでは病気だから、トイレが気になるからこれも諦めよう、例えば映画も2時間もじっと座っていられないから諦めようとか、何かにつけて諦めようとかいうのがあったけれど、段々諦めてばっかりの人生ってやだし、今だったら紙おむつはいてでも行くっていうような感じになったり、こないだもちょっと歌舞伎初めて行こうとか思って途中でトイレ行きたくなるかな、2時間以上あるのでって思ったけれど、やっぱり案の定、ちょっとすいません、ちょっとすいません、って前をすみませんっていくけど、そんなに大したことでもないし、そんなにすいませんって、前を一瞬横切ったからといってその人に迷惑を、多大な迷惑をかけるわけでもないし、それよりも楽しもう、自分を楽しんで人生を楽しんでいこうという感じをモットウにして、病気とはうまくつきあって行こうっていうふうに変えると、何かこう目がひらけたというか目からうろこが落ちたというか、色んな事ができるんだなということを実感して・・
(KS4)スト レスのことですけれど。僕は、仕事してたらストレス絶対感じる、自分でなんでこんな仕事選んだんやと、ストレスの固まりで、本当に荒れてるクラスの時は大変なんですけど、病気のしんどい頃は時間講師といいましてアルバイトみたいな形でしか働かなかったので、体に自信持ったあとは正社員になったんですけど、正社員に受かってしまってからは自分が病気なんですということをみんなにアピールして、例えばこの仕事、この仕事できないんですと言って、時間を制限してもらって対応したのと。食べ物ですね、ストレスを感じると絶対ダメだとわかっているので、私はテレビゲームが好きなんです。とにかく1時間毎日テレビゲームをする時間を確保している。子供が泣いても、家事が大変でも、ここだけは自分でさせてって言ってそれがあるとなんかこうバランスが、それを我慢すると後でしんどくなってダウンしちゃうんで。職場にも理解してもらったりとか絶対自分一人でなんかこうできる時間を作るっていうことを意識してやるようになってからはだいぶ、なんていうかうまくまわる。こうなんでもこっちにかかってたんですけどかなって思う。
(KS3)人に仕事とかお願いするのが苦手で、やっぱりいいよいいよって引き受けちゃって後でパニックになったりとかするんだけど、ちょっと姑の後始末で、みんなに助けてもらって、みんなもいいよ、いいよって黙っててもしてくれたりとか、ある意味人に甘えるって言ったらおかしいけど、お願いするのはちょっとできるようになって、ちょっとストレスが楽になったかなと。自分自身を言えなかった「お願いします」っていうのを素直に言えるようになってちょっと楽になったかな。

医者は神様じゃないけど、一つの病気だけじゃなくて病人全体をみてほしい。

 

 

(司会)まず一つ目のテーマとしては、お医者さんとか場合によっては看護師さんとか、医療関係者との間に立って、おそらくいい事も、もう一つかなと思うこともあったと思いますがそのへん経験的なお話があれば、挙手を。
(KS1)やっぱり私が思うのは、いい先生なんですけどやっぱり西洋医学のお医者さんていうのはまず薬ありきで始まってしまうので、おっしゃることはだいたいマニュアル通りのことしか言わないというか、それ以上研究されて、難病故に何も施しようがないから仕方ないのかもしれないけれど、やっぱり何か、一人一人に違った病気の対処の仕方とか、そういうのもあればいいなとずっと思うんです。それはやっぱり個人で見つけていくしかないのかなと。薬以外にも何かあればいいなと。お薬っていのは決まっているので、UCだったら飲む薬だったらアサコールかペンタサかサラゾピリン、あと今新しい、何でしたっけ、レミケードか白血球除去かっていうかその選択肢の中でするしかないというのが、これからまあ研究されて他にも出るのかもしれないけれど。
司会)マニュアル通りのお医者さんの対応ということですね。
それが効 かないから苦しんでいるわけで。ないものねだりを言っても仕方ないんですけど。もうちょっとカウンセリング的なことをしてもらったりとか、っていうのもあればいいかなと思ったり。下痢の不安とかそういうことが大きいと思うんです。ひどい時は特に。下痢は薬で止めるわけにはいかないので。
(KS3)それも含めて全部なんですけど、医者と話して、医者は神様じゃない、全人格的に見れるのは緩和ケアだけだと。だからあくまでも消化器だったら消化器っていう形で見てる。生活すべてその人個人としては見れない。専門化すればするほど。だから私はいわゆる代替療法を今勉強してやってきた中で、そういう個人によりそうっていうのは西洋医学でそういう細切れの時間のなかでは難しいなって思ったからこそ、一人一人に時間掛けてということで始めたわけですけど、専門知識として大切なものもあるけど逆にそこに固執すればするほどあとは切り捨てていかないとやっぱりやっていけない部分と、そこをフォローしてくれる、変な宗教とかじゃなくても、例えば家庭医とかそういう部分でメンタルだったらメンタルとして別の医療機関とか医者とか例えばそこで医者とは話できないけど看護婦さんとか臨床心理士とか、ケースワーカーとかってやっぱり全部見てもらうというのは無理なんやろうねって。
(KS1)だからそういう患者会とかいうのが大事になってくる。
(KS2)みなさんの言われた通りで、医者は完全じゃないので私自身も自分の主治医っていうのが日赤病院時代、大きな病院ってしんどくて、行っても何時間も待たされるっていうことで(KS1病院ってしんどい時には行けないと思いますよね。逆にね、しんどいと行けない、病院行けるってことは元気)開業して隣で、検査は全部日赤病院でやってくれるので、夜に行けるようになってすごく楽になった。それで漢方医とか言ったりとか点滴の時は近くで、向こうまで行くのがしんどいんで、すぐ近所の病院と連携取ってくれるところで簡単な点滴はやってもらえて、やっぱり通うのがしんどいんで、まあ歩いてすぐのところがそういった対応もしてくれたので助かった。医者は細かいこと言わなくて、病気の、だからそのへんは患者会で話し合うことによって同病者の悩みがわかって自分自身の気が楽になる。医者と話しとっても事務的な話だけになってきてすごい気が滅入るだけで、「次これあかんかったら、この治療しようか」とかいうだけで、
(KS3)(薬の)量を変えた時点ですごく、ある程度慣れてきたら増やしたり減らしたりするじゃないですか。そういうしんどさって医者はわかろうとしない。あくまでも効くか効かないか、その量が合ってるかしか見ないから、本人しんどかろうが、医者は良くすることがメインやから考えてくれなんかいうてもね。ステロイドとかいろんなものに対してそれの副作用を抑えるような薬っていうの、ほんまに増えて私もいったんだけど。それはやっぱりその人が薬を飲んだり使ったりした苦しみってのはその人じゃないとわからへんし・・

自分の辛さをどう伝えるか?の答えは「伝えるのは無理」という意見が多かった。親にはどういうふうに対応してほしいか、など。

 

 

(KT1)夫婦だ ったら奥さんに、とかそれから親だとか子供だとか、自分の病気のことを、まあ当然病気だということはわかってるわけだけど、その今自分がどんな風に辛いのかとか、何が大変なのかということをパートナーとか家族の人に伝えるっていうのが、結構難しい、かったんです、私の場合はね。女房にどうやって伝えていいかわからなくて、結局黙ってしまう。自分一人でお腹が痛いんならまだいいんだけど痛いっていえるから、痛いっていうのともちょっと違って、便をずっと我慢してなきゃいけないっていう、そういう辛さってなかなか言葉にできなかった。というのがあってただまあ、あんまりにもその私が辛そうなのを見てて私が何も言わないから、女房の方がぶちきれて「何か言いなさい。何かやってほしいことがあったら言いなさい。何でもやってあげるから」って言われて、でまあいろんな話をして、民間療法、爪もみだとかね、針灸も行きましたし、そういうようなことを、食事もこんなのがいいんじゃないか、あんなのがいいんじゃないかということを、話をしながらやり始めてお互いに随分楽になったというのがあるんですけれど、皆さんはそういう経験というのはありませんか。
(KS1)私はちょっと変わった考え方なんで、私は全部他人には私のことはわからないと思っているので夫婦でも言わないし、娘とかにも言わないし、でも言っても通じないと思うので病気の痛みっていうのは、そういうふうに患者会とかに来た時に、例えばしぶりばらとかね、今おっしゃってたように痛いわけじゃないけど24時間ここが気持ち悪くてトイレ行きたいような行きたくないようなっていうのは多分私はよくわかってるんです。だからそういうのがわかってる人がいてたらそれでいいと思うので、敢えて夫婦でも家族でも友達でも、わからない人にはもう言わない、というふうに徹しているのでそれの面では私は困ったことがないんですよ。だから逆に患者会というのは必要かなと思います。
(KS4)私も 同じで、僕もちょっと言い方きついかもしれないけど本当の意味では妻にも、両親にもわかってもらえないんだろうなと思ってます。すごい理解しようと思ってくれているけど、本当のこのしんどさというのは共有してくれないと思うので。私はあまり合わしてほしくないと、私にあわせてお肉我慢して、ハンバーグも我慢して、そっちはそっちでストレスになってしまうから、考えてくれたらいいけど、横で堂々とお肉食べてください。なんていうか伝わりにくいかもしれないけれど、そこはわかり会えない部分、夫婦でも全部は分かり合えない部分だと思うので、そこはどうしても理解してくださいとしないほうがよくなると思ってます。ただし、そこで考えてごはんもしてくれるし、病気のことも理解はしてくれるけど、このしんどさはやっぱり経験したものでないと共有できないと思うんで、夫婦でもそういう部分あってそれをわかった上でも十分うまくやっていけるのかなと。
(KS1)逆に求めてしまうと自分がつらいというか、やっぱりわからんと思ったときに辛いから。
(司会)両親の話で思い出したけど、母親もむっちゃどうした、どうしたというタイプで、父親はあんまり気にしてないみたいで、どっちが付き合いやすいかというと父親のほうが付き合いやすくて不思議なもんやと・・
(KS1)あんまり気を使われるとこっちも気を使ってしまうからね。
(KS3)あんまり心配させたらあかんって思ってしまうからね。
司会)ラーメン店入ろうって、父親が入ろうって、「いや僕食べれへん」「お!食べれへんかったか」(笑)あまり気にしてないんで、ものすご気楽やった。

薬の効能と副作用(特にステロイド)についてみなさんの経験を語っていただきました。

 

 

 

(KS4)私は21歳の時に発病しまして、若かったせいかもしれないんですが、症状がすごくひどくてステロイドを使うとピタッと治まっていたんですね。ひどい時はトイレ1日20回とかが、ステロイドを使うと、がんとか2回になるくらい劇的にいいので、ただ減らすとすぐにだめになる。大量投与を何度も繰り返していました。一番しんどかったのが精神的な、心がすごくこう揺さぶられて、気持ちがハイになったりローになったりするのがすごくあって。例えばハイになったときは突然10万円の楽器を買ってきて演奏しに行ったり、という日があれば、薬が減ってくると泣き続けて1ヶ月位部屋から出れなくなったりとかいうことがあって、ステロイドのせいなのか病気に対する不安とか心配なのか区別がつかないんですけれど、そのステロイドの大量投与の後にそういった気持ちの大きな揺れが確かにあったので、そういったようなものかなと思っていました。
(KS2)薬は 今こんだけたくさん飲んでるんですけど、ただ止めると血液データがすごく悪い。もともと血液データよくないですね。血糖値とか、血圧も。で飲むことによって下がってきている。食欲も出てきているということで、やっぱり良くないなと思ってたまに止めたりするとすごく調子が悪い。で、レミケード、もうズートやっているのがコロネル、アサコールも認証されてからずっとやってるんですけど、後、整腸剤ビオスリーとかビオフェルミン、このへんは全く僕は薬と思ってなくて、色々変えて言ったらいいかなと思っていて、レミケードやっているので結核が怖いということでイスコチン飲んだりとか、レミケード、うちの担当医は「レミケードやると結核かかりやすいから」ずーとイスコチンを飲まされている。これは止めてもいいかなと思ったりもしているんですけど。
(KS3)ちらっ と思い出したのが、注腸ですね。ペンタさの注腸とプレドニンの注腸と両方したんですけれども、私はステロイドすごい副作用がでたから、目をわっと散るぐらいにすごいステロイドの(副作用が)出て。言うてはった、ステロイドほんまにもう何かね、目がらんらんとして眠れないんですね。本当眩しいし、耳痛いし、で減量とか増やすたびにそういう症状がすごい、薬飲んだら汗がぶわーと出てきて引かないんですね。
(KS1)私麻薬とかしたことないんですけど、たぶんねステロイドって麻薬といっしょとちがうんかなとっていうくらいハイになるしね、止めるとグワーとね、かなり私ポジティブな性格やけどね、すっごくネガティブな思考に勝手になってしまうから別人になったんと違うかなと思うくらいに、なんていうのかな、怖いです。

KT-13 プロフィール

診断時60歳、インタビュー時89歳(2017年1月)男性 関東地方在住 発病から10年くらいは大変だったが、主治医の治療方針で、入院も手術もせず仕事を続けながら内科治療だけで寛解に至り、現在では完治したと思っている。現在は家内と二人暮らし。

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 xx先生が、何代目かの(研究班の)班長をされましたけれど、その先生が難病といっても潰瘍性大腸炎はそんなに特殊でなくて、要は生活習慣病だとおっしゃっております。どんな病気でも完全に治るということは無いんだから、一応普通の生活が、日常生活が送れればいいというふうに、割り切って対応したらいい、ということがどこかで発表されているのを見まして、それはいいなと思って私もその説に賛成してるというか。患者会で色々相談に乗ったりしていても、「完全に治らないと」という思いの人が結構多いんですね。ですから1日に4-5回ちょっと下痢があるというようなことがあっても、「日常生活ができると、何とかできる」ということであればいいんだと思いなさい、ということでお話をしているんですけど。みな完璧な健康体にというような思いを持つ方が多いんですけれど、そういう必要はないんじゃないかなと思いますね。

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 Q.今、テニスとかされているというお話なんですけれど、ご病気で調子悪い時もやっておられたんですか。
A.そうです ね。テニスを本格的に始めたのは横浜に住んでからですので、約40年になりますけど、週2回くらいは必ず行くようにしておりました。私のストレス解消法ということで、仕事の面だとかいろんなことで精神的に疲れている時でも、1時間か2時間コートで汗を流すとスカットするということがありましたね。人間生活する上ではストレスというのは避けられないものですから、ですから精神的なストレスと、肉体的なストレスのバランスを取るというのがよかったのかなと思っています。後は呼吸法じゃないんですけれど、腹式呼吸というのが非常にいいということなので80の手習いということで、地域の方々と語り合ってコーラスクラブを、混声合唱団を作りまして、最初私一人で、男は私一人だけだったんですけれど、今は男性が9名と女性が24名ですか、33名の混声合唱団ができておりまして、緑区の芸術祭と称して毎年秋にはそこに参加したりしております。そういうことで、これは月2回2時間づつのレッスンというか先生に教わるんですけれど、要するにお腹から声を出すということで腹式呼吸というのが健康に非常にいいんではないかと。私は若い時から詩吟が好きだったものですから、詩吟もお腹から声を出すということがあったもんですから、比較的楽に入れましたけれど、今は一応テナーということで仲間と一緒にやっております。

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 Q.今奥様 の話がちょっとでましたけれども、病気になった時に奥様がどういうふうに対応してくれたとか、あるいはお子様との関係とかそのへんはなにかありますか。
A.そうですね、やはり家内は一生懸命対応してくれて、薬をお尻から入れるなんかにしても、最初はなかなか一人ではできないし、薬を、注腸薬剤を温めて適温にしてとか、その前にステロイドの注腸は昔はステロイドの塊をもらったやつを自分で砕いて粉にしてそれで注入してたんですね。それを一生懸命やってくれたりしましたですね。それから、かながわコロンに入会のきっかけというのは娘が丁度朝日新聞だったですか、広告を見つけてくれて、こういうのがあるよということで、かながわコロンを知ったということです。家族の支えというのは非常にありがたかったですね。
Q.じゃあ、その病気をしたことでなにか夫婦関係あるいは親子関係に悪影響がでたことはなかったですか。
A.逆みたいですね。いい影響というか、私も昔人間であんまり直接家内には感謝めいたことも言いませんけれど、むしろいい影響があったように思います。

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 Q.患者会に 入会される方ってたくさん色んな方がおられると思うんですけれど、患者本人ではなくてご家族の方が会員になっている方も多くいらっしゃいますよね。特に若い男性の場合ですね、母親が患者会に入っておられるという方が結構多いと思うんですけれど、そのへんで何か親御さん、患者の親御さんの対応というのはなにか感じられたことがありますか。
A.私自身の話なんですけれど、一時は家内がやっきになって一緒についてきてくれて、診察室にも一緒に入って、先生との受け答えがこの私が言う前に家内が言うようなことがあって、先生が「奥さんは診察室から出てください」みたいなこともありましたけれど、よくその主治医はそういう例を挙げておられましたけれど、何ですかね、そういうのは一番望ましくないということで、患者本人が自分の思いを先生と話すと、話し合うということが必要なんだということを言われましたね。

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 Q.病気になられて患者会「かながわコロン」に入ってその後、会長を長くされたということなんですけれど、患者会の運営とかですねやってきて、よかったこと、大変だったこと、いろいろあると思うんですけれど、そのへんのお話をちょっと聞かせていただけますか。
A.私自身がそうだったんですけれど最初にかながわコロンに入会した当時は、当時の事務局の方に毎晩のように、毎回同じようなことを質問して助けられたんですけれど、私が会長になって自分の自宅が事務所替わりになって、専用の電話があったんですけれど、本当に毎晩のように同じ人から、またあくる日朝から夜からという繰り返しでいつも同じことを答えるような感じだったんですけれど、そういうことがありましたね。それから嫌になるようなこともありましたが、後で非常に感謝されて「助かりました」と言う事を言われてうれしかったというか、そういうことでしたね。
Q.そのほかには何かやっていて楽しかったとかそういうようなことってありますか。
A.結局人のお世話をするということは自分のためにもなるんで、よく役員同士でも話してたんですが、役員になると非常にメリットがあるなと、みんなの話が聞けるし、それに対して役員の中で突っ込んだ話ができるし、役員になるといいね、みたいな話をしたことがあります。

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 それから肛門 科のほうではやはりある程度食事の制限なんかも言われたんですけれど、横浜市大のほうでは潰瘍性大腸炎に関しては、食事の制限というのは原則として無いんですということで、サプリメントとかそういったものに惑わされないでなるべく普通の食事から栄養を取って、ただでさえ出血とかあるわけだから普通の人以上に栄養をきちっと取らなきゃいけないということで、ほとんどいわゆる食事制限というのは無しできたというのが現在の私の寛解を維持して、もう私自分ではもう完治していると思っておりますし、現在の私があるものと思っています。
Q.食事は制 限はないよとお医者さんに言われてなんでも召し上がってたということなんですけれど、これを食べると調子悪いとか、調子が逆に良くなるとか、そういったような食べ物とかは特にありましたか。
A.そうですね、あんまりなかったですね。先生はとにかく調子さえよければ、なんでもいいですよということで、カキフライなんてものは私が好きだったので、「カキフライどうですか」って言ったら、「食べてみてだめなら止めればいいし、調子のいい時は美味しいと思ったら食べていいよ」と、あるいはアルコールに関しても多少出血している時でも、私はテニスをやっていたんですけれど、帰ってきてシャワーを浴びてビールが美味しいというんであれば飲んでもいいですよというようなことを先生は言ってくださって、そういうことがいわゆるその病気からくるストレスがなかったというか、そういう点では助かったんじゃないかと思っています。

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 Q:はい。今病気のことについてお話しいただいたんですけども、直接その病気のことではなくても病気をしたあとで、してから何か人生観が変わったというかそういうようなことって何かありますか。
 私がこの病気になってから、やっぱり自分には難病の方っていうのは全く無関係な生活をしていましたので、実際自分がなってみるとまだ調子いいときは健常人と同じように生活できる、ただ調子悪かったら同じように生活できないというふうなことの病気なんですけど、やっぱり難病、ほかの難病いっぱいありますので、そういう方も今の社会で不安とかストレスとかと戦いながら前向きに生きているということを難病になってから知るようになって、それで人生観というかやっぱりこういう病気でもがんばらんといけないなというふうに強く思いました。

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九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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Q:トイレの回数とかでですね、仕事中急にトイレ行きたくなったりとかいうようなことで、仕事に影響があるとかそういうことはありませんか。
 今は活動期で、少し調子が悪くて、朝がやっぱりひどくて、今6~7回どうしてもトイレに駆け込んでしまうことがありまして、で、朝を過ぎて業務時間が始まってから夕方までにやっぱり調子が悪くて、1~2回ほどなんですけど行ってしまうことがあるんですけど、それは上司の人がいつでもトイレに行っていいよというふうに理解がありまして、それは大きな支障にはなっていないと思います。
Q:そういう上司の方の理解があるということはすごく助かると思うんですけども、一般的な仕事の中でやっぱりこの病気を持っていることによって、いろんな支障っていうか障害っていうのはありそうだなっていうふうに思われますか。
 やはりこの病気というのは、見た目はほぼ健常人と変わらないということがすごいやっかいって言えばおかしいですけど問題で、調子が良いときはほんとに健常人と変わらない生活ができるんですけど、調子が悪いときがどうしてもトイレに行って、お腹は調子が悪いということがありますので、例えば仕事に関してもトイレにいけないような仕事もいっぱいあると思うんですけど、そういうときは例えばどうしてもその仕事をするしかないというのであれば、おむつとかをしたり、動き回るのは例えばお腹に刺激があるので良くないとすれば、例えばもう腹巻きとか体を温める、外での寒い仕事とかはホッカイロとかで体を温めるというふうに何かこう自分らしい対策を考えないとやっぱりどうしても悪くなってしまう病気なので、そういう面で、同じような健常人と仕事ができるということに関してはある程度難しいんじゃないかなと思うんですけど、やっぱりこう、自分が気をつけながら上司とこういう病気ですというふうに相談しながらすれば、できない仕事もあると思うんですけど、ある程度はできる仕事が増えるんじゃないかなというふうに思います。

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九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 将来結婚なんですが、今やはりそういうこと考えていまして、大阪とか京都に長い期間いましたので、それが終わってこっち戻って来てから考えようって思ってまして、今本当にそういう時期になってきたんですが、やっぱり国の難病の指定の病気だということを相手に伝えるか伝えないかなんですが、それはもう絶対に伝えないと相手の家族とか相手を巻きこむことなので、それはもう絶対に伝えるようにしようと思うんですが、やっぱりそれを認めてくれる方っていうのはやっぱりそんなにいないんじゃないかと思うんですが、やっぱり病気のことを認めてくれてその上で結婚してくれる方を今探してて、それは今紹介とか親も協力してくれてそういうことを行動しているんですけど、やっぱりそうですね。難病とかを受け入れてくれる女性と結婚したいと今考えております。
Q:将来結婚して子供を作るとかいうときに、この病気がそういうことに影響するかどうかというようなことについてはお医者さんは何かおっしゃってますか。
 将来結婚するって、もし子供を育てるということに関しては主治医とかに相談したことは今までないんですが、一応本とかを読む限りは、一応ペンタサとかをずっと飲んでいたんですが、そこまで影響はないというふうに書かれていますので、あまりそこまでは心配はしていないんですが、イムランとか免疫抑制剤とかは治療としてありますので、それを飲むと多少影響あるというふうには読んだ、本に書かれていたんですが、私の今飲んでいる薬で影響は出ないんじゃないかと思っているんですけど、それに関しては影響が出るから子供を育てるのはやめるとかいうふうには考えたことはなくて、それでももし子供ができたら授かった命なので大切に育てていこうとは思っています。

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Q:最初に診断されたのが19歳ぐらいということで、ご家族、お母さんは当然ショックを受けられたと思うんですけども、そのあとお母さんがどういうふうにあなたに接してくれたとか、逆にお母さんに対して、逆に気を遣ったこととかですね、そういう家族との関係と言うんですかね、お話しできる範囲で結構ですのでもしあればお話しいただけますか。
 私がこの病気になったのは19歳のときなんですが、そのときに母はやっぱりショックを受けていまして、やっぱり国の難病ということで大変な病気にかかってしまったということがやっぱり母の気持ちにはあったらしくて、で、初めはこの難病は国に申請すれば医療費とかがある程度、かなり負担してもらえるということなんですけど、やっぱり自分が難病であるということを認めてしまうのでそれは母親とか父親、親にとってはすごいショックだったらしくて、初めは難病じゃない、認めなくていいんじゃないかという考えがあって、初めは特定疾患の申請はしておりませんでした。
 やっぱり難病って認めてしまうと就職とか結婚とか今後の人生においてすごい影響が出るんじゃないかということを本当に心配していましたので、入院費とかも3割負担で初めはしていました。ただ、僕以外にも難病のこういう方がかなりいっぱいいると。で、かなり元気に生き生きと前向きに生活しているということも、母と僕もそうなんですけどこれから知ったので、やっぱり難病でもそういうことを自分に受け入れて、それで前向きに生きていくのが一番いいんじゃないかということを母と父とは話したんで、それから特定疾患の申請をして、自分が難病だというふうに国に認めてもらって医療費とか薬とかも補助していただけるふうにしていただきました。

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 私は潰瘍性大腸炎と診断されたときは、まずはその病名がどういう病気なのかまず分からなくて、で、母親、すぐ入院だったので、入院のベッドだったんですけども、母親はこちらに来て深刻な顔をして泣いてしまったので、何かひどい病気なのかなというふうに初め思っていたんですけども、母親が言うには一応国の指定の難病だということで、これからもしかしたらどこにも出かけられないし、旅行とかにも行けなくて、大変な生活が待ち受けているっていうふうに考えてたらしいんですけども、で、僕もそういうふうに聞いてそういう病気なんだというふうに思ったんですけども、一応その今現在では本当に調子が良いときは普通の人と同じような生活が送れるので、そういう面では難病にしては調子が良いときは、すごいその、幸運だったのかなというふうに思っているんですが、その当時はすごい大変な病気にかかってしまったのだというふうに思っています。

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 私がこの病気を発症したのは、今から10年前の19歳のときなんですが、そのときは浪人中のときでした。ある予備校に通っていたんですが、それで普通に生活していたんですけども、11月くらいから少しお腹がおかしいなと思うようになりまして、ちょっと下痢気味になったので、それぐらい受験のストレスかなと思って過ごしていたんですが、下痢がだんだんひどくなってそれで一日に4~5回ぐらい行くようになりまして、で、ある個人病院に行ったんですが、やっぱり受験のストレスと風邪であるというふうに言われまして、風邪薬と下痢止めの薬を処方していただきました。
 それで飲んで普通に生活していたんですけども、やはりお腹の調子が悪くなる一方で、一日10回とか行くようになりまして、そこでやっぱりもうおかしいということである大学病院、大きい病院のほうの先生にかかったんですけれども、やっぱり受験のストレスだということで強めの下痢止めの薬を処方していただいて、それを飲んでいたんですが、やっぱりどうしても良くならないということで、一日10回を超えて15回とか20回とか行くようになったのが、初めは11月だったんですけれども、12月の中旬ぐらいにはもうそれぐらいになってしまって、で、もうつらいのが寝れなくて、夜起きてしまって、どうしてもトイレに行って駆け込んでしまうことがありまして、やっぱりどうしてもおかしいということで、大腸の個人病院、大腸の専門の先生のところに行ったんですけど、受験のストレスですというふうに、過敏性腸症候群というふうに言われまして、大腸の内視鏡の検査はしなかったです。
 で、やっぱりもう、どうしてもおかしいということで12月、年末を超えて1月の初めにある下関の個人病院にかかったんですが、そのときにある先生に大腸の内視鏡をしてもらいまして、そこでもうすぐ、内視鏡をしたら腸が全部出血しているというふうに言われまして、最後までもう入らないというふうに言われまして、そこで臨床、肉眼的にはおそらくもう潰瘍(性)大腸炎で間違いないだろうというふうに言われました。

QS-3 プロフィール

診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 潰瘍性大腸炎の合併症もいろいろあって、さっき言った痔もクローン病だけでなく潰瘍性大腸炎でも痔もありますし、後もう一つは関節炎で、最初は膝だけだったんですけど、ひどい時には確かに歩くのは辛かったですね。膝も結構荒れてました。で、ステロイドを飲んでるっていって、ステロイドの副作用でも関節の変形が出ることもあって、病院でレントゲンとっても関節の炎症がないからステロイドの副作用ではないだろうと言われてます。その時でもそれは安心してどっちがいいのかわかんなかったですけど、歩くのもままならないっていう時もありましたね。それと後合併症では眼なんですね。えーと目の方の異常があったんで、それから年に1回眼科で診てもらって、虹彩炎とかぶどう膜炎とかがあるかないか検査だけはかかさずやっていますね。
Q:目の方は症状は何か出てましたか。
 えーと、自分では少し、一時ちょっと見にくいな、ちょっとぼやぼやするなっていうくらいですけど、専門的に眼科にいくとアゴを乗せる機械があってっスリットていう検査すると丁度前房といって角膜の奥が見られて、そこまで濁るのが眼内炎なんですけどそれが治まると角膜の内側にちょっと沈着物が見られるんで、そういうのがちょっと前に炎症があったんだろうというのがわかったわけで、それからは気をつけて目の方を検査してもらっています。今までに3回くらい眼内炎が出ていますが、特にひどくはなっていないです。

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診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 症状が出始めたのはやっぱり下痢ですね。下痢でもどっちかというと軟便とかではなくて、ひどくなるにつれ水様便に近いような形ですね。それに血が混じってイチゴジャムみたいな形になるし。あと、便臭ですね、便臭が普通の便と匂いが違います、ね。何か腐ったような臭いになるんでその時はまた発症なんだろうなというのはあります。だから後は、最初は頻繁にトイレに行くっていうのはあったんですが、最初の時はわからなかったんですけど、後の職場では病気だっていうことなんで、仕事の合間でもトイレに行くってことはありましたし、でその間は多少(患者が)途切れることはありましたし、その時トイレに駆け込むことはありました。
 後はそうですね、合併症としてやっぱり悪い時にはちょっと痔にはなるから出血があるっていうのは、痔はひとつのサインにはなりますね。あんまり痔がひどくて出血が多い時には多分良くないんだろうなっていうのは感じてましたね。年に一回大腸内視鏡検査するんですけど、症巣が飛んでたりすることがあるんですけど、肛門の近くあたりはやっぱりちょっと病状は今でもそうなんですけど、少し炎症は残っていますね。だからまあ、痔の合併症というか痔はままありましたね。

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診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 患者会っていうのはまあ、知ってたんですけど行くところはほとんどなかったんですけれど、今回まあ初めて見つかったんで入ったっていうのがきっかけですね。意外と昔は患者会っていうのはなかったんです。患者会に入ったのはやっぱり情報とかあとはさっきもありましたけど、特定疾患っていう制度があって、そういうのでの情報があって入ったのがきっかけですね。
Q:患者会に入られて、これは良かったなと思われたことはありますか。
 患者会に入ってよかったなっていうのはみんなの顔を見られる、病人の顔を見られる、同じ病気の人の顔を見られるっていうことで、ただまあ一つは、どう言ったらいいのかわかんないけど表に出てこれない人もいるだろうなっていうのがあったので、だからまあ、出てこれてなんか言い合えるだけでもいいのかな。後やっぱりもう一つは、福祉的な問題でやっぱり声を上げないと変わって行かないだろうから、やっぱり数の力というか声を集めるっていうのも大事なんじゃないかなと思って、それで患者会に入ったというのもあります。
Q:たとえばどういったところで声を出していく必要があるって思われていますか。
 難病って言うのは原因がわからなくて難しい病気だっていうことで、病気に対してですけど、特定疾患っていうと保健とか福祉的な問題があるから、今までの特定疾患の補助みたいのを切られるっていうのがありましたよね。そういう時に声をあげたからなんとか予算がついて助かってるっていうのがあると思うんで、だからそういう意味で少しでもマイナーな、メジャーでないマイナーなものの声を上げるという意味ではやっぱり数が必要だし、声を上げていくっていうのは大事なんじゃないかなっていうのはありますし、実際そういう活動もしているからいいんじゃないかなと思います。

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診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 仕事自体は獣医師で小動物で犬猫をやってるんで、それ自体は変わらないんですけれど、ま入院をして、入院が大体1ヶ月ですね入院すると、そうすると動物病院は個人経営なので、結局その間人が足らなくなるので辞めなきゃいけないっていうか、相手に迷惑にもなるので、入院したら辞めるっていう形でしたね。ま向こうも色々言ってくれるっていうのはあったんですけど、でもやっぱりどっちも辛いと思うんで辞める方が楽かなと思いましたね。
Q:3回の入院とも仕事を一旦辞めるっていう形を取られたんですね。
 ですね。で、辞めた後はしばらくは働いてないんで、その間アルバイトとかっていうのもしたりしました。その時はどうしたらいいんだろうって思ったけど、若い時、その頃働き口があったんで、アルバイトなりなんかして何とか生きていけはしましたけどね。あとは、次のオファーがあって来てくれないかっていうのがあったので気が楽だったっていうのはありますね。
 あともう一つ面白いのは、アルバイトをしててトラックの運ちゃんをやってた時が有るんですが、その時は夕方荷を積んで、夜中走って朝帰ってくるんですけど、その時肉体労働なので汗をかくんですよ。冬場だったんで、丁度冬場だし、あとは冷蔵庫、マイナス20度の冷蔵庫とか入ってて、その中でも汗をかいてた時が一番体調がよかったですね。だから、やっぱり労働と言うより運動の方が病気に対してはいいんじゃないでしょうか。面白いですね。

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Q:話代わりますけど、失礼ですがご結婚は。
 していないです。
Q:それは病気とは関係ないですか。
 病気も関係はありますね。したって大変だというのはわかってますから。別にしちゃいけないってわけじゃないけど、自分の体調がわからないから、結婚しても、例えば社会的仕事で予定いれても体調悪くてもそれをこなさないといけないけど、じゃあ私的なもので体調悪い時に動きたくなかったら、動きたくないじゃないですか。私のことかまってくれないとか、なんで家のことやってくれないのとか。それはだから医者って結構病気の知識はあっても理解はしないわけであって、それを一般の人が理解しろっていうのは難しいです。知ってることと理解することは違いますものね。感じれるっていうのは、理解っていうとあれだけど、感じて気遣いができるかっていうこと。仕事だから我慢してできるけど、じゃあ家に帰ってきたらしたくないですものね。相手のことまで考えてやってられないですものね。
Q:失礼な質問ですけど、お付き合いをして結婚を考えたことって今までに・・
 ないです。今はあれですけど、若い時はそれなりにアタックは受けたけれど、自分で納得してるから全部断ってますけどね。断るっていうとあれだけど、そんな風に行かないようにもってってます。面倒くさいから。別に結婚しちゃ悪いってことじゃないですけど、結婚しても難しいだろうっていう。
Q:難しいです。本音。
 健常者だって難しいのに、病人だったら調子悪い時でも家族の為にやらなきゃいけないことも有るし、つらい時わかってくれって言ってもわかんないでしょう。でも別に結婚できない訳じゃないしやろうと思えばできるけど、やっぱりいろいろな面できびしいんでね。フォローがないと難しいですよ。後は職業的に時間がとられるっていうのがありますよね。大企業で勤め人で時間が取れたらちょっと違うかもしれないですけどね。仕事上やっぱり、仕事しないと食っていけないし、仕事がかなりウィエイト占めるから、結婚は難しいなと思いますね。仕事が終わったら殆どグロッキーですもんね

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 食べ物では確かに気を遣い、体調が悪い時は気を使いますけど、良かったら、普通よくないって言われているラーメンとかカレーでもケーキでもバターでもなんでも食べます。但し、間隔は慣れてくると置くようにはしてますね。そうすれば制限もなく楽しく生活できますね。
Q:今は調子が悪い時だけ食事を気を付けられて普段はそんなに制限がない生活っていう感じで過ごしていらっしゃる。
 そうですね、今は殆ど食べ物で、ただ油ものは少なくするようにっていうのは気を付けていますけど、ひどい時には1年間本当に納豆、豆乳、豆腐、それだけで過ごしたことも有ります。その時は体調よかったですよね。だから食べ物の制限は確かに効くんだけど若い人にそれは無理ですもんね。

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 (入院は)今から3回とも10年以上前なのでステロイドと後は最初はサラゾピリンですねその後にペンタサに変わったくらいで、後は生菌剤、乳酸菌製剤ですね、使っているという形と、あと食事療法ですね。だからそんなに3回とも昔は変わっていない。ほとんどが入院が3回であとは在宅で通院しながら内服治療っていうのがメインですね。今はレミケードもあるので病院での点滴にはなりますけど。
Q:じゃあ20年近く入院しなくて通院でされてあったということなんですけれども、その間身体の状態とか治療が変わってきたその変遷あたりをどうしてそういうふうに変わってきたのかっていうのを少し話していただけますか。
 変遷っていうか昔は変わったっていうのは、薬が昔はそれしかなかった、サラゾピリンからペンタサに変わったというのが大きな変革でしたけど、その後そんなに大きな変わりはなかったですね。で後はえーと入院した時に関節病変はもう出てたんですけれど、その時は膝だけだったんですけれど、5-6年前から全身の関節炎、関節痛がでるようになって、それから免疫抑制剤を使うようになったというのが大きな変わりですね。
 それとあとえーと、ここ1-2年のレミケードですね。レミケードが使えるようになったというのは大きなことですね。あとさっき言いましたサラゾピリンからペンタサ、今はアサコールですか、それにも変わったというのは大きいので、何で変わったかと言ったら薬の開発がされたからっていうのが正直なところですね。
Q:逆に症状が悪くなったからレミケードが始まったというのは違うのですか。
 でも悪くなったとも言えますね。関節炎が全身に出てきたんで。その前はさっき言いましたように普通の免疫抑制剤、えーとあれはなんというか、臓器移植か、臓器移植に使う免疫抑制剤を免疫を抑えるために使っているっていう形で、それからレミケードに変わって、それからは非常によくなりましたね。

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 (医師に対する)不信感みたいなことはなかったですけど、ただ免疫抑制やって真菌症になったんですよ。爪になったときに真菌症の薬(イトラコナゾール)飲んでたんだけれどあれ一応保険って6カ月で終わるんです。だけどプレド二ゾロン使ってるから、免疫抑制だから多分1年飲まないと収まらないと言ったんです、それを切られた時は駄目だと思いました。結局1回切ってまた出て、トータル3年くらい飲んでたんだったかな。結局1年8カ月くらい飲んでやっと納まったんです。そこで切ってなければもっと早く納まったと思うんですね。
 もう一つは病院内によっても医者のやり取りがないんですよね。今のとこもそうなんですけど消化器と膠原内科通っているんですけど、そこのやり取りが全然ないんですよ。そこは病院システムの問題ですよね。本当だったら総合病院で、隣に(自分の)患者が掛かってたら、そこは医者同士でミーティングじゃないけど情報のやりとりで、こういうような人はこれだとかっていって、・・採血にいっても関節炎があるっていうのに叩くんですよね。だから思いっきり痛いっていって、関節炎もってるからっていっても何回でも叩くし、だから病院の意味なしてないですよね。
 で後は問題なのは、どっちが先かわからないけど、歯周炎起こすと免疫が抑制されると言われているし、免疫抑制剤を使うと歯周炎を起こすんですよ。だけど歯医者はそれを知らないんですよ。おれはだから歯周炎起こして歯根膿瘍で2本歯を抜いているんですよ。それでもしょうがないから自分で納得して医者に言って抗生剤もらって、一次しのぎをして抜歯の時期をずらしてっていうのもあるんですけどね。歯周炎って意外と知らないんじゃないですか。

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 知識が有ったから先生、こうして、ああしてとか、あとはお医者さんの方から、こういう薬があるから使ってみないかとか言って納得しながらやっているんで、で副作用が出た時もまあ、しょうがないだろうと言って、出ましたといって、しょうがないだろうくらいですね。べつに、だから不信感とかそういうのはないし、まあこっちも納得してるっていうこともあるので敢えて聞かないとか言わない所もありますけど、そんなに悪い関係ではなかったですね。病院もいくつか変わっているけど。
Q:変わって、先生が変わったことで困ったりとかはあまりなかったんですか。
 そうですね、先生が変わったから困ったということはなかったんですが、まあ、色々動いていくうちで一番問題だなと思うのはやっぱり都会ですね。関東とか東京だと病院がすぐそばにあって、それなりの医者がいて対応できるんですけれど、まあ大阪はちょっとわかんないですけれど、他の都市になると結構病院に通うっていうのは離れたところまで行かなければならないので、医療の地域間格差というのは大きいと思いますね。前の所は病院まで約1時間半ですか、往復で3時間ですよね。で、病院で治療したらやっぱり1日仕事になるので、そういう面での地域間格差、医療格差というのは大きいんじゃないかなと思いますね。

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診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 発症したころは丁度小動物臨床をやってたんですけれど面白いことに犬猫にもIBDがあるんですよ。丁度その頃は犬用の薬を、名前は忘れちゃったけど、処方してた時に、体調が悪いなと思って、まあもともと便は柔らかいたちなんでそんな気にはしてなかったんですけれど、20代後半から体力が落ちたのかなというふうに思ってたんですけれど、かなり下痢がひどくなったのと、あと、出血がわかったということで、こわかったのはその頃丁度ウォシュレットが出たのでウォシュレットを使っていると便状とか見ないんですね。ただ見なかったから最初わからなかったんですけど、まあ下痢だろうということで自分ですましていて、ただ体はだるいなっていうのがありましたね。で、うんーと、和式で自分の便状と出血の異常に気がついて病院に行ってくるって言ったのがきっかけですね。
 でまあその時は少し痩せてきたっていうのはあるんですが、じゃあ病院行くって決めて3日後にたしか病院行くことにしたけれど、その2日前からお腹が痛くなりましたね。それまでは痛みはなかったですね。その時出血もだんだん増えて来たというのもあります。で、病院に行ったときには潰瘍性大腸炎ってすぐ診断されたんですけど、でその時には全周性ですね。大腸は大きく分けて上行、横行、下行、S字から直腸になるんですけど、全周になってたというのだから重症のほうですよね。それまで気が付かなかったということもあるんですけど、病気がわかるまで時間が掛かったというのが有るんで、もうちょっと早く便を見て気づいていれば、もっと軽く済んだかもしれないかなと思っています。

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診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 本来であれば健康でありたいというのが一番なんですけど、これはどうしようもないし、もうないものはないので、これはもうしっかり受け止めて。じゃあ今のこの体をどう生かして、自分をどう生かしていくかというのは自分の気持ち次第なので。健常の方がやれることとはまた違う方法とか、違うやり方とか、色んな方面に力はだせるのではないかなあと、ものすごく前向きな考え方を持てるようになりました。

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診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 最初、手術をした時の仕事のところはですね、手術してすぐくらいは「大丈夫か」ってことであったんですけども、最終的には自己管理だぞ、ということで一切の配慮はなかったです。ただし、自分で管理してくれということで。勿論なんですけども、ただ、あの色々役職的な仕事が付いてきたりとか、責任がついてきたりとかすると、ストレスも溜まりやすくなって、なかなかこれは難しいなと。小さい会社だったのでなかなか逃れることもできなくなってくることも多くてですね、ストレスからも逃れることができなくなってくることだったので、このままだと自分の身がもたない、精神的に身が持たないなということで、そのとこは退職させていただくっていうか、辞めたんです。
 その後転職という形でやってるんですけど、現状は、今も自己管理ではあるんですが、わりと自由というか、許可を得ればすぐに対応していただける。入退院も何回かしているんですけども、それも支援というか配慮をしていただいているっていうところなんで、気兼ねがないというとおかしいですけども、安心して手術、入院とかもできています。

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診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 どうゆう病気だなというのは理解は、妻の方はして今後これに対処していくんだなあというふうに思ったみたいです。で、私の方は、本の情報であったりとか病院の先生から話を聞いたりとかして少しづつ理解を深めていったという感じです。家族は、母親はいるんですけど、全然そういう意味がわからないので特別説明もしておりませんし、難しい病気なんだということを今言っても全然わからないということもあるので、母親の方は最近認知症ってこともでてきたので、逆にこっちが気を使ってやっているということで、母親の方はもう全然僕の病気に関しては熟知してはおりません。
Q:奥様の方はよく理解されているということなんですけれど、奥様は病気のことに関してどんなサポートをしていただいているのでしょうか。
 サポートは、特にですね最初の病気をしたときからの約10年間近くというのは、やっぱり食事面のとこを気にしてですね、食べちゃいけないものというのが、こういうの、こういうのとありましたので、そういうのをできるだけ最初から避けた形で準備、食材の買い付けとか考えてやってましたね。私の方も一応こういうの危ないなと思うのは、最初から避けて、外食するにしても、例えば定食とかにしても、これは食べたら危ないなと思ったら全部妻の方に渡して、妻の方で僕の方が食べられそうなものをもらったりして、で色々調節しながら、お互いの協力してくれたのですごく最初の期間というのは大分助かったと思います。その後はある程度自分で管理できるというか、わかっているので、えー妻の方は特別は口を出さなくても自分で管理できるような形にしてますので。今は、たまに声をかけてれるくらいですかね。「だいじょうぶ」ってことで。その程度ですね、今は。

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診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 食生活で言いますと、まあ仕事を私やっていますけども月曜から金曜までの仕事の日というのは朝・昼・晩、経口の補助食品のみか、パン1枚とか卵1個を食べる、1日ですね、くらいですね。1日1500キロカロリーくらいで済ませています。で土日だけ、土日のお昼だけ解禁日にして、普通の食事を取る、でないと夜の排便で苦しむんですよ。痛みとか、何回もトイレに起きたりとか、基本的には2時間に1回はトイレに行かないといけないという状況なので。平日はなるべくトイレの回数が増えないようにという対策で、そういう過ごしたかたをすることによって日常生活が維持できるかなと、維持できる方法を自分でさがしてやっています。

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 人口肛門になかなか慣れなくてですね、漏れがあったり、かぶれたりとか、すごい痛みがあったりとか。排便通とか腹部痛とかはほとんどもなかったんで、食事の方も普通食摂っていいということだったので、そういう部分では気が楽だったんですけど、やっぱりそのストマの管理、パウチの管理、そちらの管理の方に気をとられることがあって、なかなか日常生活でスムーズに他の方と同じようにいけるかというと、どうしてもそちらの部分があるからですね、うまくいくことはなかったんですけど、まあ自分なりにこうしたら、楽にやって行けるとか、改善しながらとか、ストマ看護師さんとかいらっしゃるので、そういう方におたずねしてですね対応策をきいたり、合うストマ、合うパウチを選んで頂いたりとかで、色んな方法を試してみて・・
 最終的に4回目で閉じたのですが、閉じて10日から2週間くらいで退院だったのですが、あと2日という退院の時に腸閉塞をおこしまして、それからまたちょっと退院が何日間延びるかたちになったんです。あ、これが腸閉塞かとその時初めて感じまして、ものすごく痛かったので。それから食事のほうも注意しないといけないのかなと思いながらすごしておりまして、生活自体はですね一応食事の方は普通にとっていいですよということだったんですけれど、食べてると、普通に食べると腹部痛・下腹部痛・肛門痛とか排便後の痛みとか、色々痛みがあるので、それを一応先生の方に相談して、食事の制限とか経口の栄養剤とかをすることによって、なるべく排便の軽減とか痛みの軽減、薬も飲んでいますけども、そういうところでなるべく普通の生活が、一般の生活が出来るような方法をなるべく今模索しながらですけどやっていってます。

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 まず、1回目の手術の時は、どういうふうなというか、どれくらいの規模で塞がっているか、っていうのがレントゲンとかそういうのではわかりずらいということで、開いてみてからの判断になりますということだったんですよ。で、ある場所っていうのはここっていうのはわかってたんですけども、それがどのくらいの広さになってるかってのがわかってないということで、ま一応手術をうけることになったんですけど、その時はそんなに怖いという思いとか、もう任せるしかないという、まったく開き直りではないですが、そういう気持ちでいた。
 どちらかと言うと、自分が手術することによって母親がどういう風に動揺するだろうかとか、妻とか他の人がどうふうに思うだろうかとか、回りのほうに大丈夫だよってことをこっちら言って安心していいからということで、自分としては盲腸の手術するくらいの気持ちで初回の手術は受けたんですよね。で、実際受けてみて、こんな痛いのかと思うくらいの痛みを手術当日とか2-3日痛かったですけども。一番最初の手術はそんなに手術に対しては怖いっていうイメージは持っておりませんでした。手術をすることによって最終的に病理検査を受けないと自分の病気が判明しなかったというのもあったのでそれはそれでよかったんじゃないかなって思っています。

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 退院して半年後にカメラ検査をすると、またちょっと出来始めてたんですね。じゃあやっぱり様子を見ようということで、そのへんからプレドニンとかもまた始めたんですけども、その年の暮れにまた出来ているということで、今年になって、もう少し様子を見ようと見ていたんですけど、もうやっぱり塞がってしまったねということで、3回目の手術をしましょう、ということで、3回目の手術にあたってもカメラをいれて検査をすると、直腸とかは本当綺麗らしいんですよ。ところがS状から上の方が全然ダメになってしまっているということで、3回もやっているっていう、3回目になるということと、内部の方の癒着がひどいので1回、1回の手術が大変だったらしいからですね、今回はもうきれいなところもあるけれど、大腸の全摘をやっとった方が今後のためにも再発の危険性がないでしょうということで、まあそういうことで大腸の全摘をやったのが3年ほど前ですかね、に大腸全摘を受けて、で一時まあ人工肛門を3ヵ月したんですけども、最終的にはクローズドして、一応普通排便のほうで出来るような形にはもっていってるのが状況です。

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診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 それから10何年経ってからの2回目というのが自分でもさわってわかったし、1回目の時と同じような感覚のしこりみたいなのがあったので、また出来てるなってことで。2回目も一応検査を受けて、これくらいの部所にあるから、これくらい切られなくちゃいけないだろうということで、その時は大体これくらいの幅というのが先生から聞いていたので、そんなにこう1回目と同じくらいの気持ちで大丈夫、大丈夫まだ残っているから、くらいの感じで、2回目もわりと、手術自体は大変だったんですけど、痛かったんですけど、2回目もそんなに怖いとか恐怖心持たずに受けることができました。
 そして3回目ってのは2回目から1年後なので、またかと言うところもあって、3回目の時の説明が大腸の全摘っていうことを言われたときは、正直ちょっと頭の中が真っ白になる感じがありました。べつに癌になると言われたのではないのに、近い感覚だったのかなあと、自分の中では想定していなかった、全摘という話だったので、今後どうなるのだろう。人工肛門の話があったので、これからどういう風にしていったらいいんだろうとか、短期的ですぐ閉じてから普通に排便できるようになるからという説明は受けたんですけども、その前の大腸を全摘するということの恐怖心というのは初めてその時手術への怖さというのは感じましたね。

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 10年近くはほとんど何もない感じで、特定疾患の申請だけをしていたと言う感じで年に1・2回病院に行くくらいだったんじゃないかなと。薬のほうも後半の方は全然飲んでいなかったんですけど、40代に入りまして、たまたまその時仕事を辞めることになり、辞めたんですよね。その時のストレスもあったのかもしれないですけども、4月に辞めてまた、2ヶ月位して自分でおなかを触ってみるとわかるんですよね、出来てるのがごろっとしたのがある。これはおかしいなと思って、妻に病院に行くから付いてきてくれということで、一緒に行って。
 ま、もちろん痛かったこともあるんですけども、自分の中ではたぶん入院だなと思いながら行ったら、その日にそのまま入院ということで入院して。入院中はもう絶食ということで、点滴だけになるんですけども、腰とかも痛かったので背中をボキボキとやっていたら、その時ブチッといっちゃたんですよね、内臓のほうで。で、あっ、中が切れたなというのがわかって、でま、その病院はもう最初に入院していた病院なんですけど、外科がたまたまその時はもうなくなっていたので、大きい病院のほうに転院するような手続きはとっていたので、そちらの方に転院することになって、でまたそのプチッといったと音がしたという話をして、最初は消化器内科の方にはいったのですが、内科の方の先生も即手術だろうと言うことで、一応外科と連携しながら検査とかをまたそちらの方で受け直しまして、入院してもうすぐ2・3日で即手術。手術前の検査とかも受けたんですけども。2回目の手術を受けた時も同じように、最初と同じようにポリープがいっぱい出来ていて、狭窄ってことでなかなか通ってなかったってことで。

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 浣腸をしていただいて、一応大腸のカメラを入れたんですけども、ある程度のところまでは直腸とか綺麗だね、とか言いながらずーと入って行ったら、途中から見れなくなったんですよ、塞がっていて。塞がっているからこれから先が見れない。この先の状況がわからないのでもう少し検査を延ばしましょうということで、検査入院3日がもっと伸びることになりまして、次はこんど鼻から管を入れて、バルーンというものを十二指腸(潰瘍)とか小腸を通していってある程度のところまでいってそこで薬剤を投与してレントゲンみたいな感じで撮影するなんていうこともしたんですが。それが1週間くらいかかったのかな、そこまでいくまでに。
 それで一応何かが出来ているということはわかったんですが、実際の形がわからない。「完璧に塞がってしまってますね」っていうことで、ちょっとこれは対処法としてはまず、薬でっていうことも考えられたのですけども、塞がっている状況なので、手術が一番妥当ではないかっていうことで、その病院がちょうど中型の病院で外科もあったんですけども、大きい病院のほうも紹介しようかということで2件ほど聞いたんですけども、たまたまそこに来ていた、外科の部長さんが大きい病院から来られた外科部長の先生だったので、先生に任せますと言うことで、お願いして、最初の時は32歳の時に開腹手術で、上行結腸と横行結腸の途中まで、ようするに右半分ですね、を切除して、病理検査に出して潰瘍性大腸炎という診断をその時はうけました。最初の手術です。

QS-2 プロフィール

診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 31歳くらいの時に体調、おなかの方ですけれど、下腹部痛とか腰痛とかをしてまして、どうしても調子悪いなという日が続いていたんですよね。その時に仕事場の先輩の方で便秘と下痢を繰り返すようなことがあると大腸がんの傾向があるぞとか、そういう話をされていて、その先輩というのが腸疾患があられる方で、いつもあの下痢をされている方だったんですね。それでそうゆうことを勉強されてて、詳しくなってらっしゃってて、僕に対してそういうのがあったら、病院に行ったほうがいいぞ、とかいわれてたんですけど。まあ一応そういうことはあったんですけど、まあそんなことはないだろうと、ただ、お腹がちょっと具合が悪いだけ、お腹下しただけとか思いながらってのが1年くらい続いていたんですが。
 その下腹部痛・腰痛が段々、段々ひどくなってですね、でおかしいなと思って、32歳の春かな、1月くらいに知り合いの方が、ある病院の外科の婦長さんを知っているからちょっと紹介してあげるから、行っておいでということで、行ったら消化器の内科の外来だったんですけども、そこに行きまして、最初先生がどういう状況かということで、ま痛いんですということで。まず、見てみましょうということで触診をされたんです。でおなかのとこを触診したところ、うん、とあたるものがあるんで。ちょっと触ってごらんといわれ、私も触ってみたら、ごろっとしたものがあったんですね。これなんか出来てるね、ということで検査したほうがいいのではないかということで、すぐには病室が空いていなかったので、来週の月曜日にきてください、ということで、検査入院ということでとりあえず3日間入院しましょうということで入院することになったんです。

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九州地方在住 49歳 女性 潰瘍性大腸炎全大腸型 発症23歳看護師 仕事は非常勤 現在は夫と夫の両親との4人暮らし。

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 本当は私の直属の上司は仕事に戻らない方がいいと思ってたみたいなんですね。主治医から病名を言われた時に最初に言われたのが、看護師は無理だって言われたんですね。もうデスクワークの仕事を探したほういいって言われたんですけども、でも私自身入院をしてみて、それまで自分が看護師として働いてたのが、全然患者さんの気持ち私わかっていなかったんだというのがすごく思って、それでこう私の強い希望で仕事に戻ったんですね、周りからは、だから反対されて戻ったような感じだったんですけども、でも職場はすごく理解していただいて、私は1名余分の人員で外来配置して頂いて、夜勤とかも免除して頂いて仕事はしていたんですけれど、それでも半年して再発をしました。
Q:その後お仕事は続けられたんですか。
 大学病院にその時勤めていたんですけれども、結婚を機に退職したんですね。丁度その退職をするときに地元に結婚して戻ったんですけど、そのとき地元の個人病院の方から来てほしいっていうふうに言われたんで、そちらの方に就職したんです。でも最初からそこはもう、丁度当時は看護師が、今もなんですけど、看護師不足で、病気があるって話しても、それでもいいから来てほしいっていうことで、最初から病気のことを話せたので、無理がいかないようにっていうところでとても配慮していただけました。それでもう本当に慢性的だったんですね、症状が本当に慢性的で、調子が、寛解期が全然ないような感じで過ごしてたんで、途中から看護師の仕事が難しくなったんで、看護部長の部屋で事務仕事をしたりとかですね、そういうデスクワーク中心の仕事をかなり長い期間やってました。

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Q:でまあ、無事に出産されたと思うんですけれど、その妊娠してから出産までの間というのは薬はどうされてたんですか。
 話は前後するんですけれど、私27歳の時にステロイドの副作用で、両足大腿骨骨頭壊死を起こしているんですね。それがあったんで、ステロイド剤はもう経口では使えないっていうことになって、ステロイド剤を飲む方は切って行って、お尻から入れる注腸か座薬のほうに切り替えてたんですね。なので使ってたのは多分、妊娠してからはプレドニンの座薬と、あと当時はサラゾピリンを経口で飲んでたと思います。
Q:それはその妊娠とか、胎児に対する影響とかは心配ない薬なんですか。
 プレドニンに関しては、経口で飲んでたわけじゃないんですけど、座薬なり注腸の形ではずーと使ってたんで、私自身はちょっと心配があったんですけれども、当時内科の先生と産科の先生と両方から、この薬で子供に異常が出たことは今まで一度もないから心配しなくていいと何度も繰り返し、言っていただきました。

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 25で結婚しまして、なかなか子供ができなかったんですね。ずっと体調も悪く、1年中下血して、下痢をしてお腹が痛くて、それが程度が軽いか重いかだけの違いで、ずっと調子が悪かったんで、それで子供がずっとできなくて、29の時に一度流産をしているんですね。その時ものすごく精神的に参ってしまって、でもう私は幸せになれないんだってその時は本当に、普通の人の幸せは私にはもう来ないんだっていうふうに、その時は本当に精神的に参ってしまって、でそのさなかに次の、今の娘を妊娠したんですね。
 なので、うれしいよりは怖くてですね、今度この子を無くしたら私は生きていけないって思って、そっちの恐怖心の方がすごく大きかったのを覚えています。で、妊娠中にも体調を崩してですね、丁度つわりの時期に本当にもどしているときに調子を崩して、もどして下痢をするもんだからものすごく体重が落ちてしまってですね、主治医がすごい心配をして、赤ちゃんに栄養が行かなくなるんじゃないかって心配をして、入院しなさいって言われて、その時はそうですね40日くらいですかね、1カ月ちょっと入院したと思います。でなんとか体調が良くなって、つわりが良くなると同時に体調が安定し出したんです。
 それで妊娠中は、その後は体調的には安定した時期が続きました。ただ、お腹の子供にちょっと異常があるんじゃないかって言われていて、私はそれまでの病気が治療がうまくいかなかったりとか、何かをしようと思うと病気が悪くなったりとか、その繰り返しだったので、またかと思ったんです。またかと思って、子供に何かあると言われてまたかと思って、本当に生まれるが生まれるまで、うれしいとか楽しみだとかそういう気持ちになれなくて、ただ子供に何かあるんじゃないかと、不幸が襲うんじゃないかと、そういうことばかり考えていたような気がします。

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 丁度婚約、結納の1ヶ月後がその緊急入院だったんですね。発症して緊急入院だったんで、本当に発症のときからすでに付き合って、夫とは付き合っていましたんで、本当私はなまじ看護師だったんで、診断がついたときに、最初に夫に、まだ結婚する前だったんですけれど、夫に言ったのが、「結婚を止めるなら今だよ」って言ったんですね。もうこれ治らない病気だし、入退院を繰り返すから止めるなら今だよって言ったんですけど、それでも結婚したいっていうことで、23で発病して25で結婚しました。

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 1ヶ月半、2ヶ月くらいだったかな入院したんで、娘が生まれて初めての入院だったんで、娘のこともすごく心配しました。私がいない間娘の方はいい子だったみたいで、周りに全然心配かけないでいい子だったみたいなんですけれど、退院して帰ってくると、夜は私の布団に入ってきてですね、首にしがみついて寝るんですね。毎晩毎晩私にしがみついて寝て、多分さみしかったのを取り戻してたんだろうと思うんですけど。入院期間の倍くらいそういうのが続きました。その後入院した時もそうだったんですけど、2か月入院すると4カ月、1ヶ月半入院すると3カ月くらいそうやって娘が首にしがみついて寝るっていうことがありましたね。
 そうやって、その治療を外来でしてて、娘とも一緒にお風呂に入るんですね、娘もそういうのを見るわけですね。・・「私も大きくなったらそんなふうにお腹に薬を入れるのって」聞いたりとかしたりしてましたね。だからそこらへんの子供に分かる言葉で説明するのが結構難しかったりはしたんですけど、娘は割と早くこう、私の体がそんなふうになってるっていうのはそんなにびっくりもしなくて受け入れたように覚えています。
 夫はですね、最初に発病した時は結構前だったんですけども、入院が長期になって、夫自身も胃潰瘍と十二指腸潰瘍になったんですね。夫自身も胃と十二指腸の両方に穴が開いたらしくて治療を受けながらずっとお見舞いに来てくれてました。二十代のときはずっとプレドニンの副作用で、もうずーとムーンフェイスだったんですね、それで鏡見ては泣いてたんですけど、二十代の時はすごく励ましてくれてましたね。三十過ぎるとですね、夫も、繰り返し繰り返しだからですね、子供が生まれた後の再発は特にその私が長期に入院すると子供の世話まで加わってくるので、多分困ったと思うんですけど、夫自身多分すごくきつかったんじゃないかなと思います。私に対しても結構冷たくなったりとかも、結構ひどいこと言われたりとかもしたんですけど、今思うと夫もいっぱいいっぱいだったんだろうなと思ってます。

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 娘が生まれてから後体調が落ち着いたんですね。丁度8年くらい落ち着いたんですよ。でさっき言ったように娘が生まれつき腎臓に問題が、異常があって、病院にかからなきゃいけなかったんで、定期検査に通わなけりゃいけなかったんで、それが娘で結構大変だったんですね、病院の通院とかで、育児もすごく癇の強い赤ちゃんで、ものすごく激しい声で泣く癇癪持ちの子だったのでとっても育児も大変だったんですけど、不思議と一番手のかかる8年間が病気自体が落ち着いてたんで、本当に今考えても神様にもらった時間みたいに、本当に子供を育てるために神様にもらった時間だったなあっていうふうに思っています。

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 娘が小学校5年生の時に重症化しました。また重症化して、その時は本当にに緊急手術を覚悟しておいてくださいっていうふうに言われて入院して、潰瘍がひどくって、深い潰瘍がたくさんできてたんで、その時は相対的手術適用ですって言われて手術するかどうするかっていう話までその時はしました。で、ものすごく迷ったんですね、毎年のように入退院してたんで、一旦よくなっても、いい状態が長く続かなくて、それとあと、プレドニンを経口で飲めないんで、何て言うんですかね、治療を始めても、ものすごく時間がかかるんですね、回復するのに。だから長いこと痛みと戦わないといけなくて、重症化した時は近くの総合病院に入院して、今度はその当時白血球除去療法が結構一般的になってきてたんで、白血球除去療法をやろうということで入院したんですが、プレドニンなしで白血球除去療法オンリーでやったんで、痛みが取れるのにものすごく、病状自体が悪かったということもあるんですが、回復するのにすごく時間がかかって、その時は5回1クールだから1カ月かかるんですね治療に。週1回やるので。それを最初の1クールで痛みが取れなくてもう1クールすることになって・・
 長いこと本当に苦しんで、手術をどうするかという話になったんですね。その時先生と話したのが、やっぱすごく、手術が目の前になると、すごくこうやっぱり、怖かったのとどうしようかっていうの、こんな状態、体の状態で日常生活がまともに送れないっていうのがあったんで、すごく迷ったんですが、その時主治医の先生から、手術をした人は10人のうち一人はやっぱりしなかった方がいいと言う人もいるから、やっぱり個人差がすごくあるから、手術後の合併症を起こすこともあるし、術後にどんなことが起きても受け入れられるだけの覚悟ができてから手術したほうがいいよ、って言われて、それで、しないことに私は決めました。

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 プレドニンが中心の治療だったことを覚えています。でプレドニンを一番最初は50ミリから始めてだんだん減らしていって30ミリを切った時点で、あまり改善してないってことで、また50ミリに増やして、で今度はゆっくり減らそうということで、ゆっくり減らしたんですね。そしたら今度は30ミリを切るところでリバウンドを起こして、でまた入院時のひどい状態に戻ってしまいました。
 それで今度先生方は相当ステロイドの量を使っているんで、増量するかどうするかでずいぶん迷われたみたいなんですけれど、やっぱり増やすしかないということで、60ミリに増やしてそれで漸くひどい痛みと下痢がおさまってきたというそんな感じでした。で今度はその60ミリから減量がすごい先生がこわいんですよね、減らすのが怖くてものすごくゆっくり減らされたんですね。1錠が5ミリなんで2.5ミリづつゆっくりゆっくり時間かけて減らされて、それで8カ月っていう長期の入院になりました。

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Q:そうするとお医者さんとか医療従事者の方に患者の立場として何かこう希望することとか何か言いたいこととかありませんか。
 私はものすごく、こうあの先生たちに支えられて今まできているんですね。外来の主治医は大学病院で二人先生が変わられたんで二人と、今のクリニックの先生で三人目なんですけど、最初の先生がとっても優しい、お優しい先生で、私が結婚前だったっていうこともあって、私がムーンフェイスになるとすごい心配して、彼は何て言ってるって心配してくださったりとか、結婚前にも悪化したんですね、結婚前も悪化、結婚式の10日前に悪化、ガーと下血しだして、その時もなんとか結婚式に間に合わせようと言って、ステロイドの点滴を外来で入れて、でその時はですね、新婚旅行でハワイに行くことになってたんですね。先生にハワイ無理ですよねって、とても行けないですよねって言ったら、一生に一度のことだから行っといでって言われて、で、ほんとうにハワイに行く日の朝まで病院で点滴を打って、山のように薬を持たされてハワイに行ったっていうことがありました。

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 その時は看護師として働いてたんですけど、これもまたなまじ看護師だったがために、病院に行って下血をしてるって言ったら、何の検査をされるかを知ってたんですね。なのでその時は22-3だったんで、とても恥ずかしくて病院なんか行けないっていうのがあってですね、で本当にもう出血しながら仕事を続けてました。でどんどん体重が落ちて、夕方になると毎日微熱が出るようになってですね、周囲も私がどんどん痩せていくんでおかしいって、心配しだして、である日、夜勤あけというか、準夜、夜中まで仕事をした後に40度の熱を出しました。でその40度の熱が出て、翌日は仕事お休みだったんですけども、その次の日が日勤で、ずっと熱が下がらない状態だったんで病院に、婦長さんに電話を入れて、熱が一昨日から40度あって下がらないので今日は仕事を休ませてくださいっていう電話をいれたところ、婦長さんが「もう何を言っているのあなた、タクシー呼んですぐ来なさい。入院しなきゃ」って言われて、それで緊急入院になりました。で入院しても言えないんです、なかなか下血しているって言えなくて、で貧血がひどくて、低栄養状態で痩せてて、で熱が高くて、最初はそれで診断がつかなかったんですけど、私もようやく観念して、出血してるってことを言ったら、すぐに大腸のカメラをしてそれでもう即診断がついたような感じでした。

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診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 そうですね、まず潰瘍性大腸炎っていうふうに診断された時に、自分は、軽かったのでその病気についてあまり調べなかったというのがあって、お医者さんも、当時のお医者さんですけど、軽かったから、そんなに深刻に言うと多分真剣に考えちゃうからだと思うんですけど、おっしゃってもらえなかったので、あの時に、なんだろうな、ちゃんと病気について理解しておけば、坂道を転がるように悪くなることはなかったんじゃないかなって思っていて。だからもし診断されたら軽かろうが重かろうが、基本的には自分の病気のことを自分でお勉強するのが大事かなと思います。だからといっていろんなことを諦めるんじゃなくて、基本的には前向きな気持ちは残したほうがいいんじゃないかなっていうのが自分の経験上の言えることかなと思います。
 なんか、先生たち、お医者さんからいろいろ言われた言葉で残っているのが「やっかいな病気になっちゃったね」とか「この病気は長く患うと自信とかを無くさせてしまう病気だからね」とか、そういうことを言われてどんどん落ち込んじゃったりするんですけど、そうじゃなくて、なんていうんですかね、今を一生懸命生きるっていうのが一番大事なんじゃないかなって、今自分の出来る範囲内ですけど、で自分のやりたいことを探すっていうかそれが大事なんじゃないかなって思いました。

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診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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Q:お子さんがいらっしゃるということで出産をされたんですけれど、出産されたときは寛解状態の時に出産されたということであんまり病気の影響はなかったということですか。
 寛解だったんですけれど妊娠して少しやはり悪くなったんですけれども、重症までは全然いってなくてまだ軽症とか中等症とかのレベルでそれも直腸型だったと思いますので、そんなに出産の時にだからといって食事制限をするとか、出歩かないとか、そういったことはなかったですね。なので薬も先生曰く、ペンタサっていう薬は出産には影響がないっていうふうに聞いてたので途中まで飲んでて、でもちょっと心配だったのでそんなに重くなかったからペンタサを自己判断でやめてましたね。
Q:出産後ですね、体調が変化したってことも特になかったですか。
 出産後は、そうですね出産後は出産前よりも良くなりましたね。そんなに潰瘍性大腸炎で悩んだということはなくて、むしろ仕事も休んでいるし向かう相手は自分の生まれた子供しかいなくて、核家族なので特に子供のことだけやってればいいみたいな感じがあったのでむしろ穏やかな生活を繰り広げていました。

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診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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Q:あとご主人が非常に協力的でいろいろやってくれたというお話なんですけど、その病気のことについて、手術を決断したときなど特にそうだと思うんですけど、どういうようなお話をされました。
 まず病気に関しては、自分がこんなふうになって申し訳ないっていう、良心の呵責っていうんですかね、なんかこう自分の中にあったのは事実で、なにも勿論できなくなってくるし、ただ、彼はそこらへんは淡々としていて「なったものはしょうがないじゃない」っていう一言を受けて、内科入院して彼の多分目標の一つに毎日見舞いに行くみたいなのが多分その時あって見舞いにだけは結構来てくれて、なので・・一度「こんな弱いお嫁さんいらないよね」って聞いたことがあって、そしたら「そんなこと思ってないよ」って言われて、「あなたはこどものお母さんでしょ」っていわれて「いらない家族はいないよ」って言われたのがちょっとこうジーンってきたのがありまして。
 あとは大腸手術するっていう話になったときも、周りが騒いでいるほど本人はあんまり騒いでなくてそれは今、今後こう自分の家を運営して行くじゃないですけど、「今大腸の手術って必要なことだよね」って言われて、「それに伴って失うものもあるとは思うけれどタイミングは今だよね」って言われたので、一緒に多分「どうしよう、どうしよう」ってなってたら大変悩んで決断できなかったと思うんですけど、そこは彼が結構あっさりポジティブに言ってくれたので決めれたところかなと思いました。

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 潰瘍性大腸炎が悪化してくると貧血もひどくなって、常にだるい状態で、帰ってくると本当にすぐにでもベッドで横になりたいという状況だったので、子供もまだその頃保育園に行って小さかったので毎日の食事を作る、それがもうとにかく苦痛で。あとは土日に自分はどこにも連れて行ってやれない。その分主人が連れてってはくれるんですけれど、なんか良心の呵責っていうか常になにもかまってやれてない自分、みたいな、そういう罪悪感みたいなのは正直あったんですけど。ただ、娘も毎日そういう私の生活を見ているのでわがままはあんまり言わなかったし、保育園で3歳の時に初めて、よく洗濯物とかをするんですけど、干して乾いたものをたたむ余裕がなくて、ソファーの上に山のようにうずたかく山のように積み上げてとかしてるのを、子供が畳んでるのをみてびっくりして。
 あとは小学生になってすぐ、それこそまだ5月とか子供もまだ小学校に慣れてないという時に、仕事をして帰ってきたらご飯が炊けてたっていう、「ご飯炊いてくれたんだ」ちょっとびっくりして、にわかに信じられなくて、本人疲れてソファーで寝てたんですけど揺り起こして「ご飯の匂いがするんだけど誰が炊いたの」って聞いちゃうぐらいちょっとしっかりしすぎた子供になっちゃたんですけど。ただ入院してる時は保育園の4歳だったかな、内科入院のとき4歳で、うちの母に連れられてちょいちょい見舞いに来てくれたんですけど、見舞いに来てくれる時はにこにこ笑顔で来るんだけど、帰りに「ママがいいママがいい」って、泣いて帰って行くっていうのをよく見て、それもちょっと心にしみるものがあって看護師さんとかにも「今日廊下で泣いてる子がいたよ」っていう報告を受けて、ちょっとそこはかわいそうだったなっていうふうには思いますね。

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 家族との関係ですけれど、まず自分自身の実母がベーチェット(注1)をやっていたので、潰瘍性大腸炎になったという話を、独身の時になったんですけど、すごく理解してくれて、日に日にこう、なんて言うんですかね、体調の波があることとか、そういったことをすごく理解してくれたし、食事も比較的和食中心のものがいいとか多分わかっていて、なんて言うんですかね、同じように病気を、同じくらいの年から患っていたので、母も。なのでそこは理解が得られたのですごくよかったと思う。
 結婚してからの主人もすごく淡々としてるんですけどめちゃくちゃポジティブなので、こう、なんて言うんですかね、一緒に落ち込むこともなく淡々と、今何をやらなければいけないのかっていうことをまとめて説明してくれて、後、主人の父親も難病を患っていたのでこれまた主人もある程度理解があったので、そこについては非常に助けられたと思います。入院することになった時も母も遠方から数ヶ月間フォローに来てもらえたりしたし、主人も何もできない人ではなくて、お料理はする人なので、後子供の面倒は本当に赤ちゃんの時からすごく見る人なので、そこだけは非常に助かって良かったなと思います。やっぱり、家族の理解があるのが一番必要なことなので、すごいそこは素晴らしかったなと思います。
(注1) ベーチェット病は口腔粘膜のアフタ性潰瘍、外陰部潰瘍、皮膚症状、眼症状の4つの症状を主症状とする慢性再発性の全身性炎症性疾患。

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 手術の時に、最初はお腹の中が痛いんですけど、どこが痛いかわからないんですけど、お腹の中が痛い。だけどだんだん、2週間で退院させられるんですけど、外科は。最後の方はおそらく肛門のところ、直腸と小腸を繋げてる辺り、肛門から奥2センチくらいかなというようなところがすごい痛くて、痛いので朝とか寝るのも座るのも微妙に辛い感じなので、かと言って夜うろうろうろつくわけにも看護師さんに怒られるのでできないので、3時か4時くらいから円座のクッションを抱いてデイルームっていうんですかね、みんなでお話しできる団欒部屋みたいな所に行って一人で夜を明かすっていうことが結構ありましたが、でもそれも1ヶ月を超えるとなくなってきて、そうですね痛みはそこでなくなったと思います。
Q:トイレの回数なんかは術後どういう状況でしたか。
 手術してすぐは便管っていうのが、肛門のところから付いていてそれが1週間くらい付いているんですけど、それを外すと15回から20回くらいお手洗いに行きたくなるんですけど、なんかその肛門のところの痛みが、奥の痛みがあるのであんまり踏ん張るとそこが切れちゃうんじゃないかと、破裂したらどうしようとか、なんかそう思ってちょっと我慢するっていうか、感じで過ごしました。やっぱり20回くらいが3ヶ月くらい続いた気がします。でも徐々に家にいると20回くらい行っちゃうんですけど、外に出かけるようにしまして、外に行くとトイレ探すというよりも他のことに気が向いているのでトイレに行かなくてもトイレのことを忘れるじゃないですけど、なので回数がどんどん減ってきて、最終的には7回から8回、調子が悪かったら15回みたいな感じで、そうですね回数的にはそんなところですね。今も術後半年くらいなんですけれど職場に復帰したので仕事しているときはそれこそトイレ行くことを忘れてるのか、それとも我慢してるのか今一自分ではわからないんですけれど、今5回くらいですね。

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 手術の方法についてなんですけど、IACAっていう、なんていう名前だったかな、回腸嚢肛門管吻合術(注1)っていう難しい名前がついているんですけど、大腸は全部摘出するんですけど直腸のところを1センチ位残して、そこに小腸を繋げるっていうような手術をしていただきました。先生がすごく上手な、手術が上手な方だったのでトラブルもそんななくて、まあ痛いのは痛かったですけど、すごい術後の経過は非常に順調でした。
 手術で入院してた時にあったことなんですけど、手術当日は朝8時半に手術室に行ってそこから夕方の4時くらいまで記憶がないんですけど夕方の4時に目が覚めたときに全く痛くなくて、すごいなと、これはすごいと思って、本当痛くないんだって思ってたんですね。麻酔は全身麻酔とあと脊椎のところに麻酔をいれる硬膜外麻酔とあと点滴で痛み止めをいれるっていう、この3つで手術をしてもらったんですけど、本当に当日は全く痛くなくて、それこそスマートフォンでメールとか見れちゃう。このまま楽に過ごせるんだすごいなと思っていたら、手術の翌日の朝8時に目覚めて、あれ、なんか痛い気がする。気のせいかな、いや気のせいじゃない。これおかしいみたいになってきて、ものすごい激痛が走って、でもお腹の中を切っているのは頭ではわかっているので、のたうち回るにものたうち回れない。動くと中も動くから痛いかも知れないと思ってうんうん唸って、恥ずかしい話この歳で部屋でしくしく泣いてたらその日の担当の看護師さんがやってきて、体温とかを計る。たまたまその子が来た時間は点滴の痛み止めもなにも打てない、1回打ったら5時間くらい間を開けないといけないので、なにも看護師さんとしては手助けできない時間帯に来た時に私が泣いているのを見て、私のために泣いてくれてというか泣いてて「何もできなくてすみません」みたいな事を言っている声が泣き声だなと思って、ふっとその看護師さんの顔を見たら泣いてくれてたから、私のために泣いてくれる人がいるんだと思って、そこから私は痛みじゃなくて感動して、この看護師さんのために私頑張ろうと思って、その日翌日から歩かないといけないんですけど、癒着しないために、ナースステーションを1周と言われて、めちゃくちゃ嫌だったけれど頑張ってこう歩いてその日から毎日毎日ナースステーションの周りを歩くようにしました。
(注1) 回腸嚢肛門管吻合術は潰瘍性大腸炎の全摘手術の代表的なもので、回腸嚢を肛門管と吻合して肛門管粘膜を温存する術式である。そのほか粘膜を抜去する回腸嚢肛門吻合術や人工肛門を造設する術式などがある

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 (手術に関して)主人とも相談をして、QOLって言うんですか、生活の質っていう、めちゃくちゃ悪かったですし、仕事に行って帰ってくるともう寝たっきりだし、土日は寝っぱなしだし、家族でどっか行くとかもほとんどなかったし、そんな生活で今後いいのかっていう疑問もあったし、食事もほとんどなにも採れないし、食べてるもので固形物はほとんど受け付けなくて、エレンタールっていう名前の栄養剤があって、あれは不味くて飲めないっていう人がたくさんいる中、私は何げにそんなまずくないじゃないみたいな感じで、エレンタールと後経口補水液を飲んで生活しているような状態だったから、それじゃまずいと思ったのと、子供が今2年生で10年前に潰瘍性大腸炎やっててだんだん癌のリスクが高くなるよって言われて免疫抑制剤をこんなに3つとか併用してやってたので、こんなにやってるのは今後副作用が怖いなと思って、免疫をおさえてるから、勿論癌だってなるかもしれないし、そうなった時にそれでもいいのかなっていうこととか、
 後は核家族なのでもし手術を今後せざるを得なくなった時に子供がいて、核家族でフォローが必要なんですけど、自分の両親も主人の両親もだんだん高齢になってきてるので、フォローをしてもらえる期限っていうのが今なんじゃないかと、あとは特定疾患、今難病っていうことで潰瘍性大腸炎が入っているけれど、これもなんて言うんですかね、患者数が多くなってきたから今後どうなるかもわからないよねと。(注1)もし内科入院とかで2ヶ月、3ヶ月で特定疾患外されたらとんでもない費用かかるし、
 そういうことも全部加味して判断をしたものの、入院をしてそれでもすごく怖くて先生に「もし大腸全摘して開いてみて、先生たちは悪くなるから全摘って言ったけど、開いてみて実は中身がすごく綺麗だったらどうしてくれるんだ」って言って詰め寄って手術をキャンセルしようとしたんですけど、やっぱり外科の先生は淡々と、今までのデータから言うと、例え開いた時に綺麗だったとしてもあなたは数ヶ月後には悪くなると思います。ここは私を信じてください、というようなご説明を受けたので、その先生を信じて、その先生は信じられるなと思ったので、当日手術に挑むっていう決意をしました。
(注1)潰瘍性大腸炎は現在医療費助成の対象疾患に認定されているが、認定の条件の一つとして患者数が人口の0.1%(現在は運用で0.15%)以下であること、つまり希少疾患であるということがある。2014年現在潰瘍性大腸炎の患者数は16万人と言われており毎年増加している。

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診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 いろんな検査をして4日目くらいにようやく潰瘍性大腸炎が軽傷だったのに重症の、直腸型でなくて全大腸型になっているよと。これは大変だと言われて。ステロイド治療は嫌だと言って拒んでたんですけど、先生が言うには、もうそんな嫌とか、嫌じゃないとか言ってる場合じゃないから、ステロイド治療をやるよと言われて、そこから1ヶ月ちょっと入院をして絶食しました。そのおかげで体調は元に戻ってきたんですけど、4ヶ月間会社の方は休職させてもらって復帰して、ゆるゆる仕事を始めていたらまた、再燃し始めてそこからはいろんな免疫抑制剤(注1)を投与されて、最初はタクロリムスという薬から始まって、タクロリムスは結構効いたんですけど、やってたらその副作用で腎臓の機能が落ちてるから、これはダメだと。じゃあロイケリンっていう薬をやろう。ロイケリンをやり始めたらこんどは脱毛とあとは、なんて言うんですかね、顔にブツブツのようなものがいっぱい出始めてこれもだめだからイムランに変えようとか。で、イムランに変えたら変えたで、次はそれも余り効いてないから、ヒュミラという注射をする免疫抑制剤(注2)があってそれをやろうといわれてそれとプラスアルファで白血球除去療法というLキャップというのとGキャップ(注3)っていうのを両方やったんですけど、どっちも効かずに、いろんなことを2年間くらいずっとやって最終的にどれも効かなかったので、内科の先生に「あなたはもう手術対象だよ」って言われました。
(注1)免疫抑制剤は免疫反応を抑えることにより炎症を抑制するものでイムラン、ロイケリン、プログラフなどがある。最近は「免疫調節剤」という言い方もする。
(注2)ヒュミラは免疫抑制剤ではなく「生物学的製剤」レミケードも
(注3)白血球除去療法、正しくは血球成分吸着・除去療法といいLキャップ、Gキャップなどの方法がある

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診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 そのトイレに行きまくっているのは潰瘍性大腸炎が再燃しているって言われて、でもそれでもそんなには重くなくてしばらくそれで3年くらいそのまま生活してたんですけど、どうも良くならないしずるずる痛いままだし、でそうこうしているうちに熱が39度くらい出初めて、背中が痛くなってきて熱が出るのでロキソニンっていうお薬を飲むんですけど、ロキソニンを飲むから解熱はするんですけど、やっぱり翌日また39度の熱がでる、背中が痛い、おかしい、となって。でもまさか潰瘍性大腸炎だと思ってないので整形外科とか普通の内科とかに受診するんですけど原因はわからないので経過観察をしましょうと言われて、自分ではいったいなんの病気かわからなくて不安で、その時3週間ごとに潰瘍性大腸炎のお医者さんに会ってたんですけど、3週間後にようやくその先生に会えて、顔色を見て入院しましょうと言われたのが最初の重くなる最初の診断だったんですね。入院してすぐもわからなくて、原因が。わからないので4日目くらいに、いろんな検査をして4日目くらいにようやく潰瘍性大腸炎が軽傷だったのに重症の、直腸型でなくて全大腸型になっているよと。

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診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 ペンタサという薬を飲めば落ち着くよって言われて、それを飲んだら本当にすぐ落ち着いたので、潰瘍性大腸炎がどんな病気かも今ひとつよく分からず、そのまま、なんて言うんですかね、独身時代だったので好きなように生活をしていました。それこそ朝まで飲んだり、なんだろうその頃は合コン三昧とかで毎日飲み歩いたり、食べたいものを食べ、やりたい放題やっていて、
 それでその後結婚をして、地元が四国だったんですけれども首都圏の方に引っ越してくることになって、そこで仕事も引き続き異動させてもらって、新宿だったかな、で働いたんですけども、すぐ結構早く妊娠して出産して復帰してしばらくした頃からまたおかしいなというふうに自分で思い始めて、出社するまでにドアツウドアで1時間かかるかかからないかという距離なんですけれど、トイレを探し回るようになって、電車も途中で降りないといけない、冷や汗をかいてお腹痛いし、冷や汗をかいて降りてわかんない駅でトイレを探すようになり始めたので、これはおかしいと思い始めて、病院に行きました。

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診断時54歳、インタビュー時71歳(2016年4月)男性 関東地方在住 一度再燃したが薬物治療と食事療法により寛解(無症状、本人は「全治」と自己診断)が続いている。妻と娘夫婦とその子供二人の6人家族。
医療法人財団 健和会 臨床・社会薬学研究所所長 片平冽彦(インタビュー時の所属。保健学博士【東京大学大学院医学系研究科】

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Q:他に何か病気をしたことによって考え方が変わったとか、対人関係が変わったとか、そういうようなことがありましたらお話いただけますか。
 実は私自身は医者ではないんですが、医学関係の研究を、私の場合は中心テーマは薬害の問題なんですけれども、医学関係の研究をしてきて、それで病気の体験をしたことはすごい貴重なことだったと思っています。
 患者でなければわからないということがありますけれど、その通りでその経験が自分の研究の姿勢にも影響を受けているということかなと。そこは大事なことかなと。健康な者、強い者には不健康な者、弱い者の気持ちがわからない、ということが一般的に言えるんじゃないかなと。逆に、ですから不健康であった者、病弱であった者はその病気の苦しさを知って、体験している、だからそういう患者さんに寄り添って医療関係の研究をするということが、その源となっているということじゃないかなと思います。

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診断時54歳、インタビュー時71歳(2016年4月)男性 関東地方在住 一度再燃したが薬物治療と食事療法により寛解(無症状、本人は「全治」と自己診断)が続いている。妻と娘夫婦とその子供二人の6人家族。
医療法人財団 健和会 臨床・社会薬学研究所所長 片平冽彦(インタビュー時の所属。保健学博士【東京大学大学院医学系研究科】

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Q:先生のお考えになっていることを臨床的に、統計的に出されたことはあるのでしょうか。
 私一人が良くなったんじゃ申し訳ないということで、実はこの研究はですね、お名前出して構わないと思うんですが、慈恵医大の消化器内科の先生方といろいろ共同研究をさせていただいて、それでその先生方は栄養士とタイアップして、協力して食事療法を中心として患者さんを治療すると、薬物(医薬品)も勿論使われていると思いますけれど、そういう特に食事改善に力点をおいて治療するという医療を行っているんですね。
 私も患者としてもお世話になりましたし、研究を是非進めたいということで共同研究をさせていただいて、その結果を先生方がまとめたものがありますけれど、文献を調べてみますとそういう研究が全然されていなかったものですから、潰瘍性大腸炎の原因として食生活の、油のバランスというのが国際的な著名な雑誌には全然出ていなかったんです。ウィルス説とかですね、ほかの原因のことがいっぱい書いてあるという状態だったんですね。ところがそれを、その先生方の実践で得られた結果、データをこうやって英語の論文を書かれましたら、掲載されてそれが非常に国際的に反響を巻き起こしている、そういうことがある。これらの論文では私も(多少お手伝いをしたので)連名に加えていただいたんですけれど、私は医師ではありませんので、患者さんの治療はしていないんですが、こういう研究をするときはコントロール、対照群と言いまして患者さんを調べるとともに、それと比較するということで対照群、健康な人と比較するということが大事なので、健康な人で検査を受けてもらう人を探して病院に紹介するという役割をしまして、そういう点から連名にして頂いたということです 。
(編集者注)当サイトは特定の薬や治療法を推奨するものではありませんので、ここで片平氏が述べた食事療法についてもその有効性を保証したり、推奨したりするものではありません。

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Q:今のお話を伺っていて、先生は今油に注目してお話をされたんですが、食材という観点からは、こういうものは良いとか悪いとかいうものはないんですか。
 具体的にその比が「日本食品成分表」というのに出ているんですね。それで私から(その数値から)見て良い食品、食べ物というのは海産物、魚、特に青魚を中心とする海産物ですね。それから野菜類ですね。そうしたものが比としてはいいんです。それに対して肉類ですね、肉類などは結構逆なんですね。それから食用油、リノール酸系の食用油を使った食べ物というのは非常にアレルギーとかこうしたIBDのような病気を増やす方に作用しているんじゃないかということです。
 実は、このことを経験して、研究もして、テレビでお話したかったんですが、テレビはどうも「御法度」のようです。つまり(関連食品の)広告をバンバン出していますよね、そういう関係の食品の、そうしたものを多く摂らない方がいいという話はテレビ局にとって具合が悪いことなので、ストップになりました 。そのときは。
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 具体的には脂肪酸バランスと言っていますが、この比を測定する検査を健康保険に取り入れていく。そうすると医療(の場)で盛んにおこなわれるようになりますので、検査を促進するようにすべきだと言ったんですが、現在までは一部の病名で保険適用になっていますが、部分的なのでどうしても患者負担、あるいは医療機関の負担になるということなのであまり行われていないです。それから、比の測定検査を健康診断項目に入れたらこれはすごいことだなと、世の中すごく変わっちゃうんじゃないかなと思ったんですが、病人が大幅に減るんじゃないかと思ったんですけどね。そうなっていないですね。
 それから病院給食を改善するということ。具体的には病院給食でオメガ6を減らしてオメガ3を増やすような食事を出すということによって、患者さんに良い影響を与える、特に心血管系の病気の場合ですね。それからアレルギー性(疾患)の場合だとか。それから薬局で薬剤師が服薬指導をする場合にそういう関係の病気の人に対しては食生活も改善するようにアドバイスしたほうが良いということです。このへんは先ほどの奥山先生も盛んに強調されていることなんですけれど。そういうことを世の中全体として心がけるようにしたら日本人は、長生きするようになったということですけれど、しかし「健康で長生き」ということになっていないですね。結構「病気で長生き」という状態になっているのは非常に本人にも辛いし、周りの家族も辛いわけなんで、その点を健康で長生きするような社会に変えていくということが必要で、そのために非常に重要なポイントではないかなと私は思っています 。
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 これはこの研究についていろいろご指導頂いた奥山治美先生という名古屋の薬学の先生がご本(注1)に書いておられるものでそれを私も真似をして実践しているということです。それでお寿司を含めて魚はほぼ毎日食べました。今でもそのような食生活を続けています。その結果先ほどお話したように食生活を改善して、病状が良くなってきてその経過をここにまとめたんですけれど、非常にびっくりしたんですが、それまでアレルギー性鼻炎の治療を減感作療法という治療法で受けていたんですが、もう良くなっちゃって、それを受ける必要がなくなっちゃたんです。これはびっくりしました。
 それからこの比がオメガ6とオメガ3の比で、検査の数値なんですけれど、1対1に近づいた。(図2)これは棒グラフで絶対値では非常にでこぼこがあるんですけれど、この折れ線グラフが大事で、ここが1.0ですね。比が1という、オメガ6とオメガ3の比が。ちょうどのその1を前後していますね。それでこれを主治医の先生に報告しましたら主治医の先生がびっくりして、え、こんな日本人いるの?と言われたぐらいで、厚労省の目標値が4なんですけれど、欧米人なんか軒並み10以上じゃないかと言われていて、もっと高い人もいっぱいいるということですね。だから、ヨーロッパなんかでは欧米ではもっとこういうことを研究すればいいんだけれど、食生活が全般的にリノール酸過剰になっているから、研究が適切にできないということじゃないかなということだと思います。
(注1)「薬でなおらない成人病」(黎明書房)
(編集者注)当サイトは特定の薬や治療法を推奨するものではありませんので、ここで片平氏が述べた食事療法についてもその有効性を保証したり、推奨したりするものではありません。
図2へのリンク

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 それでこの図(図1)がすごく大事なんですけれど、こちらがアルファリノレン酸の流れで、こちらがリノール酸の流れです。私たち人間が油を摂取した場合にこのリノール酸を体に入れますと酵素の働きでアラキドン酸になってその後ですね、アラキドン酸がやはり酵素の働きでこうしたものに体内で変わっていくということです。これがそのアラキドン酸カスケードと言っているのですが、カスケードというのは滝のことです、それで日光の華厳の滝みたいにまっすぐに落ちるのはフォールと言っていますが、茨城県の袋田の滝のように岩を伝って落ちる滝はカスケードといいます。ですからアラキドン酸カスケードと名付けられているんですけど。それで体内で流れが進んでつくられるのがこうしたプロスタグランジンとかトロンボキサンとかそれからロイコトリエンの4系列といっているんですけれど、そしてこうしたものが体内でたくさん作られると炎症を促進する。それから血栓を作る。それからロイコトリエンの系列はアレルギーとか炎症を促進するということがいろいろと研究でわかっています。
 一方アルファリノレン酸の流れはこの辺で似たような名前のものになるんですけれど、違うところはこちらが偶数系列に対してこちらは奇数系列ですね。こちらの流れはこういうふうに流れていって炎症とか血栓、アレルギーを促進しないということがわかっています。実はこの研究は「アラキドン酸カスケード」の研究ということで、研究した人はノーベル賞をもらっているくらいの研究なんですね。残念ながら日本人の研究ではなくてサムエルソンという外国の研究者の研究なんです。もしこれがその通りだとしますと、この図によって治療方法がわかる。どういう治療法かというと、こちらの方の流れを促進しないで、こちらを促進する。つまり、もととなるリノール酸を減らしてアルファリノレン酸、あとEPAとかなってくるわけですけれど、そちらの方を増やすと。それによってバランスが変わりますね。そういうことをすれば炎症とか血栓とかアレルギーが減らせるんじゃないかと。
(編集者注)当サイトは特定の薬や治療法を推奨するものではありませんので、ここで片平氏が述べた食事療法についてもその有効性を保証したり、推奨したりするものではありません。
図1へのリンク

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診断時54歳、インタビュー時71歳(2016年4月)男性 関東地方在住 一度再燃したが薬物治療と食事療法により寛解(無症状、本人は「全治」と自己診断)が続いている。妻と娘夫婦とその子供二人の6人家族。
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 9月にテレビでこの病気についてある先生がお話をするという情報を得まして、ちょうどそれが退院した後でしたが、それを一生懸命録画して見ました。そしたらですね、その先生のお話は油の取り方の問題が関係しているということだったんですね。それでそれを調べる必要があると考えまして、具体的にはここにあるような仮説が立てられるのではないかと考えたんです。それは炎症性腸疾患、このクローン病も含めてですが炎症性腸疾患のIBDの発生とか増悪とか再燃にリノール酸、これは化学構造で端から数えて6番目に二重結合がある、そういう化学構造なのでNマイナス6と言っていますが、あるいはオメガ6という言い方をしていますけれど、その系の脂肪酸です。これは植物油に多いですね。よく世間で動物油は悪くて植物油はいいという俗説があってそういうことを言われる方もおられるんですけれども、私は植物油に多いということを確認しています。そうしたものを摂取しますとこのIBD(への罹患・悪化)が促進される。それに対してアルファリノレン酸、Nマイナス3、オメガ3ですね、その系統の油、脂肪酸。これはシソ油だとか魚の油に多いのですが、そうしたものを摂取するとIBDに対しては抑制的に、抑えるように作用するということで、重要なのはこの摂取比ですね。オメガ6とオメガ3の摂取比、これが上昇すると、つまりオメガ6の方を多くとってオメガ3の方が少ないと上昇しますね、比が。そのことがIBDの発生、増悪、再燃の少なくとも一つの要因となっていると、こういう仮説をたてたんです。
 そこでですね、研究で最初にやるべきことは、それに関しての先行研究がどのようにこれまで行われてきたかということなんですね、文献を調べることなんです。それで文献を調べて見たら、いろんな面で、疫学的研究の面で統計的な比較ですね、また臨床的実験的な面でもそのことを示唆している研究が一定程度あるということが分かりました 。
(編集者注)当サイトは特定の薬や治療法を推奨するものではありませんので、ここで片平氏が述べた食事療法についてもその有効性を保証したり、推奨したりするものではありません。

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診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住
専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 今まで潰瘍性大腸炎を発症してから一番怖かったのが、合併症で壊疽性膿皮症という合併症になったときです。壊疽性膿皮症というのは、皮膚が壊疽してしまう、壊疽というか、もう感覚としては皮膚が腐ってしまうみたいな感覚になる合併症です。私は、それが左足のかかとの部分に出ました。朝ちょっと捻挫かなというような痛みがあったんですけども、夕方にはもう歩けなくなっていて、で、次の日、病院に行ったんですけども、足だったのでまさか潰瘍性大腸炎の合併症というふうには思っていなくて、全然別の整形にかかったりだとか、いろんな科にかかってなかなか診断がつかず、足はすごく痛くてもう歩けないし、その診断がつくまではすごく不安でした。
 で、ほんとにいろんな検査をして、最終的に自宅の近くの、IBDの主治医がいる病院ではないんですけども、自宅の近くの比較的大きな大学病院で、壊疽性膿皮症、潰瘍性大腸炎の合併症という診断を受けました。その際の先生は、壊疽性膿皮症ということは分かったんですけども、じゃ、それに対してどういう治療をしたらいいのかということを聞いたんですけども、何かあまり明確な答えがなかったので、何か治療がないのかなと思ったりしてすごく不安でした。で、その先生からまた紹介状を書いていただいて、いつも通っている主治医の先生のいる病院に行きました。 で、そこでは主治医の先生はすごくもうその壊疽性膿皮症を、落ち着いていらして、過去に対応したことがあるということが分かって治療もすぐ、その際はプログラフ、免疫抑制剤のプログラフで治療をすることになったんですけども、すごく対応も早かったですし、今でも、先生のその落ち着いていた対応で、もうそれですごく安心したのをすごく覚えている

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診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住
専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 私がすごく信頼してる方から言われた、自分がすごくつらかったときに言われたのが、「病気は人生の教材だから、自分の精神性を病気を通してどう高めていけるかだよ」というふうに言われたことがあって、それを言われたときは、何かいい言葉だけど、ふに落ちないなというふうに思っていたんですけども、自分がずっとこの病気と付き合ってきて、手術のことですごく迷ったりだとか、あとすごく患者会で、こう人としてすごく本物だなという方に会えたりだとか、あと病気をコントロールすることを通して、自分、うまくこう精神的にも少し、ただつらいっていうだけじゃなくて、うまく少し自分を客観的に見たりだとか、いろんなことができるようになってきて、今本当に何か少しずつなんですけど、そういう、つらかったこともあるけど、「病気は教材だよ」って言われたのが最近になってちょっとふに落ちてきたなということがあるので、この病気になって、どうしてこうなっちゃったんだろうっていう瞬間ってすごくたくさんあると思うんですけども、ただ、きちんと向き合うっていう意思を持ってこれからも付き合っていけたらいいなというふうに思います?。

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診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住
専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 患者会は、私は潰瘍性大腸炎の患者会には最近になって行くようにはなったんですけども、20代のころはほとんど行っていませんでした。理由は、まず主治医の先生をすごく信頼していたので、治療法に関して何か疑問を持ったりだとか、何か誰かに聞きたいって思ったことがほんとにほとんどなくて、患者会にその点、その治療法に関して何か聞くという意味では患者会に行く必要性を感じなかったのと、あと20代のときにその患者会のホームページだとか写真を見たりすると、ちょっと大人の人が多くて、ちょっと行きづらいかなという印象を持っていました。
 ただ、患者会で自分の気持ちを共有したりだとかすることは大切だなと今は思っていまして、私のすごく個人的な経験なんですが、病気は違うんですが、がん患者の方と一緒に月に1回、がんと就労という社会的課題、いろいろ問題になってると思うんですけども、がん患者の方の患者会に参加をさせていただいていました。で、もちろん生きることに向き合った上で、皆さん社会とのつながりという意味で仕事について考えている方たちなので、自分も仕事を頑張ろうとかということはもちろんですけども、病気になった自分の人生をどう全うしたらいいのかというのをその方たちと話していると、すごく考えさせられます。すごく病気でうまくいかないことはあるけども、それを受け止めていこうという、すごく意思をもらえる会でもあり、すごく気持ちを共有してくださる、分かってくれる方たちでもあります。そういう経験があるので、やっぱり患者会で普段の自分の気持ちを共有する場所だったりだとか、あとやっぱりただ病気になっただけではもったいないと思うので、もっと大きな意味で、病気になったこととどう向き合っていくかをみんなで考えたりできる場というのは、すごく大事だなというふうに思います?。

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診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住
専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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Q:例えばお友達との関係の中で、あなたが病気したことによって友達関係に何か変化とか出たりとかしましたか。
 友達には、この病気のことは言わないようにしています。というのも、やはり20代で潰瘍性大腸炎っていう病名を友達に言うと、やっぱり向こうもすごくこう壁をつくっちゃうというか、悪気はないんだろうけども、多分何て言っていいか分からなかったりだとかしちゃうのかなっていう感じがするので、やっぱり気を使わせたくないというふうに思うので、友達には言わず、病気であっても普通の元気な自分もあるので、友達にはもう普通の元気な自分のところだけで付き合うようにして、病気の悩みだとかは同年代の友達には言わないようにしています。
Q:お友達にはやっぱりちょっと言いづらいというのは何か気持ちとしてはすごく個人的には分かるなって思う反面、こう何というんですかね、やっぱり何か話したくなる時みたいなのってありませんか。
 もちろん1人で抱えているとすごく孤独になってくるので、話したくなるときというのは、患者会だとかで話すようにしています。

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専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 この病気を持ちながらどう仕事をしていくかというのは、やはり大きな課題だと思うんですが、私の会社はすごく理解があります。発症してすぐに会社には申告したんですけども、その際から、上司は年々替わってはいるんですけども、常にすごく協力的でいてくれています。ただ、やはりこの病気はどうしても寛解期と活動期があるので、調子が悪くなってきたら、理想的には調子が悪くなってきたら会社と相談をしながら、うまくやっていけたらいいなというのは頭では分かっているんですけども、それがどうしても実際にはうまくできず、何度もちょっと無理をしてしまって、緊急入院みたいな形になってしまって休職せざるを得ないような状況に、今まで3回ですかね、3回ほどなってしまっています。
 というのも、どうしても体の調子が悪くなってくると何かもう視野が狭くなってきてしまって、何とか今日一日乗り切るぞとか、今月いっぱい何とか乗り切るぞというふうな考え方になってしまいます。多分、自分で思うのは、やっぱりその裏には、病気で迷惑を掛けちゃいけないなというような気持ちがあってとか、あと病気で仕事で何かこう駄目なやつだと思われたくないみたいな気持ちが、どうしてもあるんだと思います。会社は協力的でいてくれているので、会社は自分が無理をすることを期待しているのかって落ち着いて考えたらしていないですし、もっとうまく相談をしていけるようにできたらいいなというふうに頭では分かっているので、それがうまくできるようになったらいいなというふうに思います。やっぱり迷惑を掛けているとかという考えではなくて、病気だから分かることというのもあるので、それを仕事で生かしていくとか、もっとプラスの考えに変えていきたいなというふうに思っています。

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専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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Q:これから結婚とか出産とかということに向き合うことになるかもしれないんですけども、その結婚とか出産ということに関して、ご自分の病気のことで何か不安とか、そういったものというのはありますか。
 薬は大半の薬は影響はないですし、ほとんど病気が影響することはないなというふうに思います。ただ、今自分が数年ぶりに寛解に至って思うのは、やっぱり活動期は結婚だとか出産というのは一切考えられなかったので、そういう意味ではすごく精神的には影響していたんだなということを、今になって思うということはあります。ただ、治療としては影響はほとんどないと思うので、今、現時点では特に不安はないです。
Q:じゃ、ご自分の病気が例えば結婚とかということの障害になるというようなことはないということですか。ないというふうに考えておられますか。
 今は、そう思います。

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専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 手術を、先生がQOLだとか大腸がんのリスクだとかで勧めてらしたんですけども、私が決断できなかった理由としては、QOLってすごく難しいなというふうに思いまして、「手術をすればQOLが良くなるよ」って言われても、何か自分にとってのQOLって何だろうって考えると、すぐには分からないけど、でも、お手洗いの回数が減ることだけではないなっていうふうに思いました。
 あと自分のこの潰瘍性大腸炎という症状をどう受け入れるかというのを今までずっと、どう受け入れてどう考えていくかというのをずっと考えてきたので、何かそれを切ってしまえば終わりだよねというのは、何か違うかなという考えもありました。大腸がんに関しては、大腸がんの予防の手術は本当に必要なのかなというのが自分としてはよく分からなくて、内視鏡の検査を年に最低でも1回していれば、大腸がんになるということはもちろん可能性としてはあるんですけども、がんが転移をしてしまうようなことは現実的にあり得るのかなと思うと、予防のために手術を受ける必要って本当にあるのかなというのが分からなくて、先生は「健康な人の腸とは違うので、がんがすごく見つけにくいので」ということはおっしゃっていたんですけども、ほんとに予防のために手術をする必要というのはないのかなというふうに考えたりしていました。

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診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住
専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 最初におかしいなと思ったのは、自宅で下血をしたことです。数日間はそんなに、少量だったので、少しおかしいなと思ってる程度だったんですが、数日後にかなり大量に下血をしたので、これはちょっとおかしいなと思いまして自宅の近くの病院に行きました。で、病院に行ってからは比較的診断までスムーズにいったんですけども、すぐに入院をして数日後に内視鏡の検査をして、潰瘍性大腸炎というふうに診断を受けました。診断を受けた際の説明が、「潰瘍性大腸炎という難病で治療法がないんだ」というふうに先生から説明を受けました。根治治療がないとか原因がまだ分からないっていうことではなくて、治療法がないということをすごく強調されて言われたので、すごく絶望的な気分になりました。
 で、入院をしていて特に治療らしい治療はせず、点滴をしたりだとか、あとペンタサを少量処方はしてもらったんですが、治療らしい治療はせずに数日間入院をしていました。で、先生は一日一度は病室に来てくださって、「どうですか」ということだけ聞いて、「あまり変わらないです」「まあ仕方がないですね、治療法がない病気ですから」っていうような会話をして過ごしていました。で、自分でインターネットで調べたり家族が調べたり友達も調べてくれて、少しちょっと病気の現状とは違うんじゃないかということになって、ちょっと不信感を持ったので自分から退院を、その病院は2週間ぐらいで退院をしました。で、自分で大学病院に行って、IBDの専門医の先生のところに行って、そこで、治療法がないというよりは根治治療がなくて、治療法はあるっていうことだとか、あとペンタサも全然量が足りないしということで、その前の先生に対してすごく先生が怒ってらして、自分でも病気の認識が、全く思っていたような病気ではないということをそこで理解をして、すごく安心をしました。

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診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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Q:ご家族だけじゃなくてお友達とか何か周りの人も、今出てきた職場の状況とご家族だけだったんですか?ご友人との関係とかっていうのは。
 友人は全部私の病気のことをみんな知っていたので、すごく闘病中も、まあ本当にこれはありがたいなと思ったのが、今はメールとかがありますよね、だから昔と違ってやり取りがダイレクトにすぐツーカーでできるので、闘病中も頻繁に友達からはメールとかも来て励ましてもらったりはしていましたね。だから逆に寂しいとかそういうことはなくいられたなというのはありました。
Q:お友達とか周りの方から言われてすごく励みになったり、うれしかったり、支えになったりしたことはどんなことがありますか。
 やっぱり友達が元気になることを信じていつも待っていてくれてたっていうのとか、あと私はちょっと長かったので、毎年毎年お正月がきて何か皆さん祈願に行かれたりしますよね。その時に必ず友達は私のことを祈願してくれてお守りを送ってきてくれたりとか、「自分のために頑張れないんだったら私たちのために頑張ってよ」じゃないけど、そういうメッセージをくれたりとか、本当に恵まれていたなと思います。なのに私は、つらすぎて死にたかったり、頑張ろうという気がなかった人間だったので、すごい恥ずかしいというか、だから今生かされたのは,懺悔のために生かされたんじゃないかって思っているというか、残りの人生はやっぱりそういう人たちのためにも心して生きなきゃいけないなとは思っています。

KT10 プロフィール

診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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Q:勤める時にはご自分の病気のことはお話しされましたか。
 していないですね。その時の年齢が私は39だったので、39で社会復帰するというのも、やっぱり30代が全部入退院・手術の繰り返しで社会生活が送れていなかったので、結構履歴書に書く時にブランクがあるので(笑)突っ込まれるかなとは思ったんですけど、幸か不幸か突っ込まれなかったので、あえて自分から言うこともないかなと思って入る時は言わなかったです。
Q:今もお話しされていないのですか。
 話をせざるを得なくなったきっかけというのが、私がこの病気を体験したことを通して絵本を書いたんですよね。その絵本が出たことによって会社にはバレるというか、話さざるを得ない状況になったんですけど、まあ環境が薬局なので、やっぱり医療従事者さんなので皆さんすごく理解をしてくださって、むしろ働きやすくなりました。
Q:最初の就職の時に病気のことを話すと就職しづらいかなというのは、やっぱりありましたか。
 ありましたね。年齢も年齢だったんですよね。39だったというのもあるんですけど、やっぱり仕事を辞めてからそこまでの年数が長いので、「じゃあこのブランクは?」っていうところもあったので、あまりこういう手術をいっぱいしてきたとか言うと、やはり「また何かあったら」と先方に思われてもマズイなとも思ったし。主治医の先生は「言っておいたほうがいいんじゃない?」とは仰っていましたけれど、でもまあ普通に食事もとれるようになっていたのであえて、まあ聞かれれば、そのブランクのことを聞かれてしまえば正直に話すつもりはあったんですけど、聞かれなかったので話さないで終わってしまった。

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診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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 私は母と2人で暮らしていたので、正直私が最初に潰瘍性大腸炎だよって言われた時に私本人はそんなに打撃がなかったんですけど、母はかなり衝撃的で、泣かれたことは覚えていますね。でもその後、私が救われたのは、母がもともととても明るい性格の人なので、どんな時でも「絶対治る」がモットーの人だったので、私は正直本当に恥ずかしいんですけど何かもう死にたかったし、元気にしてくださいと思ったことがなかったというか、もうこんなにつらくって、こんなに大変で、正直人工肛門も自費なので結構な金額がかかっていたんです。そういういろいろ、諸々考えると、こんなお荷物がずっと生きていたらみんなの迷惑になるっていうのもあったので、本当に死ねるものなら死にたいなっていうふうに思っていたんですよね、親不孝なんですけど。でも母は全然そういうのも気に止めずいつも明るく接してくれていたので、母のおかげで生かされたのかなっていうところが正直ありますね。一緒に母も落ち込んでしまうような人だったら、こういう結果にはならなかったかも知れないのかなと思うことはあります。

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診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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 その主治医の先生が仰るには、内視鏡のカメラを入れるとわかるらしいんですけど、腸壁にどうしても残るものっていうのは口の中の唾液で溶けないものって仰るんですね。なので「溶けるか溶けないかを実験していくとわかるよ」って言われて、本当におもしろいぐらいそれが当たっていて、意外とステーキとか焼肉とかって溶けるから大丈夫なんですよ。でも、むしろヘルシーといわれている野菜とか、ある意味おそばとか、そういうのは絶対溶けないので腸壁に残っちゃうんですよね。だからそういうものは逆に食べないほうがいいんだっていうことがわかりました。でも病院に入っちゃうとどうしてもうどんが出てきたりするので、いいんだと思って食べがちなんですけど、意外とそれが腸閉塞を引き起こすんだ、ゼリーとかもそうだったんですけど、ダメなんだって。寒天系ですよね、そういうのも実はいけないっていうのがわかり、むしろそれだったらチョコレートとかチーズとかアイスクリームとか、そういうほうがいいんだよっていう。その先生のアドバイスから私もいろいろ食を実験、まあこの病気の人はみんなそうだと思うんですけど、本当にマニュアル通りではなくそれぞれ体感が違うので自分で実験していくと思うんですけど、私もその後はそうやって先生に言われて“溶ける・溶けない”をいつも考えて食べるようにしていたら本当に腸閉塞にはならないし、腸閉塞もすっかり治ってしまったし快適なので、「ああ、これは一理あるんだな」と思って、いい勉強になったなとは思います。

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診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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Q:その好転した理由っていうのはわかっているのですか。
 やっぱりケアが違いましたね。そこでは一切手術ももちろんしなかったですけど、私が運ばれた時っていうのは、もう肛門の穴がシャーペンの芯が入らないぐらいふさがってしまっていて、そこがふさがったら死んでしまうので、その状態でその町医者に行ったんですよ。そうしたらその先生はその状態を診ても、再度人工肛門を作る必要もないし他に方法はあるからって、希望をすごく持たせてくださって。それで救急病院を紹介してくださって、そこに行ったらそこの先生も正直私の状態を診てびっくりして、「これで手術したのか?」っていう感じだったんですよね。でもそんなことを言っている時間もなかったので、後から聞いたんですけど、シャーペンの芯が入らないので内視鏡のカメラも入らない状態なのですけど、ここがもう本当に私も感動したんですけど、5人の男のドクターが自分たちの指で私の肛門をこじ開けてくれたっていう、それで命拾いをしたっていうのは後から聞いたんですけど。そこで、どんなに設備が調っている病院だとか、IBDをすごく研究しているという大学病院だからって治せるものではなくて、やっぱり個人個人のドクターの気持ちっていうか、患者さんにどこまで寄り添った治療をしてくださるかによって、こうも奇跡が起こせるんだっていうのを目の当たりにした瞬間でしただったというか……。

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診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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 その後ももう本当によくなくて、術後が。もう「手術をしたら食べられるようにもなるし、普通の生活が送れますよ」っていう話だったんですけど、手術をしたことによってむしろ病院から出られなくなるぐらいの状態に陥ってしまって、その2006年の1回目の手術から2009年までは、私はもう入退院、手術の繰り返しでしたね。ただ、やっぱり病院も手の施しようがないので、ベッドの状況もあるから「出てくれ、出てくれ」だったので退院はさせられるんですけど、絶飲食状態なのでなかなか家で点滴ってわけにもいかないので、救急車で何度も何度も運ばれました。それでもやっぱりベッドが空かないからということで、すぐ帰されるという状況がずっと続いていて、まあ正直ちょっと家からその行っていた大学病院が遠かったので、高速飛ばして救急車に乗っても40分かかる所だったので、その生活がもうずっと続いたのですね。で、ほとほと、私はもちろんですけれど家族もやっぱりもうそれは大変だったので、そこの大学病院でオペはしましたけど、術後のケアはあまりにもそういう状態でよくなかったので、もう死にそうだったので(笑)、
 たまたま近所の町医者なのですけど、近所に消化器外科ができたんですよね。で、そこに這って行ったというか、そうしたらそこの先生がこその状態を診てびっくりして、それで別の病院を紹介してくださって、そこから劇的に好転しましたね。「あの3年間は何だったんだろう」っていうぐらい。

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診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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 トイレの回数がちょっと多くて、そのたびに便が出るみたいな感じが続いていたのですね。痛みとかは特になかったのであまり気にしていなかったのですけど、ある時そこに血が混じっていることに気がついて、血便っていうのはちょっとびっくりだったので大学病院に行って、一応初めて大腸内視鏡カメラっていうのを入れさせてもらったのですけど、その時には特に異常はなくて、先生にも「何でもないよ、問題ないよ」とは言われていたのです。
 ただ、その時からなぜかペンタサを飲まされていて、でも私にはその病気ではないと仰っていたのですね。なので私は信じてそれを飲んでいたのですけれど、半年後またひどい出血をしたので、その時はその大学病院に行く余裕がなかったので近所の病院に行ったら「もう明らかに潰瘍性大腸炎だよ」っていうことを言われて、もう一転してしまったというか、役所とかにもいろいろ手続きに行かなきゃいけなくなったり、今後のことも含めて「悪くなることはあるけど良くなることはないから、入院施設の調った病院に行ったほうがいいよ」と言われ、また別の大学病院の消化器内科に通うことにしました。そこからがもうずっとこの病気との付き合いになったのですけど、私の場合は寛解期というのが一度も来ず、ずっと劇症というか、ひどくなる一方だったのですね。

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診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。

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 一番は、排便のコントロールですね。自分の意志ではどうにもならないっていう状況で。一応、軽症の方は3回ぐらいらしいんですが、自分の場合は、一応、重症は6回以上とか書いてありますけどそれどころではなくて。まぁ、普通に考えても8回ぐらいのほかに、ガスとか、えーと、粘液とか粘血とかがまた別に出るので、それを含めれば15回とか20回とかっていう感じ。しかも急に来るので、トイレに駆け込まなきゃいけないという状況がずっと続いてました。
 結局、その状況は、2年半以上はずっとその状況でした。自分の場合は、あの、慢性持続型というやつで、まぁ、炎症が寛解と言って治まる…症状が治まるという時期がまったくない状態が2年半ずっと続きました。
Q:ほかに、その痛みとかそういうものはなかったですか。
 痛、はい。痛みは、あの、直腸のほうに炎症がひどくなってきて。S状結腸から、自分の場合は、特殊で、普通、直腸から始まるらしいんですが、自分の場合は、S状結腸から始まって、それが直腸に来た時には痛みがひどかったです。やはり、椅子に座っていられないとか、乗り物に乗れないとか、まぁ、ズキズキ痛むとか。あと、物を食べた刺激で、蠕動(ぜんどう)運動、たぶん、内臓が動くと思うんですけど、それでも痛かったです。まぁ、もちろん、一番、痛いのは排便の時、一番痛いです。

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診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。

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 家族は、まず、家内は、えー、苦しんでる…もう、私を見ることによって、やはり、精神的には相当苦しんでいて。最終的には、それを見続けて胃潰瘍になってしまったんですが。(笑)それで、あとは、そうですね。そんな状況なのに、仕事をさせてるということに、何か、こう、後ろめたさを感じてるとよく言われますね。要するに、すごく具合が悪いのを見てるのに、えー、まぁ、自営業ということもあるので、仕事をさせないと成り立たないということに、すごく、こう、辛い思いをしてるとは言ってますね。それと、ステロネマとか、あの、あと、何でしたっけ…注腸のやつがありますね。あれをした時に、すごく痛みが出るんですけど、あれをやったあとに、痛んでる自分、痛がってる自分を見て、あの、どうしていいかわからないっていうことは言ってますね。
 あと、母親がですね、あの、まぁ、ずっと見守ってくれてる形だったんですが、県の便りを見て、そこで、あの、潰瘍性大腸炎の講演会があるということで、えー、東京のほうから有名な先生が来るということで、出席したらどうかって言われまして。自分はそんなところに行っても治らないと思ったんですが、一応、勧められたとおりに行きまして。そこで、その講師の先生から、えー、現在のIBDの内科の先生を紹介していただいて、その内科の先生のつながりで、まぁ、外科で手術ということで、まぁ、運命が飛躍的に変わったので。

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Q:あと、あのー、術後の排便のほうはいかがでしたか。
 最初に、あの、毎日、退院してから手帳に付けたんですが、その手帳読むと、大体16回から約20回の間を1ヶ月ほど往復してまして。その後も付けようと思ったんですが全然変わらないので付けるのやめました。それで、やはり15回以上行っていたのが、自分の場合はかなり排便回数が減るのに時間がかかったので、1年以上は、おそらく15回は行っていたと思います。ただ、それは、あの、食べ物の量とか水分の取り方によっても違うかも知れないので、一概に何回というのは、ちょっと、その同じ物を食べて同じ行動してるわけじゃないので、うーん…測るのは難しいのかなと思いますけど。個人的には、なかなか減らないというイメージがありました。
Q:その1年ぐらい経って徐々に減ってきたということですか。
 そうですね。1年、2年ぐらいはかかったんじゃないですか。10回を割るのには3年かかりました。(笑)今で、一応3年7ヶ月なんですが、3年過ぎたあたりで10回ぐらいかな。ただ、本当によく食べてよく飲むので。そのせいもあるのかなっていう気はします。
Q:今現在は何回くらいですか。
 今は7回ぐらいですね。で、7回という数に関しては、もう自分としては満足しているので、欲を言えば夜中に1回は必ず起きるので(笑)この1回がなくなればいいかなとは思います。術後に夜中に…術後は本当に夜中に3回ぐらいは必ず行ってましたので。直後は。それから減り始めて、1年から、そうですね。1年半ぐらいだと思うんですが、2回ぐらいですね。あと、夕食をたくさん食べたりとか、今日はちょっと大目に食べたなと思うと、必ず回数が増えるという。1回に安定したのは、本当に、そうですね。2年過ぎて3年とかっていう形ですかね。

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 それで、術後は、自分では本当に停滞感があるなと思っていたんですが、先生との話ではかなり順調ということで、術後に出やすいイレウスって腸閉塞とかそういうもの一切起きずに、あとは、あの、潰瘍性大腸炎のその勢いがものすごく強い方は、手術直後にもうその大腸取ったはずのところに、小腸で作った回腸のうというところに、また潰瘍性大腸炎と同じような炎症が起き始めてしまう方がごく稀にいるという話だったんですが、それもなかったという。で、予想外に悪いことが出たのは、ステロイドを2年半休まずにずっと服用してしまったために、ステロイドをやめて…そうですね。やめてから、すごく強い関節痛が出ました。それと、心療内科に行かなくてはならないほどの鬱症状が出ました。
Q:それは、手術したあとですか。
 そうです。手術をしても、手術の近くまでステロイドをずっと飲んで…服用していまして。今度、手術が終わったあとに、まぁ、これはちょっと自分の想像なんですが、お腹の中に、こう、手術後に、たぶん、炎症起こさないようにとかそういうことで、点滴でかなり強いステロイドをするんですね。で、そのステロイドをまた急激にやめることができないということで、ステロイドはちょっと急激にやめることができない薬なので、またしばらくその強い点滴をしてしまったために、またステロイドを減らすために、ステロイドをしばらく飲まなくてはいけなくて。それが完全に切れてから、そうですね。完全に切れて2、3ヶ月ぐらいしてから、ちょっとあり得ないような関節痛が(笑)出まして。その術後に、えーと、大学病院に行った時の症状は、主に、関節痛の悩みで行ってるという感じでした。で、医師からの説明では、ステロイド長い間使っていて切った人は、強い関節痛が出る方が稀にいるということ。

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 そうですね。あのー、初めの専門医の内科の先生からも言われていますが、自分の目的というのが、手術をしたことによって、どこまで今の自分の本来の病気前の自分に戻れるのかっていう気持ちがありまして。で、自分の場合は、慢性持続型なのでずっとそれと付き合わなきゃいけないっていう。でも、慢性持続型でずっと生活するってことはあり得ないらしいので、必ず、手術をどこかで決断しなくてはいけないということで。で、その時に、その内科の先生は、うん。かなりのところまで戻ることができるっていう、前向きな意見を多く言ってくれる方で、で、もちろん、失敗…失敗と言うか、経過が悪い場合のことも話されましたけど。内科の先生との話で、うん、自分は受けたほうが本来の自分に戻れると判断して。その専門医の先生がそういう判断を下したことによって、手術に対する不安とか恐怖感はありましたけど、本来の自分に戻れるんじゃないかっていう希望を、もうできるだけ持つようにしてきました。
 あとは、手術の前日に、あの、執刀医の、その外科の先生からも、様々な術後の合併症とか、そういうものについてですね。術後どういうことが起こり得るかっていうことは説明されるんですが、それは、ものすごい少ない1パーセントの例まで含めて説明されるので。(笑)ものすごくたくさんのことを言われたと思います。で、手術前日っていうのはやっぱりナーバスになっているので、本当に1パーセントとか5パーセントしか起こらないことまで自分にすべて起こるような気がしていました。でも、医療側のほうからすると、1パーセントでも起こることがあり得ることは、すべて患者に納得してもらって同意を得るっていう形を取るのだろうと思います。

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 自分の場合は、副作用がとても強く出やすいタイプなので。まぁ、そうですね。一番、気になったのは、やはり、筋肉が落ちてしまうという状況ですね。あとは、精神的に不安定っていうのもありますし。ステロイドを飲み始めの頃は、妙に気分も高揚するとかいうのもありましたけど、それを、症状によって増減を繰り返していくうちに、まぁ、自分の場合はなんですが、うつ症状もひどくなってきました。それで、うーん。良く考えたのは、ステロイドをやめるためにどうすればいいのかっていうことは常に頭にあります。
Q:あと、よく、その、聞かれる、骨ですね。その大腿骨骨頭壊死とかですね。そういうような副作用はありませんでしたか?関節炎とか。
 自分でも心配になったので、えーと、骨塩定量検査は、あの、まぁ、結局、自分の場合、手術になってしまってからステロイドやめたんですが、その後に一度、骨塩定量検査をして。で、まぁ、幸運にも結果は良かったんですけど。まぁ、医師には、あの、自分の自営でしてる仕事が、あの、運動に関連する仕事なので、運動をずっと、ステロイド服用中も活動期がずっと続いてる時もしていたんですけど、かえってそれが良かったのかも知れないっていうことは言われています。あの、運動をしていると、カルシウムとかそういうのも吸収もいくらか良くなるらしいので。関節痛とか筋肉痛がすごかったんですけど、まぁ、結果的には、身体は苦しかったですけど、動かしてて良かったのかなっていう考えも少しありますけど。ただ、ステロイドをかなりの量、服用しながらの運動は、やはり別の意味で負担とかがかかると思います。

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 まず、潰瘍性大腸炎と診断されたら、IBDの専門医のいるところに行くのが一番良いのではないかと。経験上ですね。最初に町の普通のクリニックに行って…私の場合ですね。潰瘍性大腸炎と診断されて。で、まぁ、自分の判断で、まぁ、このクリニックで薬を飲んでれば治るだろうと思った期間が2年間もあってしまったので、その期間にステロイドも増えてしまって、とても遠回りになったと思います。で、IBDの専門医であれば、難治性と言って、もう寛解期に入れない、炎症が治まることがないっていう判断を下すこともたぶんしてくれると思うので、それによって、無駄にと言うか、たくさん飲まなくては…ステロイドをたくさん飲まなくてはいけなくなってしまうということも回避できると思いますし。一概に、手術すれば全員が良い方向に行くとは限らないんですが、おそらく手術に行くタイプである場合は、専門医の判断のほうが早いと思います。それだけ、薬の量、ステロイドの量も減らせますし、時間の浪費も減ると思いますし、あとは的確な判断と治療してもらえると思います。

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Q:そうすると、そのー、ご自分で病気のことについて、あの、調べたりとかされましたか。
 調べたのは、症状がひどくなってきて、これは尋常ではないなと思うようになって、日常生活にかなり支障が出るようになってから慌てて調べた感じですね。
Q:その結果、十分な情報が得られましたですか。
 どれを読んでも、書いてあることはほとんど同じですね。それで…それで、あの、医師側というか、医療側から書いてあるものというのは言葉が少ないので、やはり理解できないと思います。
Q:あと、そうすると、その、患者の体験談とかそういうのもお読みになりましたか。
 うん。徐々に見るようになりました。あの、まぁ、ブログも見ましたし。そうですね。あとは、ネットでも、医療側から書かれてるものと個人が書いたものというのはだいぶ違いがあって、医療側から書いてあるものは、こう、箇条書きにそのことを順序正しく書いてあるっていう印象で、個人的に書いたブログというのはその人、個人個人が様々なので、うん、参考になる部分もありましたし、あまり参考にならない部分ありましたね。(笑) 

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 はい。えー、2005年です。今から8年ほど前に、あのー、お風呂屋さんで電気風呂というのがありまして、その電気風呂に、あの、入るようになったら、いつも同じ場所で特定の場所が必ず痛むようになってきて。その頃、違和感を感じまして。それで、半年か1年後に、あのー、近所のクリニックを受診しましたら、で、検査の結果が潰瘍性大腸炎の疑いありっていうことで、その時は、あのー、潰瘍が本当に疎らっていう感じだったんですが、それから1年ほどかけて急激に悪くなって。それで、えー、最初はS状結腸から、あの、臨床が始まりまして、そのあと、ステロイドの治療とか色々やったんですが、直腸に広がっていってしまって。その後もそのクリニックで2年ほど治療しましたが、えー、一向に良くならず、区の、講演会で、あの、紹介された大学病院に行って、そこで、また1年ほど治療しました。で、そこで、もう治る見込みがないということで、あの、手術になりました。

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診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 で、あのー長いその10年近くの病気との闘いの中で、えーと、ちょっと前後するかもしれませんけれど、どういう症状がでたかというと、まず一つは足に潰瘍が一杯でてきました。後は、何というかな、頭痛がすごかったんですよね、どういうわけか知りませんけど、頭痛の苦しさがひどくて、それも本当に長い長い、毎日毎日の頭痛で、鎮痛剤を飲みながらっていう、そういうふうな生活したりとか、場合によっては脳外科の方に入院なんかもして頭痛原因を調べたりもしました。後は、合併症としては全身の関節炎、これが非常にひどくて、もう痛くて立ち上がれない、そういうふうな状況でずーとベット、その時は病院に入院してたんですけど、ずーとベット生活で、トイレに行くこともできないので、ベットの周りにポータブルのトイレを置いてもらって用を足すという感じの生活を1年近くやっぱりしたのかな。入院生活は長かったです。そういう状況の中で、入退院を繰り返しながら来ました。まあ、その後ですが、病歴だけ話をしますと、胆のう炎が出てきました、胆のう炎の方は、お医者さんは潰瘍性大腸炎の合併症って形で多くなるんだよってことを言われましたので、まあそれも入院して、えーと取り除きましたけど、そういうふうな手術もあります。

KT-8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 そうですね、私がこのプロジェクトに参加したのは、私が発病した頃には本当にまだ全然情報がない、潰瘍性大腸炎っていうのは本当に新しい病気って言われた時に発病して、不安もありました。で、その後、その状況で30何年間この病気と付き合って来たんですけども、私自身のこと考えると、本当に病気で辛い時もいっぱいあったんですけど、今振り返って見たら、一応38年間勤めて、ちゃんと勤めてこれましたし、今の生活は体育の教師っていうこともあるんですけど、運動好きですので定年退職後はスポーツセンターに行って、週4日、4時間ぐらい卓球とかバドミントンとかやって、そういう楽しみながら生活してますし、ちゃんと運動もできますし、まそういうふうなことを知ってほしいと思うし、
 それからもう一つ、2年前にその手術した時に、やっぱり若い人たちが、ハタチ前後の人たちが結構入院して他の病院から紹介されて手術だけに来ましたって人を何人か見かけたんですね。意外とみなさんしっかりしているので、ですけどハタチ前後で大腸全摘手術っていってるのは、非常に本人自身は受けた方が楽だと言われたとか、手術するんだっておっしゃってましたけども、ただ本当に若いですし、これから出産とか、女の子は出産とかあるので不安が一杯だと思うんですけども、そういう人たちに私自身がちゃんと子供を産んで育てて、仕事もして、ちゃんと今こうやって生活していますよってことを伝えたいなと思ったものですから、今こういう形で私の病歴のことを話しているんです。

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15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 実を言いますと体育の教師なんです。体育の教師でして、勿論体力的なものもあります。ですからあまり迷惑をかけたくないってことで、もう具合が悪くなった時点で、もうできるだけ早く療休を取るという、そういう感じで届け出をすぐ出していました。早めに出して、ちょっと長期的に療休を取る。取れば必ず代わりが来るんです。代わりの先生が。長期的な療休を、この病気は短期間で治らないことが分かってたんで、例えば半年とか、長期的にばっと取っちゃって、それで休むという、自分でそうしてましたので、そうしたら代わりの先生が、2-3週間後に来るっていう形でしたので、まあそれほど・・まあ、勿論迷惑はかけてました、職場の皆さんには。色んな、教えること以外に色んな仕事がありますので、雑務もありますから、そういうのを引き受けてもらったりとかしたんですけど、まあそいう状況ですので、まあそれほどどうしようもなく他の人に迷惑かかるという、そういうことはないようにして心掛けてきました。 

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Q:お子様たちがそのお母さんの病気をどういうふうに見ていたのかとかですね、当然そのご主人にその間色々負担もかかってたと思うんですけど、そのへんは何かそういうお話とかされますか。
 えーとですね。勤めてた関係上、子供が小さいころから保育園にずっと預けていたので、子供たちは保育園生活で、私が元気なころは、勤めの出勤前と出勤後に引き取りに行くという形で全部私がやっていたのですけれども、当然私が入院した場合には主人がそれをやって、やらざるを得ない状況になりましたし、あの、主人の母親と同居していたものですから、主人の母親が一応子供の世話をしてくれるという状況でしたので、そういう意味では子供のことに関してはもう割り切ろう。自分自身で思って、早く病気を治して家庭に戻ろう、職場に戻るのが私の務めだと思ったもんですから、意外と割り切って病気とは戦っていけたかなと思うんですけど。
Q:ご主人の方はいかがですか。
 いやー主人もそうですね、あまりやっぱり深刻に、私の病気に対して深刻に考えてないんだろうと思うんですよね。私が元気でっていうか、あまり症状が出てないときは普通に働いてますから、協力はしてくれなかったですけど、やっぱりあの入院したりすると、せざるを得ない、そういう状況でしたので、まあ、結構入院生活とか病気と闘っている時間が長かったですから、まあ、協力はしてくれたと思いますけども、でもあのおばあちゃんがいた関係で、小学校に二人とも入った時点ではもう、小学校は普通に通ってて、普通に帰ってきて母親がいないだけの状況ですから、まあそれほど、さみしかっただろうとは思うんですけども、大丈夫だったのかと思うんですけど、大腸全摘、最初の大腸全摘した時は上の子が丁度中学2年生でした。その間は勿論ずーと何回も何回も入退院を繰り返してたんですけども、まあ小学校高学年で子供たちもわかってきたのかなあと思うんですけども、あの、意外と男の子でしたのでさっぱりしてる面があって、まあ中学校に入ったころはほとんど病院に来ないという、そういう状況でした。でも私の方も割り切ってましたね。

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15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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Q:そうしますとその手術して全摘した後も、食事とかはかなり気をつかっておられるのですか。
 えーと、腸閉そくを起こすこと、その自体で気を使いました。好き嫌いはないんですけど、腸閉そくを起こす時はやっぱり、こう何て言うか消化の悪いもの、それを食べると腸閉そくを起こすっていうことが感覚的にわかってきたので、生野菜は絶対食べないとか、後、もやしとかそういうのも食べない、キノコも食べない、そういう感じで食べ物はやはり気を使っていました。ただ、手術した後はほとんど一切薬は飲んでいません。あの最初の手術もそうですし、今回の手術もそうですけども、手術後は薬も飲んでませんし、そういう意味ではステロイドを飲んでて苦しんでた10年近くの病気の闘いの頃を思うと非常に生活の質は上がったかなと思うんですけど。
Q:やっぱりこれを食べたら必ずなるみたいな。
 先入観的な感じでそう思い込んじゃってるもんですから、食べませんでしたね、やっぱり気を使って。勿論家族の調理は全部私がやっていますので、そういうものは全部使いますけども、取り除いて食べるって感じで、気を使っていました。

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15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 やっぱり人工肛門をつけるってことは、当然初めての経験ですし、本当にこんなところから便が出てくるっていうのは最初はびっくり仰天でした。でもまあやってるうちに、自分の体ですし、自分で勿論色んな処置をしなければならないということで、自分で、元気、元気っていうとおかしいですが、手足も動きますから、全部自分でやりましたけども、やっぱり3日に一度取り変えなきゃならないとか、後、用具を買ったりとか、やっぱり高いんですよね、高いし、夏場はかゆいしっていうような、そういうふうな感じで、後、今一つ外に出れない。勿論洋服を着ればいいんですが、旅行には行けないっていうような、このままだと、その旅行に行けないのはどうしようかなって、やっぱり温泉にも行きたいなっと思ったんですけど、それも行けなくなるのかなと思ったんですけど、まあ半年後に幸いにして人工肛門を閉じる、そういう手術ができたものですから、今では主人と一緒に1年に何回か二人で旅行、温泉旅行とか行っています。

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診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 平成22年ですか、平成22年、おととしなんですけど、そのつなぎ目が急に、なんか壊疽をおこしたらしくて、まあ勿論腸閉そくなんですけど、腸閉そくを起こしてそこが壊疽、腐っちゃって本当に緊急にまた手術、土曜日の夜中なんですけど、緊急に手術っていうことになりました。その際ですけども、最初の手術のときもそうだったんですけど、なんか、すこしステロイドをたくさん飲んでたもんですから、繋ぎ目を治すためには、一旦人工肛門を作った方がいいと言われて、第1回の手術の時にも人工肛門を作って、半年くらいで人工肛門を閉じるというそういう手術をしました。
 で、今回もです。やっぱり緊急でしたし、前回はぎりぎりのところで、肛門のぎりぎりのところで作ったっていうことで、今度は永久ですよね、永久の人工肛門にするか、それとももう一回きちんと肛門から出すかっていうそういうふうな選択があったらしいんですが、私はそのころ意識がなくて、痛い痛いで意識がなくてそういう判断もできない状況で、手術室に運ばれて行ったという状況ですので、その時主人がちょっと入院してましたので、子供が一応判断して、まあどうなるかわかんないけど、最終的な人工肛門、永久的な人工肛門にするには母親の意見としてやってほしいので、とりあえずもう一回永久的でないストマーを作ってやってほしいって、息子がお医者さんに言ったものですから、その時点でストマーを作って手術を終わったんですけど、それもそうですね去年の4月に人工肛門を取る、そういうふうな手術をして今は普通の生活をしいます。

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診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 大学病院ですので、外科の先生、ちょうど潰瘍性大腸炎の有名な先生がそこにいらっしゃるからって、外科の方にそのまま転科して、転科して本当に数日後に大腸全摘手術を受けました。その時もステロイドは高かったんですけども、まあ、大丈夫だろうということで、即手術を受けました。で、手術受けた時には本当にあっという間に自分の判断もなくて外科へ行って手術をしたような、そういう風な感じでしたけども、ただ、やはりその潰瘍性大腸炎の患者さんがいっぱいいた外科でしたので、そういう風な情報もその時点で潰瘍性大腸炎が一杯仲間がいるんだとか、若い子もなっているんだとか、そういうのをその時点でわかったんですけど、それ以前は何の情報もなくて、その後自分はどうなるんだという、そういう非常に不安感がありましたけど、手術した後、同じ病室の人で結構みんな3週間くらいで、2週間3週間で切ったところの痛みが取れた場合には、同じ病室の人が集まってきて、わいわいがやがやみんで笑いあってたことが記憶にあるんですけど、
 で、早い人が本当に4週間、3週間前後で、手術しても退院していきますし、私はその後ちょっと微熱がでたもんですから、5週間ぐらい入院してたと思うんですけど、この時点で退院できるのか不安だったんですけど、退院した後はその関節炎も痛みもなくなっちゃって本当に、勿論ずーと病院生活ですので筋力がなくて、歩けないとかそういうのはあったんですけど、そういう関節の痛みで生活に支障は出ることはなくて、家庭に戻って一般的な家事はできたと思います。

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診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 そうですね。一番関節炎がひどい時にはやっぱり1日の便の回数も非常に多かったし、本当に我慢できない感じで、あっと思ったらすぐトイレいかなきゃならない感じで、そんな感じでしたのでポータブルを置いてもらって、そこで用を足してたっていうそういうふうな感じでした。近くの病院から大学病院に移った時にやっぱり、ステロイドは主に治療の方針ですので、非常に最初高いそういうふうなステロイドの量を投与して、その後0.5ミリづつ、2週間くらい少しづつ減らしていくような、そういうふうなことを言われて、ずっと我慢して入院してたんですけども、やっぱりあの何ミリか忘れたんですけども、高い投与した後に徐々に減らしていって、20ミリくらいになったころかな、また同じ感じで、またばーとぶり返すわけです、下痢が。悪くなって、血便が出て、病院の中で。そうすると先生はあの、このままではだめ、もう一回ステロイドを投与しましょうって言われて、その時には前回のステロイドよりも高い、もっと高い量からスタートしなきゃだめだって言われたもんですから、またそこからスタートして徐々に徐々にこう減らしていくような、そういうふうな治療を受けたんですけど、それでもなかなか良くならなくて、関節炎もありましたし、それから病気もよくならないってことで、そうですね内科で1年半くらい入院してたんでしょうか

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診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 二人の子供を抱えてフルで働いていました。三番目の子供が妊娠したものですから、この子も是非産みたいということで頑張ってたんですけど、残念なことに妊娠9カ月の終わり、10か月前に入って、実は、妊娠中もそうなんですけどちょっと具合が悪くなりまして、下痢が非常に激しくなりましたものですから、2カ月ばかり休職しました。で、出産に備えてたんですけど、残念なことに個人病院で産婦人科の方に入院してた時に、そこで貧血でちょっと倒れちゃったものですから、
 で、その個人病院はあまりよく手当てをしてもらえなくて、そのままほったらかしにされた状態でいたものですから、お腹がおかしくなって、自分自身がおかしいと思ったので、即病院から病院へ、大きな病院の方へ救急車で運ばれて行ったんですけれども、運ばれる途中で胎児は死亡っていうことになって、私の方もようやく本当にギリギリに命が助かったという感じで、子宮破裂、胎盤はく離っていうような状況で、まあ助かったんですけど、そこからその後勿論入院してたんですけど、その後非常に、やっぱり精神的なストレス、それが溜まってきたのか、下痢がまたものすごい始まりまして、そこから私としては非常に長い長い10年近く非常に辛い病院生活というか、病気との闘いが始まった、そういうような経歴を持っています。

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診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 病気がわかったのは27歳の時です。最初の子供を妊娠して出産した後に、その後半年くらいたったら、ちょっと下痢とそれから血がはいってるのと、軟便みたいな感じで、それが1日に数回続いてたもんですから、職場の近くの病院に行って診てもらったら、これはちょっと大きい大学病院に行って調べてもらった方がいいっていうふうに言われました。そこで大学病院の方に行って診察を受けました。その時点で勿論検査ということになったんですけど、即もう潰瘍性大腸炎ということで言われました。
 私今62歳です。発病したのが27歳ですので、今から35,6年前ですので、まだまだ潰瘍性大腸炎という病気自体があまり一般的に知られていない時代でして、まだまだ患者数も少なかったんだと思います。で、そういうふうな時代の発病でしたので、今一つ難病ですと言われても実感もわかなかったし、あの何て言うかな、下痢は続いてたんですけど体自体はそれほど辛くて動けないとか、そういう状況はなかったもんですから、その時点も公務員として継続して勤めてはいました。そこからなんですけど、お薬ももらってそれで1カ月に1回くらい療休を取って通院をしてました。その時はまだそれほどひどくなることもなく、下痢等は続いていましたけども欠勤することもなく普通に勤めていました。で、ちょっとは症状が治まってきた頃に、第2子を妊娠し、そのまま第2子の方も無事に出産して、2児を抱えて勤めに出ていました。フルですので朝早く出て夕方帰ってくるような、で子供は二人保育園に預けてというような、そういうふうな生活をして勤務をしてました。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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Q:将来の希望として看護師さんか司書さんになりたいっておっしゃってた。
 そうですね、看護師はえーと自分がやっぱり入院して一番看護師さんにお世話になったというのがあるんですけど、ストマを3ヶ月間付けさせていただいた時に、やはり専門的な看護師さんがすごい必要だったというのもあるし、自分がいろいろ研究して、私もすごい研究して、色んなものを購入してみたんですけど、やっぱり人それぞれストマっていうのは合う、合わないっていうのがすごい大きく出たのがあったので、あの子にとっては看護師でもストマ看護師っていうのをすごい一目置いていて、ストマ看護師になりたいっていう希望と、前々から本が大好きなんですよ。で、図書館が大好きなんですよね。匂いが好きらしくてなりたいっていうのが将来の夢になりますね。
Q:お母さんとして見てらっしゃっていかがですか。看護師さんてすごい体力が必要になってくる職業ですし。
 そうですね。体力が必要だからちょっと厳しいかなって思うんですけど、私にとっては、後なれても6年くらいかかりますよね、そしたらある程度自分のペースがつかめてくる、約10年くらい経つんで、手術後、そしたら、みんなの気持ちがわかるっていうこともあるんで、私は看護師をやらしたいかなとは思っています。その方が自分のためにもなるし、同じ病気で苦しんでる人たちのためにもなるんで、一番わかる看護師になれると思ったんで、私は看護師をすごい勧めてはいます。
 あの、司書を選ぶとやっぱり楽な方を選んじゃったという感じがあったんで、私は、お母さんは司書じゃなくて看護師で、自分がすごい苦しんだ体験を活かしながらみんなを支えていってあげたらいいんじゃないかなって、そういって看護師を目指して下さいって言葉に出して言います。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 競技は100メートル走。全然他の人との差はすごかったんですけど、100メートル走と、あと「波乗りでゴー」っていって、背中を踏まれて行く競技なんですけど、もうお腹切ってるから背中を踏まれる自体で激痛が走るみたいなんですけど、それに出てたですね。後、何にでてたかっていうのもあまりに記憶にないくらいです。
Q:そういうのに、痛いからやりたくないとかおっしゃらなかったということですか。
 痛いから病院には行きましたやっぱり。整形に行くとドクターストップかかるし、整体に行ってちょっとでも体を楽にしてやろうと思ったんですけど、そこでもやっぱり出ない方がいいよって言われたんですけど、本人はこれが希望で学校を移ったくらいだから、先生ちょっと体を楽にしてやってくださいっていうかたちで、運動会のぎりぎりまで整体に通いました。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 えーと今の学校に移って4月からなんで、最初病気のことを話す、話さないで、やっぱりあったんですけど、修学旅行前に担任の先生が言うっていうことになったんですけど、担任の先生がお忙しいということもあって、未だに言ってない状態です。先生の方から生徒さんには言ってない状態です。それで子供が仲のいい子何人かには病気のことはやっぱり伝えました。でも一緒の修学旅行なんかは班行動だったので、一緒にいた男子生徒には、ある程度この子は病気だから気をつけてあげてくださいねっていう感じでは、病名は明かさず言ってはいます。担任の先生からですね。でも学校全体の先生自体は全員知っているようにはしています。もし、何があってもいいように、ということで。だから修学旅行の時でも、京都散策しててもどっかで先生に会うから、先生が必ず声をかけることをしていただいたので、本当はしんどかったらしいんですけど頑張れたと。あの体育祭も同じようだったんですけど頑張れたということで、二つのステップが今回踏めたので、すごい本人にとっては成長したかなと思いましたね。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 子供が豚カツを食べたいって言ったので焼き豚カツを作ったら、こんなのとんかつじゃないっていうふうに主人に言われた時に、子供がすごいがっかりしたのを覚えています。そういう点を意外と子供ってその時口にしなかったですけど、後後に言うんですよね。それでちょっと、そうだったのって言ったんですけど、こっちはちょっと頑張ってやっているからって思うんですけど、男の人にはそこら辺が理解できなかったのかな。それが自分がその病気だったらしょうがないと思えたのかもしれないけど自分は元気なのに何故っていうのがあるのかなっていうのが思いました。
 でも、同じ病気で主人のお兄さんが潰瘍性大腸炎なんですけど、同じ病気なんですけど、やはり理解がそこら辺であるのかなと思っても、勉強一つしてもらっていなかったのが一番のショックだったですね。私すごい本をいっぱい買って、何でこんなに本買うのって文句も言われ、じゃあちょっと読んでみてって言っても、読んでもくれないで、子供がおかしくなったのは勉強させたせいだって言われ、小学校4年生の時だったので、ちょうど夏休みに病気が発覚したので、それを自由研究にさせて頂いたんですね。そしたらみんなに発表ができるといいうこともあって、病気のことをみんなに理解してもらわないと学校生活が送れないっていうのもあったので、それを発表して・・いいと思って、それをいいと思ったし、担任の先生もいいと思ったし、担当医もいいと思ったのでしたんですけど、それが主人が猛反対だったんですよね、後から聞くと。それが原因で子供がよけいおかしくなったって言うふうに言われたんで、そこら辺からもう意思の疎通が無くなってきちゃったんで、それから1年は我慢が出来たんですけど、限度がやっぱりあったし、子供にもすごい不愉快な思いをさせたし、自分の親にまで不愉快な思いをさせたんでちょっと距離を置こうと思って、やったらちょっと子供の方が良くなってきたんで、普通だったら三人で頑張ろうと思う方がいいのかもしれないけど、うちにとっては二人の生活の方がすごいよかったので、明るく暮らしていけてるんで今も、だからすごいよかったなと思っています。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 あの、びくびくして、それまでっていうのは、どうやったらストレスを与えないかっていうのでびくびくして過ごしていた部分があったのが、やっぱりそれが無くなった。でも手術は2回に分けてやったんですよね。それで1回目の手術では人工肛門を着けさせて頂いて、でその人工肛門の付け方とかを二人で学ぶ間に、親子っていうよりは友達に近い状態が作れたので、すごい大変いい雰囲気、今までよりすごいいい雰囲気になってきたのは確かですね。で人工肛門から普通の、小腸と肛門をくっつける手術をしていただいた後っていうのは、本当、本人はちょっとやっぱり最初は大変だったんですけれど、1年たって2年たって、そしたらどんどんやっぱり明るくなってくるんですね。
 でその間に親も色々考えないといけないなと思って、少しずつ少しずつですね、問題提起をしていってどうしたらいいのかなっていうんで、最初はやっぱり病院とかも親が不安で付いて行ってたんですけど、そうですね手術が終わって半年くらいからは本当に重要なハンコのいる時以外は、先生とマンツーマンで会う方が自分の意見とかが言えるんじゃないのかなと考えまして、一人で行かすようにやってみたりしたので、すごい明るくなりましたね、すごい。今まではすごい病気におびえてたみたいなところがあったんですが、一人で電車にも乗れないぐらい怯える生活をしていたのに、すごい明るくなったのが私にとってはいい方向にすすんでいただいたかなと思います。最初は私も泣いて過ごしたんですね、すごい、いつ見てもあなたは泣いているねって言われるくらい泣いていて、それがやっぱりどんどん病気のことを勉強もしましたし、色んな人に聞くこともしましたけど、やっぱりその過程で、子供もやっぱりどんどんどんどん勉強するし、同じくらいのお友達が入院してたら、その子とお友達になることによって自分の病気への理解も深まったし、その子たちとメールをすることによっていい方向へ進んでいってくれたので、私は手術して正解だったかなと今思っています。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 最初手術をしましょうと言われたのが小学校5年生の時だったんですけれど、その時は手術したほうがいいですよ、どちらにしますかっていうふうに聞かれた時は、本人にもう一度自分の病気のことを先生とゆっくり理解するように話していただいて、その時には本人が嫌だという決断をだしたので、内科治療を続行して頂いたんですけれど、その時に先生と約束もしてた点もあって、次もし入院して何もお薬が効かなかったら手術だよっていうことはその時から約束していたので、2年経った時に入院してすぐに新薬の治療を始めて、大体1週間もすれば効果が表れますからって言われてたんですけれど、3日目ですかね、全然現れる気配もなかったので、先生の方から手術したらどおっていうことを本人の目の前で先生が言ったので、本人がその時に自分で「はい」って言ったので、その「はい」を私は、この子は同意したんだと受け止めて、すぐに同意書にハンコを押させていただきました。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 そこから二人で勉強をいっぱいして、でも勉強をいっぱいしたことによって、あの子を追い込んでしまって、余計病気を悪化させちゃったみたいで、それが精神的なものになっちゃって困ったことがありました。二ヶ月くらいして、発病から、学校に行けなくなることになっちゃって、それがなぜ行けないのかっていうのが、みんなと同じ給食が食べられないっていう問題。どうしても香辛料とか、刺激物が潰瘍性大腸炎には悪いということで、取り除いてもらうっていうことを給食の方に頼んだんです。
 そうすると本人は大好きなカレーが食べれない。知らずに学校に行ったら自分だけ違うスープが出てきちゃった。そうするともう学校に行けなくなってトイレに固まった状態が起きて、そうするとまたそれがストレスになって再入院なので、2か月の間に4回ほど入院を繰り返して、それで落ち着いたころには精神症状が現れちゃいまして、解離性障害といって、3歳くらいの子供に戻っちゃったんですね。それで精神科のほうへ入院を半年くらいさせていただいて、ああよかった、精神状態安定したなと思ったら、今度は家から学校まで、養護学校だったので、車で登校っていうふうにいわれてて、精神的に安定するまでは車登校といわれてて、それを1時間かけて往復2時間ですよね、それをすることによってそれがまたストレスになっちゃって、また入院を繰り返したっていうんで、すごいそういう親としての、この子にどうやったらストレスを与えないでいられるんだろうというのは感じましたね。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 ちょうどたまたま日曜日、土曜日、祭日だったか、記憶には定かでないですが、病院が休みの日で、市民病院の方に行かせていただいたときに、ただの普通の下痢症状だとずっと思っていたのに、最初に隔離病棟に入れられて、小児病棟に移されて入院して、小児科の先生からこれはちょっと普通の病気じゃないかもしれないっていうふうに言っていただいて、外科の先生の方に廻していただいて病気が判明した時に、本人と私とで、一応病名を聞いたんです。
 最初は本当に理解しがたくて、一応遺伝的なものもあるよと聞いていたんですけれど、そういうのも全然知らずにやっていて、ちょうど夏休みだということもあったので、本人にそれを学校の自由研究にさせたぐらい、病気のことを理解させようと思ってやったので、本人はすごい勉強はそれぐらいしたと思います。やはり小児科の先生が一応ついて自分の病気の理解も大切だっていうことを言われたんで、その時はそうやって理解はさせました。私もすごい最初は複雑で、聞いて帰って主人にこういう病気だと言われましたということを言ったんですね、潰瘍性大腸炎だということを。その時はなんともなく、おばあちゃんとお話をしたときに主人のお兄さんも同じ病気だったと、それで急いで電話入れてどういう症状が出るかということを聞いたりしました。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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Q:ご自身の病気の体験が、何かに活きてるな、活かせそうだな、これから先活かせそうだなとか、今自分がこれが役立っているとか思うことって何かありますか。
 まず一つ目はさっきもお話したけど、将来。多分病気をしてなかったら看護師になろうとか司書になろうなんて多分思ってなかった。看護師のなかでもIBD科に勤めたいって思ったのはやっぱし、自分がちっちゃいころに病気をしてるから、その人のある程度の気持ちは理解してあげれるから、なんだ、役立てるんじゃないか、ん、恩返しかな、恩返しできるんじゃないかなと思うので、役立てるし、後はなんだろう、何かを決めるときにはやっぱし病気のことを考えなきゃいけないけど、病気のお陰で、おかげじゃないけど、自分が潰瘍性大腸炎だったおかげで、人との縁がすごい広がってるんですよ。そういうのが大好きなんです。病気の人とのお話ができるようになったご縁もあれば、同じ病気の友達とも話せることができたし、看護師さんともお話できるし、お医者さんともお話になれるといって、すっごい人との縁が広がっていくのがすごい、あ、病気のお陰だなっと思ってうれしいんです。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 もう潰瘍性大腸炎になってから、最初は隣に居る病気君だと思ってたんですね。で、手術をしてからは、もうこの子とはひどくはなんないけどある程度、完治とは言ってもらえないけど、大丈夫になったから、もう自分の中の一部になってるんですね、病気君が。受験をするのにも、生活するのにも、何をするのにも、一応は私は一応病気をもっているんだということを頭に入れながら高校を選ぶのも、私、こうこうこういう病気を持ってるんですけど大丈夫ですか、受け入れてくれますか。どういう対応をして下さるんですか。相手の学校に、ずーと、私潰瘍性大腸炎なんですけど本当に大丈夫ですか、どういう対応をして下さるんですかっていうのをずーと質問してます、毎回。
Q:学校側はそれに対してどういう反応をしましたか。
 公立では、「あ、そうなんですか」受け流したわけではないと思うんですけど、あちょっと反応が軽いんじゃないかな。もう少しだけ真剣に、ちょっとだけでも考えてほしかったな。でもある程度の対応は、できるだけの対応はしますよと言ってくれてるんですけど、やっぱり私立とかと比べちゃうと、私立の場合もともと色々な設備を備えているから、ストマトイレがありますよって言われたり、「病気持ってるんですけどどうしたらいいですか」って言ったら、「単位だったらちょっと日付を変えたり、夏休みの時に来てもらって勉強したりすればいいだけですから、別にこちらとしてはそんなに深刻な問題とは考えなくて大丈夫ですよ」

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 一人の女の子から他の男子に「この子はこういう病気なんだって」って伝わっちゃって、その後帰りにいつも挨拶されないのに「元気でね」って言われたり、ひどかったのは、たまたまちょっと体調が悪かったのかわかんないんですが、ちょっと元気がなかった時に、多分その彼的にはそんなに悪い心で言ったわけではないんだけど、「もうすぐ亡くなられるんですか」って言って「もう余命宣告されているんですか」って言われた時には、ああ変に伝わっちゃたんだと思って、そこはもう少し私が掘り下げて話した方がよかったのかなとか、ああ伝えなかった方がよかったのかな、っていってちょっと傷つきましたね。
 でも彼には、大丈夫だよ、余命宣告されてないからって言って笑顔でかわしたんですけど、んーんその知ってる子に言った時には「大丈夫なの?」って言われて、彼女は本心気付いたんだなと思いながら、ちゃんと伝える時は全員に伝えた方がいいのかなっていうのも思いました。掘り下げて話さないと余命宣告されるような、される人もいるかもしれないけれど、されるような病気では主にないのに、余命宣告、お医者さんにもされてないのにまさかクラスメイトから言われるとは思いませんでした。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 今は普通の学校に行っていますが、それまでの間は院内学級系列の学校に行っていたので、みんなやはり心の病気だとか、体の病気だとかっていうのがあったので、できるだけ病名はみんなそろって聞きあいっこはせず、ああ大変だね、っていう感じでしたが、ストマの時だけはちょくちょく捨てに行かなきゃいけないので、行っていると、小中一貫だったので、小学生の子からは、何であの人は何回もおトイレに行くの、あなたは何でこんなにいっぱい行くのって聞かれた時は、ついつい何て言えばいいんだろうと思って戸惑いはありましたね。
 やはり先生に承諾を得てからお手洗いに行くっていう形じゃないとやはりだめなので、その時に、わあ言いたくない、言いたくないけど言わなきゃいけない、言わないと溜まってもれちゃうよ、っていうのがあって、そのことを保健の先生に相談したら、カードを作ってくれて、このカードを見せた時は、私はトイレに行ってくるから授業を進めといていいですよっていう合図にしようって言って提案してくれたのはとても助かりましたし、まあ院内学級系列っていうのもあって、ストマトイレが学校にあったというのがとても私としては助かったなというのがあります。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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Q:お友達に自分の病気のことを話すっていうのはなかなか難しいと思うのですが、相手によって理解してくれる場合もあるし、今おっしゃったように腫れ物に触るような形になることもあると思うんですけれど、今までそういうお話をして、聞いてもらって良かったなっていうことはありますか。
 聞いてもらって良かったなっていうのは、腫れ物扱いされるかもしれないし、納得してくれる子もいますが、一人に伝えたということでそこから広がってくれればなって、無理な話、想像だけど、そう思うと言ってよかったのかなって、必ず思いますね。今もう普通の学校に戻りましたし、まだ転校の理由だとかそういうのは言っていないのですが、いずれみなさんに言う機会があればクラスの方には伝えようかな、言おうかな、っていうのは思っています。
Q:なかなか難しいですよね、言うタイミングっていうのも。でもこういうインタビューも受けていただいたんですが、ご自分がこういう病気だったんだよ、手術をしたんだよということを公表することに不安というか、やだな、はずかしいとかそういう気持ちはあまりないですか。
 いえ、はっきり言ってありました。(病気に)なって(病名を)聞いてからは、小学校4,5,6年生、(中学)1年生も入ってたかな、絶対にこの病気の名前は言わないし、どういう症状でどんなことがあったかも絶対に言わないっていうのを決めていたし、やはりあのおばあちゃんとかおじいちゃんとか、そういう方も、心配して電話をかけてきて、それを母親や父親が説明しているのを聞くと、本当にいらっとしたし、私はそんなひどい病気じゃないって言って必ず否定をしていましたし。なので、昔の自分からすると、今こうやってインタビューに答えてたりだとか、友達に言おうと、伝えようとするとか、そういうのを昔の自分からすればすごいことだなって思えるのかなっていうぐらい、はい。私は潰瘍性大腸炎です。だから?みたいな、本当にそんな気分で、できるだけ多くの人に今は頑張って伝えなきゃなと思っています。

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 私の場合は、発病してから名前を聞くまで、名前を聞いてから、病院の先生がこの病気はこういう症状でこういうものだよっていうのを聞いてたんですけれど、両親との話では、その病気の名前だとか治療法だとか聞いてからちょっと精神的にバランスを崩したというのもあって、今度から治療のどういうことをするかも伏せ、名前、一回言ってるんですけど、伏せって言うのを両親の間で考えてたっていうのを、手術が終わってから聞かせていただきました。でも結局言わないと治療は進められないというのをいつしか気付いてくださいまして、それからはお薬飲むのも、こういう治療法をするよっていうのも自分で聞き、じゃあいいですよ、でもこれはちょっといやだなっていうのはできるだけ言えるようになりました。

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 給食の時にカレーライスがでて、みんながカレーライスをよそっているけど、私のお盆にはもう野菜スープが盛ってあって、ナンが置いてある。私、今日これなんだな、みんなおいしそうなカレーライス食べてるし、いいにおいがするからよけいカレーライスが食べたい。当時の大好物がカレーだったのがあって、ああ、隣カレーライスじゃん。机を合わせて食べるから隣のカレーライスのにおいがすごいにおうんですよね。ああ、カレーライス食べたいと思ってて。でも野菜スープで、思わず、においで、ああーと、ため息しか出なくて、その次、「いただきます」してから、食べ始めた時に、なんでお前は野菜スープなんだよ、なんでカレーじゃないんだよって、一人に聞かれて一つ説明する、また違う子が聞きに来てまた説明する、それの連鎖。もう面倒くさい。面倒くさい!っていうのがあって。食べれないし、匂いはする。で、何回も同じことを説明する。
 そんなルンルンで自由研究は発表したけど、そこまで私はそんときは病気を、病気のことなんて大嫌いなんですよね、どっか行っちまえって思ってたくらいだから、またその病気のことを説明しなきゃならない、そういうのも全部給食の時間にまざちゃって、もう給食なんて食べたくないって思いました。野菜スープじゃないこともあったんですけど、牛蒡サラダがキュウリのサラダになってて、そん時はみんながそんなに反応しなかったけど、私としてはわあーマヨネーズ一杯の牛蒡サラダが隣にあるなと思って、食べたいけど、でも私食べられないからキュウリのサラダがもうお盆の中に載っている。じゃ私これしか食べるものが、これを食べなきゃいけない。だって自分のなかで、あれ、たべれないものがあるっていう、他の人が食べている、目の前で食べているのを私は食べれない。いらいら、いやだ。その次に野菜スープ事件がくる。もう爆発しちゃいますよね。なんで食べられないの、なんで病気のせいで、こんなに食べられなくならなきゃいけないの。怒りです。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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Q:一つ伺いたかったのは、手術のね、傷のことを気にしてらして、で初め手術したくないって言ってらした、今はどう思っていますか。
 最近気になり始めたんですよね。修学旅行のお風呂。最初はシャワーも付いてるから、シャワーだけ一人で入ってでいいんじゃないかな。だけれども、逆に私だけシャワーを使うと、何で?って言われる。もうわかっているから、しょうがないかな。タオルをわざとお腹にずーとかけてお風呂にはいる。でもお湯につかる時は外さなきゃいけないから、今入いってる子に悪いけど後ろ向いててって言って、後ろを向いててもらって、やっぱし透明なお風呂だから見えるんだけど、その子は気にせずに、気になるとは思うけど、「私きにしてないから気にしなくていいよ」って言われて、2回目のお風呂の時は、逆にもうバスタオルじたいかけないで入って・・ああ、よかった入れたと思うけど、やっぱし周囲の目は気になりましたよね。「あの子何でこの年で傷があるんだ」説明はしたいけど、やっぱし乗り越えられない。
Q:どういう感じの傷なんですか。
 おへそからまっすぐに縦線が入ってあって、横線がまた入ってあって、おへそのちょっと縦線が入った下のへんに、またおへそとおんなじ形に傷があるんですよ。なんかたくさん傷があって、ドレーンの傷があったり、それこそストマの残った傷があったり・・カラフルにペイントされてるような。(笑)

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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Q:病状というか症状のことでお伺いしたいのですが、手術をして2年近く経つわけですよね、その間、最初手術した直後っていうのは便の回数も多かっただろうし、体力的にもなかったんだろうけど、この2年間で例えば便の回数が減ってきたとか、自分の生活レベルが徐々に変わってきたとか、そういうのって実感することってありますか。
 便の回数は、薬もあるからかな・・ある程度普通の人に近いぐらいの回数になって、7回、せいぜい7回、まだ比べると多いけど、例えばへんにカレーライスを1日に3回も食べない限りは、ずっとトイレに籠ることもないし、手術をする前って自分が本を読んでるのに、本を読んでない気分なんですよ。目が本を1ページめくったらもうトイレに駆け込んでるんですよ。でまた戻ってきたらまた読むんだけど、読めないってことをよくやっていたのが、普通にずっと本を読んでるし、
 後は電車で長時間乗れることになった。今まではすぐトイレに行きたくなるから、絶対に電車はできるだけ短くて各駅停車をしてくれる電車じゃなきゃだめだった。その後もう全然我慢はできるから特急とかに乗れるようになったときに、あ、便の回数が減ったんだな・・食事もうまいこと調整をすればそこまで出血して便器が真っ赤になるなんてことはなくなったなあ。後はストマをしているときよりも、トイレの場所を気にせずにすむようになった。ストマをしている時はオストメイト対応トイレ、必ず行く場所行く場所で検索して、ここにあるから絶対トイレ行く時はここでやろう、で行く時の行動の荷物もいりますよね、ストマの交換する材料、交換する物品自体がいらないから、持っていかなくていいんだ、あ、軽いな。後は検診がなかったこと、2年目で。1年目は手術をしてからだから、検診をしなきゃだめだよって言われてたから、2年目で安定してるから検診しなくていいよって言われた時は、あ、落ち着いてきてるんだなあとは感じました。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 2回目の手術は確か夏休み明けかな、夏休み明けでもう痛いって言うのが、手術が痛いっていうのが分かっているので、入院はしたんですが、1日目で私はもうこのままでいいから帰るっていってわがまま言ってわめいたこともあったし、そしたら学校の先生で、おばあさんでストマをしていた人がいたっていう先生の話を聞いて、ストマはいいもんだけど、まだ若いんだから(ストマを)外して歩いたほうがいいんじゃないのって言われたので外すことを決意し、手術をやりました。手術をやって本当に袋がとれたとき、お腹にいくつか傷はあるんですが、あ、無くなってる、赤くて出っ張ったものが、私のお腹から出てないと思い、ちょっとその時は感動しましたね。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 手術をするっていうのは、何回も入院をしているので、1回も言われたことがないっていうわけではなく、やはり手術をする前に入院をして、治療をして1回ちょっと回復するんですが、また悪化し、悪化になると先生が必ず、「手術をしませんか」っていうことを言われるんですが、ずっと小学生の間はずっとお断りをしていました。手術の内容もはっきり言って理解はしていなくて、でもとにかくお腹に傷を入れるということは、痛いし、絶対大きな傷が残るからいやだよという思いで、これは絶対に、絶対に何があってもしないぞ、という思いだったんですが、最終的に手術に、手術をするっていう時は母の意見も父の意見もまったく聞かずに、いや私は手術をして楽になりたいという思いで手術に挑みました。

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 手術を決断した経緯は、どの薬も効かなくて、本当に点滴をしても脱水状態で、動く気力も食べる気力も飲む気力もすべてをなくしてしまったので、もう最終的な段階の手術しかないねという話で、何回も拒んではきたんですが、手術をしようということになりました。その時の気持ちは、とにかく早く楽になりたいっていう思いが強かったです。手術の内容は説明をして頂いているんですが、なんせしんどくて、しんどくてしょうがないので、説明は受けている、という形だけで、こういうことをして、こうして、こうなるんだよというのは術後1週間ぐらいたってから、したんですよっていう形で知らされたので、説明はもうろうとしながら聞いていました。1回目の手術で大腸、直腸以外を全部摘出し、ストマをつけました。

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 プレドニンは使いました。プレドニンを使っている間は写真を撮るのがすごくいやでしたね。顔が。膨れるっていうのの、その当時は女の子って言うのもあって、ああ嫌だなって思いながら使ってたし、あと、毛が濃くなるのがすごくいやで、はい、わあまた毛が濃くなっているよといいながら、はい、使っていましたね。プレドニンって急激に止めてはいけないので、ああ、減った、減ったけどまだ残っている、また減るかなという思いで通院をよくしていました。
Q:薬の効果はどうでしたか。プレドニンは効きましたか。
 プレドニンは一時的には効きましたが、やはりどんどんどんどん効かなくはなって行きました。
Q:ほかのイムランとか、ペンタサとか使ってたということなんですけれど、そのへんはどうでしたか、効果はありましたか。
イムランもやはりちょっとの間だけ効いたんですが、たまたまイムランがグレープフルーツに弱いってことを知らなかったためにグレープフルーツばかりを食べていて、血液検査をすると悪化しているということで、ちょっと騒動にもなりましたが、一時的にはイムランも効いてくれました。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 入院治療は、ご飯は全く食べない状況で、点滴とトイレがお友達という状態で、他の患者さんもいて友達になる人もいましたが、病室でやっぱし、食堂というかそこに行って食べれないという子が私の居る病室でごはんを食べているっていうのの、匂いを嗅ぐだけでいらいらいたり、ああ嫌だと思って、わめいたりはよくしましたね。あとは一時期小児科の方にいたので、保母さんとかと一緒に折り紙をして遊んだりっていうので気を紛らわしていました。
Q:それは何歳くらいの時ですか、最初に入院したのは。
 最初に入院したのは、小学校4年生の7月の29日くらいですね。
Q)そのとき看護師さんとか病院の先生はどんなでしたか。
 看護師さんとはどの病院にいっても、いつ入院しても、とても優しく接してくださって、病院の先生は色々な先生に当たってもらい、みなさんすごく有名でいい先生なんですが、それぞれ個性があって、一人の先生はとっても優しくて、もう一人の先生は会うたびに手術、手術って連呼されたり、三人目の先生は本当に沈黙が多い先生で、でもどの先生とも今でも付き合いはあるので、とてもいい先生です。

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Q:自分で色々勉強されたじゃないですか、病気について。その時にその難病指定されているということも知って、難病って言う言葉を聞いてショックとか受けましたか。 小学校4年生だったからかな、え、もしかして私は一生治らないんじゃないか、詳しい話は聞いたけど難病って言葉しか頭には入らなかったんですよね。難病?私もなるまでは難病は本当に治らない病気なんだ、もうすぐ死んじゃうのかな、っていう病気だとずっと思ってたから、ああ私難病なんだ、もう病院から一切外には出られないかな、もうすぐ死んじゃうんじゃないかな、それこそ余命宣告じゃないけど言われるようなショックで寝込みましたね。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 関西の方から関東に引っ越ししてきたんです。それによって学校生活も変わっちゃったし、暮らしている雰囲気自体が変わっちゃって、で、無理しちゃう体質なのでどうしても、あ転校してきた、やばいどうしよう私頑張んなきゃと思って、頑張って、頑張って、と頑張ってたら、あれ、お腹痛いなと思って病院に行ったら、ちょっと変わった病気みたいですよって言われて、潰瘍性大腸炎ってそういうもんなんだと思って、「ストレスからくることもあるんだよっ」て言われて、そんなにストレス溜まっている覚えは自分自身ないのになと思いながら、ストレスだけで、ストレスが加わることで病気になることもあるんだなということを潰瘍性大腸炎で知りました。

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診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 この病気私本当に悪くなったり良くなったりなんで、ただまあ、くよくよしててもしょうがないと思うんですよね。なるようにしかならないし、悪くなるときは悪くなるし、良くなるときは良くなる。だからある程度もうしゃあないやとしょうがないや、本当にある程度割り切ってやってく、気持ちをある程度気楽にした方が、それでもうやってった方が、却って病気のためにもいいと思います。
 打ち込むこと、仕事でも趣味でもなんでもいいですけど、他に打ち込むことがあれば、逆に病気のことを考えてると悪くなる気がするんですよね、かえって。あれ食べちゃいけない、これ食べちゃいけないと神経、気を遣い過ぎたりするのもよくないし、本当にあまり病気のことは考えない、何か他に仕事なり自分の趣味などに打ち込みながら時間を過ごしていくと、逆にその方が自分の人生そのものも楽しいですし、病気にとっても悪くならない方には行くと思っているので、そういう形で同じ病気持ってる方がいらっしゃったら、過ごされるといいのではないかなあと、これはもう科学的でも何でもないですけど、私の今までもこの病気、17年くらい、15-6年くらいやってますけど、私からの感想ではあります。

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診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 患者会に入った経緯ですけども、これは何だったかな、多分インターネットかなんかで調べたんですよね。私もやっぱりドクターって言っても、こんなこと言っちゃなんですけど、しょせん自分では経験していませんから、そんなに親身になってというか、本当にわかってんのかなあ患者のことなんかという思いもありますし、家族とか友人にもそういう人いませんからね、しゃべっても、それはうちの家族はそれはすごく親身になってくれますけれど、やっぱり同じ境遇というか同じ悩みを持ってる人と話したいというのがありまして。
 インターネットで調べたところ、そこで今の患者会が見つかって、さっそく電話でしたかね、メールしてみて、参加することになったんですね、そういう会合みたいのに。で、もうかれこれそれに参加して3年か4年、毎回行かせていただいて同じ境遇の方がねいらっしゃって、もう正直愚痴を言い合えるだけでも私は満足するぐらいなんですけど、ま願わくばいい情報がもらえて、というのがそれはあるんでしょうけど、最大のメリットは同じ方々と本当に悩みを打ち明けられて、愚痴を言いあえて、それでなんか心が軽くなるといいますかね、そういうあれが一番患者会に入れて参加できている一番の自分にとってメリットであると思っております。

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診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 入社試験はありませんが司法試験というのがありましてね、弁護士なので、あれはこの病気には非常によくないと思いましたね。やっぱり、確かにそんなに頭がいいわけでもありませんのでなかなか試験が難しくて、プレッシャーもひどいもんでして、試験の時のプレッシャーはひどいもんでして、最後に受かった年の司法試験もトイレに駆け込みながらいってる形だったので本当に苦労はしましたね、
 試験においても。やっぱりストレスが一番よくないということなので、と言われましてもストレスを感じるなというほうが無理な試験でして、しょうがない、そこはもう仕方がないと、だからといってこの試験あきらめて、他の仕事に就くのは自分としてはいやでしたので、もうどうなってもいいやと、半分諦めながらもがむしゃらにやってたことはありあます。

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診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 やっぱり調子が悪くなるとトイレも多いですし、私仕事柄弁護士をやっていますと、法廷中にトイレが、ちょっとすいませんと法廷を中断してもらってトイレに行った覚えもあったこともあるので、支障がないと言えば、無いことはないので大変ではありますけど、まあ、でもそうですね職場でも割とこの仕事は何て言うのかな、勤務時間が何時から何時までというわけではないので、自分の裁量である程度やっていけるので、まあ、法廷の時以外はそんなにきちっと決められているわけではないので、トイレは何回も行きながら、自分の裁量で時間を、自分のペースでやっていましたので、何とか。職場にも言ってはいますので、その話を、ですからまあ、理解してもらっているところもありますので、何とかやっております。

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診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 うちの母親はすごく神経を、もうなんかすごく落胆していましたけれどね、それでこんな病気になったのは私のせいだとか、よく嘆いていることもありましたし、あと、周りの人には絶対言っちゃだめよということで言ってまして、うちの母も私の病気に関しては他の人には一切言ってなかったようですし、かなり過敏になってたことはあったようですね。ただ、私はそれほどでもなかったので、他の人にもぺらぺらしゃべっちゃいますし、別にそんなに隠さなくてもなあと思うくらいのものでしたね。却って他の人には言っといた方が、理解は得られて何か色々、こちらも色々物事言いやすい、やりやすいという気持ちはかえって持っていました。

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診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 2回目の入院が終わって、イムランに切り替わった時でしたかね、あれは。イムランを飲んでペンタサも飲みつつ、それでも悪くなってきて、イムランを2錠に増やして、注腸をその、ペンタサの注腸やらステロイドの注腸やらを全部フルコースでやっても全然良くならなかったときがあったんですよね。
 あの時はやっぱりもう内服ではこれがもう限度ということを言われてましたので、やっぱり手術しなけりゃ良くならないということはあって、かなり悩んでましたね。で、まあ私患者会のほうにも入ってるわけですけれども、その方たちにもぼちぼち相談したりはしてまして、でもなかなか手術にまで踏み切れなくて、1回取っちゃうともう着けるわけにはいかないしと思って、悩んでるうちになんとなく良くなっちゃたんですよね。それでまあ、まあ良かった、手術しなくてよかったなと思ってますね。それからの良くなったり悪くなったりということも時々あるんですけれど、それでも薬を変えるわけでもなく、だましだまし生活してると、また戻ってくるという形で、何とか手術は考えたのはその1回で、その後は手術をしようと考えたことは今のところない状態です。

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診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 しばらくはおさまってたんですけれど、またちょっと悪くなってきて、主治医がじゃあステロイドっていうのがありますので使ってみましょうと言われて、ステロイド、プレドニンでしたかね、プレドニンを飲んで、そしたらまた良くなった形でしたね。良くなって、しばらくそのプレドニンを飲んで良くなっている状態を維持してたんですけれど、またその後に下痢出血がでるようになって、これもうプレドニン結構な量だったんですけど、それでも良くならなかったので入院しようということ、ちなみに入院のときは最初の病院ではなくて近くの都立病院でしたかね、割と大きめのところに通い始めていましたので、そこで入院することになりました。
 それでまあ入院して三週間ぐらいで一応退院にはなったんですが、そこではステロイド、プレドニンの1日70ミリくらいの点滴の投与を、大量に投与して治療したという形でした。最初の1-2週間くらいで症状は治まったということでしたけれど、その時は最初の1週間、10日くらいは絶食で、一切何も食べずにしてたということでした。あれば結構辛いものでしたね。でまあ、真ん中、10日くらいから消化にいいもの低残さなものから食事を取り始めまして、最終的には三週間で退院できたという形ですね。その後も良くなったり悪くなったりで、ずっとここまで来てまして、入院は二回ほどしてまして、そうですね薬、結局もうステロイドでは効かないようになってきまして、注腸、お尻に入れて直接プレドニン、ステロイドを投与するものとか、後ペンタサを直接入れるものとかを色々試してみまして、その都立病院から、私引っ越しましたのでちょっと遠くなったので、大きな大学病院に通い始めたんですけれど、そこで色々注腸をやってもあまり効かないし、ステロイドを入れてもあまり効かなくなってきまして、イムランという免疫抑制剤を使い始めまして、これがなかなか私には相性が良かったみたいで、これ飲み始めてからちょっとおさまりましたかね。で、現在に至っているんですけれど、それでも良くなったり悪くなったりなんで、どの薬が一番完璧に効くというわけではなさそうですけどもね。

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 春だめなんですよね。春結構、私花粉症なんですけど、春になると、花粉が飛び始めるとなんかよくなくなる、まだから主治医にそれを言うと、やっぱりアレルギー持ってると免疫の機能がちょっとなんか刺激されてやっぱり連動して悪くなるのかな、なんていうことを、医者もどうしてその関連があるのかわかっていないみたいですけど、春になると悪い患者さんが多くなるようで、それはおしゃってます。私も確かにそういう面はあります。ただ今年は珍しく春なのに今のところ悪くなっていないのが逆に不思議だなあと思っているくらいなんです。

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 本当に親身になってケアしてくれるドクターなり看護師の方がいたんで私はそんなに不満は特にはなかったですけど。今のところは、悪くなれば、ただ、大学病院が多かったので、悪くなった日にいきなり行っても主治医がいないとか、なかなかやってもらえないってのはあるんで、そこはちょっとそのドクターそのものに対する不満というわけではなくて病院の体制といいますかね、そいうのに対する不満はありますけど、仕方がないところではありますよね。悪くなってすぐその日にその時間に見てもらえるというのが一番理想ではありますけど、なかなか見てもらえず、というのはありますね。

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 最初はその近くの病院で19くらいの時に、診断を受けた時に、主治医からこれは難病でということを言われたんですが、そう言われても最初はなかなかピンとこなくて、今のところ治る病気ではありませんといわれたので、厄介な病気だと思いましたけれど、今一つ実感はなかったですね。言われた当時は実感はなかったんですが、日に日に症状が何回も、最初は薬を飲めば何とかなっちゃう病気なのかなと思ってて、じゃ薬を飲んでりゃいいかと思ってたくらいだったんですけれど、それから薬を飲んでも症状が悪くなってきて、で、もうこれ以上薬がないような、なかなか他に手がない状態に陥ってたこともありましたので、そういう時は、そこまで来て初めて、ああやっかいな病気なんだなというのを実感しましたね。言われた最初の時はまあ、若かったせいもありますが、あまりこれはやばいなという実感はなかったんですけれどね。 

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 19の時、大学に入った時くらいでしたけれど、その時にちょっと便をするときに出血がでてきて、最初これは痔かなと思って痔の薬をちょっと投与したんですけれどなかなかそれが効かなくて、ちょっとこれもおかしいなと思って近くの病院に、そんなに大きくない病院ですが、行きましたら潰瘍性大腸炎だという診断を受けました。そこでペンタサという薬をいただきまして、それを飲み始めたわけですけれど、そうしたら症状が治まったんですね、出血と下痢でしたかね、主に出血で下痢はそんなにひどくなかったんですけど出血が多くて、でもペンタサを飲んだら多少おさまった形でしたね。

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診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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Q:他にはどんなことが大変でしたか。たとえば食事とかはどうでしたか。
 そうですね、食べるのが怖かったというのもありますし、あとそうですね、食事は自分で支度をするので、自分が大丈夫そうなものを食べていたんですけれど、悪くなってくると、食べるのが怖くて、また今年もだめかなー、入院かなっていうのがなんとなくわかるんですね。また変なのが始まってきたなというのが。子供がちぃっちゃかったんで、子供が保育園から帰ってきたらお母さんが入院しちゃってていなかったりとか、朝起きたらお母さんがいなかったりとか、そういったことが一番つらかったですね。
Q:今、なんか変なのが来たなとおっしゃったんですが、もうちょっと具体的に表現できますか。
 まず、お通じの時に粘液が一緒に混ざって、アッ、ていうふうに、それが一番大体最初ですね。後は、出血とかが始まっちゃうと、あーやっぱり今回もだめだったということになります。まず、粘液が混ざった時にはあーって思っていました。
Q:他にたとえば頭が痛いとかなんか関節が痛いとかそういう症状はありませんでしたか。
 私の場合は全くそういうのはなかったです。ただ、先生は関係ないっておっしゃったんですけど、ステロイドを大量に体に入れると歯が沁みるというようなことがあって、絶対関係があると思ったんです。骨粗鬆症になるっていうから歯だって絶対そうだよなって思ってたんです。そういうのがありあます。それからどういう影響がわからないけど爪が変なになったり、病気のせいなのかステロイドのせいなのかわからないんですけれど、いろいろとありました。髪の毛がまとまりにくくなって、ぼうぼうしちゃうとか、あんまり病気と関係ないのかもしれないけれど、そういういろんな細かいトラブルがあって、病気全体のことから考えれば大したことないことなんですけど、やっぱりやだったなあっていうのがあります。

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診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 自分が動かなくちゃいけないということがわかりました。自分が知りたいと思うことを自分で調べるし、ネットワークが、ありとあらゆる色んなところで色んな人がネットワークを作っているんですけど、そこへ自分が行かないと、自分で電話をするにしても、相談しに行くにしても、とにかく自分が動かないとだめだっていうことがわかりました。
 病気になるとなんとなくへこんでしまったりとか、なんかこう弱くなってしまうんですけど、落ち込むだけ落ち込んだら、こんどは自分で歩き出さないと、自分が動き出せば色んな人が助けてくれるんですけれど、ただ立ってるだけではなかなか・・助けてもらいたいんだよってことをアピールすることを少なくともしないといけないんだなって思いました。自分がアクションを起こせば色んな人が色んなことをしてくれる、色んなことが動いていくっていうことが、本当にこの病気を通して思ったんで、色んなことをあきらめちゃいけないなということも感じたし・・そんなところです。

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 臨時適用職員として職場に戻って4年目に本採用の試験を一応受けて、たまたま通ったんですけれど、その時も、今度はもうちょっと健康診断はかなり重要なもので、神奈川県では月に1回、県の審査っていうのがあってそれに通らないと採用には多分ならなかったと思うんですが、それもまあ、嘘を書くわけにはいかないので、病名を書いて、やはり医師のコメントを書くようなところがあったと思うんですけれども、そこに仕事をするにあたっては差し障りがないというみたいなことを書いていただけたんで問題なく通りました。
 仕事を始めて困ることっていうのはあまりないんですが、一番最初に遠足の引率というのがあって、ちょっと心配だったんですね。なかなかトイレに行くっていっても、トイレがないわけじゃないんですが、トイレに行くって言っても自由に行けるわけじゃないんで、どうかなって、途中でトイレに行きたくなったら困るなって思ったんですけれど、緊張してたせいか、戻ってくるまで一度もトイレに行かずに何とかクリアーすることができて、ああ意外に大丈夫かななんていうふうに思ってたんですね。その後も遠足だったり修学旅行だったりいろいろあるんですけど、まあ何かかんか、トイレが一番心配なんですね、それ以外のことは全然今心配することは全くないです。

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診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 手術の後大変だったのが、(便が)水ですよね、最初出てくるものが、ほとんど水状なので、普通の健康な人でも下痢がひどいとお尻が痛くなりますよね、そういうことありますよね。それがとっても辛くて、それのために車で病院まで、車にナビがついていなかったんでよくわからないところを夫が道をわかっていたんで、夫に聞きながら行きました。診察を受けないといられないくらいしばらくは辛かったですよね、お尻の痛いのが。
Q:最初の頃は、手術が終わって最初のころはトイレに頻繁に行かれたのですか。
 退院してからはちょっと遠出はできませんでしたね。本当に何回くらい行ってたんだろう。もう、何か飲んじゃうと、口に、お腹に入れちゃうと、トイレっていう感じで、どれくらいだったんだろう、多分20回くらい行ってたんじゃないかと思うんですけど。徐々に徐々に良くなってきて半年くらいで、ちょっと簡単なパートに行ってたんですけど、半年くらいでパートに戻って、1年後に今の職場に行けそうな気がして復帰しました。

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診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 外科に入院したら、狭くなっているところを切ると人工肛門になります、肛門に近いから人工肛門になりますといわれて。えーってびっくりしたんです。切らないで何とか考えましょうということで、お医者さんたちが考えてくれたのが、風船を入れて膨らませるということで、管の先に風船って言っても、ごく柔らかい素材でできている袋みたいなものがついていて、それをお尻から入れるんですね。多分空気を送り込んで、中でそれを膨らませて直腸を広げるという処置だったんですけど、最初は麻酔をかけるから大丈夫だよとおっしゃったんですが、麻酔をかけちゃうと腸管が破裂、破裂と言ったかとにかく無理して広げたら切れちゃうんで、そうなっちゃうといけないんで、麻酔はかけないで痛みを感じる状態でやりますって言われて、本当にものすごく痛くて辛かったんですね。それをこれから毎週やりますということで、週一で多分半年くらいやったと思うんですけど、結構辛かったです。でもそれでも人工肛門になるよりいいかと思ってやりました。最初は小指が入らないって言われたくらい細かったんですが、男の人の人差し指が入るくらいにまで広がって、それで一応その治療は中止になりました。

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 薬を飲み始めたのが8月の半ばで、その時はサラゾピリンという薬だったんですけれども、これはアレルギーが出る人がたまにいるから、最初は半分の量づつ飲んで、大丈夫だったら全量飲んでくださいって言われたんです。それで半量飲んでも何でもなかったので全部言われた通り飲んだのですが、発疹ができて、でもその発疹がその薬と結び付けられなくて、わからなくて、なんで蕁麻疹かなと思ったんですけど、そしたらある日突然高い熱がでて、なんだろうと、初めて40度の熱だったんですけど、近くの病院に、これじゃあということで入院したんです。理由はよくわからなくて、理由はよくわからなかったけれども取りあえずおさまったので退院してきたんです。それが8月の終わりだったんです。その後3週間くらいでまたすごい急に熱が出て、また同じ病院に行って、そしたら結局その薬のアレルギーだったということが分かって、こんな薬飲んじゃダメと言われたんですが、まあ仕方がないですから、お腹の方の先生にその話をしたら、じゃサラゾピリンは止めましょうということで、

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診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 始めて聞いた病気だったし、自分に痛みもなにもないので軽く考えていたんですが、先生の方が日常生活はおくれますからとか、なんかすごくこう、大丈夫です、大丈夫です、みたいなことおっしゃって、なんだろうなと思ったんですが、その時に医療費の受給者証を貰えるからという話があって、なんなんだろうとは思ったんですけど、仕事もしてましたし忙しくて申請をするのも結局次の年の1月ころになってしまったんです。
 そんなにその時は深刻に考えたわけでもないし、薬を飲んだらすぐによくなっちゃったという感じなんですが、その時に先生からやたら内視鏡の検査をしながら、「お子さんはいますか」とか「何歳ですか」とか「男の子さん、女の子さん」とか聞かれて、なんでこの先生はそんなことを聞くのかなと思ったら、検査が終わった時、「お子さんは一人いらしゃればもういいですね」と言われて、そういうようなことを言われて、いやそれは困る、まだもう一人生むつもりでいたんで、「先生それだけは困る。もう一人どうしても生みたい」と言ったら、その先生が「じゃ、内視鏡検査で様子を見ながら大丈夫な時があったら生みましょう」みたいなことをおっしゃってくださった。

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診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 31歳の時に今でも覚えているんですけれど、出血をしてたんですが、ん、何かなって思ったんですけど、もしかしてこういうのを痔かなと思ったんですけれど、その時はそれ1回きりで何ともなくて忘れちゃったんですけど、その後しばらくして、トイレに行ったときに粘液がでるような感じとか、規則的にお通じがあったのが、朝しかなったのが夕方ころもう一回行きたくなるようになって、でも痛みもないし辛くもないのであまり気にしていなかったんですけど、ちょっと変かな、なんか変かな、なんか変かな、ということで、1月に初めて出血に気づいたんですけれど、その出血も1回きりだったんですけど、実際に病院に行ったのは7月でした。で7月にたまたまかかった先生が後から考えたら、割合に潰瘍性大腸炎について詳しい先生だったようで、1ヶ月後に内視鏡検査をしましょうといわれて8月の半ばに潰瘍性大腸炎という病名を言われたんですけれど・・

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診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。

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Q:今は仕事をまたされているとのことですが、その仕事に何か影響があるとか差し障りがあるということはもうないんですか。
 今の仕事は3年前からしていますが、その前の仕事は完全にもう諦めまして、辞めようという感じで諦めたところにたまたま今の仕事の募集を知りまして、受けました。その時は病気のことはあえて、隠すつもりはなかったんですが、必要ないと思いまして、言わないで入社しました、
 今の仕事ですね。でもそのうちに、今はもう話しました。というのは全然支障がないからです。今の仕事をしていて他の人よりも誰よりも多分一番元気だと思うんです、自分で。みんなからも一番元気って言われてますので、今の仕事はまったく差し障りがありません。ただ、トイレの回数は1日今は下痢が10回前後はあるんですが、そこは自由にトイレに行ける状況なので、それは心配ないです。あと、お店がすごく忙しいときは全然トイレに4時間も5時間もいかなくてもすむんですね。ですから全然大丈夫です。
Q:そうすると最初は病気のことはおっしゃらずに採用されて仕事を始めたんだけれど、今は公表されているということなんですけれど、最初の段階で特にトイレの回数が多いとかいうことで困ったりということはありませんでしたか。
 最初からそれは全然ありませんでした。トイレも自由にすぐ行ける状況のところですので仕事場が、それは大丈夫です。

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診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。

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 発病したのが4年前の2月で、その時に4月から介護の、私が以前からとってもやりたかった仕事で、正社員としてかなりやりがいもある仕事を4月から任せられる予定だったんですが、3月に入院してしまいまして、それでもそこで少し待ってあげようって言ってくださって、病院に入院しててもすごくやきもき、気が気じゃなかったです。もういつ治るんだろうとか、先が見えない状態で、その時の主治医の先生に何度か詰め寄って、何月に退院できますかって聞いたんですが、全然わからない状態で、全然回復の見込みがない状態だったんです最初。
 それでも職場の方で待っていただいて、じゃあ10月から正式にという形で待っていただいたんですが、やっと10月1日から入りまして、結局10日しかもたなくて、また10日に入院するはめになってしまいました。その時はかなり落ち込んで、この先どうなっちゃうんだろうと本当に不安でしたね。

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Q:食事は特に何の制限もなしですか。
 食事は何の制限もしていないですね。お酒も飲んでますし。ただやはり油ものとかお肉とか食べるとさらにトイレ近くなりますね、お酒も。でもどうせトイレ近いんだから、いいやって感じです。トイレの回数が多いのでノイローゼになった時もあるのですが、今はよく考えて便秘しなくていいわぐらいに、あの介護の仕事、老人介護とかやってると、皆さん歳とると便秘で悩んでいる方すごく多いんですよね。それを思えばそういう悩みは私はないからいいと思わなきゃっていう気もしますね。

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診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。

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 手術が終わりましたら人工肛門になっていないので逆にびっくりしたくらいで大成功ということで喜んでいたんですけど、手術の後は大変でした。下痢が1日30何回とか、とにかくトイレから帰ってきたらすぐトイレに行きたい状態でトイレに寝泊まりしたほうがいい状態で、その時に先生に人工肛門にしてくださいって訴えたほどです。
 最初は手術の後、すごく言いにくいんですが、肛門に管をいれてそこを肛門に縫い付けてあったんですけどそこがものすごく痛くて、痛くてどうしようもなく、座れないし大変でした。その管を10日ほどで抜いたんですけれど、それからはもうとにかく食事、10日ほどで重湯が出たと思うんですが、重湯をお茶碗に半分くらい飲んでる間にももうトイレに行きたい感じで続けて飲めないという感じでした。食事が怖い感じでしたね。何かをちょっとおなかに入れるとすぐにトイレに行きたい感じでした。とっても辛かったですね。退院して家にいたんですが、もともとスポーツが大好きでランニングもしたかったんですが、ランニングなんてとても体力がなくて、近所にちょっと散歩にいくだけでも30分ともたないですね。本当に辛かったです。それで主治医の先生にこんな状態が続くようでしたら人工肛門にしてくださいって最初訴えたくらいです。そしたら先生はそういう状態は続かないからもう少し我慢しなさいと言われました。

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 それから一人で家にいると鬱になりそうな感じがしたんですね。トイレのことばっかり頭から離れないんで、なんでこんな病気になっちゃったんだろうとか、こんなくらいなら手術の時死んでればよかったと思ったほどでした。それでこれじゃいけないと思いまして、外に出ようと、働こうと思いまして、老人ホームとかでちょっと働いてみたんです。そうするとちょっと気がまぎれて、トイレのこともちょっと忘れられるようになりまして、精神的なものが大きかったかなと今にして思うと思います。
 今でも何かに集中しているときはトイレのこと忘れているんです。ただ、ちょっとでも自分の病気のこと思い出すとすぐトイレに行きたくなる感じは今でもあります。お酒を飲むとトイレは近くなるんですが、今は全然気にしないで飲んだり食べたりはしているのでとてもありがたいと思って、最近やっと先生に、3か月に1回診察に行っているんですが、やっと先生に感謝の言葉を述べられるようになりました。

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Q:そうすると手術の決断をされたというのは内科治療がうまくいかなかったということだと思うんですが、他に何か手術を決意することのきっかけとなったようなことはありますか。
 ステロイドをやめるとまた再発するということでしたので、いろいろな本を読むとステロイドが何万ミリとかいくと大腸がんのリスクが高いとかいうことも手術を選んだきっかけとなりました。
Q:あと、手術を決意されたときに、ご家族の方とか周りの方の反応はどうでしたか。
 最初に4カ月10日入院した病院で手術してくださいと申し上げたら、先生には大反対されました。あと、そこに勤めている知り合いも反対されました。手術したら大変だよとかそういう感じで言われましたけれど、なんでしょう、決意したのはもうこういう状況はやだという感じが一番大きかったですね。入退院を繰り返すような状態はいやということが一番でした。
Q:手術をするときにお医者さんからメリットとかデメリットとかリスクとかそういう説明があったと思うんですが、その点については納得されましたか。
 メリットは入退院を多分繰り返さないということですね。デメリットの方は8割がた人工肛門になるというお話でした。でももうそれでもいいからしょっちゅう具合が悪くなるのがとってもいやだったんです。それで決意しました。

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 その病院で検査をしていただきましたら、手術したほうがいいといわれました。その時はかなりひどい状態が続いていたので迷わず手術を決めました。リスクも聞いていまして、ほとんど人工肛門になる可能性が8割がたと言われたんですが、人工肛門になってもいいから悪いものは全部取ってほしいという感じで手術していただきました。手術が終わりましたら人工肛門になっていないので逆にびっくりしたくらいで大成功ということで喜んでいたんですけど、手術の後は大変でした。

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Q:白血球除去療法というのは具体的にはどういうようなことをするのでか。
 血液透析のような感じで1時間ほどなんですが、右腕と左腕、どちらか忘れましたが管でつながれて血液を全部外に出して白血球だけを取り除くという療法です。
Q:それはどれくらい時間がかかって、痛いとか大変さとかはあるのですか。
 時間は1時間ほどです。それで腕に針を刺すわけですから、多少痛いですが我慢できないほどではありません。ただ私の場合すごく辛かったのは、ステロイドを大量に使っていたのでじっとしているのがすごく辛かったです。じっと寝ているのがすごくつらい感じでした。ステロイドってこうハイになるんですかね。夜も眠れない状態、睡眠薬をたくさん使っても眠れない状態、それがすごく辛かったです。 

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 最初におかしいと思ったのが2007年の3月頃です。まず血便が出まして、何回トイレに行ってもまだ出たい感じが続きまして、微熱が出て、頭痛がひどかったんです私の場合は、それで病院に行きましたらすぐに大腸カメラを撮っていただいて、潰瘍性大腸炎ということで言われてとてもびっくりしました。私、ヘルパーをしていた関係でその病気、難病のことは知っていましたので、その時に先生に難病ですねとお聞きしましたら、先生は「潰瘍性大腸炎なんて今は難病とは言えないよ」とおっしゃったんです。それで簡単に考えていて投薬治療が始まりましたがあまりよくならず、どんどん症状が悪くなっていきまして、知り合いの勤めている病院を紹介していただきまして、そこに行ったら即入院ということになりました。その時は頭痛が一番ひどかったんです、症状としては。下痢も続いていましたけれどそれほどひどくなくて、頭痛の検査をしているときに院内感染でインフルエンザに感染してしまいまして、インフルエンザの影響で潰瘍性大腸炎が劇症化しまして、一時は死にそうになりまして、それで4カ月と10日も入院してしまいました。

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診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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Q:この手術をされたことが、ご夫婦の生活、性生活に影響したということはありますか。
 それはないと思いますね。もちろん、手術したあと、1日に30回も40回もトイレ行かなきゃいけない。要するに、常に便意を感じているような時っていうのは、そういう気には全然なれないわけですから影響はあると思いますが、それは他の病気と同じで、その間はもちろん違いますけれども。通常の生活ができるような状況になった場合には、そういう影響はないと思いますね。
 ただ、人工肛門に関してはあると思います。ですから、人工肛門に関しては、私はトータルでも1年しかやってませんでしたので詳しくはわかりませんけれども、ただ、例えば水泳なんかでもできるんですね。人工肛門してても。ですから、温泉入ったりとかもお風呂入ったりとかもできるんですけれども。そういう用に、ちょっと小さめの人工肛門もあるんですね。そういう物を使えば、何て言うんですかね。そういう夫婦生活もできるという話は聞きました。ただ、人工肛門を外してしまったあとは、これはもう全然問題ないと思います。

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 それと、もう一つ。一つあるとすれば、私は暇だったので、便の回数を記録したんです。1日、正の字を書いて、それをグラフにして、日々の折れ線グラフにしたんですね。それと1週間単位の1週間の平均を出して、それもグラフにしたんですね。そうすると、日々のグラフっていうのは、特に最初の頃は、30回が次の日25回になって次の日また35回になってとか激しく動くんですけども、1週間の平均で見ると確実に右肩下がりになるんですね。もちろん、若干増えることもあるんですけれども。殆ど右肩下がりになってました。それ、あとでわかったことなんですけれども、確実にやっぱり減ってるというのが、目で見て途中まで来たらわかるわけですね。
 で、そういう回数を付けてグラフを作って、そういう作業をやることによって、ああ、これはあと1ヶ月経てばこの辺まで来るなとか、そういうこともできますので。そういう、あの記録を付けたのは良かったかなと。それから、あと、本当に苦しい時は文章を書くこともできませんでしたし、本を読むっていうのも集中できないので殆ど読めなかったですし、テレビを観るのも辛かったですね。一番楽だったのは、やはりラジオですね。ラジオをよく聞きましたね。なので、何か記録を残すことはできなかったですけれども、多少落ち着いてからは、ある程度、記録を残すようにしました。薬の量とか、それから、便の回数は最初から付けてたんですけれども。あと、身体の調子ですね。これも、やっぱり、日々を見ると良くなったり悪くなったりあるんですけれども、やっぱり1週間単位とかで見ていくと確実に良くなってる。その辺、今日は調子良かったとか、日記的に記録を残すと、今日、鍼を打ったとか、あんまり効果なかったとか、そういうようなことをある程度、記録に残しました。あとになって読み返すと、ああ、こんなことだったんだなというのがある程度わかりますし、それは、最終的に、いわゆる闘病記のような形にして患者会の会報にも載せてもらったりとかしたんですけれども。ほかの方の参考になるかならないかはちょっとわかりませんけれども、自分自身では、やっぱり、そういう記録を残したっていうのは良かったかなと思ってますので、皆さん、ほかの方にもそういうことをお勧めしてはいます。

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診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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Q:やはり、この病気、特にその術後の状態だと思うんですけど。一番辛かった。それがやっぱり自己イメージって言うか、そういったものにも大きな影響を及ぼしたっていう風に感じられますか。
 自己イメージっていうのはどういう?
Q:自己イメージって言うか。自分の自信とか、あるいは男性としての自信とかっていうような部分に何か影響があったと思いますか。
 そうですね。そういう風な考え方をしたことはないのでよくわからないですけれども。そうですね。今まで、それまでの病気するまでっていうのは、割と特に大きな病気もしなかったですし、社会生活の中で大きな挫折とかそういうことを経験したことはなかったものですから。いわゆる順調に来たというか。大きなトラブルもなく生活してきましたので、そういう意味ではちょっと考え方が変わったかなという部分はあるかも知れませんね。
Q:変わったというのは。
 うん。やっぱり、色んなことが、人生には色んなことが起こるんだなと。(笑)確かに、手術っていうのは大変だったし辛い経験ではあったんですけれども、そのこと、病気をしたことによって、今まで会社人間って言うか、普通、日本人の平均的なサラリーマンと同じように、会社の生活が殆どだったんですね。病気をしたことによって、家に一時いる時間もあったりして、その時に、私、今、マンションに住んでるんですけれども、そのマンションの人たちと交流ができたり。それから、一番大きいのは、患者会という今まで経験したことない組織というか、人間関係ができたりしましたし。で、その患者会を通して、また更に色んなところで人とのつながりができてきたり。

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Q:それは、その復帰しようと思えたのは、回数が減ってきてそろそろ大丈夫かなっていう判断ですか?それとも、例えばお医者さんと相談されてっていうようなことだったんでしょうか。
 いや、もうお医者さんは、仕事して良いとか悪いとかっていう状況ではなかったので、お医者さんからは特に何も言われませんでした。要は、最初1ヶ月ぐらいでちょっと会社行ったんですね。で、行ったんですけれども、仕事にならないんですね。もう1時間おきぐらいにトイレ行かなきゃいけないし。それから、普段の時も、もうやはりトイレのことが気になっちゃって仕事に集中できない状況なんですね。それと、やはり動き回るのが駄目なんですね。動き回るとどうしても便意が出て来てしまうので。じっと座ってる分には割といいんですけどね。でも、いくら事務職とはいっても、やはり、会社の中であっち動いたりこっち動いたりしますよね。ちょっと書類を取りに2~3歩動くという。そういうのも辛いんですね。なので、ああ、これはちょっと仕事にならないなと思って、もう一度休ませてくださいっていうことで、そのあとまた2ヶ月ぐらい。
 (その後)何とかなるかなっていう時に、最初はだから半日勤務でスタートしたんですけども。私の場合は、午前中が割と調子良いんですね。朝トイレ行って、そのあと、お昼を食べるぐらいまでが割と安定してたものですから、最初の頃は、その午前中だけ行って午後帰ってくるというようなところからスタートして。それで、最終的にフルタイムで戻れたのが3ヶ月ぐらい経ってからというような状況でしたね。
Q:ということは、その半日っていうのがどのぐらいの期間ですか。
 半日っていうのは、そうですね。2週間かそこらでしたかね。

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Q:この病気になられたことで、ご家族との関係とかご家族がどのように受け止められたかとか、ちょっとお話いただければと思うんですけれども。
 そうですね。この病気は、なかなか周りから見てわからない病気だと思うんですね。また、痛いとか熱が出るとかっていうことではないので、たぶん周りの人はなかなか理解しづらいと思うんですね。私の場合も、うちの女房は専業主婦なので、退院してからしばらく家にずっと居たんですけれども、面倒見てくれたんですけれども、やっぱり、最初の頃は特に、私も何て表現したらいいかわからないですね。苦しいんだけども痛いっていうのとも違うんですね。すごい便意が常に24時間って言うか。起きてる間は常に便意を抱えて、ああ、トイレ行きたいんだけれども行っても出ないだろうなとか思いながら。そういう状況なんですね。だからそれをどうして欲しいの?っていうのが自分でもわからないわけです。どうしてもらったら、例えば、背中をさすってくれたら楽になるとか、頭冷やしてくれたら楽になるとか、そういうのがないんですね。ですから、自分でもどうして欲しいってなかなか言わない。言えないので、家族もどうしてあげたらいいのかわからない。でも見てると、とにかく苦しそうで辛そうなんだけども何にもしてあげられないっていうような状況が、特に最初の1~2ヶ月続いてまして。
 結局、会話がだんだん少なくなってしまう。たまにはやっぱり運動したほうがいいんじゃない?運動って言うか、外、散歩ぐらい行ったほうがいいんじゃない?とか言われて行くんですけれども、駄目なんですね。もう100メートルも行かないうちに戻って来てしまって、もう家にずっと閉じ籠もってる状況でしたから、会話もどんどん、どんどん少なくなる。その時に、女房がついにキレて、何か言いなさいと。(笑)何にも言わないんじゃわからないと。何かやって欲しいことがあったら言ってちょうだいと。私もその時に、ああ、そう言えば何も言わなかったなというのを感じて、それから色々話をするようになりました。

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 そうですね。もう本当にその時は、人工肛門に戻してくれと言って先生に何度か泣きついたこともありましたね。先生は、もうちょっとすれば良くなるから、もうちょっと我慢しましょうというようなお話だったんですけれども。ただ、現実に、どうしても上手くいかないとか、それから、特に、つないだところが上手くつながらなくてそこからまた炎症を起こしたりとか、そういう場合には、また人工肛門に戻すという人も実際にはおられるらしいんですね。ただ、トイレの回数が多いから人工肛門に戻すというようなケースは今までなかったということで、もうちょっと我慢しなさいということは言われたんですが、じゃ、いつまで我慢すればいいの?っていうのがわからないわけですね。
 その時、たまたま、患者会を紹介していただいて、今、そこの患者会の役員もさせていただいてるんですが。その時に、たまたま私と似たような症状の方がいて、私の3ヶ月ぐらい先をいってる方がいたんですね。その方を紹介してくださって。電話をして話を伺ったんですね。そしたら、私がこんな状況で、非常に、今、苦しいんですっていう話をしたら、その方が、もう、あなたがおっしゃることはとてもよくわかりますと。もう、まさに私も3ヶ月前、そういう状況でしたと。だけども、今は回数も徐々に減ってきて、もう苦しい状況を今、脱したところです。あなたもあともうちょっとですから、がんばれば確実に良くなりますという話をしてくださったんですね。それが非常に何て言うか。自分にとって勇気を与えてくれたと言うか。もうちょっと、もうちょっとだという気持ちにさせてくれましたね。

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 2回目の手術のあとは、この時は、腸閉塞をおこして、これが結構苦しかったですね。2週間ぐらいかかったと思うんですけれども。やはり、手術の回数が増えると癒着も多くなるらしいんですね。ですから、1回目の時は何にもなかったんですけれども、2回目の時に腸閉塞おこして。これ、2週間ぐらい、結構、苦しい思いをしたんですけれども。3回目の時も、やはり腸閉塞をおこしまして。これが、術後ちょっと苦しかったですね。2回目の時も人工肛門にしたので同じ状況だったんですけれども、最後に直腸とつないで自然排泄ができるようになって、このあとが、ちょっと苦しい時期がありました。というのは、便がなかなか上手く出ないんですね。どういう構造になってるのかはちょっとよくわからないんですが、とにかく、便が出そうな感覚はあるんですけれども、トイレに行ってもなかなかスッと出ないんですね。ちょっとしか出ないんですね。で、トイレから出てくるとまた行きたくなる。で、我慢していると、やっぱりちょっと漏れてしまうような状況で。もうそのトイレの回数としては、もう1日にそれこそ30回、40回。殆ど、もう、トイレから5~6メーターぐらいしか離れられない。
 24時間、トイレにへばりついているみたいな状況が3ヶ月ぐらい続きましたかね。それで、もちろん、その間に病院行って色々検査をしてもらったり、それから、肛門括約筋の訓練をしたりとか、それから、もう、鍼とか灸とか、鍼の先生のとこも行って、鍼打ってもらったりとか、色んなことしました。結局、時間ですかね。時間の経過とともに、やはり、手術したあとが上手く適応してきたんですかね。だんだん、便の回数が少なくなってきて、便が割とスッと出るようになって、回数が少なくなってきて。

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 それで、1回目の手術の時は初めての人工肛門だったので、人工肛門というと非常に何かおどろおどろしい感じがするんですけれども、確かに非常に不思議な物ですね。経験した人じゃないと、当然わからないと思いますけれども。ただ、私にとっては、何て言うんですかね。排便を我慢する必要はないですね。なので、社会生活を送る上では非常に便利な物ではありますね。ただ、やはり、私の場合は、2日にいっぺん、そのパウチと呼ばれる袋状の物を、これをお腹にくっつけるんですけれども。人工肛門そのものは、小腸を、お腹を切って小腸の先端を外に出すんですね。何か、でべそみたいな感じになるんですけれども。そこから便が出るので、それを受ける袋をお腹にペタッと貼りつけて、袋をくっ付けるんですね。で、その袋を、もちろん、そこがいっぱいになった場合には、それをトイレ行って出して、で、また封をするという形になるんですけれども。
 その袋自体を2日にいっぺん取り替えなきゃいけないんですね。それをシャワーを浴びた時にやるんですけれども、これが慣れないと結構大変なんですね。慣れてしまえば、それでも10分ぐらいかかるんですけれども。その手間とかっていう、それは大変は大変なんですけれども。ただ、便を我慢しなくていいという、トイレに駆け込まなくていいという意味では、非常に便利なものですね。ですから、今でも、たくさん人工肛門付けてらっしゃる方、ほかの病気でもおられると思うんですけれども、私もそれをやってる時は、慣れてしまえば、そんなに大したことないなというのはありましたので。比較的、1回目の手術と2回目の手術の間、人工肛門やってましたけど、それほどの苦痛はなかったですね。

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 はい。1回目は大腸を全摘して、1回で終わる手術の場合には、そのまま小腸でJパウチというのを作って、で、小腸とその肛門近くの直腸とをつないで終わりなんですけれども、いきなりつなぐと、万一そこが、つなぐところが漏れたりした場合には大変なことになるということで。私の場合、1回目は全部、大腸を切除して人工肛門にしたわけですね。ですから、小腸の先端をお腹から出して人工肛門にしました。それで、最初の手術が9月で、2回目の手術が翌年の2月だったんですけれども、2回目は何をしたかと言うと、小腸を使ってJパウチという袋を作ったんですね。この時に一緒につないでしまうという選択もあったらしいんですけれども、それはお医者さんの判断で、もう一回、もうワンステップおきましょうということで、その時も人工肛門にしてつながなかった。で、最終的に、3回目の時にその人工肛門を外して直腸とつないで自然排泄ができるような状況にしたというのが3回目の手術ということですね。それで、1回目の手術の時は初めての人工肛門だったので、人工肛門というと非常に何かおどろおどろしい感じがするんですけれども、確かに非常に不思議な物ですね。経験した人じゃないと、当然わからないと思いますけれども。ただ、私にとっては、何て言うんですかね。排便を我慢する必要はないですね。なので、社会生活を送る上では非常に便利な物ではありますね。

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 ええ。潰瘍性大腸炎の場合、幾つかの型がありまして、私の場合は、全大腸型といって、大腸の全体に潰瘍ができているということで、更に劇症型ということで、相当。内視鏡検査をやったんですけれども、私もちらっとだけ画面を見ましたけれども、相当程度、重症だったということで。普通ですと、割と軽めの薬からですね。ペンタサとか。そういう軽い薬から入るんですけれども、私の場合はもう最初から重症だったので、プレドニンという強い薬ですね。ステロイドの。それも相当大量にですね、点滴でスタートしたということです。そのプレドニンの治療が始まったんですけれども、なかなか下血が止まらずに、そうですね。1日3時間おきぐらいにトイレに行くというような状況で。その都度、下血があってですね。当然、食事は一切取らずに点滴で治療を続けてたんですけれども、ついに貧血で倒れまして。
 そのあと、ですから、輸血もやりました。確か、3日間ぐらいに分けて900CCぐらいを輸血してもらったと思います。そのあと、これは、その時は自分では知らなかったんですけれども、プレドニンよりもさらに強力なステロイドを、相当大量に、3日間ぐらいにかけて大量に投与されたようです。それはあとから聞いてわかったんですけれども。それが効果があったみたいで、徐々に出血が止まって、何とか点滴が外れて、おかゆから、全がゆから始まって、少しずつお米の量が増えていって、結局、7週間入院しました。

KT-1 プロフィール

診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 はい。4月に今の会社に入ったんですけれども、すぐに、その年の6月。だから、入って2ヶ月ぐらいで、再発、再燃してしまったんですね。それで、最初の時の状況よりは多少良かったんですけれども、でも、似たような状況になりまして。同じ病院に駆け込んだんですけれども、やはり、また即入院と。この時も、あまり、前兆は殆どなかったんですけれども、やはり、突然下血が始まりまして、それで、すぐに病院に行ったんですけれども、またすぐに入院ということで。この時は、4週間ぐらいで退院できたんですが、やはり同じ様な状況で、プレドニンの大量投与ということで、やっと出血を抑えて退院したというような状況でした。
Q:その最初の入院から、そのあと、その2回目の入院に至る間っていうのは、通常飲んでいるお薬とかそういったものはあるんですか。
 その時は、もう薬は飲んでいませんでした。退院直後は、プレドニンを少しずつ減らしながら飲んでましたけれども、それがゼロになってからは便の状態も良かったですし、特に何も薬は飲んでいませんでした。
Q:そうすると、その再燃が起きたというその時にはどのようなお気持ちになられたでしょうか。
 確かに、その時はちょっとびっくりしたというか。再発の可能性はあるとは言われてたんですが、どのぐらいの確率でどういう状況になったらとか、そういうことは自分でも考えてなかったので、まぁ、大丈夫だろうっていう、無責任な楽観的な感情持ってたものですから、実際に再発した時にはちょっとびっくりしまして。その時になって初めて、今のこの潰瘍性大腸炎という病気について自分で詳しく調べ始めたというような状況でしたね。

KT-1 プロフィール

診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 はい。潰瘍性大腸炎の場合、一般的には割と軽症といいますか、大体、下痢が続いたりとか、若干の血便が出たりとかっていうところからスタートする方が非常に多いんですけれども、私の場合、ちょっと特殊でして、ヨーロッパに仕事で出張に行ってる時に具合が悪くなりまして。ちょっと風邪のような症状だったんですけれども、ちょっと普段の風邪とは違うなということで、熱があったり、それから、ちょっと気分が悪かったり。ただ、お腹はそんなに痛くなかったんですけれども、とにかく気分が悪かったんですね。熱があって。それで、確か、スイスのホテルだったと思うんですけれども、どうしても我慢できなくなって、ホテルドクターに診てもらいまして、そこで薬を投与されたんですけれども。その日はそれでだいぶ気分が良くなったんですが、翌日、突然の大量下血がありまして、それで発病したと。
 で、勿論、その時は何の病気だかわからなかったんですけれども。2~3日、そのままヨーロッパ出張続けて帰国して、即、近くの総合病院に行きましたら、即、入院で。それで、大腸の病気であるということはわかったんですが、そのあと、色々と検査をしまして、最終的に潰瘍性大腸炎という診断が下されたんですけれども。ですから、自覚症状と言いますか、大量下血があって、もう即入院、即潰瘍性大腸炎という診断がされたという。非常に珍しいケースではあると思います。

KS-5 プロフィール

診断時:22歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、主婦で、家族はご主人とお子さん(11ヵ月)。大学卒業時に発症、母も潰瘍性大腸炎。治療は漢方中心。潰瘍性大腸炎について理解ある、現在のご主人と巡り会い結婚、そして、病気をかかえながらも男の子を無事出産。現在、育児奮闘中で、二人目のお子さんもいずれと考えている。

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 妊娠してからなのですけども、妊娠がわかった時には再燃していたので、腹痛と下痢と出血があったので、やっぱりトイレに行くとどうしても腹痛があるので力んでしまうのですけども、力むと赤ちゃんにも良くないと言われたので、でもそこがどうしようもなくて。(妊娠)初期に再燃も一番ひどくなっていたので、その時が一番心配だったのですけど、ずっとやっぱり腹痛は少なかったのですけど出血は続いていたのですね。出血が続いていたので貧血があって、週2,3回鉄剤を打ちに行っていたのですけど。やっぱり妊娠の時にお腹の状態、赤ちゃんって見れないから、薬をペンタサとペンタサ注腸もやっていたので、「どこか奇形があって生まれるのじゃないか」というのがすごく頭にあって、毎回診察の時に産婦人科の先生に「ちゃんと手ありますか?ちゃんと足ありますか?」というふうに聞いて、内臓がだんだんできてきて見えるようになると「内臓も大丈夫ですか?心臓とかも大丈夫ですか?」というふうに毎回お聞きしていたのですけども。
 産婦人科の先生もその特にペンタサとペンタサ注腸で奇形になるということはないということでお話してくれていたのですが、やはり普通の人はお薬など何も服用せずに妊娠しているのに、自分は薬漬けで本当に大丈夫なのだろうかというのがあったのですけど、産んでみて五体満足で産まれたので、すごくそこはよかったなと思っているのですけども。やっぱり薬を飲みながらの妊娠だったので、その奇形が出てしまうのでは?というのが一番心配でした。
 産んでからなのですけども、産んでから睡眠不足とか、産んだ時の痛さとかストレスがあって再燃するかもとは言われていたのですが、全く反対に下痢だったのが普通の便になって、まったく出血も出なくなって、反対に私は症状がよくなったのですね。ストレスとかも全然感じなかったわけではなかったのですけども、寝不足でも痛みに耐えれたのも特に再燃はしなかったので、これから出産される方もそんなに滅茶苦茶心配はしなくてもよいのかなと思いました。

KS-5 プロフィール

診断時:22歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、主婦で、家族はご主人とお子さん(11ヵ月)。大学卒業時に発症、母も潰瘍性大腸炎。治療は漢方中心。潰瘍性大腸炎について理解ある、現在のご主人と巡り会い結婚、そして、病気をかかえながらも男の子を無事出産。現在、育児奮闘中で、二人目のお子さんもいずれと考えている。

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 妊娠が判明したのが、ずっと飲んでいた広島の漢方があるのですけども、それを飲んでてあまり効かないなという時があったのですね。広島の先生にそれを相談しても「とりあえず飲み続けてください。」というのが先生の指示だったのですけど、私はそれを飲み続けても一向に良くならないので自己判断で中止してしまって。今までお世話になっていた先生の方でまたペンタサを始めたのですね。それをしてもまだ出血は続いていたのですけども、1ヶ月ぐらい後に妊娠がわかったので、広島漢方は一切飲まずにペンタサとペンタサ注腸でしていこうというふうに決めたのですけど。出血はあるのですけども腹痛はそんなになかったので、そこまでひどい再燃ではなかったのですけど、やっぱり出血があることですごいマイナス思考になってしまいますし、お腹の赤ちゃんが、ペンタサも12錠ぐらい飲んでいたので大丈夫かなというのがあったのですが、先生も「ペンタサも赤ちゃんにはちょっと行くかもしれませんが、そんなに害がないので心配要りません。」ということだったので。もう自分がすごい悪化するよりは薬を飲んで妊娠を維持できる方が大切だなと思って、薬を飲みながら妊娠・出産をしようと決めました。

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診断時:22歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、主婦で、家族はご主人とお子さん(11ヵ月)。大学卒業時に発症、母も潰瘍性大腸炎。治療は漢方中心。潰瘍性大腸炎について理解ある、現在のご主人と巡り会い結婚、そして、病気をかかえながらも男の子を無事出産。現在、育児奮闘中で、二人目のお子さんもいずれと考えている。

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 発症する前から今の主人とは知り合いで、発症した時は特に、友人の一人だったのですけど、2003年に発症して結婚したのが2010年なので、その7年間ずっとみてくれていた中で一番、病気に関しても理解を示してくれたり、ただ心配だけじゃなくて気を紛らわせてくれたりする人だったので、付き合い始めてからは、その結婚に関して一番ネックになるのは自分の病気だと思うのですけど、そういうところも一から話して、それを含めて知っているので、「全然いいよ」っていうふうに言ってくれていたので、結婚を決める一番の決め手は、その理解があることですかね。

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診断時:22歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、主婦で、家族はご主人とお子さん(11ヵ月)。大学卒業時に発症、母も潰瘍性大腸炎。治療は漢方中心。潰瘍性大腸炎について理解ある、現在のご主人と巡り会い結婚、そして、病気をかかえながらも男の子を無事出産。現在、育児奮闘中で、二人目のお子さんもいずれと考えている。

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 母が同じ潰瘍性大腸炎なので、どういう病気かというのはわかっていたのですけども、やっぱり当事者になってみないと、全然やっぱり全くわかっていなくて、いざ(病気に)なってみると、お腹は痛いし、何も食べれないしということで最初はすごく辛かったのですけども。母がやっぱりわかってくれるので、すごいよい話し相手になってくれたり、気を紛らわせてくれたりというのが大きくて。私の1つ下に妹がいてるのですけども、ほぼ仕事がない時とか仕事が終わった後とか毎日のように入院している時は見舞いに来てくれて、話し相手になってくれて、すごい家族には助けてもらいました。

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診断時:22歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、主婦で、家族はご主人とお子さん(11ヵ月)。大学卒業時に発症、母も潰瘍性大腸炎。治療は漢方中心。潰瘍性大腸炎について理解ある、現在のご主人と巡り会い結婚、そして、病気をかかえながらも男の子を無事出産。現在、育児奮闘中で、二人目のお子さんもいずれと考えている。

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 その時に知ったのが広島の方の漢方で、すごいネットで話題になっていたのですけども、それをネットで知り合った方から少しいただいて服用することにしたんですね。それを服用して初めは、副作用かなと思う吐き気と頭痛というのがあったのですけども、それも2,3日で終わりまして、それから1ヶ月もしないうちに血便が止まって、「これはすごい合っているのかも」と思って、そこから広島の方の漢方の先生に会いに広島まで行きました。そこで先生に言われたのが、「この漢方を飲むと2年で症状がなくなるから。その2年で症状がなくなると、もう漢方も、今飲んでいるペンタサとか注腸とかもしなくてよいから、絶対に治るから信じてやってみなさい。」と言われて、そこですごい勇気をもらって、それで広島の漢方を始めたのですけど。それを始めたのが2006年ぐらいですかね。そこからはずっと再燃しなくて、でもなかなか下痢が、血便は出ないのですけど、下痢がなかなか治まらなかったので、ずっと漢方は飲み続けてたのですね。でも生活としては、今までずっと働けなかったフルタイムで働けたり、食事も全然制限しなかったり、お酒を飲んだりしても、暴飲暴食してても全然大丈夫だったので、それは漢方のおかげかなと思っていたのですけども・・・

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診断時:22歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、主婦で、家族はご主人とお子さん(11ヵ月)。大学卒業時に発症、母も潰瘍性大腸炎。治療は漢方中心。潰瘍性大腸炎について理解ある、現在のご主人と巡り会い結婚、そして、病気をかかえながらも男の子を無事出産。現在、育児奮闘中で、二人目のお子さんもいずれと考えている。

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 発病は、2003年の2月で、ちょうど大学の卒業旅行でタイに行っていたのですけども、そこで下痢と腹痛が始まって。その6年前ぐらいですかね、私の母が潰瘍性大腸炎で入退院を何回かしていたので、すごい似ているのであやしいな、と思って、近くの病院に行ったのですけど、そこですぐ「潰瘍性大腸炎」と言われて、母の通っている病院に行ったのですけど、そこで検査をすると「潰瘍性大腸炎ではなくて、ただの食あたりだろう」ということで、とりあえず入院して検査をしたんですけど、食あたりということで問題ないけども退院前に一応内視鏡(検査)をしてみようという話になったら、その内視鏡をしたらやっぱり潰瘍性大腸炎だということで、大学の卒業式には出たかったので一時退院だけはさせてもらって大学の卒業式に出て、一時退院した影響なのか、内視鏡をした影響なのか、すごい悪化してしまって、そこから2ヶ月入院したのですけど。それで絶食で、ステロイドもマックスまで使って、それが今までで一番ひどい症状でした。

KS-4 プロフィール

診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 私は病気になってから割りとすぐに患者会に入りました。例えば、手術など治療方針を決めるときに患者会で得た情報が一番大きかったように思います。患者会には専門の医師が来ていただいていましたので、すごく的確なアドバイスがいただけましたし、同じような状況の人がたくさんいたので、患者会がなかったら、こんなに早く私は病気から解放されることはなかったなと思っています。インターネットなどでいろいろ情報を調べることもできたのですが、やはりいろんな情報が雑多な状態でありますので、どれを取ったらよいのかもわからないような状況でした。患者会では実際に会って、生の声が聴けますので、すごく説得力があったり、信憑性がある情報がたくさん聞けましたので、やはり直に会って患者同士で話すということは、すごくメリットがあることだなと思っています。

KS-4 プロフィール

診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 面接の時など、(病気のことは)私は一切言いませんでした。正しいやり方かどうかはわかりませんが、就職が決まってから、実はこのような病気であるということを言うようにしていました。私の職業はちょっと特別で、教師ですので、生徒の中にも同じような病気をもっている子がいたりして、そういった意味で、そのような子たちのサポートにもなると思いましたので、就職が決まってからは生徒にも職場の仲間にもオープンにしています。やはり病気を出してしまいますと採用に支障があるかなと思いましたので、病気のことは伏せて、就職の面接には臨んでいたと思います。
Q:職場で病気のことをオープンにされて、プラスマイナスを含めて何かありましたか。
 まず生徒の中に同じ病気の人がいたので、その子のことでよく相談を受けたりとか、病気をもっている子は潰瘍性大腸炎にかかわらず他にたくさんいますので、そういった子たちの気持ちがすごくよくわかるということがありましたので、何か病気のことで困った時は自分も交えていろんな会議があったりとかするようになりましたので、私の職業にとっては、そんなにマイナスにはなっていないと思います。

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診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 手術後は食事制限なしと言われましたので、気持ち的にも我慢できずに何でも食べています。油物も、あまり体にはよくないファーストフードも全然普通に食べていますが、特に体調は崩しておりません。あと僕よくなったのは脱水症状によくなりました。水分を摂るのが大腸の仕事なので、そこがなくなったことがありますので夏だけでなく普段でも脱水によくなりました。スポーツ飲料でも追いつかないので、手術して1年ぐらいは脱水症状に見舞われたら、すぐに近くの病院に行って点滴をうってもらうということをしていました。脱水で入院ということも、短い間でしたが、2度ほどした記憶があります。脱水になるとめまいがしたり、立っていられなくなるような状態になるので、それはちょっとしんどかったなと思います。ただ水分を補充したらすぐに治りましたので、脱水症状のみが気をつけることだと思っています。

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診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 手術自体はトータルで1ヶ月も入院していなかったと思います。入院してすぐに、確か3日目ぐらいで手術を受けました。予備的な検査など他のことは全部、手術前に通院で行っていまして、もう入院してすぐ手術というかたちでした。手術後も長い間入院させていただけないというか、どんどん次の患者さんも来るので、(術後は)2週間ぐらい、トータルで3週間も入院していなかったと思います。私は、手術がうまくいきましたので、1週間後ぐらいにはある程度食べたりもできましたし、すぐに動いたりもできましたので、退院までは割りと短い間で終えることができました。
Q:手術は1回で終わったのでしょうか。
 私は人工肛門などを造らずに1回で大腸をすべて全摘する手術でした。1回でJパウチを造ってそれで終わりというかたちでした。肛門の状態が私はよかったみたいで、そのようなかたちで手術ができたと伺っています。
Q:手術は痛かったですか。
 手術後、麻酔が切れた時はすごく痛みがあったのですが、あと勿論お腹を切っていますので管とかを通していましたので痛みがあったのですが、そんなに手術自体の苦しみというか痛みはほとんどなかったです。手術中は勿論麻酔をしていましたので何も感じませんでしたし、手術後、手術の創の痛みというのはほとんど感じなかったと思います。

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診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 手術を決断した理由は大きく2つあります。1つはステロイドを全然切れなかったので、総量で1万mgを超えていましたし、このまま内科治療を続けてもステロイドをずっと使い続けるだろうというのが1つ目の理由です。もう1つの理由は、教師という職業を目指していましたし、他の職業に就くにしてもバリバリ働きたいという気持ちがとても強かったので、いつ再発するかわからない、いつ休むことになるかわからないという状況では、やはりなかなか思い切って仕事をすることもできないと思いましたので、そのへんとステロイドの骨の副作用が出てきたタイミングが合いましたので、思い切って手術をしようと思いました。
Q:その手術を受けられる時は、医師の方から何かアドバイスがありましたか。
 手術はやはりリスクもありますし、手術をしたからといって100%元気になるというものではなくて、何かいろいろ副作用が出てきたりというリスクもあるので、医師も完全に勧めるというものではなくて、「そのようなリスクも踏まえたうえで、もしかしたら病気と完全に縁は切れないかもしれませんが、どうしますか?」というかたちでしたので、(医師より)自信を持って勧めて頂いた手術ではなかったです。

KS-4 プロフィール

診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 私はステロイドを減らすのは順調に減らせていたのですが、ステロイドを切ってしまうと1,2週間ですぐ再発しましたので、ステロイドを最初は2ヶ月間ぐらいで徐々に減らしていって一度切ったのですが、再発して、次は(ステロイド)60mgを使って減らしていったのですが、また再発ということを繰り返していました。
Q:ステロイドの副作用はありましたか。
 私が一番感じたのは、精神的な面に一番影響が出まして、すごくハイな気持ちになったりとか、逆に何もできないような無気力な状態になるという副作用が出ていまして、ステロイドの副作用の中でもそれが一番、私自身は苦労しました。
Q:それ以外にはステロイドの副作用はありましたか。
 最初の頃はムーンフェイスに何度かなったのと、トータル4年ぐらいステロイドを使って最後には骨の状態が悪くなりまして、70歳ぐらいの骨という診断を受けたこともありましたので、初期のムーンフェイスと長期間(ステロイドを)使った後の骨の副作用が出ました。

KS-4 プロフィール

診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 私は病院を何回か変えているのですが、最初の外科の先生がいた病院では潰瘍性大腸炎の全摘出術の症例がとても少なかったので、年間にたくさん手術をしている病院へ変わった方が良いだろうということで、そのような病院で手術を受けることにしました。
Q:その変えられた医師はどのように見つけられたのでしょうか。
 私は患者会にも参加していましたので、そこで情報を集めたのと、インターネットで潰瘍性大腸炎の外科手術を行っている病院をいくつか調べまして、症例数が多いところを調べていくと関西の方であまりたくさんなかったので、その中でも特に症例数が多いところという理由で外科手術をする病院を選びました。

KS-3 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:54歳(2012年4月)関西地方在住。看護師。発症して11年、サラゾピリンやステロイドなど薬の副作用に悩まされることもあったが、経験から、ストレスや過労からくる再燃を避けるようにして、看護師の職も続けるように努力している。循環器系などの病気もあり、それと潰瘍性大腸炎とのコントロールに困るときもある。元気なときは、患者会活動など、人を支援する時間に使うようにしている。

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Q:具体的にはどういう症状があって、活動期の症状などどのようなものがありましたか。
 とりあえず、まずは下血、完全にひどい時は血の色で、少し治まるとピンクとかだんだん薄まってきて、それから粘液も出るのでドロッとした感じとか、朝起きた時にとにかくずっと出るのでトイレから20、30分ぐらいは、終わったかなと思ってもまたという感じなので、すっかり出きるまでは落ち着かないからトイレから出れないという状況で、また食事をすると症状が出ますので、またトイレに入ってというで、それが落ち着かないと動けないので仕事に行くのに1時間ぐらい今までよりも早く起きて、落ち着いてから仕事に行くというような状況でした。腹痛と、あとはすごくだるくて仕事に行ったら、もうそれ以外のことは、家のことは最低限のことはしますけども極力どこにも行かないとか、それからお腹も痛いので食欲もないし、少し食べといた方がよい時には、ご飯をおじやにして食べていました。でも、入院は嫌だったので、とりあえずそれで体をもたせるみたいな感じでした。

KS-3 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:54歳(2012年4月)関西地方在住。看護師。発症して11年、サラゾピリンやステロイドなど薬の副作用に悩まされることもあったが、経験から、ストレスや過労からくる再燃を避けるようにして、看護師の職も続けるように努力している。循環器系などの病気もあり、それと潰瘍性大腸炎とのコントロールに困るときもある。元気なときは、患者会活動など、人を支援する時間に使うようにしている。

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 私が潰瘍性大腸炎を発症した頃に比べて今はすごくネット社会なので、皆さん、ネットですごくいろんな情報を仕入れてきているのですけども、ネットもすべてよい情報とは限りません。やはり患者会に来られて、いろんな人の話とか、それから実際に同じ状況におられる方の心配や悩みを抱えてどうしようと思っている方がお互いに助け合える、支え合えるというのがあって、また専門の先生とか、それからなおかついわゆる社会支援と言われる、例えば社会労務士さんが来たりとか、心のケアというかたちで音楽をしていただいたりとか、栄養士さんに来ていただいたりとか、直接自分の身近なところでいろんなお話や交流ができて、ネットにはない、自分の療養生活や日常生活にプラスになる、自分たちで良くしていく会だと思います。また、患者になって初めてわかることで、少しでも自分たちの生活をよくしていこうということで、患者会が連携というか連帯というか、皆でまとまって行動しているということも非常によくわかりましたので、そういう意味で、自分たちの生活を少しでも良くしていこうと思ったら、やはり患者会に入って、患者会の活動を皆で支えあっていくのが大事なのじゃないかと思いました。

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診断時:43歳 インタビュー時:54歳(2012年4月)関西地方在住。看護師。発症して11年、サラゾピリンやステロイドなど薬の副作用に悩まされることもあったが、経験から、ストレスや過労からくる再燃を避けるようにして、看護師の職も続けるように努力している。循環器系などの病気もあり、それと潰瘍性大腸炎とのコントロールに困るときもある。元気なときは、患者会活動など、人を支援する時間に使うようにしている。

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 患者会に行ったら、やはり自分の今の状況がどういう状況かわからなかったり、情報がどうしても乏しいので、情報を知りたい方、それから逆に長年患者会で活動されていて支援されている方、それから専門医の先生が熱心に外科の先生と内科の先生が交互に来てくれて、いわゆるセカンドオピニオンを無料で聞けるし、自分たちで助け合ったりできるので、すごく患者会はいいところだなと思いました。しんどかったけども、もっと早く来ていれば、一人でもがいていた時期がもっと早く救われたのではないかと思いました。なので、自分が少し落ちついて、患者会の中で逆に今までお世話になったことを皆さんに少しでも返せたらいいなと思って、お手伝いしようと思っているのですが、いまいちもうひとつできていないのがちょっと残念です。

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診断時:43歳 インタビュー時:54歳(2012年4月)関西地方在住。看護師。発症して11年、サラゾピリンやステロイドなど薬の副作用に悩まされることもあったが、経験から、ストレスや過労からくる再燃を避けるようにして、看護師の職も続けるように努力している。循環器系などの病気もあり、それと潰瘍性大腸炎とのコントロールに困るときもある。元気なときは、患者会活動など、人を支援する時間に使うようにしている。

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 1回目はサラゾピリンで膨疹が出たので、ペンタサという大体小腸で吸収されてしまうので潰瘍性大腸炎では効きが悪いと言われているのですけども、それに切り替えて、初めはそれとステロイド剤を併用していました。で、一応寛解の時も量を減らして最低4錠まで減らして、もうそろそろ止めようかなということを言っていたのですけども、6年ぶりに再燃をしましたのでペンタサを9錠まで増やしたのですけども、直腸型なので(薬の効果が)あまり奥までいかないので注腸液を併用しまして症状はだんだん落ち着いてきたのですけども、2,3年前にアサコールといってペンタサの外側にコーティングをして大腸まで薬効がいく薬が使えるようになりましたので、それを出してもらって、(これまで他の薬では)結構いろいろ副作用が出たので、初めはお試しで使って大丈夫だったので、今はアサコールを6錠とペンタサ注腸を寝る前に使っています。サラゾピリンはいろんな副作用が出まして、ペンタサの方が(副作用は)軽いのですけども効果が弱いので、アサコールにすると大腸までよく効いて、同じ量でも効きがよいのではないかと思うし、全身に対する副作用も、下の大腸の方だけに効くので他のところに対する作用も少ないのじゃないかと思いました。

KS-3 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:54歳(2012年4月)関西地方在住。看護師。発症して11年、サラゾピリンやステロイドなど薬の副作用に悩まされることもあったが、経験から、ストレスや過労からくる再燃を避けるようにして、看護師の職も続けるように努力している。循環器系などの病気もあり、それと潰瘍性大腸炎とのコントロールに困るときもある。元気なときは、患者会活動など、人を支援する時間に使うようにしている。

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 副作用がある薬は使えない。でもステロイドも副作用があるんだということで、そこで主治医ともだいぶやり取りをしましたが、治療法がないと言われてステロイドを選択しました。すると、すごくむくんで、朝、薬を飲むと6~8kgぐらいむくんで、足の爪みたいとか、シャンプーとか階段の昇り降りとか足元を見れないとか、完全に妊婦状態になって、思考が全くできないという感じと、それからニキビみたいなのが全身に発疹が出たり、ぶつぶつが出たり、汗が30分くらいしたらドバッと出て30分ぐらい引かないとか、毛が濃くなったりとか、イライラしたりとか、夜が全く寝れないとか、光を見るとすごく眩しいとか、薬の副作用に書いてあることが全部、血圧ももちろん上がりましたし、非常にいろんな副作用が出ました。

KS-3 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:54歳(2012年4月)関西地方在住。看護師。発症して11年、サラゾピリンやステロイドなど薬の副作用に悩まされることもあったが、経験から、ストレスや過労からくる再燃を避けるようにして、看護師の職も続けるように努力している。循環器系などの病気もあり、それと潰瘍性大腸炎とのコントロールに困るときもある。元気なときは、患者会活動など、人を支援する時間に使うようにしている。

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 2001年の5月に突然下血が始まって、3日ぐらいは食中毒かなと思っていたのですけど、おさまらないので、「これは違うぞ」というふうに思いました。内科で診てもらったら、まず絶食で点滴をするから入院と言われたのですけど、それが嫌で家に帰りました。大腸内視鏡の検査をするのに予約を取る際にちょうど予約日と生理が重なったので、非常にそれが嫌でまた延期をしました。結局6月に入って検査をして即、潰瘍性大腸炎と診断されました。

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 どこに行くにしても、トイレチェックはすぐにするようになりました。子供らもだんだんわかってきて、「お父さんに聞いたら、どこにトイレがあるか知ってるで」と。どこ行くにしても、通った道にトイレがあったら、バックするようにする。警察署も入るし、消防署も入るし、コンビニも入るし、スーパーでもパチンコ屋でもどこでもトイレのあるところはチェックするようになって。トイレのないところにはだんだん行けなくなってきたんですよね。
 今までは子供らとハイキングに行ったりとかしてたんだけど、山はだんだん行かなくなりました。やはりトイレがないということで。今平気にしていても5分先はものすごい下痢になってトイレに駆け込まないとあかん状態になると。その時助かったのが、今オムツが、恥ずかしい話なんだけどもオムツをして出るようにすると割と安心感が得られるんですよね。今、結構高性能なオムツ、大人用のはくパンツ状のオムツがあるんで、オムツをはいてもズボンをはいてたら、そう違和感がなくはける。だから、オムツを着用するようになって返って安心したのか、そんなに外に出る時にはくことによってトイレの回数が少なくなるんですよね。
 「行けない、行けない」と思うとね、余計にトイレに行きたくなっちゃうんで。オムツをしていると、「まあ、いいや」、「いいや」じゃないけども少しは保つんで、後は綺麗にしたらいいことなんで、妥協できるということで、オムツをはくようになってから、ちょっと行動範囲が広くなって、調子が良い時はもちろん行くんですけども。車でも高速で渋滞するとか、そういった時間帯には一切出歩かなかった、やっぱり渋滞するとトイレとかサービスエリアとか行けないんで。特に渋滞する時は乗らないようにはしているんですけど、車は。オムツすることによって、すごく安心感が得られるようになったんで出歩けるようになりました。

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診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 病気になられたからといっても、まだまだそのような死ぬような病気じゃないので、直接それが死に繋がるような病気じゃないから、そんなに落胆しないで前を見て明るく付き合っていこうという姿勢で、やっぱりこういったことになったんだから仕方ないんだから、付き合っていかないとダメですよね。
 それから、病気の薬によっていろんな副作用があるんで、そういったことにも対処していかなければいけないし、あまり落胆せんと前を向いて、いろんな情報が今、飛び交っているけれど自分の一番、人によって症状が違うんですよね、薬も合う合わないもあるし、何でもそうやけども同じ症状というのは皆ないです。悪い人もおるし軽い人もおるし、合う人もおるし合わない人もおるし。食べるものも人によって違う。だから、自分の合った方法で最善の方法で、じわっと急がずゆっくりすることによって、だんだん気も休まって治療になって改善していくやないかと思っています。だから、あまり落胆せんと、時が解決してくれるというか、自分自身も知識を増やすことによって、いろんなことをすることによって、食べれるものは食べたらいいし、下痢でひどい時はもうじっとしといたらいいとか、できることを少しずつやることによってだんだん改善していく病気じゃないかと、僕はもうこれからは治る病気だと思っています。

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診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 私の場合は、一人で自営業だから、他に代わる者がいないので、その間休業ということになってしまう。2ヶ月経って退院して仕事を始めたんだけども、以前のような仕事は入ってこないんですよね。すべてお客さんが逃げてしまっているんです。そこからまた色々連絡してやり直すまで、1年経ってやっと半分ぐらいの収入になって、そこからやっと3年経って以前と同じ様な仕事量に今、戻っているわけなんですけども。だから病気になって入院することができないなと。入院したら今度は家族全員が路頭に迷うんじゃないかと。そういうことで、病院の通院は必ずしますけども、入院だけはずっと拒否しながら、すごく悪くなった時期が何回かあります。
 最初入院したときと同じ様な時が私の場合はね、普通で下痢が20回ぐらいが当たり前になってきて、小さい時から下痢が多かったので、1日10回以上が当たり前で、20回とか、行くときは50回ぐらいとか、1日の2/3はトイレの中にいて、夜も寝れない状態で下痢・下血のときも入院を拒否して、毎日というか2日か3日に1回点滴だけ、栄養を入れないとダメなんで点滴だけしに行っていました。入院すると、仕事休んだら取り戻すことができないという関係でそういったことになっているんですけども、なかなか患者として自由に入院もできない。ただ通院だけは夜にやっていただけるので、特に近くの町医者で点滴というのは割と自由がきいて、たいがい7時までなんで、点滴1時間かかるので、5時半か6時に行ったら1時間かけて点滴して帰ったら、それからまた仕事をする、そういった状態を続けています。

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診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 治らない病気になってしまったんだと、それならこれから生活はどうなっていくのか、家族はどうなっていくのか、もうすぐ死ぬんじゃないかと。そういったことが家族の頭によぎって、子供らでも、その時、発病した時は小さかったんですけども、「学校に行きたくない」とか、そのようなことがありました。お父さんはすごい重い病気になってしまった、で、治らない病気だと。内容がわからないんですよね。医者から言われたことを僕は家族に話したわけですけども、治らない病気になってしまったということを言うことによって、これから先どうなっていくんだという落胆的な家族の思い、知識がないからそうなるんですけども。そうなって食事とかがダメだと、あまりにも下痢がひどいから外に出られないと。そういうことで家族は、僕自身もそうですけど、すごく落胆、失望的な、将来に対して失望的な負の思考しか生まれてこないですね。何もかも悪くなっていくような気持ちがあったんですけども。
 そういった時も家族が支えて、なるようにしかならないからということで過ごしてきたわけですけども。だんだん内容的なことというか、知識というか、これはすぐに死ぬ病気じゃないんだと、死とかそういうことは関係ないんだからと、ただの身体の症状として付き合っていけるものなんだというふうにだんだんと変えるようになってから、家族もみんな普通の風邪的な、まあ風邪じゃないんだけども普通の病気と、長い病気だと思って付き合うようになって。

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診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 初めは病院の先生というか栄養士の言うことを守っていて、退院してからも言われるようなものしか食べなかった。柔らかいものとか(食べて)、肉類は一切食べないし、キノコ類は食べないし、こんにゃくも食べないし。もう食べれないものばっかりで。主に食べてたんが、大好きだった蒸しパン。「蒸しパンはいいですよ。ただ、裏側にいろんな添加物があるから、添加物のない蒸しパンを食べて下さい」ということだったので、日々、蒸しパンとか食パンを食べたりとか、それもあまり添加物のないものを食べる。そういうのを1年間していたんですけども、
 それやってても結局腹痛とかなって、だんだんと普通に食べるようにして、しんどくても食べるようにしていたんですけども。家で食べるということは、子供がうちは女の子3人いるんですけども、やっぱり油っぽいものとか何でも食べさせてあげないといけないんで、僕の料理と2種類作らなければダメなんですよね。だから家内にもだいぶ食に関してはすごい苦労をかけたなと。だんだんと薄味になっていくようになって、子供らも家族全員がだんだん薄味で、あんまり油っぽいものが出なくなったと。2食作るんやったら1食でと。こちらもそれなりに今まで油っぽいものとか揚げ物とか拒否してたものがだんだん食べるようになっていったのと、そんなに先生の言うことを守らなくても自分の体調を維持できるやろうし、何を食べても悪くなるときは悪くなるんだという勝手な考えで、最初の頃はお酒も飲まなかったんだけども、だんだん飲むようになってきて、ストレス解消にまあいいだろうと。ひどくなるとやっぱり飲むことができないんで、それは自分自身で止めますけども、あまり悪くない時、本当は悪いのかもしれないけど、少量の下血ぐらいだったら飲んだりとかしています。

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 あと漢方というのも薬で3年ほど試しました。漢方が効くという方も結構おられたので、僕も効くと完全に信じて最初はずっとやっていたんですけども、やってても本当に漢方で良くなっているのか、ステロイドで良くなっているのか、全然わからなくて。確かにステロイド飲むと良くなっていると、それは効いてくるのがわかっていると。漢方はどんなもんかと。あんまりひどくなって、僕の場合は結局合わなかったみたいで、どんだけいろいろやっても漢方では改善はみられなかったみたいで、3年間は続けましたけども、漢方はやめました。漢方といっても近くのところだったので、一応そこは胃腸科専門のところで、今通院しているのは大きな病院なんですけども、総合病院なんですけども、そこまで通うのが大変なので、点滴だけはそちらでやってもらって、大きな病院の担当医と連絡をとって点滴の治療を近くでさせてもらっていると。

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 またレミケードがすごく本当によく効いたので、レミケード打って、1,2日、1日でもだいぶよくなって2日後にはもう普通の状態まで戻るような効き方で、すごくよく効いています。それによってステロイドがやっとゼロなることができました。ステロイドがゼロになることによって骨もだんだん戻ってきて年齢なりの骨になってきて。血液量というか、出血は常にしていたので、血の量もだんだん戻ってきて、今は快調とまでは言わないですけども、
 レミケードやり出して今でもう、もうすぐ2年になるんですけども、今ちょっと8週保たなくなってきていますね。最初の頃は8週とかそんなもんはなく、食べるものもしっかり食べていたんですけども、今は7週ぐらいでまた下痢がひどくなったりとか。先日も久しぶりに大量出血が6回ほど続いて、「またヤバイな」と思って、ちょうどレミケードだったんで、レミケードを打つとまた出血が止まるという状態で。効く薬が僕の場合あるというのですごく助かっていますけども。いつまでこのレミケードが効くのか、それが不安な状態で。だんだんだんだんと周期が短くなってくると次はどうしようかと考えておりますけども、考えてるというか、何も考えていないんですけども、どうしようかという不安がよぎるわけですけども。

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 1ヶ月断食して、もう1ヶ月徐々に食べるようになって、治療をして2ヶ月後に出てきたわけですけども、最初は3ヶ月は入院してもらわないとダメだと言われていたんですけども、2ヶ月で出て仕事に復帰、その後もずっとステロイド治療ばかりで、主に断食の間のステロイド治療でほとんどよくなって、それがよく効いたので、たまたま助かったんですけども。ステロイド治療を始めるにも、その日からステロイド治療。「ピロリ菌があったらステロイド治療はダメだ」ということで最初は「ピロリ菌の検査をしてからだ」と言われていたんだけども、そんな悠長なことを言っている時間がなかったので、(ピロリ菌が)ないものと判断してすぐステロイド治療を行ったんで、だいたい1ヶ月ぐらいで出血とかは止まって下痢とかもなくなって、その後1ヶ月ぐらい入院治療してから退院して、午前中退院して昼からもう仕事してたという状態なんですけども。
 それからもずっとステロイド剤は服用して、服用している間はいいんだけども、やっぱり少しずつ減らしていくんですよね、いっぺんに減らすことはできないので、5錠とか。通院のときは1日に6錠まで私は飲んでいたんですけども、6錠を5錠、4錠と1錠ずつ減らしていって、いつでも1錠か0.5錠か半分に割って飲むようになったときにまた繰り返しということで、せっかく1錠ぐらいになっても結局3ヶ月、4ヶ月ぐらいで1錠に減らしていくんですけど、また繰り返しということが7年間続きました。だから、ステロイドとコロネルとかアサコールとか、アサコールができてからずっと飲んでいるんですけど、主に効いたのはステロイド剤がよく効いて。

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 担当の先生に言われて、それは難病指定、今は特定疾患と言う名前で「治らない病気だ」と言うことをその場で告げられて、もうショックを受けて、家に帰りました。いきなり、そういったことを言われる難病で、治らない病気、こんな下血とかして、「ずっと、一生続くんじゃないかな」という不安で帰宅して、それから、附属病院じゃなくって他のもっと大きい病院にもう1回通って、即入院という状態になったんですけど、なかなか大変な日を過ごしまして、だから、はじめは中学時代から、そういう兆候があったから、はじめに大きな病院にかかっていたら良かったなと、そしたら、もっと早く治っていたのでは、そんなに重症になるまで、まぁ、こっちがほっていたのも悪いんだろうし、

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 私がはじめにかかったのは近くの町医者でして、町医者というのは何でも診るということで内科からすべていろんな看板があがっているわけですけども、後から聞くとその先生は皮膚科だったと。本来は皮膚科の専門医だけども、開業したので今はいろんな看板もあげてやっていると。そういったことで私自身も他に行かなかったので、生まれた時からそこに行っていたので、その2代目さんがやっていたんですけども、ずっと通い続けて「腸炎」という判断だけで、風邪薬飲んだりとか、いろんな薬を飲んで、あと漢方もそこでやったことがあるんですけども、別に何も効かなくて下痢はずっと続いていると。
 それから、まただいぶしてから他の病院、それもまた町医者なんですけども、そこも町医者だから何でも診ると。そこも長いこと行っていたんですけども、ずっと同じ様な判断で「腸炎」と「痔」だからということで。その先生も内科とかあげているんだけども、専門は整形外科だったと。だから余計に判断がつかなかった。その先生にあたったというか、そこばかり通い始めた時に、こちらからインターネットとか調べて「これは潰瘍性大腸炎ではないでしょうか?」と先生に聞くと、その先生が言うのには「そんなことはありえない。それは難病の中の難病で、ありえない病気だ」と。「まず、あなたにはならないであろう」ということで。

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診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 兎に角、お腹を壊しやすい子供時代・中学時代・高校時代、それで、高校受験も、滑り止めの私学がトイレに籠もっていて、受験できなくって、滑ったという、まぁ、公立高校があったので、公立は受かったのですけれども、そこからあともトイレに籠もって、テストが受けられないということがしょっちゅうありまして。だけども、近くの病院しか行かなかったので、ずっと腸炎と、あとは「男の子なので腸が下痢になりやすいんだ」と「緊張すると下痢になるんだ」ということで、医者からは普通のビオフェルミンくらいの整腸剤くらいしかくれなかったんですけど、
 だいぶ年いってから、食欲もなくなり、食べられなくなって、もう、下痢と下血が酷くなって、それでも通っていた病院の先生は「これは何だかわからない」ということで、それで自分自身、インターネットで調べて「もしかして、これは潰瘍性大腸炎とちがいますか」と先生に言いましたが、「そんなことはありえない」と、その時点で「だけどもおかしいから、一旦、おかしいから大学病院に検査しに行ったらどうや」ということで、内視鏡を初めて入れて「もう完全な、重症の潰瘍性大腸炎だ」と判断されて、そこで即入院になってしまった。

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診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人

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 この病気との今後ですけれど、今までは治したい、この病気と別れたいと言いますか、治したいと思ってたんですけれども、何かこの入院をきっかけにしてちょっと自分の中で変わったというか、ゆとりができたというか、今までは少食健康法ということで、これを食べずに治す、治したいがためにという感じで来ていたんですけれど、ちょっと視野を広げてこの病気と付き合っていこうというスタンスで、悪くなったらステロイドもまあ、ありかなということで、効くなら、それでまた後はうまい具合に切っていければいいかなという感じで、後はプロの医者の方に任せて医者の言うことを聞いて自分でも情報をちゃんと仕入れて学びながら、そういう風にしていって炎症を抑えていく、
 どうしても仕方なく、大腸がんのリスクも高いですし、もしそういうふうになってどうしても手術しないといけないという時は信頼のおける外科の先生の方にかかってお任せする。後は運だとかそういうこともあると思いますので、先のことはその時に考えようということであまり取り越し苦労をしないようにして、今を精いっぱい、今好い状況にあるからそういうことを言えるのかもしれませんが、それでもまあそんなにばたばたしてもどうしようもない病気なので

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診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人

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 とりあえず患者会に行って同じ患者の人の話を聞いてみようというとこで、軽い気持ちで行ってみて、するとすごく私が今まで、すごく大げさに考えていたというか、こんな下痢ひどくて生きていけないわというか、どこにも出れないと思っていたことが、みなさん当たり前のように、「そんなん普通やよ、病気やから下痢するのは当たり前やし」という感じで言われて、あ、そうなんや、で、仕事を持っていらっしゃる方は仕方ないから紙おむつで出かけるよとか、普通に話されてるのを聞いて、別にこういう世界に入ると、私は普通なんだという感じですごく気持ちが楽になったということで、それでまあ色々専門医の先生も来て、ふだん診察室ではそんなに長い間色んなことを根掘り葉掘り聞けないんですけれども、時間も限られてますし、だけどそこではすごく普段疑問に思ってることだとかそういうことでも、外科の先生あと内科の先生もいらっしゃるのでその時その時に自分が疑問に感じたことを答えていただいたり、納得いくまで答えていただいたりということがあったので、すごく、なんて言うんでしょう、気持ちが楽になった。

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 その時はトイレのことがすごく頭の中にあって、下痢、トイレどうしようとか思った時点でお腹も痛くなったりトイレに走らないといけない状態になってしまってたので、一時は心療内科で過敏性腸症候群っていうんですか、そういうのもあるかもしれないということで、心理療法というのも受けたこともあるんですけども、あまり変わらなくて、やはり仕事を辞めて1年半くらいは、近くのスーパーにも買い物にも行けないくらいの、心理的にもちょっと病んでいた。
 そういう状態が一時あったので仕事はもう続けられなかったので、やはり迷惑をかけることになるので、いくら周りが理解があると言っても、それで仕事は続けられなくて、まあ専業主婦でいられる立場というか、そういう環境にありますので、それに甘んじてというか、仕事は今はもうする気はないんですが、今だったら本当に紙おむつはいてでも好きな仕事があればできるくらい、だんだん病気ともうまく付き合っていけるというか、下痢ともうまく付き合っていけるようになったんですけれど、その当時は仕事に関して柔軟な態度がとれなかったというか少し反省するところではあります。

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 もう簡単な事務だったので、どちらかというと電話番程度に居ればいいけどもそのかわり休まれたらちょっと困るよというような職場だったので、少々熱がでたりとかそういう時でもとにかく仕事というか会社に出て座っていればいいよという感じで行けたのがラッキーというかよかったんですけれど、事務所の中もみなさん外で、お昼間というか普段は出ているので、私がほとんど一人事務所に居るという状態だったので、トイレに何回行こうが下痢をしていようが、しんどい顔をしていようが大丈夫という、すごく恵まれた職場だったので、すごく長く続けられたんですけれども、やはりだんだん症状がひどくなってきて、下痢が頻繁におこって、洩らすっていうんですかね、すぐそこのトイレも間に合わないという感じがあったりだとか、ちょっと外に出かけたりとかする用事の時でもそれができなくなったりするぐらいひどくなってきたので、さすがにこれではちょっといけないということで、今だったらもう少し病気に対して視野も広く考え方も歳とともに広くなっているので、今だったら多分紙おむつはいてでも仕事を続けられたと思うんですけど、その時はまだ30代で、若かったので、やはり出先とかで便が漏れてしまうということがすごくショックで、それが頭の中一杯になってしまうというか、もう駄目だという感じでどうしても仕事は続けられないということで仕事を辞めてしまいました。

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 もしかして外科的な手術も考えていたので長くなればということで、親離れ子離れができなかったんですけども、でも結果良ければすべてよしじゃないですけれど、逆に入院して離れてみてお互いに家族のきずなとか言いますか、離れてみてわかることというのも色々ありまして、良かったなという感じでお互いに感謝もするようになりましたし、やはり親離れ、子離れしなといけないですし、こういう病気だったということを娘もなんかわかったような気もしますし、普段はやっぱり家にいると、そんなに病人という感じはないと思いますので、それはやっぱりいたわりの気持ちも出てきたような気もするし、逆に入院してよかったなという感じで、家族のきずなも病気によって深まったという感じはします

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 私の場合はなんていうか、(子供が)一人娘だったので発症した時がまだ保育園に預けていて、私も仕事をもっていてという状態だったので、なかなか入院ということに踏み切れなくて、家族に対しても何というんですかね、まだ子供も小さいので入院して母親がいないと不安になるという、まあ兄弟がいれば多少ましだったのかもしれないですけれど、そこでなるべく通院でということをお願いして、ずっと入院はしないで頑張ってきました。
 なので、ステロイド、ステロイドって言う感じで頼ってしまったという悪い面もあるんですけれど、でもやはり小さい子供に母親の病気っていうことを理解してほしいというのは無理だと思っていましたので、やはり母親がいないといけないということで頑張ってきたので、それはもう今から思えば仕方のないことだったと思うんですけれど、それがずっと続いてきてもう娘は今年で22歳になるんですけれど、それでも今回入院の時でも、やっぱり入院しないでという感じでさみしいということを表現してくるので、やはりずっと我慢して、始めは医者にも入院した方がいいよという感じでもう半年くらいですかね、もうだいぶ前から入院を勧められていたんですけれど、だましだましというか、まあ色々することもあったので、しかたなく頑張ってきて、もう最後全部片付いた時点でどうしようもなく入院してしまったという感じになったんですけれども、

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 外科の手術に関しては私が行った病院では、腹腔鏡を使った手術ということで、何ておっしゃっていましたかね、手術の方法は恥骨の上の方を6センチくらい小さい傷で、後は2か所か3か所穴があく程度というんですか、腹腔鏡を使った手術で跡形も残らないし、横に切るのでほとんど傷跡も目立たないと思うので大丈夫ですよ、でも開けてからでないとわからないので、やっぱりそれで、もしかしたら開けてから開腹になるかもしれないけれどもまあ大丈夫だということで、手術の後も気にしなくてもいいということでしたし、私は病歴が長いので、人工肛門に永久的になるんじゃないかという心配もあったんですけども、そういう心配もあったので、手術はいやって頑なに思ってたんですけれど、見ていただいたら、一度はストマを着けないといけないけれども、すぐにそれを戻して普通にできると思いますよって言う感じで言っていただいたので、もしこれから手術することがあったとしても安心しておまかせしようかなとは思っています。
 初めのころは腹腔鏡もなかなか普及されてなかったので、18年とか10何年前は開腹手術でっていう感じで聞いていたので、かなりこわい手術っていうイメージがあったんですけども、今はそんなに恐れは無くなったと言いますか、今回の入院でそいう説明を外科の先生からそれを直接聞いたことでかなり楽になったと言いうか、それは後はもうお任せしましょうという感じで、それだけでもすごく気持ちが楽にはなりました。

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 それを玄米は完全栄養食とまではいかないですけれど、かなり栄養価が高いので、色々な栄養素も含まれていますので、それを主食にして、あと体に必要なたんぱく質っていうのはお豆腐から、やっぱり大豆は蛋白源としてかなり優れていると思いますので、だから蛋白源としてはお豆腐、でまあ貧血がひどい時が多かったので私は白身のお魚を200グラムとか、まあ一切れぐらいですがそういうのを食べて貧血予防といいますか、そういう感じ。それと後は青汁。なるべく自分で作るのが無農薬で取れたてのものだとか、自分が栽培したものをつくれば一番いいんですけども、なかなかそういうこともできないので、私の場合は少食健康法をされた先生が近くに、そのなんていうんですかね、その趣旨を理解されて信奉されている方が青汁をちゃんと製造されているというか販売されている業者さんがいましたので、そこで作られた冷凍のもの、それを朝と2回ですね、青汁はミネラルだとか色んなものがビタミンだとかそういうものを補えるので、大体その3つぐらいで、豆腐、青汁、玄米で多分補える、でかなり超少食になると思うんですけれど

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 少食健康法というのは、名前は伏せますが、ある医師がなんて言いますかね、すごく厳しい療法なんですけども、とにかく断食だとかそういうこともメインになってくるんですが、まず現代人は取りすぎているというか、栄養30品目食べないといけないとか、それが逆にあまり食べすぎていて今の現代病とかそういうものを起こしているじゃないかという説というか話なので、必要最小限のもの、たんぱく質だとかそういうものを取って胃腸に負担をかけないようにして、それで少食にして体を健やかに保つというような感じの理念でされている療法なんですけれど、

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 ステロイドに関しては良くも悪くも、思い入れがいっぱいありますので何から話していいかわかりませんけど、とにかく始めはすごくよく効く薬で飲むとすぐに効くというか、すぐに炎症がひどくて下痢がひどかったのが効くので、あ、なんといい薬だと、やはり薬ってこんなものかなという感じで、全く知識がなかったので安易に使っていました。それと処方された医師の方もそんなに、ステロイドに関しては色々医師の見解といいますか、そういうのがあると思うんですが、あまり使わないでおこうという方、使っても大丈夫だという方、その先生はそんなに使っても大丈夫だよという感じのスタンスだったので、私もその通りひどくなるとステロイドで、なんというか改善される程度で完治はしないんですけれどよくなるので、始めのうちは減らして、切って、再燃すると使うという形だったんですけれど、そのうちだんだん効かなくなってきて、だんだん量も増えてくるし、どういう薬なんだろうということで自分でも勉強し出すというか、だんだんその頃はネットとかも普及してきたりして、その頃私がまずステロイドについて、あれ、こんな薬使ってていいのかなと思いだしたのはメーリングリストだったと思うんです。

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 一番最初に発症したきっかけが、私はもうこれだとわかっているんですけど、離婚したことなんです。それでやはり離婚というのは一生のうちに一回あるかないか、まあ何回もある方もいらっしゃいますけれども、そういう人生の中でも大きな波の一つといいますか、そういうストレスの一つだったと思います。それが発症のきっかけになりました。それでまた今回去年1年かけてストレスというのも両親の介護だとか父親が亡くなったりとかそういう身内の不幸だとか、そういう色々なことから避けてはいけないこと、避けては通れないことというか、やっぱり人生の中で皆さん多分等しくあると思うんですけども、そのストレスが私にはなかなか耐えきれなかったというか、そういう感じだったんじゃないかと思います。

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診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 いえ、その1回目、2回目が2011年の1月と2月に、ま、最初は足の方だけだったんですけども、しまして、それでも駄目だと、で、3月にまたすぐ肛門を取る手術、で、肛門を取るだけじゃなくて、そこら辺が、もう膿の巣が、結構細かいのがあったらしくて、そこら辺もう組織を全部取ろうと。話を聞いてるだけでもどんな手術なんだろうと、今まで経験してきた中で、まったく自分では想像ができない、で、まあ、やはりリスクも言われました。で、もうその辺の周囲の器官が、ま、男性としての機能の集中している部分だったので、もしかしたら子どもができない。ま、できないって言ったら変ですけども、あの、作れなくなると、その辺は覚悟をして置いてくれと。先生は簡単に言うんですけども、えっ、これからと思っていたところにそんなことを言われると、ますます不安になって。受けたくなかったんですね、その手術を。ただ、今のまま放置していたら、さらに膿が広がって、最悪左足を切り落とさなくちゃいけないというところまで言われました。肛門を取るか片方足をなくすか、ま、普通に考えれば、足はなくなってはいけない。肛門、肛門も大事なところだし、ただ人工肛門を付けているので、もう使っていないと。

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 12月の初めごろ、そしていろいろ検査をしていくうちに、これはかなりひどい状況だと、こういう症例は見たことがない、膿んでいることは確かなんだけども、普通は肛門周囲の膿瘍、ま、痔瘻ですね、で終わるんだけれども君の場合はちょっと変だと。で、まあ、MRIとか精密検査を何回もしまして、これは手術しかないと。で、まあ、排膿(はいのう)といって、膿を排出する手術をしなくちゃいけない。取りあえず足の方から手術でそこに管を入れて、しばらく排膿をしていこうと。で、まあ、後々、肛門を全部取らないと、駄目な状況になるかもしれないと言われてました。で、それが12月の終わり。で、年明けすぐ手術しようということになってたんで、その時にやはり、まあ、初回の手術と同じような感じなんですけども、後々、ま、肛門は取らなくちゃいけないんだなと。でもまだ先のことだとその時は思っていましたんで、まあ、その時も軽く、あ、じゃ、お願いしますと。で、1月に入りまして、太ももの裏を切開して管を入れて、少し楽になりました。

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 今現在同じ病気で悩んでいる方、あしたをどうしよう、この後の人生をどうしよう、まあ、あの、思い悩み過ぎてうつになったり、人生投げ出したくなったりすると思うんです、絶対に、ま、僕もそうでしたんで。ただ、常に希望は捨てないで前を向いていけば、必ずちょっとだけでもいいことがあると思うんですよ。で、ま、医学の進歩も目覚ましいし、新しい治療法や治療薬も出ていると。で、そこで自分をあきらめない、ただそれだけだと思うんです。
 普通の人でも簡単に自殺してしまう。ましてや僕ら、病気を持っている人たちは、あの、常に死というものに対して、ま、入院していれば分かると思うんですけども、常に、その、死ぬってどういうことなのかなと考えてしまうんです。昨日まで元気だった人が次の日もう亡くなられてしまう。もしかして僕もそうなんじゃないか、わたしもそうなんじゃないかと、絶対思うと思うんです。ただ、あきらめないっていう気持ちは、必ず心のどこかに持っていれば、まあ、今現在つらい思いしている方には、何言っているんだと思われるかもしれないですけども、いつか必ず、ああ、そういうときもあったなって、思えるときが来ると思うんです。だから決して、簡単な気持ちで自殺を考えたりとか、人生投げ出してっていうようなことをしてほしくないんです。これは本当に声を大にして、これからも、まあ、僕が元気であるかぎりは、あの、いろんなところでそういう言葉を発していきたいなと思っています。

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 一日目、職場に行ったところ、まだ4月だったんで、まだ寒いんですね、工場みたいなところだったんで。体がやっぱり思うように動かなくて、お腹も痛くなるし、で、これはもうみんなに迷惑が掛かると思って、職場の人にちょっとすいませんと、用事が急に入ったので、今日はこれで早引けしてもいいですかと。で、たぶんかなり悲愴な顔をしてたんだろうなと思うんですけども、その職場の人は、ああ、じゃ、大変そうだからいいよと言ってくれまして、そのまま家に帰って、布団の中に入って体を休めながら、なぜか知らないけども、涙がポロポロ、ポロポロと。せっかく決まったいいチャンスなのに体が付いていかないと。
 で、気持ちとは裏腹にそういう体の不都合があって、どうしてこんなことになったんだろうと、一時間ぐらいですかね、泣きっぱなしで。で、夕方になって妻は帰ってきて、ただごとじゃないと、で、どうしたんだって言われて、また泣きながら、いや、実はこうこうこうで、たぶん無理だと、どうしようと相談したところ、あの、あなたの思うとおりにしてくださいと、体が大事ですからと言われて、結局次の日に、あの、社長さんのところに行って、申し訳ないと、体、やっぱり体が付いていきませんと、まあ、当然怒られました。大丈夫だって言ったじゃないかと言われたんで、もうその時も泣きながら、申し訳なかった、もうほんとにそれしか言えませんでした。

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 で、まあ、その今働いてるところも、何回も短い入院を繰り返してきたんで、そのたんびに上司に言うんです。「あまり僕はあてにならないので、この入院を機に、首にしてください」と、はっきり言うんですけども、「いや、君は良くやってくれているので、ゆっくり体を治してきてからまた職場復帰してください」と。ま、僕にとっては、すごいありがたくて理解のある職場で、で、それも何て言うんですか、仏の顔も三度まで、も、三度以上なんですけども。で、今回はちょっと長くなりそうだと、でもほんとにあてにならないので、あの、切っちゃってくださいと、解雇してくださいと言ったんですけども、いや、しっかり治療して、また戻ってきてくださいと言われまして。ま、その時また泣きましたね、ありがたくて。で、じゃ、あの、すいませんが、しばらく離れますと言って入院しました。

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 先生にも相談したところ、君はまだ仕事は無理だと言われたんですけども、やはり何か収入を得ないと生活が成り立たない。で、正社員にこだわってたんです。正社員の方が安定しているし、給料も高いし、でも体がっていうそのジレンマですね。そして何て言うんですかね、しばらくは職安に行く振りをして、妻には内緒で、で、ボーっと海を見にいったりとか、で、家に帰って、妻が帰ってきて、今日どうだったと、いや、なかなかいいところがなくてねっていううそを結構ついてましたね。
 ま、ほんとに行って探してもみたんですけども、やはりこういう体なので、なかなか条件に合った、自分の条件に合った職場がないと。で、でも妻には心配掛けさせたくないっていう、変なプライドもあったんで、ま、うそをつくしかないのかなという感じで、しばらく続いたんですけども、ある時に文房具屋さんに買い物に行ったんです。で、そこで中学の時の同級生に出会いまして。「今どうしてんの?」、「いや、実はこういう病気で仕事ないんだ」って言ったら、「ちょうど今、空きがあるから来てみないか」と言われまして、面接を受けたところ、じゃ、リハビリのつもりで、しばらく来てみませんかということになって、行き始めたのが今の職場です。

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 そうですね。まだ、その、大腸全摘する前は、どうしておれだけこんなことになるんだと、まあ、妻にも八つ当たりは何回もしました。で、ま、普通ならそこで離婚かなと思ってたんですけども、何かけなげにもじっと耐えて、ずっと黙って付いてきてくれたと。で、たまにそのころを振り返って言うんですね、まあ、いつでも見捨てれたんじゃないのと。こんな病人よりも普通の健康の人とって言うと、怒るんですよね。で、でも普通そういう考えなんじゃないのって言ったら、あのころのあなたは荒れていたと、でも自分で気付くまでは何も言わんって決めてたらしいです。で、何かそれを聞くと、ああ、やっぱり妻なしでは、おれは生きていけないんだなと、つくづく何かありがたいっていうか。人間って一人では生きていけないんだなっていう言葉ありますけども、まさにそうですね、妻の支えがあって、まあ、周りの看護師さんとか、職場の方の理解とか、先生の助けとかがあって、僕は生かされてるんだなと。

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Q:そうしますと、その退院した後ですね、えー、どういうような、あの、経過をたどって現在まで来てますか。
 はい。退院した後は、最初に考えていた明るい人生はなくて、まず下痢が一日約30回ぐらい、で、朝も昼も夜もトイレにこもりっぱなしで、で、夜中も寝れないんです。熟睡できなかったんです。でも一時間といわず30分おきに、うつらうつらとしたころに、お腹が痛くなってトイレに行って、20分ほどこもり、そしてまた布団に戻って寝ようとするんですけどもっていう生活が、約4カ月ぐらい続きました。で、その退院したときが12月ぐらいだったので、この北陸地方は冬は寒いんで、トイレも寒いんです。で、わざわざ電気店から赤外線ヒーターをトイレに付けまして、で、その20分間はそこで体を温めながらの排便という、ちょっと自分ではかなりプライドとかいろんな今までの経験とかが、崩れ去った時期でもありました。

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 そうですね。もう人工肛門の手術をしてから今現在で4年、もう人工肛門歴5年生です。交換についてはもう全然不安もなく、まあ、毎日の歯磨きとかお風呂に入るような感じで、まあ、言ってみれば生きていかなくちゃいけないからやっている。何て言うんですかね、仕事でもないし、義務でもないし、ごく自然に自分ではしてるつもりなんですけども、やはり心の片隅には、「どうしてこんなものを付けて、生活しなくちゃいけないんだ」という気持ちは消えてないです。ま、QOLは上がったので、差し引きゼロなのかなと、自分に納得させて生活しているという、そんな感じです。
Q:あの、具体的に何かこう人工肛門付けてることによって、その、不便なこととか、例えば、その、温泉に入ったりするっていうのは特に問題ないんですか。
 はい。温泉には入りたいんですけども、やはり人の目があるし、わざわざそんなところに行かなくても、普通のビジネスホテルで、シャワー浴びればいいじゃないかと。で、そんなに温泉好きでもないので、ま、そこは別にお風呂に入らなくても、シャワーだけというのは別に苦ではないです。ただ、やはり人目も気にせずにお風呂に入りたいなっていうのは、少しあります。ただ別に湯船に漬からなくても生きてます、生きていけますからね。そこは別に、あの、何でもないです。

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 その当時に、もうほんとにお腹の調子がひどくて入院したんですね。で、入院したときのその先生の宣告(一生人工肛門を付けなければならない)があり、どうしよう、どうしようと、で、その時は実質8カ月入院してまして、で、その間にも、どうするんだ、付けるのか、付けないのかという選択を、毎日のように迫られてまして。ある時に夜中ふと目が覚めたんです。で、雨が降っている。で、ちょうど窓際のベッドだったので、ふと起き上がって、窓の外を見ました。で、4階に入院してたんですね。窓の外を見て、ここから飛び降りたら楽になれるんじゃないかと、ふと思ったんですね。まあ、いわゆる『病気を苦に自殺』と、シナリオが勝手に頭の中で描かれていて。まあ、よくある走馬燈のように今までの出来事が頭の中で巡って、最後に妻の顔が浮かんで、まあ、いろいろ苦労掛けたけど悪いなと思って。で、ふと窓に手を掛けたんですね。で、今まで何回も入院していて、何回も開け閉めしていた窓なのに、20センチしか開かないということに、まったく気付いていなかったんです。そして、ま、ほんとにその時は死のうと思って、窓に手を掛けて開けたら、20センチしか開かないと、そこでハッとわれに返って、おれは何をしてるんだ。で、またそこで、その自殺を考えるまでの、今までのことが走馬燈のように駆け巡って、いや、こんなことじゃ駄目だって思いとどまって、またベッドに戻って寝た。

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 で、その後2回目の手術を受けまして、一週間ぐらいたったころに1回目の手術と違う痛みがお腹にあって、で、それを毎朝検診の、あの、回診の時に先生に、これおかしいんですと言ったんですけど、いや、数値は大丈夫だから、それが一週間ぐらい続いて、でもやはりその痛みがだんだんひどくなってくんですね。で、痛み止めを打ってもらっても治らないと。で、先生、やっぱりおかしいですと、きちんと検査してくださいときつく言ったところ、取りあえずCTとMRIを取りましょうと、
 検査したところ、「いや、申し訳ない、腹膜炎になっている、すぐ緊急手術をしなくちゃいけない」と。で、これが3回目の手術になるんですけども。1回目は取りあえず痛みとかも乗り切り我慢できて、で、2回目の手術も、ま、術後すごい痛い思いをしたんですけども乗り越えたと。で、2回目の手術から2週間しかたっていないのにまた手術って言われて、やはりそこはちょっと怖くなりまして、直前まで、僕、同意書にサインしなかったんです、それはできないと、怖いと。ただその時の腹膜炎って言われたときの、腹膜炎の知識も全然なかったので、いつでもいいじゃないかと言ったところ、いや、これを放置しておくと、中で膿が広がって君は死ぬと言われて。ま、結局最後まで同意書にサインする気持ちはなかったんですけども、もう切羽詰まっているからと言われて、まあ、渋々同意書にサインして、腹膜炎の手術を終わり。

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Q:その手術の前に、お医者さんにどういう説明を受けたかというようなこととか、具体的に手術は、どういうふうに、な手術をされたのかとかその辺のところを、もう少し詳しくお話しいただけますか。
 はい。先ほども言いましたけども、大腸を全部取ってしまえば、その疾患部分がなくなるので取りましょうと、で、もう大腸はボロボロですと言われて、一応妻とも相談したんですけども、いや、体が楽になるんなら、多少のリスクはしょうがないと、で、その術後にかけましょうということで、一応先生のきちんとした説明の後、承諾書にサインをして手術をしました。
 で、その手術っていうのが、3回に分けて手術をしようということになりまして、で、1回目の手術が終わった後に、一時的に人工肛門を付けなくちゃいけないと言われていましたけども、まあ、一生ではないので、そこはすんなりと自分で受け入れられまして、で、看護師さんにもびっくりされたんですけども。「余計なものを付けるんだよ、不安はないの?」って言われましたけども、そこは全然、で、手術も怖くないんですかと言われましたけども、全然、その、その後の未来が自分の中で明るいはずだったので、そん時は、なので全然そういう不安とか恐れとかはなくて、ごく自然に手術を受けることに同意できました。

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 で、それから一年後に体調がおかしくなって、あの、寝ていても、寝汗をすごいかくんですね。で、体中びっちょりになって、夜中起きて、で、シャワー浴びて、で、また寝ると。で、数時間後にまた寝汗でびっちょりと、それを一週間ぐらい繰り返して、だんだん、だんだんからだが衰弱していくのが分かったんです。それで、これはおかしいと、で、夜中に緊急外来で病院に行ったところ、「あ、悪化しています」と言われまして、2回目の入院になりました。で、その後、毎年入院することになりまして、そうですね、5回目の入院の時に、「もう大腸が悲鳴を上げています、これは大腸を取った方が、君のためにいい」と言われまして、それ手術したら治るんですかと聞いたところ、治りますと言われたので、あ、それでは取ってくださいということで、2003年に大腸全摘手術をしました。

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 はい。えーと、一番ひどい症状の時に「プレドニンという薬もあります、これを一日3錠から始めましょう」と、で、飲み始めたところ、昨日まで調子悪かった体が一気に良くなったんです。これは魔法の薬だと、そのころはそんな薬の知識も全然ありませんでしたので、もうただただありがたい薬だと。ただ後で本とかで調べたところ、かなり怖い薬だと、体にはきつい薬だということが分かりまして、僕は何て恐ろしい薬を飲んでいたんだろうと、今さらながらにちょっと怖い感じがあります。
 そして1万ミリ、1錠が5ミリグラムという単位で、で、1万ミリを超えると手術対象になるというのを、最初に聞かされていましたけども、まさかそんな量まで行くとは思ってなくて。でも回を重ねるごとに体がひどくなっていくと、で、処方される薬も増え、で、下痢止めとかも飲まされまして、でも全然下痢は治まらない。で、プレドニンも量が増えていき、もう体がボロボロになっていくのが、自分でもすごい分かって、で、これはまずいと。ちょうどそのころに手術の話が出たので、これはいい話だと、その時は、結構簡単な気持ちで手術を受けたんですけども、今思えば、もっと経験のある先生の方に頼めば良かったなと思っています。

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Q:その、内科治療的には、えー、何かいろんな治療方法が、ほかにはもう手術以外には、なかったということなんでしょうか。
 いえ、手術の前にいろんな新しい薬とか、こういう治療法も出たと、で、主なものがサラゾピリンの代わりに、ペンタサという薬がその時ちょうど出まして、飲んでみたまえと先生に言われて、あ、いい薬なら、これで体が治るんならと思って飲みましたけども、半年後に副作用が出ました。で、その副作用っていうのが、口の中が口内炎になって、体がすごいだるくなる、虚脱感みたいなそういうふうな体になって、なおかつ風邪の症状がずっと続いたんです。で、熱も上がって、で、最初は風邪の症状だと勝手に思い込んだので、普通の町医者に行って、風邪の薬を処方してもらってました。で、それが一カ月続いたんですけども、なかなか治らない。で、次の受診日の時に主治医に相談したところ「君、それはペンタサの副作用だ、すぐ中止します。」で、元のサラゾピリンに戻ったところ、口内炎がなくなり、取りあえず一安心と。

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 はい。えーと、その発症時はコンビニに勤めてました。で、深夜勤務をやってたんですけども、あの、その当時、結構生活が荒れてまして、で、下痢をするようになりました。で、何かおかしいなと、トイレにも頻繁に通うようになって、その回数が10回、20回と増えていったんです。で、それでおかしいなと思って、あの、病院に行こうということになりました。で、その前に、あの、お尻にできものができました。で、親指大ぐらいの大きさで、で、立っていてもつらい、座るなんてもってのほかで、これはおかしいと。で、仕事終わってからすぐに病院に行ったところ、すぐこれは手術しなくちゃいけないと、痔瘻ですと言われて、その日の昼、緊急手術で、痔瘻の手術になりました。で、一週間ぐらいたってから先生に、「もしかしたら、潰瘍性大腸炎という病気のおそれがある」と、「カメラを入れて検査させてください」と言われて、えー、一週間目にカメラを入れたところ、すぐに、「あ、これは潰瘍性大腸炎です」と。

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診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 自分が患者会に、最初に求めたのは、えー、転勤に伴ってどこの病院に行ったらいいのか、誰に診てもらったらいいのかを知りたいということでした。それと、自分がこんなにつらい、ま、あまり回り道はしなかったと思ってますが、最初の病院の出会いは、やっぱり回り道だと思っていて、そういう回り道は、なるべく、あの、人にはさせたくない。なので、聞いてくる人がいたら答えてあげたい、それから知らない人には伝えてあげたい、そういう思いで、自分の知ってる経験や体験が、人に役に立つんならという思いで、この間、患者会に接してきているかなと思っています。なので、えー、いろんな人がいて、確かに調子がいい方もいる、で、手助けが要らない方は、あの、不必要と思うけれども、その方の経験が、今悩んでいる人やこれから悩むかもしれない人に、役に立つ部分があるんだなということを知っていただければと、そういう意味で患者会があるんだということを多くの人に知ってもらえればと思います。

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 うんと、自分が、まあ、遊んでて病気になったというよりも、職場の中では、ま、課題を持って、あ、異動してくれと。で、単身赴任、ま、当時はしかも新婚ホヤホヤというときでしたけども、そういう中で行かせた人間が、ま、病気になったっていうのを、職場の方、特に上司のところで、ま、あの、仕事上の発病とは言わないけども、そういう気持ちで受け止めてくれていたのは、プラスの材料でした。
 で、単身赴任から戻ってきたときにも、やはり、新規の事業に対する職場だったんですけれども、ま、ちょうどそれが、軌道に乗って、一年ほどたった後の入院ということで、ま、切りも付いたということだったんですけれども、そこで職場の配置替えがありました。で、外勤がメーンの仕事だったのを、経理という自分にとってみれば、まったく未知の分野に、え、肩書きだけは、その、当時課長でしたけども、そういう肩書きを背負っていくということで、この時は、配慮もうれしかったけれども、何も知らないのに短期間で、仕事を集中し、吸収しなければいけないということで、つらい部分とうれしかった部分とありました。で、経理に異動した後に、ま、座り机でしたから、えー、そこで、あの、エレンタールを日中飲みながら、仕事をするということでいくと、飲んでないと周りの女性が、あの、どうして今日飲まないんだという、チェック係りもしてくれたりして、あの、みんなの中では、あの、非常に助けられたなというふうにも思います。ただその経理の職場にいるときにも、2~3回悪化して、入院ということもしてしまったので、ま、そういう病気なのかなっていう、病気に対して、自分が受け止めなきゃいけない部分と、職場との関係では、あの、首にならないくらい、あの、ある程度専門性、なくてはならない人間という役割を果たすのと、入院してもなるべく早期に戻る、少なくとも、え、決算期を迎える前には、彼はいなきゃいけないということだけは、心掛けていたと思います。

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Q:はい。それからもう一つですね、ちょっと話しにくいタイトルなんですけれども、その病気、潰瘍性大腸炎がですね、その、夫婦の、性生活に何か大きな影響っていうのは与えましたか。
 うーん、あの、与えてないと思います。あの、結局、体調がいいか悪いか、お腹が痛いときにその気にならないのと同じで、あの、特段ないですね、病人に対して無理をしないという話ですから。
Q:その調子がいいときには、特に普通の人と変わりないということなんでしょうか。
 そうですね。あの、結果的に、自分は2人目の子どもは発病後ですから、子どもは2人、ま、3人目もできればいいかなと思ってて、いたんですけれども、なので、あの、薬のせいで子どもができにくい時があるということは、先生にも言われてたんですけれども、男性の場合は、そこは調子合わせればいいでしょうし、女性の場合は、あの、逆に、あの、妊娠期間が長いので、その期間を含めて体調維持ができる時を選べばいい、そういう意味じゃ、パートナーに理解をきちんとしていただくということが、大事だとは思いますが、あの、そのことで、無理になるとか、いうことはないと思います。自分の場合はなかったと思います。

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診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 はい。家族にはとても感謝しています。特に、まあ、あの、かみさんとそれから子どもが産まれた後に、かみさんも働いていたんです、いたので、かみさんのお母さんが、仕事辞めて、それで同居してくれて、子どもの面倒も見てくれていたんですね。なので、あの、ま、病気であること以前に、われわれ夫婦を支えるために、ま、義理の母が非常に、その、仕事を辞めてまで、あの、われわれと生活を一緒にしてくれて、子どもの子育ての、かなりの部分を担ってくれたということが、一番大きいなと思っています。
 えー、あともう一つ感謝するとしたら、あの、特にうちのかみさんは、根掘り葉掘り病気の状況とかどうなのということを、ま、聞かないで、ある意味、こう突き放したような状態で、接してくれているということも、気苦労がないという意味では、感謝しています。ま、なので、今はこれだけ全国の同じ患者の人や患者会で知り合った人が、一緒に会えるような機会があるときには、え、かみさんも誘って、こんな人たちと自分は今友達になってるんだよと、病気になって知り合うことができたんだよということは、なるべく機会を設けたいなというふうに思っています。
 子どもとの関係では、子どもが育っていく過程の時に、3カ月とかっていう単位で抜けたりするわけですから、ま、寂しい思いをさせたなという、あの、思いはありますし。6回目の入院の時は、上の子どもが大学進学、下の子どもが高校進学の、え、時に重なりましたので、進路相談どうするかということは、病院に来てもらってしゃべった記憶があります。そういう意味じゃ、何らか、ま、子どもにも、あの、一緒に、接する機会が、大切なときに欠けてしまったかなという分は、ま、申し訳なかったなと思っています。

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診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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Q:手術という方法が、ま、あの、あると思うんですが、選択肢があると思うんですが、それについて検討されたことっていうのはありますか。
 あ、あります。あの、何回目かの入院の時に、何回目かな、やはり基準薬と呼ばれるものや、基準治療、当時の基準治療と言われたものではなかなかうまくいかなくて、当時の新しい治療法、確かGCAPという、血球除去療法をやったときに、これが駄目だったら手術かもしれないということを自分でも思って、内科から外科へ紹介状を書いてもらって、手術になったらどういう処置になるのか、自分の場合について教えてほしいというふうに、聞きにいったことがあります。その時には外科の先生は、本気で手術する気がないんなら、来ないでほしいみたいな冗談も言われたんですけれども一応聞けました。
 それから、患者会を通じて、先生方の医療講演会を何回か企画したときに、外科の先生の講演をお願いしたとき、ま、その先生は非常にいい先生だと、手術の腕も確かだし、ということが分かったので、ま、自分の中では手術を受けるときには、この先生の病院に行こうということを決めて、ま、そのことはその先生にも伝えていました。ですから、今でも一応、ま、先生はキープできてるかなというふうに思っていますが、今の段階でいくと、えー、直近、昨年の入院の時に、今でいう生物製剤を使い始めたんですけども、確率6割それで良くならなかったら手術だねというふうに、言われたこともありますので、手術というのはどこかに意識していました。あの、手術も治療法の一つだと、昔は手術は最後の手段だと言われていて、今は選択肢の一つだと、手術をして再発の恐怖とか、ま、ある重たい治療、負担感のある治療をやっているときには、手術した方がこれから逃れられるんだろうということは、分かっていますけれども、今で行くと、じゃ、あの、今一定期間入院して手術をする、そのてんびんをかけたときに、まだ、あの、てんびんかけるほど手術を早急にやろうということでもないなということですね。

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Q:その薬以外の治療法っていうのは、何かされたことはありますか。
 うーん、あの、医師から説明された治療っていうのは、ま、基本が薬を飲みましょう、それから、食事の取り方ですね。わたしの通っていた病院は、あの、やっぱり食事、特に脂肪の摂取量が、あの、病気を悪化させる、まあ、要するに腸が脂肪を、えー、吸収しようとするために活動が大きくなるので、ここを抑えることが大事だという、栄養科と内科が、バランスが取れた考え方をしていました。なので、栄養士の指導を受けて、食事療法という形で、食事について、潰瘍性大腸炎では、あまり脂肪物、あの、刺激物を避ける、え、脂肪についても、30グラムまでとどめるというような勉強会を、何度かやっていただいて、家族もそれを聞いて、で、食事については注意するようなことがありました。
Q:あと、あの血球除去療法とかそういうのは、されたことありませんか。
 はい、あります。わたしの場合は、血球除去療法の中のGCAPというものでしたけれども、これは5回目ぐらいの入院の時に、一通り経験しましたし、7回目の直近の入院の時にも、わらにもすがる思いで、それもやりました。血管がちょっと出にくいというのと、体の中を、一回血を抜いて、また元に戻すというときに、戻ってくる血液が冷たいと、体が、非常におこりが起こったような震えが起こったりして、一度は、中止をしてもらったというようなこともあります。

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Q:何回も入院されたということなんですけれども、その間のですね、その、内科治療をずっと続けてこられたということですけれども、その内科治療の、ま、どんな薬を飲んだとかあるいは、どういう治療をされてこられたとか、その辺のところちょっとお話しいただけますか。
 はい。最初は基本ステロイドでした。ステロイドの、大量投与で、まず寛解状態に持っていっていただいた。その後は、当時はサラゾピリンだったと思います、サラゾピリンを処方されて飲んでいました。ステロイドはその時で切れてると思います。ただ、あの、甘く見ていた部分もあって、かなり薬はサボっていました。で、定期的にもらいに行く分で、だいぶ余っていったという記憶はあります。
 サラゾピリンの後に、ペンタサが出てきたときにペンタサに切り替えた。だから通院してるときは基本ペンタサでやっていました。何回目かの入院の時に入院期間が3カ月以上になって、絶食状態だったんですけれども、職場に復職しないと仕事のバランスが取れないということがあって、絶食状態のまま退院したことがあります。ま、その時にエレンタールを処方してもらって、えー、エレンタールのみですね、食事は食べずにエレンタール1日8包、で、経鼻でそのうち5包落とすと、という生活を3カ月ぐらいしました。その後、経鼻はなくなったんですけれども、基本はエレンタールを飲むと、朝食事で夜軽い食事、で、エレンタールを3包ないし4包飲むっていう生活を、年の単位で続けていました。
Q:あの、経鼻というのは、鼻から管を入れるということですか。
 そうですね。あの、鼻から管を入れて、モーターで機械的に送ってもらうということです。あの、とても寒い所なので、あの、夜落としていると、朝方、その鼻から通っていく管の冷たさで、何度も目が覚めてしまったり、結構それは、寝不足になったなという記憶があります。

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Q:はい、ほかにはどんな治療をされました。
 えーと、ペンタサでなかなか落ち着かない、自分としては直腸から始まっていくというタイプで、いきなり下血から始まると、ということでしたけれども。だんだん、まあ、下腹部の腹痛が最初に起こるとかいう予兆も、自分なりに感じることができてきたので、先生にお願いして、ペンタサの注腸が出たときには使い始めました。その前にも、あの、座薬、ステロイド系の座薬も使いましたし、それから、えー、注腸剤も使いました。ただ、ステロイドは途中から、目に影響が出ました。入院中にどうも本が読めなくなって、眼鏡屋さんに行ったら、視力が出づらいねということで、眼科を受診したところ、視野狭窄(きょうさく)が出てますと、という形で判明して、緑内障という形が、出てきてます。なので、その時点からステロイド系の薬はやめようということで、最初にはステロイド性緑内障、ま、その後には低眼圧緑内障というふうにも言われましたけども、これは今に至って左目がほとんど見えないということと、そのために手帳が交付されてると、という状態です。

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 パルス療法は、ステロイドを、例えば、100ミリグラムとか500ミリグラムという単位を点滴で、短時間に体に入れると、それを3日間続けるというものでした。通常、飲んでるときは、数十ミリグラムとか数ミリグラムという単位で飲むものを、え、その、10倍、100倍という単位で一気に落として、それで症状を一気に抑えると、という目的というふうに聞いていました。
Q:それは、効果はあったんでしょうか。
 えー、ありませんでした。後で判明したんですけれども、調子が悪くなったときには、中等症と呼ばれるいわゆる中症、うんと、重症度で行くと真ん中のレベルだったので、えー、アサコールの増量試験の治験を受けていたんですね。で、その治験薬を、ま、増量、通常よりも多く飲んでいて、でも症状はどんどん悪くなっていったという状況でした。結果的にこれは、その増量した薬に対するアレルギーが、自分に起こっていたということが分かったので、えー、いくら強力なあの、ステロイドのパルス療法というものやったとしても、原因が薬だったので、意味がなかったんだろうなということです。ま、自分にとってみれば、ステロイドを使うと、視野がもっと狭くなるんではないかと、失明するんじゃないかという危険性もあったので、今から思うとやりたくなかった治療法でした。

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 最初の入院の時には、一月半ぐらいで復職できたという状況です。ま、その後は、ま、単身赴任だという、仕事先での発病ということで、会社の方も結構大事に見てくれて、初めの休職扱いということで、通常4年の単身赴任ルールだったんですけれども、2年で職場移してもらえたということです。で、その後は、職場の中での配慮を頂きながら、通院をしながらということでしたけども、
 ま、自分自身は、たぶん初回発作型だろうと勝手に思い込んでいた。なので、精神的には2度目の発病ってのか、再発があったときは、非常にショックでした。ショックってのは、たぶんその時が、ほんとに自分を病気として自覚したんだろうなと、受け入れなきゃいけないんだろうなというようなことが一つ。
 それから、最近ですけれども、7回目の入院を、昨年したときに、この病気の基本薬である、ペンタサと、最近出たアサコールという両方の薬に対して、薬のアレルギーを発症して、いわゆる基本基準薬を取り上げられたとき、この時も同じようなショックで、自分はもう手術するしかないのかなと、薬がほんとにもう当たらないってのは、こんなに不安な状態なのかということで、も、この時はやっぱり最初の病気を自覚したときと同じようなショックを受けてます。

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 最初の病院の主治医と、2回目の病院では主治医が2回替わりました。それは、あの、主治医の退職に伴って替わったっていうことですけれども。お医者さんと意見が合わないということは特になかったです。ただ、今の主治医に替わるときに、その前の主治医は、基本的にステロイドなるべく使わないという、主治医の方針でもあったし、病院の方針でもありました。ところが、3人目の主治医になったときに、ステロイドは、あの、積極的には使わないが、必要なときには使うというスタイルの方だったので、当時まだ目の発症はしていなかったものの、患者会の中でも、ステロイドが基本薬っていうふうなことはないだろうという話題があったので、その主治医と、ま、治療方針に関しては、いろいろやり取りはしました。そういう意味では、やり取りを、あの、できる関係の主治医だったというのは、非常に良かったなと思います。
 それと最初の病院では、外科に入院してしまったということもあるんですが、潰瘍性大腸炎に対する治療法が、その程度だったと。ところが、移った病院では、まず入院すると絶食という処置がある。それから、IVHという、点滴を24時間、栄養剤を、血管に入れるという治療法もある。そして退院の前には、え、食事に関する指導がある。で、何より、同病の患者がいると。そういう、方針の下に患者も来て、運営されてる、この病気はこうやって、治療するんだという病院に対するそもそもの信頼感も、あの、持てたのかなというふうに思います

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 私の場合は、えー、いろんな症状が順番に起こるというよりも、CRPにも、え、CRPってのは血液検査の結果ですね、血液検査で行ってもほとんど予兆は取れずにいきなり出血すると、ま、出血の何日かに一回、ティッシュに付くと、という形のところからもう便器で分かる程度までこう一気に進んだりするので。あの、ま、最初は血が付いて、数日食事を控えるとかやったんですけれども、それがほとんど、もう痛みを伴って、これはもう家族にも職場にも言わないといけないなという形になって、入院という形でした。なので、ま、その時は、協力してくれた家族や職場のメンバーへの申し訳なさ、それから、ま、自分はこれで、ほんとに仕事を辞めなきゃいけないんではないかとか、いろんなことを、あの、考えました。入院してどれくらいの、治療になるのかっていうこともよく分からなかったので、入院した当初は、まあ、これで入院して直っていくんだろうという、ホッとした気持ちと、この後どういうが治療をされるのかなという不安感と、も、最初は両方強くありました。
Q:で、その後、その、再発したということはですね、その後また何度も再発するんではないかというような、そういう心配っていうのは、その時はありましたか。
 はい、あの、病気の深刻さですね。あの、当時もうその患者会に入っていて、患者会の集いの中で、いろんな経験をした人の話も聞いていました。で、その当時に、非常に、あの、当時の基準薬であるステロイドでも、なかなか症状が落ち着かずに、仕事を退職しているような人もいましたし、ま、どっちかというと当時の患者会、約20年前の患者会に来る人たちというのは、苦労人が多かった。自分はそうじゃないと、初回発作型という一回だけで終わるタイプだと信じてましたから、あ、自分もたぶんあの人たちと同じような苦労をするのかなということで。えー、患者会の中で聞いてああいうふうになるのかという気持ちと、でも、ああいう人たちでも、仕事してる人もいるっていう、まあ、明るさと暗さ両方知ってしまったが故に気持ちとしては、もう非常に不安定になったなと思っています。

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 最初は、あの、外科の病棟でしたし、えー、何だか分からないから、じゃ、腸内を調べようということで、大腸カメラをやったんですが、そこの病院でも初めて使う機械、初めてやる先生ということで、先生方も装置の慣れてないし。で、今から思うと不思議なんですけれども、安定剤も打たれないし、前処置だけだったので、ま、非常にお腹が痛い中、さらに、機械に不慣れな方が、約1時間ぐらい、こちらも脂汗流しながら、のどが渇いて、唇が乾ききって、で、のどが渇いてるって、それを訴えるんだけども、看護師さんは、患者の方に注意しないで、も、機械の方ばっかり注意していたというような状況で、まあ、散々な状態でした。
 で、入院して約1週間、2週間ぐらいは症状がどんどん悪化するばかりで、ま、途中で、部屋のすぐと廊下挟んで向かいにあるトイレの中で、貧血で動けなくなってうずくまってるところを、しばらくしてから、患者さんに見つけてもらって、部屋まで運んでもらったというようなこともありました。ま、それから後に、主治医に呼ばれて、たぶん潰瘍性大腸炎だろうというふうに告げられて、先生もその時には、わたしも初めてですと、まあ、ただ、ステロイド使ってやりましょうというふうに言われたとこですね。

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診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。

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 仕事を辞めて、まぁ、たまにアルバイトをしながらとかだったんですが、うちの母が、割ともうあっけらかんとしたタイプの人だったので、それに引きずられる感じで。で、まぁ、それでもやっぱり、仕事はやっぱりしたいっていう気持ちがあったのでバイトとかをしてたんですけれども、そのたびにやっぱり悪くなって入院したりすることがあったので、もう周りからも、もうとにかく何もしないで、お食事もきちんと当時の低残渣食、食べて、家でじっとしてればいいんじゃないかと言われ、1年ぐらいそうしてみたんですが、
 やっぱりそれでも再燃してしまったので、それなら楽しく好きなことをやって過ごして、悪くなるならまだしも、何もせずにこんなに良い子にしてるのに悪くなるのだったら、それは人生楽しくないなということに思いまして。もうそれからは特に気にすることもなく、好きな時に好きなことをしようと、割と吹っ切れて過ごしていました。なので、特にそんな悲観してっていうこともなく、あの、思い悩んでっていうこともなく過ごせていたのは、(笑)まぁ、自分では、まぁ、良かったのかなっていう風に思っています。

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診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。

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Q:では、あの、えーと、手術後にご結婚されたっていうことで、パートナーの方とは、その病気だったり体調とかに関する、こう、あの、お互いの、こう、やり取りとかは、どんなことをお話されたりとかされますか。
 特に私のほうが調子が悪いとかってそんなに言うこともなく。(笑)で、まぁ、夫も潰瘍性大腸炎の患者なので、で、まぁ、その気持ちもわかるんで。ただ、私とはちょっとタイプが違うところがあるので、同じ病気でありながら、え?って思うこともありますけど。そこは、まぁ、何とかコミュニケーション取ってるのかどうなのかわかりませんけど、(笑)感覚でうまい具合にいってるのかなっていう。

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Q:あのー、その1回目の手術をしたあとに腹膜炎を起こして、また緊急手術をして、また人工肛門にしたということなんですけども、その腹膜炎を起こしたあとっていうのはどんな感じだったんですかね。
 えーと、まぁ、そうなったのは、あの、人工肛門を閉じてお腹に戻す時に、どうも穴が開いてしまった…腸に、腸管に穴が開いてしまっていたらしく、で、普通に内科の治療した時も、腹痛とかまったくなかったんですが、その時は、本当にベッドの上で動けなくって、初めて痛み止めを打ってもらうぐらいな痛みがありまして。で、もう肺にも水が溜まっていたので、背中から肺から…背中から注射器で水を抜くような治療をするぐらいだったんですが。本当に大変でしたけど、(笑)もうとにかくがんばろうという気持ちだけです。

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Q:その(腹膜炎の)手術をして、その、まぁ、お腹の中を綺麗にして、その後は、もう、あの、すぐに良くなったっていうことですか。
 あ、そうですね。だから、その人工肛門を作…2回目にまた人工肛門に戻してからは、脱水症状が本当にひどかったので、それはちょっと苦労しました。本当に、家の階段も上がれないぐらい体力が落ちたんですけれども。あの、そうですね。一番ひどかったのはそこの時点です。
Q:それは、どれぐらいの期間続いたんですか。
 えーと、3月に初めの手術をして、4月の終わりに人工肛門を通す手術をした時に腹膜炎になったんですけど。で、再度、人工肛門してから、次の手術までは、じゃ、3ヶ月ぐらい置こうということだったので、5月から8月ぐらいまで、そういうちょっと脱水がひどい状態でした。
 自分でも、なるべく脱水にならないように気を付けて水分を摂るようにはしてるんですが、特に、それで、あの、退院して、本当に、全部手術が終わって退院してからは、そういうひどい脱水を起こすこともなく、あの、Jポーチ、まぁ、ポーチを作ってるんですが、そこの炎症を起こすこともなく、順調に今まで推移してきてるかなっていう風に思います。

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 大腸がないので、あの、トイレに行く回数、便をする回数っていうのは普通の人とは違う。で、私は、本当に内科治療してる時も、寛解期ではトイレって日々1回ぐらいしか行かない。本当にゼロか100かの状態だったので、それに比べると、もちろんトイレに行く回数は多くて、初め、術後は、やっぱり10回ぐらいトイレに通う感じだったんですけども、もう、あの、大腸がある時と違って、水溶便ではあるんですがお腹が痛いとかっていうこともなく、まぁ、我慢もしようと思えば少しはできるっていう状況から。で、初め、入院してる当初は、やっぱり何度もトイレに通うんですが、私は、割と、退院直後ぐらいからもう日に6回ぐらい通うぐらいになったので、まぁ、女性ということもあって、普通にトイレに行く時に、一応、便のほうも出しておけばだいじょうぶかなというぐらい。で、今でも、そんなに回数は減っていないんですけど、特に不便を感じることもなく。あの、本当に退院直後から、あの、便が漏れて困るということも全然なく、痛みとかも出ることがなかったので、まぁ、うまい具合にコントロールできてるかなっていう感じです。
 で、また、便の状況は、まぁ、毎日、あの、大腸がないからといって水溶便なわけではなくて、軟便な時もあるし、やっぱりちょっと脂っこいもの食べると、あの、本当に水溶便になってしまうこともありますけど、それでもトイレを我慢できないっていうこともないので、そんなに漏れとかも心配したこともないですね。ですから、旅行とかにも普通に行きますし、海外でも、行っても特に困ることもなく。まぁ、何でも食べれるという(笑)何を食べてもだいじょうぶというところが一番メリットだったかなっていう風に思っています。

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 家族は、もう、全て病気の治療に関して私に任せてくれていたので、特に反対することもなく、自分がそれがいいと、それでいいと納得してるんだったら、あの、やればいいじゃないかという風に言ってくれました。で、内科の先生は、やはりさっきも言ったように、もっと内科でがんばれる筈なんじゃないかっていう風には言われたんですが、まぁ、私が、もう、手術するっていう意志が固かったので、最終的には、じゃ、しょうがないねということで納得してくれたという形です。
Q:そうすると、あの、まぁ、非常に手術のあと、あの、調子が良いということで、あのー、手術して良かったという風に考えておられますか。
 はい。そうですね。あの、今、とても調子が良いので、特に手術をして良かったとは思うんですけども、例えば、あの、人工肛門が、永久的に人工肛門になったとしても、私は、まぁ、後悔はしていなかったと思うし、病気の時よりも格段、生活の質は上がっていると思うので、私は間違ってなかったと思います。
Q:そうすると、あの、まぁ、結果論ですけれども、もっと早くやれば良かったとかいうお気持ちはありますか。
 早くやれば良かったとは思わないですかね。やっぱり、あの、自分も、なるべくだったら、なくていい臓器はないと思うので。まぁ、なるべくしてちょうど良か…ちょうどやっぱり時期がちょうどそういう時だったんだろうなっていうのがあるので、誰も、あの、すごい早くやっとけば良かったという考えはないです。

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 なかなか効かないので、当時考えられる治療を全てしましょうということで、初めてパルス療法、ステロイドのパルス療法をやってみても良くならない。で、そんな治療をしているのに、トイレで気絶するほどの大量下血をしたりとかしてたので。でも、そろそろ手術かなと思いながらも、で、先生が、まだ、じゃ、大腸の動脈に直接ステロイドを入れましょう。で、太もも、足の付け根の動脈から大腸までカテーテル入れて、で、そこでステロイドを入れるっていうのを、こう、動脈を使ってるんで動いてはいけない。で、あの、血管造影をしながらなので、寒いそういうレントゲン室に3時間ぐらい放置される(笑)治療をしていて。もうそれが辛くてしょうがなくて、もしこれで良くなっても、次回また悪くなったら同じことを繰り返すのかっていうことを経験して、もうそれなら切ってしまおうというとこで外科手術を決断しました。
 で、その手術が決まったら、それまで何をやっても良くならなかった調子があっというまに良くなり、もう普通便も出、下血も止まったので、(笑)ちょっとこれは切らなくてもいいかな。手術キャンセルしようかなと思ったんですが、やっぱりその時の内科治療のしんどさを考えると、もう同じことは本当に繰り返したくないので、もうその場で手術は決めました。

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 入退院を繰り返していた時に、白血球除去療法が出始めた頃で、まだ保険適用ではなかったんですが、先生が割と新しいもの好きな先生だったりしたので、保険効かないけどやってみましょうということで、えーと、遠心分離の方法の白血球除去療法で、週に1回とか2回とか。で、それで、その時には、割とその治療が効いて、再燃してもまたそれを外来でやってもらえば復活するのを2回か3回繰り返していました。で、最後、内科に入院した時は秋口だったんですが、まぁ、自分ではそんなに大したことないと思っていたんですけど、入院して。で、先生もそんなにひどくないと思っていたので、ご飯食べる?絶食する?って聞かれて、いや、食べれるんなら食べますと言って。で、もちろん、えーと、ステロイドは静脈からずっと入れてたんですけど、その時、何かもうステロイドが効かない感じで。で、同じように白血球除去療法も繰り返したんですけど、良くならず。で、これはもうステロイドが効かなくなっているねということで、免疫抑制剤の24時間静注の治療に変わりました。
 で、それで、ちょっと良く…まぁ、あの、ステロイドすぐに切れないので併用してる期間がありながら、で、だいぶ良くなってきたから、じゃ、免疫調整剤も経口に変えようってなった時に、経口剤にするとすごい体調が悪くなり…頭痛がしたりとか吐き気があったり、で、また下血をするようになる。で、ちょっと経口への変更はうまくいかなくて、また点滴に戻り、で、そこから絶食。もう入院してから2ヶ月経ったあたりから絶食を強いられて、なかなか退院もできず良くもならない。

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 先生に説明を受けて、難病指定を受けている病気なのでと言われたんですが、うちの母も特定疾患の病気を持っていたので、まぁ、親子で同じなのかっていうので、あんまりそんなショックはなかったです。で、もちろん、絶飲食は続ける。で、IVH中心静脈栄養を入れて、ステロイドをそこから。あの、わかった時点で、全大腸型の重症だったので、もう絶食から始めて、ステロイドも、その当時、1日60ミリぐらい使う状態で。で、何度かそのIVHを入れてるところも炎症を起こして、何度も入れ替えたりとかしながら。で、初めての入院で3ヶ月ぐらい入院の経験しました。で、絶食期間は1ヶ月半。2ヶ月弱ぐらい。で、やっぱり、あの、そんなに潰瘍性大腸炎と言われて難病と言われてもショックではなかったんですが、同じ病室の人が次々退院していく中、なかなか退院できないことがストレスで、もう帰らせてくれと思うことはあったんですけれども。まぁ、割と、…同室の患者さんとかが良い人で、楽しい入院生活を送る(笑)感じでした。当時、病院に同じ病気の人も何人かいらっしゃったので、割とそういうところはあまり人見知りしないタイプなので、そこでお友だちになったりして。割と快適な入院生活を送りました。

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 調子が悪くなり始めたのは平成6年の12月ぐらいに当時働いていた会社の忘年会で焼き肉を食べたあとに下痢をするようになって、あれ食べすぎたかなあくらいの感じだったんですが、その年の年末に風邪もあって、また下痢をするようになって、近所の内科に通って点滴をしてもらったり、下痢止めの薬をもらって飲んでたんですが、風邪の症状はなくなったんですが、下痢だけが止まらなかった。ずっとそこの個人病院に通っていたんですが、そこで色々下痢が止まらないので薬を変えてもらうんですが、ストレスかな、とか言われながらなかなか効かず、だんだん「出血してるよねこれ」っていうのが段々自分でもわかるようになってきて、先生にそれを言っても、下痢でも痔になったりすると出血をするからと言われ、痔の薬をもらった。でも、どうも痔ではないと自分で思いながらも、先生がそう言われるからというのでそのまま下剤(下痢止め)を飲む日々を続けてた。
 どうもおかしいのでレントゲンを撮ろうということになって。そうすると、やっぱり腸の辺りに何かある。で、そのまま地域の総合病院に紹介状出されて、その足で病院…総合病院に行くと、すぐ絶飲食で入院ですと言われたところから始まりまして。で、その当時、紹介されたのが外科だったんですが、翌日、内科のほうに回されて、主治医の先生と顔を合わせるよりも大腸カメラをするのが1番だったというところで、もう何もわかないまんまに絶食で点滴を打たれ、CTと大腸カメラとかっていう、今まで何も病気をしたことがなかったので、いきなりのそんな重い病気のフルコースで、びっくりした感じから始まって、その大腸カメラで潰瘍性大腸炎ですと診断されました。

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中国地方在住。長年にわたり内科治療を受けながら会社の仕事も続けている。ステロイドの副作用もでているが、まだ手術までには至っていない。患者会の仕事も精力的に行っている。家族構成は妻と二人暮らし。

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 平成11年の9月頃だったと思いますけど、あの、広島市の主催で、潰瘍性大腸炎の講演会というのがありまして。あのー、ちょうど休日だったんでですね、その講演会に、ちょっと、私、参加しましたところ、そこで私が、潰瘍性大腸炎の患者会作ってみませんか?という提案をその場でさせていただきました。えーと、そしたら、ちょうど、渡りに船だったんでしょうね。あのー、その講演会を主催をされていた、あの、広島市の担当者の方が、実はこれを待っていたんだよということを言われまして。まぁ、その方と一緒に、患者会の、いわゆる、準備というんですか…いうのを始めて、翌年、平成12年の3月になりますけど、あの、広島県の潰瘍性大腸炎、「すこぶる快腸倶楽部」というのを結成いたしまして。
 それで、結構、いわゆる、フェイストゥフェイスの活動。あの、患者同士…まぁ、当時ですね、あの、もうインターネットというのはかなり普及しておりましたんで、必要な情報というのはインターネットのほうで、まぁ、取れるんですけど、やはり、あの、どう言うんですか、あの、嘘…嘘と言うんですかね。ちょっと、正しくない情報というのもやはりある中で、あのー、どう言うんでしょう。悪徳商売と言うんですかね。あの、人の弱みにつけ込んで、全く効果のないものを売りつける。そういったものも結構ありましたんで、それを、まぁ、防ぐのは、やはり、あの、患者同士が、きちんと顔と顔を付き合わせて話をしていく。これがやはり原点だと、患者会の、まぁ、原点だと、今でも、まぁ、思っているんですけど。そういった活動を、ずっと、まぁ、心がけていくのが一つと、
 あとは、あの、やはり、病気のことをきちんと理解しないといけないということで、あの、お医者さんによります講演会。これは、まぁ、内科の話もあるでしょうし、外科の話もあると思う。そういったものを持ったりとか、あとは食生活。管理栄養士さんに来ていただいて話をしていただく。そんな活動をずっと、えーと、今現在まで続けているところです。

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 この病気になった以降というのは、やはり、あの、職場の理解というのがやはり必要なんですね。あの、ある日、突然いなくなるというパターン、入院するというパターンが結構あるんでですね。あのー、当然、それなりの責任を持って仕事をしているんですけど、とはいえ、サポート体制というのも取っていただいております。といって、職場に、どう言うんですかね。余剰人員がいるとか、そんなことは今の時代ですからあり得ない話なんですけど。あの、迷惑をかけているという事実は、否定できないと思っております。私が今、自身、今時点で思ってる、ずっと、心がけていることは、やはり、私は、あの、健康で…健康でというのは、あの、入院しない状態でずっと仕事を続けていくことが職場に対する恩返しなんだという風なことをやはり心がけております。
 ですから、あの、まぁ、今の上司に対しても、あの、当然、体調というのは逐次報告して。あの、逐次って、まぁ、悪くなった時ぐらいしか言わないんですけど、報告しながら、それで、当然勤務の配慮というのもしていただいたりとか。あと、通院の配慮、一応、うちの会社のほうでしていただいておりまして。あの、3、4週間に1回は、まぁ、病院、通院して1、2時間、2時間ぐらいですかね。ちょっと、あの、職場空けるんですけど、その分も勤務時間中に行かしていただいてる。

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 両親、親なんですけど、やはり、あの、病気になってですね、発症した以降は、3、4年ごとに、まぁ、入院してるということについては、やはり、心痛めてるというのはやっぱりあったと思います。ただ、あの、私自身は、辛い時期、入院してる時があってですね。あの、ちょっときつく接するというのがある…あったんですけど、あのー、やはり、親にも心配かけてるというのはある…今でもあります。まぁ、当然、親子の関係ですので、心配をされるし、子どものほうはちょっと鬱陶しいなというとこもあるんですけど。
 あと、まぁ、女房なんですけど、実は、女房も潰瘍性大腸炎の患者なんでですね、どちらかというと、病気に対する理解というんですか。それはもう、あの、素人に話すようなことではありませんので、素人に、病気を1から10まで話すという必要はありませんので、ちょっとお腹が痛い、下血したというと、大体、もうピンときて、ちょっと食事を、ちょっと、何ですか、消化の良いものにしようかとか。そういったような、もう、すぐ感覚的に理解する…できるんでですね、そういった苦労は特にありません。

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 いわゆる、あの、低残渣。低脂肪低残渣ですか。その辺が過度に徹底されていたというんですか。いわゆる、白いものばっかり。鶏肉のささみであったりとかですね、豆腐であったりとか、あの、ご飯。当然、肉系はあんまり良くないだとか。当然、お酒も大好きなんですけど、駄目ですよという風に言われたりなんかして。あの、かなり、当時を振り返ってみますと、こんな生活よくやってたなというぐらい徹底したような。ある程度、管理したようなですね、食生活をしていたような気がします。
 それで、そういった生活をして続けていく中でも、当然、まぁ、仕事をやっていかないといけない。それから、あと、あの、スポーツを私やっておりまして。あの、ゴルフとかテニス、ずっとやっておりましてですね。あの、まぁ、先生に聞いたんですけど、運動ってどうなんですか?って聞いたら、いや、それは問題ないよと。ただ、まぁ、下血してるような時、あの、体調が悪い時はやめてくださいねという風な言い方をされていたんで、あ、それならいいかということで、まぁ、テニスは、あの、毎週、土曜、日曜あたりですね。約半日ぐらいやったりとか。あと、ゴルフは、えー、職場の、付き合いで、月に1回、2、3ヶ月に1回でしょうかね。それぐらいやっておりました。

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 入院時時点で、あの、外科に送られるということはありませんでした。それで、まぁ、徐々に、あの、寛解になっていって、まぁ、普通の、通院生活してる時に、それで通院生活してると、やっぱり、主治医も、私が、あの、普通便でですね、1日1回の排便で、本当に、普通の暮らしと言うんですか。健常の人と同じ様な暮らしをしているというのは理解していただいてたんですけど、こういった状態だったら、ちょっと手術は勧めることができないよね、ということを、まぁ、私も言いますし、主治医も、うん、そうだよねという風に言っていただいておりましたんで、やはり寛解期に決断するのはなかなか難しいねと。
 当然、あの、手術の相対的適応というのは、一応、目安として、1万ミリまぁ、10グラムですか…というのは目安ではあるんですけど、それを超えているからというのは、あくまでも何かよっぽどのことがないとですね、あのー、難しいのかなと。それで、まぁ、絶対的適応であればですね、例えば、あの、毎年、大腸の検査を受けているんですけど、その時に、例えば、前ガン病変とかですね、そういったものが見つかれば、当然、全摘というのはもう待ったなしで決断できるんですけど。えーと、幸いにも、今現在ではですね、そういった異常というのも見つかっておりませんので、

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Q:あの、今、ステロイドのお話が出ましたけれども、累積でどれくらいとかっていうのはご自分で把握しておられますか。
 はい。あのですね、えー、約1万5千ミリグラムくらいですね。恐らく。ただ、あの、パルスのですね。パルス療法での、えーと、カウントをどうするかというのがちょっとあると思うんですけど。あのー、パルスを入れないで約1万5千ミリグラム程度だったと思います。実は、あの、最近ですね、あの、大腿骨頭壊死を発症して以降は、あの、やはりステロイドの影響ではないかなということで、ほかの骨頭への影響いうのがあってはいけないんで、ステロイドの治療というのは、もう、今、やめております。
 今現在は、当然、ペンタサに代わる、今、アサコールによる、まぁ、通常の、服用と内服とですね。あとは、ペンタサ注腸。お尻から入れるんですよね。これでやっているんですけど、状態が悪くなった時というのは、血球成分除去で、あの、凌いでおりまして。ステロイドを入れない治療というのを、なるべく、今、主治医と相談しながらやっている状態です。あとは、あの、寛解導入。寛解維持のために、一時期、あの、免疫調整剤、イムランだったんですけど、私。それを服用していた時期もありました。ただこれは、えーと、10数年前に、あの、足の手術、骨頭壊死の手術をする前のタイミングで、やはり、あの、免疫調整剤は、ちょっと、抵抗力の関係もよく問題視されるんで、その時点で、一応、服用をやめまして。今現在は全然飲んでない、服用していない状態になっております。

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 ちょっと整形外科を受診しましたところ、あの、大腿骨頭壊死という、あの、足の、いわゆる骨の病気ですね…になっているというのが一応わかりましてですね。まぁ、私の場合は、あの、両足、右…右、左とも大腿骨頭部のみなんですけど、あの、壊死が起こっておりまして。あの、特に右のほうがちょっとひどくてですね。あの、今から11年ぐらい前になるんですけど、平成12、3年頃ですかね。あのー、右足の手術をやっております。
 この大腿骨頭壊死の原因というのが、まぁ、これも、やはり、潰瘍性大腸炎と同じように、あの、難病に指定されている病気ですので、あの、原因がよくわからないという風に言われているんですけど。あの、その中でも、例えばお酒であるとか、薬、ステロイドによるものとか、あとはタバコとか、まぁ、色々言われているんですけど。まぁ、全部、私の場合、当てはまるんですけど、まぁ、恐らく、ステロイドの量というのもですね、あの、ずっと、まぁ、病歴が長いんで、かなりの量を入れてるんで、恐らくステロイドではないかなという風には思ってはいるんですけど。あ、まさか、あの、ね、あの、潰瘍性大腸炎という難病1個だけでも大変なのに、2つ目をもらうなんてちょっと思ってもみなくて。

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 2回目の入院ということになりまして。えー、2回目の入院の時に、そのぐらいでしたかね。入院したのが、たぶん、平成2、3年頃だったと思います。えー、サラゾピリンからペンタサの古いやつですかね。古いタイプの…に変わっていたような時期だったと思いますけど。まぁ、薬も、まぁ、変わったり。
 あと、やはり、治療の主体は、あの、ステロイドによる治療というのをやっぱり受けまして。その時、2回目の入院で初めてIVHし、ここの鎖骨のほうからですかね。ラインを取って絶食状態。それで、あの、24時間の点滴。当然、まぁ、ご飯は食べれない。あの、口から、えーと、入れれるのは、まぁ、水分のみということで。まぁ、かなり辛い治療ですか。入院生活。その時は2、3ヶ月だったと思います。入院期間。2ヶ月ぐらいだと思います。
 あの、まぁ、1ヶ月ぐらいが、えーと、いわゆる絶食期間。そのあと、半月ぐらいは、まぁ、徐々に食事をアップしていって、あと最後の1週間ぐらいを自宅療養して、まぁ、その後、職場復帰してると。そんな感じだったと思いますけど。あの、その時に初めて、この病気って、どう言うんですか。再燃と寛解を繰り返す病気だというのをやはり痛感しました。知識として、この病気って、難病指定されてまだ原因がよく分からない。治らない病気ですよという風に主治医のほうから説明を受けていたんですけど、あ、もしかしたら、これ、状態も良いんで治ったんじゃないかと、自分としては、まぁ、思っていたところもあるんですけど。やはり、ちょっとビールを飲んだという、まぁ、トリガーがそれだったんだと思うんですけど、そういった不摂生によってですね、悪くなるというのを、ちょっと、その時に経験しまして。あ、難しい病気なんだと。

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 もう病歴20数年です。24、5年になるんですけど、恐らく、まぁ、平均的に考えますと、まぁ、4,5年に1回は主治医が変わっている状態になっておりますんで、なかなか信頼関係というのは、まぁ、難しいところはあるんですけど。ただ、あの、共通して言えるのは、大学病院から来られた、いわゆる消化管の専門医、どちらかと言うと、IBDの専門医と言っていい方にずっと診ていただいております。それで、あの、当然、そういった、大学病院というのは、いわゆる厚生労働省の治療指針に基づいた、治療をやっていただける先生なんで、当然、信頼もしておりますし、
 あと、こちらの私の言うこともですね、聞いていただける。えーと、具体的にはですね、血液検査をしても、私なかなか出ないんです。いわゆる、CRPとかあとは白血球の量とか、まぁ、色んな項目で判断、病状を判断するんですけど、そのデーターが、いわゆる、あの、悪くなると、こう、数値が、こう、上がってくるわけなんですけど、それが上がった時にはもう遅いですね。遅いというのは、もうかなり悪い状態になっているんですけど。まぁ、その辺をずっと、説明をして、まぁ、自分は、自分の状態、今、良いんだ、悪いんだというか、きちんと自分のほうからきちんと説明して、また、それを、あの、主治医のほうがきちんと聞いていただい…聞いていただける。理解していただける。そういった、あの、関係というのは、ずっとこれまでの先生と構築してきておりますので。あの、極端に言っちゃいますと、あなたにはもう任せておいてもいいから、自分で薬の量をコントロールしてもいいよということころまで(笑)言っていただいてる先生も結構いらっしゃって。

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 1週間、2週間ぐらい個人病院で治療を続けました。しかし、病状は改善しないというところがありまして、あの、総合病院を。これは、あの、今現在でも行きつけ…行っている病院なんですけど、えーと、そこを受診いたしまして、症状を、説明したら、まぁ、速攻で、大腸の検査をやりましょうということを言われました。それで、あの、大腸の検査をしますと、その時は、左側(さそく)、左側だけ、結果的にはだったんですけど炎症がありまして、潰瘍性大腸炎という診断が付きました。
 その時点ですね。ですから、発症は、えーと、昭和63年の3月に発症いたしまして。まぁ、当然、その病名が確定して、全身状態を確認して、速攻で、あの、入院ということになりました。まぁ、発見は、1ヶ月、家で治療を続けていた…治療と言いますか、放置状態をしていたんですけど、えーと、約1ヶ月半ぐらいの入院で、確かその時は済んだと思います。治療といたしましては、その時は、恐らく、あの、ステロイドと、その当時ですからサラゾピリンですね。薬としては。その…それによる治療。あとは、食事は絶食したという記憶がありませんでしたので、あの、通常の点滴で、ある程度栄養分とか薬を入れながら、えーと、治療をしていたという風に記憶しております。

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昭和63年の3月に発症しております。私は。会社員しておりますんで、えー、人事異動というのが、あの、毎年2月、当社のほうでありまして。人間関係等で、色々、まぁ、悩むところがやっぱあったんです。そういったところは、どうも引き金になるのかなという風に自分としては思ってはいるんですけど。
まぁ、2月の異動で、まぁ、広島、本社のほうに着任して以降、えーと、1週間か2週間ぐらいから、やはり急激に何か症状が出てきまして。まぁ、当初は、下痢が主だったんですけど、そのうち下血等がですね、出てきまして、まぁ、どう言うんですか。痔ではないかとか、色々、まぁ、想定してですね。まぁ、大したことないだろうということで、1ヶ月ぐらい、ちょっとずっと放っておいた状態。その間も、当然、あの、下血は続いておりますし、体力がどんどん落ちていって、1ヶ月ぐらい経った頃には、もう、顔が本当、真っ白になるような感じでですね。