NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 私は潰瘍性大腸炎と診断されたときは、まずはその病名がどういう病気なのかまず分からなくて、で、母親、すぐ入院だったので、入院のベッドだったんですけども、母親はこちらに来て深刻な顔をして泣いてしまったので、何かひどい病気なのかなというふうに初め思っていたんですけども、母親が言うには一応国の指定の難病だということで、これからもしかしたらどこにも出かけられないし、旅行とかにも行けなくて、大変な生活が待ち受けているっていうふうに考えてたらしいんですけども、で、僕もそういうふうに聞いてそういう病気なんだというふうに思ったんですけども、一応その今現在では本当に調子が良いときは普通の人と同じような生活が送れるので、そういう面では難病にしては調子が良いときは、すごいその、幸運だったのかなというふうに思っているんですが、その当時はすごい大変な病気にかかってしまったのだというふうに思っています。

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 私がこの病気を発症したのは、今から10年前の19歳のときなんですが、そのときは浪人中のときでした。ある予備校に通っていたんですが、それで普通に生活していたんですけども、11月くらいから少しお腹がおかしいなと思うようになりまして、ちょっと下痢気味になったので、それぐらい受験のストレスかなと思って過ごしていたんですが、下痢がだんだんひどくなってそれで一日に4~5回ぐらい行くようになりまして、で、ある個人病院に行ったんですが、やっぱり受験のストレスと風邪であるというふうに言われまして、風邪薬と下痢止めの薬を処方していただきました。
 それで飲んで普通に生活していたんですけども、やはりお腹の調子が悪くなる一方で、一日10回とか行くようになりまして、そこでやっぱりもうおかしいということである大学病院、大きい病院のほうの先生にかかったんですけれども、やっぱり受験のストレスだということで強めの下痢止めの薬を処方していただいて、それを飲んでいたんですが、やっぱりどうしても良くならないということで、一日10回を超えて15回とか20回とか行くようになったのが、初めは11月だったんですけれども、12月の中旬ぐらいにはもうそれぐらいになってしまって、で、もうつらいのが寝れなくて、夜起きてしまって、どうしてもトイレに行って駆け込んでしまうことがありまして、やっぱりどうしてもおかしいということで、大腸の個人病院、大腸の専門の先生のところに行ったんですけど、受験のストレスですというふうに、過敏性腸症候群というふうに言われまして、大腸の内視鏡の検査はしなかったです。
 で、やっぱりもう、どうしてもおかしいということで12月、年末を超えて1月の初めにある下関の個人病院にかかったんですが、そのときにある先生に大腸の内視鏡をしてもらいまして、そこでもうすぐ、内視鏡をしたら腸が全部出血しているというふうに言われまして、最後までもう入らないというふうに言われまして、そこで臨床、肉眼的にはおそらくもう潰瘍(性)大腸炎で間違いないだろうというふうに言われました。

QS-3 プロフィール

診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 (医師に対する)不信感みたいなことはなかったですけど、ただ免疫抑制やって真菌症になったんですよ。爪になったときに真菌症の薬(イトラコナゾール)飲んでたんだけれどあれ一応保険って6カ月で終わるんです。だけどプレド二ゾロン使ってるから、免疫抑制だから多分1年飲まないと収まらないと言ったんです、それを切られた時は駄目だと思いました。結局1回切ってまた出て、トータル3年くらい飲んでたんだったかな。結局1年8カ月くらい飲んでやっと納まったんです。そこで切ってなければもっと早く納まったと思うんですね。
 もう一つは病院内によっても医者のやり取りがないんですよね。今のとこもそうなんですけど消化器と膠原内科通っているんですけど、そこのやり取りが全然ないんですよ。そこは病院システムの問題ですよね。本当だったら総合病院で、隣に(自分の)患者が掛かってたら、そこは医者同士でミーティングじゃないけど情報のやりとりで、こういうような人はこれだとかっていって、・・採血にいっても関節炎があるっていうのに叩くんですよね。だから思いっきり痛いっていって、関節炎もってるからっていっても何回でも叩くし、だから病院の意味なしてないですよね。
 で後は問題なのは、どっちが先かわからないけど、歯周炎起こすと免疫が抑制されると言われているし、免疫抑制剤を使うと歯周炎を起こすんですよ。だけど歯医者はそれを知らないんですよ。おれはだから歯周炎起こして歯根膿瘍で2本歯を抜いているんですよ。それでもしょうがないから自分で納得して医者に言って抗生剤もらって、一次しのぎをして抜歯の時期をずらしてっていうのもあるんですけどね。歯周炎って意外と知らないんじゃないですか。

QS-3 プロフィール

診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 知識が有ったから先生、こうして、ああしてとか、あとはお医者さんの方から、こういう薬があるから使ってみないかとか言って納得しながらやっているんで、で副作用が出た時もまあ、しょうがないだろうと言って、出ましたといって、しょうがないだろうくらいですね。べつに、だから不信感とかそういうのはないし、まあこっちも納得してるっていうこともあるので敢えて聞かないとか言わない所もありますけど、そんなに悪い関係ではなかったですね。病院もいくつか変わっているけど。
Q:変わって、先生が変わったことで困ったりとかはあまりなかったんですか。
 そうですね、先生が変わったから困ったということはなかったんですが、まあ、色々動いていくうちで一番問題だなと思うのはやっぱり都会ですね。関東とか東京だと病院がすぐそばにあって、それなりの医者がいて対応できるんですけれど、まあ大阪はちょっとわかんないですけれど、他の都市になると結構病院に通うっていうのは離れたところまで行かなければならないので、医療の地域間格差というのは大きいと思いますね。前の所は病院まで約1時間半ですか、往復で3時間ですよね。で、病院で治療したらやっぱり1日仕事になるので、そういう面での地域間格差、医療格差というのは大きいんじゃないかなと思いますね。

QS-3 プロフィール

診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 発症したころは丁度小動物臨床をやってたんですけれど面白いことに犬猫にもIBDがあるんですよ。丁度その頃は犬用の薬を、名前は忘れちゃったけど、処方してた時に、体調が悪いなと思って、まあもともと便は柔らかいたちなんでそんな気にはしてなかったんですけれど、20代後半から体力が落ちたのかなというふうに思ってたんですけれど、かなり下痢がひどくなったのと、あと、出血がわかったということで、こわかったのはその頃丁度ウォシュレットが出たのでウォシュレットを使っていると便状とか見ないんですね。ただ見なかったから最初わからなかったんですけど、まあ下痢だろうということで自分ですましていて、ただ体はだるいなっていうのがありましたね。で、うんーと、和式で自分の便状と出血の異常に気がついて病院に行ってくるって言ったのがきっかけですね。
 でまあその時は少し痩せてきたっていうのはあるんですが、じゃあ病院行くって決めて3日後にたしか病院行くことにしたけれど、その2日前からお腹が痛くなりましたね。それまでは痛みはなかったですね。その時出血もだんだん増えて来たというのもあります。で、病院に行ったときには潰瘍性大腸炎ってすぐ診断されたんですけど、でその時には全周性ですね。大腸は大きく分けて上行、横行、下行、S字から直腸になるんですけど、全周になってたというのだから重症のほうですよね。それまで気が付かなかったということもあるんですけど、病気がわかるまで時間が掛かったというのが有るんで、もうちょっと早く便を見て気づいていれば、もっと軽く済んだかもしれないかなと思っています。

QS-2 プロフィール

診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 10年近くはほとんど何もない感じで、特定疾患の申請だけをしていたと言う感じで年に1・2回病院に行くくらいだったんじゃないかなと。薬のほうも後半の方は全然飲んでいなかったんですけど、40代に入りまして、たまたまその時仕事を辞めることになり、辞めたんですよね。その時のストレスもあったのかもしれないですけども、4月に辞めてまた、2ヶ月位して自分でおなかを触ってみるとわかるんですよね、出来てるのがごろっとしたのがある。これはおかしいなと思って、妻に病院に行くから付いてきてくれということで、一緒に行って。
 ま、もちろん痛かったこともあるんですけども、自分の中ではたぶん入院だなと思いながら行ったら、その日にそのまま入院ということで入院して。入院中はもう絶食ということで、点滴だけになるんですけども、腰とかも痛かったので背中をボキボキとやっていたら、その時ブチッといっちゃたんですよね、内臓のほうで。で、あっ、中が切れたなというのがわかって、でま、その病院はもう最初に入院していた病院なんですけど、外科がたまたまその時はもうなくなっていたので、大きい病院のほうに転院するような手続きはとっていたので、そちらの方に転院することになって、でまたそのプチッといったと音がしたという話をして、最初は消化器内科の方にはいったのですが、内科の方の先生も即手術だろうと言うことで、一応外科と連携しながら検査とかをまたそちらの方で受け直しまして、入院してもうすぐ2・3日で即手術。手術前の検査とかも受けたんですけども。2回目の手術を受けた時も同じように、最初と同じようにポリープがいっぱい出来ていて、狭窄ってことでなかなか通ってなかったってことで。

QS-2 プロフィール

診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 浣腸をしていただいて、一応大腸のカメラを入れたんですけども、ある程度のところまでは直腸とか綺麗だね、とか言いながらずーと入って行ったら、途中から見れなくなったんですよ、塞がっていて。塞がっているからこれから先が見れない。この先の状況がわからないのでもう少し検査を延ばしましょうということで、検査入院3日がもっと伸びることになりまして、次はこんど鼻から管を入れて、バルーンというものを十二指腸(潰瘍)とか小腸を通していってある程度のところまでいってそこで薬剤を投与してレントゲンみたいな感じで撮影するなんていうこともしたんですが。それが1週間くらいかかったのかな、そこまでいくまでに。
 それで一応何かが出来ているということはわかったんですが、実際の形がわからない。「完璧に塞がってしまってますね」っていうことで、ちょっとこれは対処法としてはまず、薬でっていうことも考えられたのですけども、塞がっている状況なので、手術が一番妥当ではないかっていうことで、その病院がちょうど中型の病院で外科もあったんですけども、大きい病院のほうも紹介しようかということで2件ほど聞いたんですけども、たまたまそこに来ていた、外科の部長さんが大きい病院から来られた外科部長の先生だったので、先生に任せますと言うことで、お願いして、最初の時は32歳の時に開腹手術で、上行結腸と横行結腸の途中まで、ようするに右半分ですね、を切除して、病理検査に出して潰瘍性大腸炎という診断をその時はうけました。最初の手術です。

QS-2 プロフィール

診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 31歳くらいの時に体調、おなかの方ですけれど、下腹部痛とか腰痛とかをしてまして、どうしても調子悪いなという日が続いていたんですよね。その時に仕事場の先輩の方で便秘と下痢を繰り返すようなことがあると大腸がんの傾向があるぞとか、そういう話をされていて、その先輩というのが腸疾患があられる方で、いつもあの下痢をされている方だったんですね。それでそうゆうことを勉強されてて、詳しくなってらっしゃってて、僕に対してそういうのがあったら、病院に行ったほうがいいぞ、とかいわれてたんですけど。まあ一応そういうことはあったんですけど、まあそんなことはないだろうと、ただ、お腹がちょっと具合が悪いだけ、お腹下しただけとか思いながらってのが1年くらい続いていたんですが。
 その下腹部痛・腰痛が段々、段々ひどくなってですね、でおかしいなと思って、32歳の春かな、1月くらいに知り合いの方が、ある病院の外科の婦長さんを知っているからちょっと紹介してあげるから、行っておいでということで、行ったら消化器の内科の外来だったんですけども、そこに行きまして、最初先生がどういう状況かということで、ま痛いんですということで。まず、見てみましょうということで触診をされたんです。でおなかのとこを触診したところ、うん、とあたるものがあるんで。ちょっと触ってごらんといわれ、私も触ってみたら、ごろっとしたものがあったんですね。これなんか出来てるね、ということで検査したほうがいいのではないかということで、すぐには病室が空いていなかったので、来週の月曜日にきてください、ということで、検査入院ということでとりあえず3日間入院しましょうということで入院することになったんです。

QS-1 プロフィール

九州地方在住 49歳 女性 潰瘍性大腸炎全大腸型 発症23歳看護師 仕事は非常勤 現在は夫と夫の両親との4人暮らし。

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Q:そうするとお医者さんとか医療従事者の方に患者の立場として何かこう希望することとか何か言いたいこととかありませんか。
 私はものすごく、こうあの先生たちに支えられて今まできているんですね。外来の主治医は大学病院で二人先生が変わられたんで二人と、今のクリニックの先生で三人目なんですけど、最初の先生がとっても優しい、お優しい先生で、私が結婚前だったっていうこともあって、私がムーンフェイスになるとすごい心配して、彼は何て言ってるって心配してくださったりとか、結婚前にも悪化したんですね、結婚前も悪化、結婚式の10日前に悪化、ガーと下血しだして、その時もなんとか結婚式に間に合わせようと言って、ステロイドの点滴を外来で入れて、でその時はですね、新婚旅行でハワイに行くことになってたんですね。先生にハワイ無理ですよねって、とても行けないですよねって言ったら、一生に一度のことだから行っといでって言われて、で、ほんとうにハワイに行く日の朝まで病院で点滴を打って、山のように薬を持たされてハワイに行ったっていうことがありました。

QS-1 プロフィール

九州地方在住 49歳 女性 潰瘍性大腸炎全大腸型 発症23歳看護師 仕事は非常勤 現在は夫と夫の両親との4人暮らし。

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 その時は看護師として働いてたんですけど、これもまたなまじ看護師だったがために、病院に行って下血をしてるって言ったら、何の検査をされるかを知ってたんですね。なのでその時は22-3だったんで、とても恥ずかしくて病院なんか行けないっていうのがあってですね、で本当にもう出血しながら仕事を続けてました。でどんどん体重が落ちて、夕方になると毎日微熱が出るようになってですね、周囲も私がどんどん痩せていくんでおかしいって、心配しだして、である日、夜勤あけというか、準夜、夜中まで仕事をした後に40度の熱を出しました。でその40度の熱が出て、翌日は仕事お休みだったんですけども、その次の日が日勤で、ずっと熱が下がらない状態だったんで病院に、婦長さんに電話を入れて、熱が一昨日から40度あって下がらないので今日は仕事を休ませてくださいっていう電話をいれたところ、婦長さんが「もう何を言っているのあなた、タクシー呼んですぐ来なさい。入院しなきゃ」って言われて、それで緊急入院になりました。で入院しても言えないんです、なかなか下血しているって言えなくて、で貧血がひどくて、低栄養状態で痩せてて、で熱が高くて、最初はそれで診断がつかなかったんですけど、私もようやく観念して、出血してるってことを言ったら、すぐに大腸のカメラをしてそれでもう即診断がついたような感じでした。

KT-13 プロフィール

診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 そのトイレに行きまくっているのは潰瘍性大腸炎が再燃しているって言われて、でもそれでもそんなには重くなくてしばらくそれで3年くらいそのまま生活してたんですけど、どうも良くならないしずるずる痛いままだし、でそうこうしているうちに熱が39度くらい出初めて、背中が痛くなってきて熱が出るのでロキソニンっていうお薬を飲むんですけど、ロキソニンを飲むから解熱はするんですけど、やっぱり翌日また39度の熱がでる、背中が痛い、おかしい、となって。でもまさか潰瘍性大腸炎だと思ってないので整形外科とか普通の内科とかに受診するんですけど原因はわからないので経過観察をしましょうと言われて、自分ではいったいなんの病気かわからなくて不安で、その時3週間ごとに潰瘍性大腸炎のお医者さんに会ってたんですけど、3週間後にようやくその先生に会えて、顔色を見て入院しましょうと言われたのが最初の重くなる最初の診断だったんですね。入院してすぐもわからなくて、原因が。わからないので4日目くらいに、いろんな検査をして4日目くらいにようやく潰瘍性大腸炎が軽傷だったのに重症の、直腸型でなくて全大腸型になっているよと。

KT-13 プロフィール

診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 ペンタサという薬を飲めば落ち着くよって言われて、それを飲んだら本当にすぐ落ち着いたので、潰瘍性大腸炎がどんな病気かも今ひとつよく分からず、そのまま、なんて言うんですかね、独身時代だったので好きなように生活をしていました。それこそ朝まで飲んだり、なんだろうその頃は合コン三昧とかで毎日飲み歩いたり、食べたいものを食べ、やりたい放題やっていて、
 それでその後結婚をして、地元が四国だったんですけれども首都圏の方に引っ越してくることになって、そこで仕事も引き続き異動させてもらって、新宿だったかな、で働いたんですけども、すぐ結構早く妊娠して出産して復帰してしばらくした頃からまたおかしいなというふうに自分で思い始めて、出社するまでにドアツウドアで1時間かかるかかからないかという距離なんですけれど、トイレを探し回るようになって、電車も途中で降りないといけない、冷や汗をかいてお腹痛いし、冷や汗をかいて降りてわかんない駅でトイレを探すようになり始めたので、これはおかしいと思い始めて、病院に行きました。

KT11 プロフィール

診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住
専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 最初におかしいなと思ったのは、自宅で下血をしたことです。数日間はそんなに、少量だったので、少しおかしいなと思ってる程度だったんですが、数日後にかなり大量に下血をしたので、これはちょっとおかしいなと思いまして自宅の近くの病院に行きました。で、病院に行ってからは比較的診断までスムーズにいったんですけども、すぐに入院をして数日後に内視鏡の検査をして、潰瘍性大腸炎というふうに診断を受けました。診断を受けた際の説明が、「潰瘍性大腸炎という難病で治療法がないんだ」というふうに先生から説明を受けました。根治治療がないとか原因がまだ分からないっていうことではなくて、治療法がないということをすごく強調されて言われたので、すごく絶望的な気分になりました。
 で、入院をしていて特に治療らしい治療はせず、点滴をしたりだとか、あとペンタサを少量処方はしてもらったんですが、治療らしい治療はせずに数日間入院をしていました。で、先生は一日一度は病室に来てくださって、「どうですか」ということだけ聞いて、「あまり変わらないです」「まあ仕方がないですね、治療法がない病気ですから」っていうような会話をして過ごしていました。で、自分でインターネットで調べたり家族が調べたり友達も調べてくれて、少しちょっと病気の現状とは違うんじゃないかということになって、ちょっと不信感を持ったので自分から退院を、その病院は2週間ぐらいで退院をしました。で、自分で大学病院に行って、IBDの専門医の先生のところに行って、そこで、治療法がないというよりは根治治療がなくて、治療法はあるっていうことだとか、あとペンタサも全然量が足りないしということで、その前の先生に対してすごく先生が怒ってらして、自分でも病気の認識が、全く思っていたような病気ではないということをそこで理解をして、すごく安心をしました。

KT10 プロフィール

診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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 トイレの回数がちょっと多くて、そのたびに便が出るみたいな感じが続いていたのですね。痛みとかは特になかったのであまり気にしていなかったのですけど、ある時そこに血が混じっていることに気がついて、血便っていうのはちょっとびっくりだったので大学病院に行って、一応初めて大腸内視鏡カメラっていうのを入れさせてもらったのですけど、その時には特に異常はなくて、先生にも「何でもないよ、問題ないよ」とは言われていたのです。
 ただ、その時からなぜかペンタサを飲まされていて、でも私にはその病気ではないと仰っていたのですね。なので私は信じてそれを飲んでいたのですけれど、半年後またひどい出血をしたので、その時はその大学病院に行く余裕がなかったので近所の病院に行ったら「もう明らかに潰瘍性大腸炎だよ」っていうことを言われて、もう一転してしまったというか、役所とかにもいろいろ手続きに行かなきゃいけなくなったり、今後のことも含めて「悪くなることはあるけど良くなることはないから、入院施設の調った病院に行ったほうがいいよ」と言われ、また別の大学病院の消化器内科に通うことにしました。そこからがもうずっとこの病気との付き合いになったのですけど、私の場合は寛解期というのが一度も来ず、ずっと劇症というか、ひどくなる一方だったのですね。

KT-9 プロフィール

診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。

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 まず、潰瘍性大腸炎と診断されたら、IBDの専門医のいるところに行くのが一番良いのではないかと。経験上ですね。最初に町の普通のクリニックに行って…私の場合ですね。潰瘍性大腸炎と診断されて。で、まぁ、自分の判断で、まぁ、このクリニックで薬を飲んでれば治るだろうと思った期間が2年間もあってしまったので、その期間にステロイドも増えてしまって、とても遠回りになったと思います。で、IBDの専門医であれば、難治性と言って、もう寛解期に入れない、炎症が治まることがないっていう判断を下すこともたぶんしてくれると思うので、それによって、無駄にと言うか、たくさん飲まなくては…ステロイドをたくさん飲まなくてはいけなくなってしまうということも回避できると思いますし。一概に、手術すれば全員が良い方向に行くとは限らないんですが、おそらく手術に行くタイプである場合は、専門医の判断のほうが早いと思います。それだけ、薬の量、ステロイドの量も減らせますし、時間の浪費も減ると思いますし、あとは的確な判断と治療してもらえると思います。

KT-9 プロフィール

診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。

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Q:そうすると、そのー、ご自分で病気のことについて、あの、調べたりとかされましたか。
 調べたのは、症状がひどくなってきて、これは尋常ではないなと思うようになって、日常生活にかなり支障が出るようになってから慌てて調べた感じですね。
Q:その結果、十分な情報が得られましたですか。
 どれを読んでも、書いてあることはほとんど同じですね。それで…それで、あの、医師側というか、医療側から書いてあるものというのは言葉が少ないので、やはり理解できないと思います。
Q:あと、そうすると、その、患者の体験談とかそういうのもお読みになりましたか。
 うん。徐々に見るようになりました。あの、まぁ、ブログも見ましたし。そうですね。あとは、ネットでも、医療側から書かれてるものと個人が書いたものというのはだいぶ違いがあって、医療側から書いてあるものは、こう、箇条書きにそのことを順序正しく書いてあるっていう印象で、個人的に書いたブログというのはその人、個人個人が様々なので、うん、参考になる部分もありましたし、あまり参考にならない部分ありましたね。(笑) 

KT-9 プロフィール

診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。

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 はい。えー、2005年です。今から8年ほど前に、あのー、お風呂屋さんで電気風呂というのがありまして、その電気風呂に、あの、入るようになったら、いつも同じ場所で特定の場所が必ず痛むようになってきて。その頃、違和感を感じまして。それで、半年か1年後に、あのー、近所のクリニックを受診しましたら、で、検査の結果が潰瘍性大腸炎の疑いありっていうことで、その時は、あのー、潰瘍が本当に疎らっていう感じだったんですが、それから1年ほどかけて急激に悪くなって。それで、えー、最初はS状結腸から、あの、臨床が始まりまして、そのあと、ステロイドの治療とか色々やったんですが、直腸に広がっていってしまって。その後もそのクリニックで2年ほど治療しましたが、えー、一向に良くならず、区の、講演会で、あの、紹介された大学病院に行って、そこで、また1年ほど治療しました。で、そこで、もう治る見込みがないということで、あの、手術になりました。

KT-8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 二人の子供を抱えてフルで働いていました。三番目の子供が妊娠したものですから、この子も是非産みたいということで頑張ってたんですけど、残念なことに妊娠9カ月の終わり、10か月前に入って、実は、妊娠中もそうなんですけどちょっと具合が悪くなりまして、下痢が非常に激しくなりましたものですから、2カ月ばかり休職しました。で、出産に備えてたんですけど、残念なことに個人病院で産婦人科の方に入院してた時に、そこで貧血でちょっと倒れちゃったものですから、
 で、その個人病院はあまりよく手当てをしてもらえなくて、そのままほったらかしにされた状態でいたものですから、お腹がおかしくなって、自分自身がおかしいと思ったので、即病院から病院へ、大きな病院の方へ救急車で運ばれて行ったんですけれども、運ばれる途中で胎児は死亡っていうことになって、私の方もようやく本当にギリギリに命が助かったという感じで、子宮破裂、胎盤はく離っていうような状況で、まあ助かったんですけど、そこからその後勿論入院してたんですけど、その後非常に、やっぱり精神的なストレス、それが溜まってきたのか、下痢がまたものすごい始まりまして、そこから私としては非常に長い長い10年近く非常に辛い病院生活というか、病気との闘いが始まった、そういうような経歴を持っています。

KT-8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 病気がわかったのは27歳の時です。最初の子供を妊娠して出産した後に、その後半年くらいたったら、ちょっと下痢とそれから血がはいってるのと、軟便みたいな感じで、それが1日に数回続いてたもんですから、職場の近くの病院に行って診てもらったら、これはちょっと大きい大学病院に行って調べてもらった方がいいっていうふうに言われました。そこで大学病院の方に行って診察を受けました。その時点で勿論検査ということになったんですけど、即もう潰瘍性大腸炎ということで言われました。
 私今62歳です。発病したのが27歳ですので、今から35,6年前ですので、まだまだ潰瘍性大腸炎という病気自体があまり一般的に知られていない時代でして、まだまだ患者数も少なかったんだと思います。で、そういうふうな時代の発病でしたので、今一つ難病ですと言われても実感もわかなかったし、あの何て言うかな、下痢は続いてたんですけど体自体はそれほど辛くて動けないとか、そういう状況はなかったもんですから、その時点も公務員として継続して勤めてはいました。そこからなんですけど、お薬ももらってそれで1カ月に1回くらい療休を取って通院をしてました。その時はまだそれほどひどくなることもなく、下痢等は続いていましたけども欠勤することもなく普通に勤めていました。で、ちょっとは症状が治まってきた頃に、第2子を妊娠し、そのまま第2子の方も無事に出産して、2児を抱えて勤めに出ていました。フルですので朝早く出て夕方帰ってくるような、で子供は二人保育園に預けてというような、そういうふうな生活をして勤務をしてました。

KT-6 プロフィール

診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 入院治療は、ご飯は全く食べない状況で、点滴とトイレがお友達という状態で、他の患者さんもいて友達になる人もいましたが、病室でやっぱし、食堂というかそこに行って食べれないという子が私の居る病室でごはんを食べているっていうのの、匂いを嗅ぐだけでいらいらいたり、ああ嫌だと思って、わめいたりはよくしましたね。あとは一時期小児科の方にいたので、保母さんとかと一緒に折り紙をして遊んだりっていうので気を紛らわしていました。
Q:それは何歳くらいの時ですか、最初に入院したのは。
 最初に入院したのは、小学校4年生の7月の29日くらいですね。
Q)そのとき看護師さんとか病院の先生はどんなでしたか。
 看護師さんとはどの病院にいっても、いつ入院しても、とても優しく接してくださって、病院の先生は色々な先生に当たってもらい、みなさんすごく有名でいい先生なんですが、それぞれ個性があって、一人の先生はとっても優しくて、もう一人の先生は会うたびに手術、手術って連呼されたり、三人目の先生は本当に沈黙が多い先生で、でもどの先生とも今でも付き合いはあるので、とてもいい先生です。

KT-6 プロフィール

診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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Q:自分で色々勉強されたじゃないですか、病気について。その時にその難病指定されているということも知って、難病って言う言葉を聞いてショックとか受けましたか。 小学校4年生だったからかな、え、もしかして私は一生治らないんじゃないか、詳しい話は聞いたけど難病って言葉しか頭には入らなかったんですよね。難病?私もなるまでは難病は本当に治らない病気なんだ、もうすぐ死んじゃうのかな、っていう病気だとずっと思ってたから、ああ私難病なんだ、もう病院から一切外には出られないかな、もうすぐ死んじゃうんじゃないかな、それこそ余命宣告じゃないけど言われるようなショックで寝込みましたね。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 関西の方から関東に引っ越ししてきたんです。それによって学校生活も変わっちゃったし、暮らしている雰囲気自体が変わっちゃって、で、無理しちゃう体質なのでどうしても、あ転校してきた、やばいどうしよう私頑張んなきゃと思って、頑張って、頑張って、と頑張ってたら、あれ、お腹痛いなと思って病院に行ったら、ちょっと変わった病気みたいですよって言われて、潰瘍性大腸炎ってそういうもんなんだと思って、「ストレスからくることもあるんだよっ」て言われて、そんなにストレス溜まっている覚えは自分自身ないのになと思いながら、ストレスだけで、ストレスが加わることで病気になることもあるんだなということを潰瘍性大腸炎で知りました。

KT-5 プロフィール

 

診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 春だめなんですよね。春結構、私花粉症なんですけど、春になると、花粉が飛び始めるとなんかよくなくなる、まだから主治医にそれを言うと、やっぱりアレルギー持ってると免疫の機能がちょっとなんか刺激されてやっぱり連動して悪くなるのかな、なんていうことを、医者もどうしてその関連があるのかわかっていないみたいですけど、春になると悪い患者さんが多くなるようで、それはおしゃってます。私も確かにそういう面はあります。ただ今年は珍しく春なのに今のところ悪くなっていないのが逆に不思議だなあと思っているくらいなんです。

KT-5 プロフィール

 

診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 本当に親身になってケアしてくれるドクターなり看護師の方がいたんで私はそんなに不満は特にはなかったですけど。今のところは、悪くなれば、ただ、大学病院が多かったので、悪くなった日にいきなり行っても主治医がいないとか、なかなかやってもらえないってのはあるんで、そこはちょっとそのドクターそのものに対する不満というわけではなくて病院の体制といいますかね、そいうのに対する不満はありますけど、仕方がないところではありますよね。悪くなってすぐその日にその時間に見てもらえるというのが一番理想ではありますけど、なかなか見てもらえず、というのはありますね。

KT-5 プロフィール

 

診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 最初はその近くの病院で19くらいの時に、診断を受けた時に、主治医からこれは難病でということを言われたんですが、そう言われても最初はなかなかピンとこなくて、今のところ治る病気ではありませんといわれたので、厄介な病気だと思いましたけれど、今一つ実感はなかったですね。言われた当時は実感はなかったんですが、日に日に症状が何回も、最初は薬を飲めば何とかなっちゃう病気なのかなと思ってて、じゃ薬を飲んでりゃいいかと思ってたくらいだったんですけれど、それから薬を飲んでも症状が悪くなってきて、で、もうこれ以上薬がないような、なかなか他に手がない状態に陥ってたこともありましたので、そういう時は、そこまで来て初めて、ああやっかいな病気なんだなというのを実感しましたね。言われた最初の時はまあ、若かったせいもありますが、あまりこれはやばいなという実感はなかったんですけれどね。 

KT-5 プロフィール

 

診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 19の時、大学に入った時くらいでしたけれど、その時にちょっと便をするときに出血がでてきて、最初これは痔かなと思って痔の薬をちょっと投与したんですけれどなかなかそれが効かなくて、ちょっとこれもおかしいなと思って近くの病院に、そんなに大きくない病院ですが、行きましたら潰瘍性大腸炎だという診断を受けました。そこでペンタサという薬をいただきまして、それを飲み始めたわけですけれど、そうしたら症状が治まったんですね、出血と下痢でしたかね、主に出血で下痢はそんなにひどくなかったんですけど出血が多くて、でもペンタサを飲んだら多少おさまった形でしたね。

KT-3 プロフィール

 

診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 始めて聞いた病気だったし、自分に痛みもなにもないので軽く考えていたんですが、先生の方が日常生活はおくれますからとか、なんかすごくこう、大丈夫です、大丈夫です、みたいなことおっしゃって、なんだろうなと思ったんですが、その時に医療費の受給者証を貰えるからという話があって、なんなんだろうとは思ったんですけど、仕事もしてましたし忙しくて申請をするのも結局次の年の1月ころになってしまったんです。
 そんなにその時は深刻に考えたわけでもないし、薬を飲んだらすぐによくなっちゃったという感じなんですが、その時に先生からやたら内視鏡の検査をしながら、「お子さんはいますか」とか「何歳ですか」とか「男の子さん、女の子さん」とか聞かれて、なんでこの先生はそんなことを聞くのかなと思ったら、検査が終わった時、「お子さんは一人いらしゃればもういいですね」と言われて、そういうようなことを言われて、いやそれは困る、まだもう一人生むつもりでいたんで、「先生それだけは困る。もう一人どうしても生みたい」と言ったら、その先生が「じゃ、内視鏡検査で様子を見ながら大丈夫な時があったら生みましょう」みたいなことをおっしゃってくださった。

KT-3 プロフィール

 

診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 31歳の時に今でも覚えているんですけれど、出血をしてたんですが、ん、何かなって思ったんですけど、もしかしてこういうのを痔かなと思ったんですけれど、その時はそれ1回きりで何ともなくて忘れちゃったんですけど、その後しばらくして、トイレに行ったときに粘液がでるような感じとか、規則的にお通じがあったのが、朝しかなったのが夕方ころもう一回行きたくなるようになって、でも痛みもないし辛くもないのであまり気にしていなかったんですけど、ちょっと変かな、なんか変かな、なんか変かな、ということで、1月に初めて出血に気づいたんですけれど、その出血も1回きりだったんですけど、実際に病院に行ったのは7月でした。で7月にたまたまかかった先生が後から考えたら、割合に潰瘍性大腸炎について詳しい先生だったようで、1ヶ月後に内視鏡検査をしましょうといわれて8月の半ばに潰瘍性大腸炎という病名を言われたんですけれど・・

KT-2 プロフィール

診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。

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 最初におかしいと思ったのが2007年の3月頃です。まず血便が出まして、何回トイレに行ってもまだ出たい感じが続きまして、微熱が出て、頭痛がひどかったんです私の場合は、それで病院に行きましたらすぐに大腸カメラを撮っていただいて、潰瘍性大腸炎ということで言われてとてもびっくりしました。私、ヘルパーをしていた関係でその病気、難病のことは知っていましたので、その時に先生に難病ですねとお聞きしましたら、先生は「潰瘍性大腸炎なんて今は難病とは言えないよ」とおっしゃったんです。それで簡単に考えていて投薬治療が始まりましたがあまりよくならず、どんどん症状が悪くなっていきまして、知り合いの勤めている病院を紹介していただきまして、そこに行ったら即入院ということになりました。その時は頭痛が一番ひどかったんです、症状としては。下痢も続いていましたけれどそれほどひどくなくて、頭痛の検査をしているときに院内感染でインフルエンザに感染してしまいまして、インフルエンザの影響で潰瘍性大腸炎が劇症化しまして、一時は死にそうになりまして、それで4カ月と10日も入院してしまいました。

KT-1 プロフィール

診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 はい。4月に今の会社に入ったんですけれども、すぐに、その年の6月。だから、入って2ヶ月ぐらいで、再発、再燃してしまったんですね。それで、最初の時の状況よりは多少良かったんですけれども、でも、似たような状況になりまして。同じ病院に駆け込んだんですけれども、やはり、また即入院と。この時も、あまり、前兆は殆どなかったんですけれども、やはり、突然下血が始まりまして、それで、すぐに病院に行ったんですけれども、またすぐに入院ということで。この時は、4週間ぐらいで退院できたんですが、やはり同じ様な状況で、プレドニンの大量投与ということで、やっと出血を抑えて退院したというような状況でした。
Q:その最初の入院から、そのあと、その2回目の入院に至る間っていうのは、通常飲んでいるお薬とかそういったものはあるんですか。
 その時は、もう薬は飲んでいませんでした。退院直後は、プレドニンを少しずつ減らしながら飲んでましたけれども、それがゼロになってからは便の状態も良かったですし、特に何も薬は飲んでいませんでした。
Q:そうすると、その再燃が起きたというその時にはどのようなお気持ちになられたでしょうか。
 確かに、その時はちょっとびっくりしたというか。再発の可能性はあるとは言われてたんですが、どのぐらいの確率でどういう状況になったらとか、そういうことは自分でも考えてなかったので、まぁ、大丈夫だろうっていう、無責任な楽観的な感情持ってたものですから、実際に再発した時にはちょっとびっくりしまして。その時になって初めて、今のこの潰瘍性大腸炎という病気について自分で詳しく調べ始めたというような状況でしたね。

KT-1 プロフィール

診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 はい。潰瘍性大腸炎の場合、一般的には割と軽症といいますか、大体、下痢が続いたりとか、若干の血便が出たりとかっていうところからスタートする方が非常に多いんですけれども、私の場合、ちょっと特殊でして、ヨーロッパに仕事で出張に行ってる時に具合が悪くなりまして。ちょっと風邪のような症状だったんですけれども、ちょっと普段の風邪とは違うなということで、熱があったり、それから、ちょっと気分が悪かったり。ただ、お腹はそんなに痛くなかったんですけれども、とにかく気分が悪かったんですね。熱があって。それで、確か、スイスのホテルだったと思うんですけれども、どうしても我慢できなくなって、ホテルドクターに診てもらいまして、そこで薬を投与されたんですけれども。その日はそれでだいぶ気分が良くなったんですが、翌日、突然の大量下血がありまして、それで発病したと。
 で、勿論、その時は何の病気だかわからなかったんですけれども。2~3日、そのままヨーロッパ出張続けて帰国して、即、近くの総合病院に行きましたら、即、入院で。それで、大腸の病気であるということはわかったんですが、そのあと、色々と検査をしまして、最終的に潰瘍性大腸炎という診断が下されたんですけれども。ですから、自覚症状と言いますか、大量下血があって、もう即入院、即潰瘍性大腸炎という診断がされたという。非常に珍しいケースではあると思います。

KS-5 プロフィール

診断時:22歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、主婦で、家族はご主人とお子さん(11ヵ月)。大学卒業時に発症、母も潰瘍性大腸炎。治療は漢方中心。潰瘍性大腸炎について理解ある、現在のご主人と巡り会い結婚、そして、病気をかかえながらも男の子を無事出産。現在、育児奮闘中で、二人目のお子さんもいずれと考えている。

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 発病は、2003年の2月で、ちょうど大学の卒業旅行でタイに行っていたのですけども、そこで下痢と腹痛が始まって。その6年前ぐらいですかね、私の母が潰瘍性大腸炎で入退院を何回かしていたので、すごい似ているのであやしいな、と思って、近くの病院に行ったのですけど、そこですぐ「潰瘍性大腸炎」と言われて、母の通っている病院に行ったのですけど、そこで検査をすると「潰瘍性大腸炎ではなくて、ただの食あたりだろう」ということで、とりあえず入院して検査をしたんですけど、食あたりということで問題ないけども退院前に一応内視鏡(検査)をしてみようという話になったら、その内視鏡をしたらやっぱり潰瘍性大腸炎だということで、大学の卒業式には出たかったので一時退院だけはさせてもらって大学の卒業式に出て、一時退院した影響なのか、内視鏡をした影響なのか、すごい悪化してしまって、そこから2ヶ月入院したのですけど。それで絶食で、ステロイドもマックスまで使って、それが今までで一番ひどい症状でした。

KS-4 プロフィール

診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 私は病院を何回か変えているのですが、最初の外科の先生がいた病院では潰瘍性大腸炎の全摘出術の症例がとても少なかったので、年間にたくさん手術をしている病院へ変わった方が良いだろうということで、そのような病院で手術を受けることにしました。
Q:その変えられた医師はどのように見つけられたのでしょうか。
 私は患者会にも参加していましたので、そこで情報を集めたのと、インターネットで潰瘍性大腸炎の外科手術を行っている病院をいくつか調べまして、症例数が多いところを調べていくと関西の方であまりたくさんなかったので、その中でも特に症例数が多いところという理由で外科手術をする病院を選びました。

KS-3 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:54歳(2012年4月)関西地方在住。看護師。発症して11年、サラゾピリンやステロイドなど薬の副作用に悩まされることもあったが、経験から、ストレスや過労からくる再燃を避けるようにして、看護師の職も続けるように努力している。循環器系などの病気もあり、それと潰瘍性大腸炎とのコントロールに困るときもある。元気なときは、患者会活動など、人を支援する時間に使うようにしている。

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 2001年の5月に突然下血が始まって、3日ぐらいは食中毒かなと思っていたのですけど、おさまらないので、「これは違うぞ」というふうに思いました。内科で診てもらったら、まず絶食で点滴をするから入院と言われたのですけど、それが嫌で家に帰りました。大腸内視鏡の検査をするのに予約を取る際にちょうど予約日と生理が重なったので、非常にそれが嫌でまた延期をしました。結局6月に入って検査をして即、潰瘍性大腸炎と診断されました。

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 担当の先生に言われて、それは難病指定、今は特定疾患と言う名前で「治らない病気だ」と言うことをその場で告げられて、もうショックを受けて、家に帰りました。いきなり、そういったことを言われる難病で、治らない病気、こんな下血とかして、「ずっと、一生続くんじゃないかな」という不安で帰宅して、それから、附属病院じゃなくって他のもっと大きい病院にもう1回通って、即入院という状態になったんですけど、なかなか大変な日を過ごしまして、だから、はじめは中学時代から、そういう兆候があったから、はじめに大きな病院にかかっていたら良かったなと、そしたら、もっと早く治っていたのでは、そんなに重症になるまで、まぁ、こっちがほっていたのも悪いんだろうし、

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 私がはじめにかかったのは近くの町医者でして、町医者というのは何でも診るということで内科からすべていろんな看板があがっているわけですけども、後から聞くとその先生は皮膚科だったと。本来は皮膚科の専門医だけども、開業したので今はいろんな看板もあげてやっていると。そういったことで私自身も他に行かなかったので、生まれた時からそこに行っていたので、その2代目さんがやっていたんですけども、ずっと通い続けて「腸炎」という判断だけで、風邪薬飲んだりとか、いろんな薬を飲んで、あと漢方もそこでやったことがあるんですけども、別に何も効かなくて下痢はずっと続いていると。
 それから、まただいぶしてから他の病院、それもまた町医者なんですけども、そこも町医者だから何でも診ると。そこも長いこと行っていたんですけども、ずっと同じ様な判断で「腸炎」と「痔」だからということで。その先生も内科とかあげているんだけども、専門は整形外科だったと。だから余計に判断がつかなかった。その先生にあたったというか、そこばかり通い始めた時に、こちらからインターネットとか調べて「これは潰瘍性大腸炎ではないでしょうか?」と先生に聞くと、その先生が言うのには「そんなことはありえない。それは難病の中の難病で、ありえない病気だ」と。「まず、あなたにはならないであろう」ということで。

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 兎に角、お腹を壊しやすい子供時代・中学時代・高校時代、それで、高校受験も、滑り止めの私学がトイレに籠もっていて、受験できなくって、滑ったという、まぁ、公立高校があったので、公立は受かったのですけれども、そこからあともトイレに籠もって、テストが受けられないということがしょっちゅうありまして。だけども、近くの病院しか行かなかったので、ずっと腸炎と、あとは「男の子なので腸が下痢になりやすいんだ」と「緊張すると下痢になるんだ」ということで、医者からは普通のビオフェルミンくらいの整腸剤くらいしかくれなかったんですけど、
 だいぶ年いってから、食欲もなくなり、食べられなくなって、もう、下痢と下血が酷くなって、それでも通っていた病院の先生は「これは何だかわからない」ということで、それで自分自身、インターネットで調べて「もしかして、これは潰瘍性大腸炎とちがいますか」と先生に言いましたが、「そんなことはありえない」と、その時点で「だけどもおかしいから、一旦、おかしいから大学病院に検査しに行ったらどうや」ということで、内視鏡を初めて入れて「もう完全な、重症の潰瘍性大腸炎だ」と判断されて、そこで即入院になってしまった。

KS-1 プロフィール

診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人

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 一番最初に発症したきっかけが、私はもうこれだとわかっているんですけど、離婚したことなんです。それでやはり離婚というのは一生のうちに一回あるかないか、まあ何回もある方もいらっしゃいますけれども、そういう人生の中でも大きな波の一つといいますか、そういうストレスの一つだったと思います。それが発症のきっかけになりました。それでまた今回去年1年かけてストレスというのも両親の介護だとか父親が亡くなったりとかそういう身内の不幸だとか、そういう色々なことから避けてはいけないこと、避けては通れないことというか、やっぱり人生の中で皆さん多分等しくあると思うんですけども、そのストレスが私にはなかなか耐えきれなかったというか、そういう感じだったんじゃないかと思います。

HR-1 プロフィール

診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 はい。えーと、その発症時はコンビニに勤めてました。で、深夜勤務をやってたんですけども、あの、その当時、結構生活が荒れてまして、で、下痢をするようになりました。で、何かおかしいなと、トイレにも頻繁に通うようになって、その回数が10回、20回と増えていったんです。で、それでおかしいなと思って、あの、病院に行こうということになりました。で、その前に、あの、お尻にできものができました。で、親指大ぐらいの大きさで、で、立っていてもつらい、座るなんてもってのほかで、これはおかしいと。で、仕事終わってからすぐに病院に行ったところ、すぐこれは手術しなくちゃいけないと、痔瘻ですと言われて、その日の昼、緊急手術で、痔瘻の手術になりました。で、一週間ぐらいたってから先生に、「もしかしたら、潰瘍性大腸炎という病気のおそれがある」と、「カメラを入れて検査させてください」と言われて、えー、一週間目にカメラを入れたところ、すぐに、「あ、これは潰瘍性大腸炎です」と。

HK-1 プロフィール

診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 最初の入院の時には、一月半ぐらいで復職できたという状況です。ま、その後は、ま、単身赴任だという、仕事先での発病ということで、会社の方も結構大事に見てくれて、初めの休職扱いということで、通常4年の単身赴任ルールだったんですけれども、2年で職場移してもらえたということです。で、その後は、職場の中での配慮を頂きながら、通院をしながらということでしたけども、
 ま、自分自身は、たぶん初回発作型だろうと勝手に思い込んでいた。なので、精神的には2度目の発病ってのか、再発があったときは、非常にショックでした。ショックってのは、たぶんその時が、ほんとに自分を病気として自覚したんだろうなと、受け入れなきゃいけないんだろうなというようなことが一つ。
 それから、最近ですけれども、7回目の入院を、昨年したときに、この病気の基本薬である、ペンタサと、最近出たアサコールという両方の薬に対して、薬のアレルギーを発症して、いわゆる基本基準薬を取り上げられたとき、この時も同じようなショックで、自分はもう手術するしかないのかなと、薬がほんとにもう当たらないってのは、こんなに不安な状態なのかということで、も、この時はやっぱり最初の病気を自覚したときと同じようなショックを受けてます。

HK-1 プロフィール

診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 最初の病院の主治医と、2回目の病院では主治医が2回替わりました。それは、あの、主治医の退職に伴って替わったっていうことですけれども。お医者さんと意見が合わないということは特になかったです。ただ、今の主治医に替わるときに、その前の主治医は、基本的にステロイドなるべく使わないという、主治医の方針でもあったし、病院の方針でもありました。ところが、3人目の主治医になったときに、ステロイドは、あの、積極的には使わないが、必要なときには使うというスタイルの方だったので、当時まだ目の発症はしていなかったものの、患者会の中でも、ステロイドが基本薬っていうふうなことはないだろうという話題があったので、その主治医と、ま、治療方針に関しては、いろいろやり取りはしました。そういう意味では、やり取りを、あの、できる関係の主治医だったというのは、非常に良かったなと思います。
 それと最初の病院では、外科に入院してしまったということもあるんですが、潰瘍性大腸炎に対する治療法が、その程度だったと。ところが、移った病院では、まず入院すると絶食という処置がある。それから、IVHという、点滴を24時間、栄養剤を、血管に入れるという治療法もある。そして退院の前には、え、食事に関する指導がある。で、何より、同病の患者がいると。そういう、方針の下に患者も来て、運営されてる、この病気はこうやって、治療するんだという病院に対するそもそもの信頼感も、あの、持てたのかなというふうに思います

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診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 私の場合は、えー、いろんな症状が順番に起こるというよりも、CRPにも、え、CRPってのは血液検査の結果ですね、血液検査で行ってもほとんど予兆は取れずにいきなり出血すると、ま、出血の何日かに一回、ティッシュに付くと、という形のところからもう便器で分かる程度までこう一気に進んだりするので。あの、ま、最初は血が付いて、数日食事を控えるとかやったんですけれども、それがほとんど、もう痛みを伴って、これはもう家族にも職場にも言わないといけないなという形になって、入院という形でした。なので、ま、その時は、協力してくれた家族や職場のメンバーへの申し訳なさ、それから、ま、自分はこれで、ほんとに仕事を辞めなきゃいけないんではないかとか、いろんなことを、あの、考えました。入院してどれくらいの、治療になるのかっていうこともよく分からなかったので、入院した当初は、まあ、これで入院して直っていくんだろうという、ホッとした気持ちと、この後どういうが治療をされるのかなという不安感と、も、最初は両方強くありました。
Q:で、その後、その、再発したということはですね、その後また何度も再発するんではないかというような、そういう心配っていうのは、その時はありましたか。
 はい、あの、病気の深刻さですね。あの、当時もうその患者会に入っていて、患者会の集いの中で、いろんな経験をした人の話も聞いていました。で、その当時に、非常に、あの、当時の基準薬であるステロイドでも、なかなか症状が落ち着かずに、仕事を退職しているような人もいましたし、ま、どっちかというと当時の患者会、約20年前の患者会に来る人たちというのは、苦労人が多かった。自分はそうじゃないと、初回発作型という一回だけで終わるタイプだと信じてましたから、あ、自分もたぶんあの人たちと同じような苦労をするのかなということで。えー、患者会の中で聞いてああいうふうになるのかという気持ちと、でも、ああいう人たちでも、仕事してる人もいるっていう、まあ、明るさと暗さ両方知ってしまったが故に気持ちとしては、もう非常に不安定になったなと思っています。

HK-1 プロフィール

診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 最初は、あの、外科の病棟でしたし、えー、何だか分からないから、じゃ、腸内を調べようということで、大腸カメラをやったんですが、そこの病院でも初めて使う機械、初めてやる先生ということで、先生方も装置の慣れてないし。で、今から思うと不思議なんですけれども、安定剤も打たれないし、前処置だけだったので、ま、非常にお腹が痛い中、さらに、機械に不慣れな方が、約1時間ぐらい、こちらも脂汗流しながら、のどが渇いて、唇が乾ききって、で、のどが渇いてるって、それを訴えるんだけども、看護師さんは、患者の方に注意しないで、も、機械の方ばっかり注意していたというような状況で、まあ、散々な状態でした。
 で、入院して約1週間、2週間ぐらいは症状がどんどん悪化するばかりで、ま、途中で、部屋のすぐと廊下挟んで向かいにあるトイレの中で、貧血で動けなくなってうずくまってるところを、しばらくしてから、患者さんに見つけてもらって、部屋まで運んでもらったというようなこともありました。ま、それから後に、主治医に呼ばれて、たぶん潰瘍性大腸炎だろうというふうに告げられて、先生もその時には、わたしも初めてですと、まあ、ただ、ステロイド使ってやりましょうというふうに言われたとこですね。

CH-2 プロフィール

診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。

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 先生に説明を受けて、難病指定を受けている病気なのでと言われたんですが、うちの母も特定疾患の病気を持っていたので、まぁ、親子で同じなのかっていうので、あんまりそんなショックはなかったです。で、もちろん、絶飲食は続ける。で、IVH中心静脈栄養を入れて、ステロイドをそこから。あの、わかった時点で、全大腸型の重症だったので、もう絶食から始めて、ステロイドも、その当時、1日60ミリぐらい使う状態で。で、何度かそのIVHを入れてるところも炎症を起こして、何度も入れ替えたりとかしながら。で、初めての入院で3ヶ月ぐらい入院の経験しました。で、絶食期間は1ヶ月半。2ヶ月弱ぐらい。で、やっぱり、あの、そんなに潰瘍性大腸炎と言われて難病と言われてもショックではなかったんですが、同じ病室の人が次々退院していく中、なかなか退院できないことがストレスで、もう帰らせてくれと思うことはあったんですけれども。まぁ、割と、…同室の患者さんとかが良い人で、楽しい入院生活を送る(笑)感じでした。当時、病院に同じ病気の人も何人かいらっしゃったので、割とそういうところはあまり人見知りしないタイプなので、そこでお友だちになったりして。割と快適な入院生活を送りました。

CH-2 プロフィール

診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。

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 調子が悪くなり始めたのは平成6年の12月ぐらいに当時働いていた会社の忘年会で焼き肉を食べたあとに下痢をするようになって、あれ食べすぎたかなあくらいの感じだったんですが、その年の年末に風邪もあって、また下痢をするようになって、近所の内科に通って点滴をしてもらったり、下痢止めの薬をもらって飲んでたんですが、風邪の症状はなくなったんですが、下痢だけが止まらなかった。ずっとそこの個人病院に通っていたんですが、そこで色々下痢が止まらないので薬を変えてもらうんですが、ストレスかな、とか言われながらなかなか効かず、だんだん「出血してるよねこれ」っていうのが段々自分でもわかるようになってきて、先生にそれを言っても、下痢でも痔になったりすると出血をするからと言われ、痔の薬をもらった。でも、どうも痔ではないと自分で思いながらも、先生がそう言われるからというのでそのまま下剤(下痢止め)を飲む日々を続けてた。
 どうもおかしいのでレントゲンを撮ろうということになって。そうすると、やっぱり腸の辺りに何かある。で、そのまま地域の総合病院に紹介状出されて、その足で病院…総合病院に行くと、すぐ絶飲食で入院ですと言われたところから始まりまして。で、その当時、紹介されたのが外科だったんですが、翌日、内科のほうに回されて、主治医の先生と顔を合わせるよりも大腸カメラをするのが1番だったというところで、もう何もわかないまんまに絶食で点滴を打たれ、CTと大腸カメラとかっていう、今まで何も病気をしたことがなかったので、いきなりのそんな重い病気のフルコースで、びっくりした感じから始まって、その大腸カメラで潰瘍性大腸炎ですと診断されました。

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中国地方在住。長年にわたり内科治療を受けながら会社の仕事も続けている。ステロイドの副作用もでているが、まだ手術までには至っていない。患者会の仕事も精力的に行っている。家族構成は妻と二人暮らし。

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 もう病歴20数年です。24、5年になるんですけど、恐らく、まぁ、平均的に考えますと、まぁ、4,5年に1回は主治医が変わっている状態になっておりますんで、なかなか信頼関係というのは、まぁ、難しいところはあるんですけど。ただ、あの、共通して言えるのは、大学病院から来られた、いわゆる消化管の専門医、どちらかと言うと、IBDの専門医と言っていい方にずっと診ていただいております。それで、あの、当然、そういった、大学病院というのは、いわゆる厚生労働省の治療指針に基づいた、治療をやっていただける先生なんで、当然、信頼もしておりますし、
 あと、こちらの私の言うこともですね、聞いていただける。えーと、具体的にはですね、血液検査をしても、私なかなか出ないんです。いわゆる、CRPとかあとは白血球の量とか、まぁ、色んな項目で判断、病状を判断するんですけど、そのデーターが、いわゆる、あの、悪くなると、こう、数値が、こう、上がってくるわけなんですけど、それが上がった時にはもう遅いですね。遅いというのは、もうかなり悪い状態になっているんですけど。まぁ、その辺をずっと、説明をして、まぁ、自分は、自分の状態、今、良いんだ、悪いんだというか、きちんと自分のほうからきちんと説明して、また、それを、あの、主治医のほうがきちんと聞いていただい…聞いていただける。理解していただける。そういった、あの、関係というのは、ずっとこれまでの先生と構築してきておりますので。あの、極端に言っちゃいますと、あなたにはもう任せておいてもいいから、自分で薬の量をコントロールしてもいいよということころまで(笑)言っていただいてる先生も結構いらっしゃって。

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 1週間、2週間ぐらい個人病院で治療を続けました。しかし、病状は改善しないというところがありまして、あの、総合病院を。これは、あの、今現在でも行きつけ…行っている病院なんですけど、えーと、そこを受診いたしまして、症状を、説明したら、まぁ、速攻で、大腸の検査をやりましょうということを言われました。それで、あの、大腸の検査をしますと、その時は、左側(さそく)、左側だけ、結果的にはだったんですけど炎症がありまして、潰瘍性大腸炎という診断が付きました。
 その時点ですね。ですから、発症は、えーと、昭和63年の3月に発症いたしまして。まぁ、当然、その病名が確定して、全身状態を確認して、速攻で、あの、入院ということになりました。まぁ、発見は、1ヶ月、家で治療を続けていた…治療と言いますか、放置状態をしていたんですけど、えーと、約1ヶ月半ぐらいの入院で、確かその時は済んだと思います。治療といたしましては、その時は、恐らく、あの、ステロイドと、その当時ですからサラゾピリンですね。薬としては。その…それによる治療。あとは、食事は絶食したという記憶がありませんでしたので、あの、通常の点滴で、ある程度栄養分とか薬を入れながら、えーと、治療をしていたという風に記憶しております。

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昭和63年の3月に発症しております。私は。会社員しておりますんで、えー、人事異動というのが、あの、毎年2月、当社のほうでありまして。人間関係等で、色々、まぁ、悩むところがやっぱあったんです。そういったところは、どうも引き金になるのかなという風に自分としては思ってはいるんですけど。
まぁ、2月の異動で、まぁ、広島、本社のほうに着任して以降、えーと、1週間か2週間ぐらいから、やはり急激に何か症状が出てきまして。まぁ、当初は、下痢が主だったんですけど、そのうち下血等がですね、出てきまして、まぁ、どう言うんですか。痔ではないかとか、色々、まぁ、想定してですね。まぁ、大したことないだろうということで、1ヶ月ぐらい、ちょっとずっと放っておいた状態。その間も、当然、あの、下血は続いておりますし、体力がどんどん落ちていって、1ヶ月ぐらい経った頃には、もう、顔が本当、真っ白になるような感じでですね。