このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです
診断時60歳、インタビュー時89歳(2017年1月)男性 関東地方在住 発病から10年くらいは大変だったが、主治医の治療方針で、入院も手術もせず仕事を続けながら内科治療だけで寛解に至り、現在では完治したと思っている。現在は家内と二人暮らし。
Q.今奥様 の話がちょっとでましたけれども、病気になった時に奥様がどういうふうに対応してくれたとか、あるいはお子様との関係とかそのへんはなにかありますか。
A.そうですね、やはり家内は一生懸命対応してくれて、薬をお尻から入れるなんかにしても、最初はなかなか一人ではできないし、薬を、注腸薬剤を温めて適温にしてとか、その前にステロイドの注腸は昔はステロイドの塊をもらったやつを自分で砕いて粉にしてそれで注入してたんですね。それを一生懸命やってくれたりしましたですね。それから、かながわコロンに入会のきっかけというのは娘が丁度朝日新聞だったですか、広告を見つけてくれて、こういうのがあるよということで、かながわコロンを知ったということです。家族の支えというのは非常にありがたかったですね。
Q.じゃあ、その病気をしたことでなにか夫婦関係あるいは親子関係に悪影響がでたことはなかったですか。
A.逆みたいですね。いい影響というか、私も昔人間であんまり直接家内には感謝めいたことも言いませんけれど、むしろいい影響があったように思います。
診断時60歳、インタビュー時89歳(2017年1月)男性 関東地方在住 発病から10年くらいは大変だったが、主治医の治療方針で、入院も手術もせず仕事を続けながら内科治療だけで寛解に至り、現在では完治したと思っている。現在は家内と二人暮らし。
Q.患者会に 入会される方ってたくさん色んな方がおられると思うんですけれど、患者本人ではなくてご家族の方が会員になっている方も多くいらっしゃいますよね。特に若い男性の場合ですね、母親が患者会に入っておられるという方が結構多いと思うんですけれど、そのへんで何か親御さん、患者の親御さんの対応というのはなにか感じられたことがありますか。
A.私自身の話なんですけれど、一時は家内がやっきになって一緒についてきてくれて、診察室にも一緒に入って、先生との受け答えがこの私が言う前に家内が言うようなことがあって、先生が「奥さんは診察室から出てください」みたいなこともありましたけれど、よくその主治医はそういう例を挙げておられましたけれど、何ですかね、そういうのは一番望ましくないということで、患者本人が自分の思いを先生と話すと、話し合うということが必要なんだということを言われましたね。
九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。
Q:最初に診断されたのが19歳ぐらいということで、ご家族、お母さんは当然ショックを受けられたと思うんですけども、そのあとお母さんがどういうふうにあなたに接してくれたとか、逆にお母さんに対して、逆に気を遣ったこととかですね、そういう家族との関係と言うんですかね、お話しできる範囲で結構ですのでもしあればお話しいただけますか。
私がこの病気になったのは19歳のときなんですが、そのときに母はやっぱりショックを受けていまして、やっぱり国の難病ということで大変な病気にかかってしまったということがやっぱり母の気持ちにはあったらしくて、で、初めはこの難病は国に申請すれば医療費とかがある程度、かなり負担してもらえるということなんですけど、やっぱり自分が難病であるということを認めてしまうのでそれは母親とか父親、親にとってはすごいショックだったらしくて、初めは難病じゃない、認めなくていいんじゃないかという考えがあって、初めは特定疾患の申請はしておりませんでした。
やっぱり難病って認めてしまうと就職とか結婚とか今後の人生においてすごい影響が出るんじゃないかということを本当に心配していましたので、入院費とかも3割負担で初めはしていました。ただ、僕以外にも難病のこういう方がかなりいっぱいいると。で、かなり元気に生き生きと前向きに生活しているということも、母と僕もそうなんですけどこれから知ったので、やっぱり難病でもそういうことを自分に受け入れて、それで前向きに生きていくのが一番いいんじゃないかということを母と父とは話したんで、それから特定疾患の申請をして、自分が難病だというふうに国に認めてもらって医療費とか薬とかも補助していただけるふうにしていただきました。
診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。
どうゆう病気だなというのは理解は、妻の方はして今後これに対処していくんだなあというふうに思ったみたいです。で、私の方は、本の情報であったりとか病院の先生から話を聞いたりとかして少しづつ理解を深めていったという感じです。家族は、母親はいるんですけど、全然そういう意味がわからないので特別説明もしておりませんし、難しい病気なんだということを今言っても全然わからないということもあるので、母親の方は最近認知症ってこともでてきたので、逆にこっちが気を使ってやっているということで、母親の方はもう全然僕の病気に関しては熟知してはおりません。
Q:奥様の方はよく理解されているということなんですけれど、奥様は病気のことに関してどんなサポートをしていただいているのでしょうか。
サポートは、特にですね最初の病気をしたときからの約10年間近くというのは、やっぱり食事面のとこを気にしてですね、食べちゃいけないものというのが、こういうの、こういうのとありましたので、そういうのをできるだけ最初から避けた形で準備、食材の買い付けとか考えてやってましたね。私の方も一応こういうの危ないなと思うのは、最初から避けて、外食するにしても、例えば定食とかにしても、これは食べたら危ないなと思ったら全部妻の方に渡して、妻の方で僕の方が食べられそうなものをもらったりして、で色々調節しながら、お互いの協力してくれたのですごく最初の期間というのは大分助かったと思います。その後はある程度自分で管理できるというか、わかっているので、えー妻の方は特別は口を出さなくても自分で管理できるような形にしてますので。今は、たまに声をかけてれるくらいですかね。「だいじょうぶ」ってことで。その程度ですね、今は。
1ヶ月半、2ヶ月くらいだったかな入院したんで、娘が生まれて初めての入院だったんで、娘のこともすごく心配しました。私がいない間娘の方はいい子だったみたいで、周りに全然心配かけないでいい子だったみたいなんですけれど、退院して帰ってくると、夜は私の布団に入ってきてですね、首にしがみついて寝るんですね。毎晩毎晩私にしがみついて寝て、多分さみしかったのを取り戻してたんだろうと思うんですけど。入院期間の倍くらいそういうのが続きました。その後入院した時もそうだったんですけど、2か月入院すると4カ月、1ヶ月半入院すると3カ月くらいそうやって娘が首にしがみついて寝るっていうことがありましたね。
そうやって、その治療を外来でしてて、娘とも一緒にお風呂に入るんですね、娘もそういうのを見るわけですね。・・「私も大きくなったらそんなふうにお腹に薬を入れるのって」聞いたりとかしたりしてましたね。だからそこらへんの子供に分かる言葉で説明するのが結構難しかったりはしたんですけど、娘は割と早くこう、私の体がそんなふうになってるっていうのはそんなにびっくりもしなくて受け入れたように覚えています。
夫はですね、最初に発病した時は結構前だったんですけども、入院が長期になって、夫自身も胃潰瘍と十二指腸潰瘍になったんですね。夫自身も胃と十二指腸の両方に穴が開いたらしくて治療を受けながらずっとお見舞いに来てくれてました。二十代のときはずっとプレドニンの副作用で、もうずーとムーンフェイスだったんですね、それで鏡見ては泣いてたんですけど、二十代の時はすごく励ましてくれてましたね。三十過ぎるとですね、夫も、繰り返し繰り返しだからですね、子供が生まれた後の再発は特にその私が長期に入院すると子供の世話まで加わってくるので、多分困ったと思うんですけど、夫自身多分すごくきつかったんじゃないかなと思います。私に対しても結構冷たくなったりとかも、結構ひどいこと言われたりとかもしたんですけど、今思うと夫もいっぱいいっぱいだったんだろうなと思ってます。
娘が生まれてから後体調が落ち着いたんですね。丁度8年くらい落ち着いたんですよ。でさっき言ったように娘が生まれつき腎臓に問題が、異常があって、病院にかからなきゃいけなかったんで、定期検査に通わなけりゃいけなかったんで、それが娘で結構大変だったんですね、病院の通院とかで、育児もすごく癇の強い赤ちゃんで、ものすごく激しい声で泣く癇癪持ちの子だったのでとっても育児も大変だったんですけど、不思議と一番手のかかる8年間が病気自体が落ち着いてたんで、本当に今考えても神様にもらった時間みたいに、本当に子供を育てるために神様にもらった時間だったなあっていうふうに思っています。
診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。
Q:あとご主人が非常に協力的でいろいろやってくれたというお話なんですけど、その病気のことについて、手術を決断したときなど特にそうだと思うんですけど、どういうようなお話をされました。
まず病気に関しては、自分がこんなふうになって申し訳ないっていう、良心の呵責っていうんですかね、なんかこう自分の中にあったのは事実で、なにも勿論できなくなってくるし、ただ、彼はそこらへんは淡々としていて「なったものはしょうがないじゃない」っていう一言を受けて、内科入院して彼の多分目標の一つに毎日見舞いに行くみたいなのが多分その時あって見舞いにだけは結構来てくれて、なので・・一度「こんな弱いお嫁さんいらないよね」って聞いたことがあって、そしたら「そんなこと思ってないよ」って言われて、「あなたはこどものお母さんでしょ」っていわれて「いらない家族はいないよ」って言われたのがちょっとこうジーンってきたのがありまして。
あとは大腸手術するっていう話になったときも、周りが騒いでいるほど本人はあんまり騒いでなくてそれは今、今後こう自分の家を運営して行くじゃないですけど、「今大腸の手術って必要なことだよね」って言われて、「それに伴って失うものもあるとは思うけれどタイミングは今だよね」って言われたので、一緒に多分「どうしよう、どうしよう」ってなってたら大変悩んで決断できなかったと思うんですけど、そこは彼が結構あっさりポジティブに言ってくれたので決めれたところかなと思いました。
診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。
潰瘍性大腸炎が悪化してくると貧血もひどくなって、常にだるい状態で、帰ってくると本当にすぐにでもベッドで横になりたいという状況だったので、子供もまだその頃保育園に行って小さかったので毎日の食事を作る、それがもうとにかく苦痛で。あとは土日に自分はどこにも連れて行ってやれない。その分主人が連れてってはくれるんですけれど、なんか良心の呵責っていうか常になにもかまってやれてない自分、みたいな、そういう罪悪感みたいなのは正直あったんですけど。ただ、娘も毎日そういう私の生活を見ているのでわがままはあんまり言わなかったし、保育園で3歳の時に初めて、よく洗濯物とかをするんですけど、干して乾いたものをたたむ余裕がなくて、ソファーの上に山のようにうずたかく山のように積み上げてとかしてるのを、子供が畳んでるのをみてびっくりして。
あとは小学生になってすぐ、それこそまだ5月とか子供もまだ小学校に慣れてないという時に、仕事をして帰ってきたらご飯が炊けてたっていう、「ご飯炊いてくれたんだ」ちょっとびっくりして、にわかに信じられなくて、本人疲れてソファーで寝てたんですけど揺り起こして「ご飯の匂いがするんだけど誰が炊いたの」って聞いちゃうぐらいちょっとしっかりしすぎた子供になっちゃたんですけど。ただ入院してる時は保育園の4歳だったかな、内科入院のとき4歳で、うちの母に連れられてちょいちょい見舞いに来てくれたんですけど、見舞いに来てくれる時はにこにこ笑顔で来るんだけど、帰りに「ママがいいママがいい」って、泣いて帰って行くっていうのをよく見て、それもちょっと心にしみるものがあって看護師さんとかにも「今日廊下で泣いてる子がいたよ」っていう報告を受けて、ちょっとそこはかわいそうだったなっていうふうには思いますね。
診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。
家族との関係ですけれど、まず自分自身の実母がベーチェット(注1)をやっていたので、潰瘍性大腸炎になったという話を、独身の時になったんですけど、すごく理解してくれて、日に日にこう、なんて言うんですかね、体調の波があることとか、そういったことをすごく理解してくれたし、食事も比較的和食中心のものがいいとか多分わかっていて、なんて言うんですかね、同じように病気を、同じくらいの年から患っていたので、母も。なのでそこは理解が得られたのですごくよかったと思う。
結婚してからの主人もすごく淡々としてるんですけどめちゃくちゃポジティブなので、こう、なんて言うんですかね、一緒に落ち込むこともなく淡々と、今何をやらなければいけないのかっていうことをまとめて説明してくれて、後、主人の父親も難病を患っていたのでこれまた主人もある程度理解があったので、そこについては非常に助けられたと思います。入院することになった時も母も遠方から数ヶ月間フォローに来てもらえたりしたし、主人も何もできない人ではなくて、お料理はする人なので、後子供の面倒は本当に赤ちゃんの時からすごく見る人なので、そこだけは非常に助かって良かったなと思います。やっぱり、家族の理解があるのが一番必要なことなので、すごいそこは素晴らしかったなと思います。
(注1) ベーチェット病は口腔粘膜のアフタ性潰瘍、外陰部潰瘍、皮膚症状、眼症状の4つの症状を主症状とする慢性再発性の全身性炎症性疾患。
診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。
私は母と2人で暮らしていたので、正直私が最初に潰瘍性大腸炎だよって言われた時に私本人はそんなに打撃がなかったんですけど、母はかなり衝撃的で、泣かれたことは覚えていますね。でもその後、私が救われたのは、母がもともととても明るい性格の人なので、どんな時でも「絶対治る」がモットーの人だったので、私は正直本当に恥ずかしいんですけど何かもう死にたかったし、元気にしてくださいと思ったことがなかったというか、もうこんなにつらくって、こんなに大変で、正直人工肛門も自費なので結構な金額がかかっていたんです。そういういろいろ、諸々考えると、こんなお荷物がずっと生きていたらみんなの迷惑になるっていうのもあったので、本当に死ねるものなら死にたいなっていうふうに思っていたんですよね、親不孝なんですけど。でも母は全然そういうのも気に止めずいつも明るく接してくれていたので、母のおかげで生かされたのかなっていうところが正直ありますね。一緒に母も落ち込んでしまうような人だったら、こういう結果にはならなかったかも知れないのかなと思うことはあります。
診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。
家族は、まず、家内は、えー、苦しんでる…もう、私を見ることによって、やはり、精神的には相当苦しんでいて。最終的には、それを見続けて胃潰瘍になってしまったんですが。(笑)それで、あとは、そうですね。そんな状況なのに、仕事をさせてるということに、何か、こう、後ろめたさを感じてるとよく言われますね。要するに、すごく具合が悪いのを見てるのに、えー、まぁ、自営業ということもあるので、仕事をさせないと成り立たないということに、すごく、こう、辛い思いをしてるとは言ってますね。それと、ステロネマとか、あの、あと、何でしたっけ…注腸のやつがありますね。あれをした時に、すごく痛みが出るんですけど、あれをやったあとに、痛んでる自分、痛がってる自分を見て、あの、どうしていいかわからないっていうことは言ってますね。
あと、母親がですね、あの、まぁ、ずっと見守ってくれてる形だったんですが、県の便りを見て、そこで、あの、潰瘍性大腸炎の講演会があるということで、えー、東京のほうから有名な先生が来るということで、出席したらどうかって言われまして。自分はそんなところに行っても治らないと思ったんですが、一応、勧められたとおりに行きまして。そこで、その講師の先生から、えー、現在のIBDの内科の先生を紹介していただいて、その内科の先生のつながりで、まぁ、外科で手術ということで、まぁ、運命が飛躍的に変わったので。
診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。
Q:お子様たちがそのお母さんの病気をどういうふうに見ていたのかとかですね、当然そのご主人にその間色々負担もかかってたと思うんですけど、そのへんは何かそういうお話とかされますか。
えーとですね。勤めてた関係上、子供が小さいころから保育園にずっと預けていたので、子供たちは保育園生活で、私が元気なころは、勤めの出勤前と出勤後に引き取りに行くという形で全部私がやっていたのですけれども、当然私が入院した場合には主人がそれをやって、やらざるを得ない状況になりましたし、あの、主人の母親と同居していたものですから、主人の母親が一応子供の世話をしてくれるという状況でしたので、そういう意味では子供のことに関してはもう割り切ろう。自分自身で思って、早く病気を治して家庭に戻ろう、職場に戻るのが私の務めだと思ったもんですから、意外と割り切って病気とは戦っていけたかなと思うんですけど。
Q:ご主人の方はいかがですか。
いやー主人もそうですね、あまりやっぱり深刻に、私の病気に対して深刻に考えてないんだろうと思うんですよね。私が元気でっていうか、あまり症状が出てないときは普通に働いてますから、協力はしてくれなかったですけど、やっぱりあの入院したりすると、せざるを得ない、そういう状況でしたので、まあ、結構入院生活とか病気と闘っている時間が長かったですから、まあ、協力はしてくれたと思いますけども、でもあのおばあちゃんがいた関係で、小学校に二人とも入った時点ではもう、小学校は普通に通ってて、普通に帰ってきて母親がいないだけの状況ですから、まあそれほど、さみしかっただろうとは思うんですけども、大丈夫だったのかと思うんですけど、大腸全摘、最初の大腸全摘した時は上の子が丁度中学2年生でした。その間は勿論ずーと何回も何回も入退院を繰り返してたんですけども、まあ小学校高学年で子供たちもわかってきたのかなあと思うんですけども、あの、意外と男の子でしたのでさっぱりしてる面があって、まあ中学校に入ったころはほとんど病院に来ないという、そういう状況でした。でも私の方も割り切ってましたね。
診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。
私の場合は、発病してから名前を聞くまで、名前を聞いてから、病院の先生がこの病気はこういう症状でこういうものだよっていうのを聞いてたんですけれど、両親との話では、その病気の名前だとか治療法だとか聞いてからちょっと精神的にバランスを崩したというのもあって、今度から治療のどういうことをするかも伏せ、名前、一回言ってるんですけど、伏せって言うのを両親の間で考えてたっていうのを、手術が終わってから聞かせていただきました。でも結局言わないと治療は進められないというのをいつしか気付いてくださいまして、それからはお薬飲むのも、こういう治療法をするよっていうのも自分で聞き、じゃあいいですよ、でもこれはちょっといやだなっていうのはできるだけ言えるようになりました。
診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。
うちの母親はすごく神経を、もうなんかすごく落胆していましたけれどね、それでこんな病気になったのは私のせいだとか、よく嘆いていることもありましたし、あと、周りの人には絶対言っちゃだめよということで言ってまして、うちの母も私の病気に関しては他の人には一切言ってなかったようですし、かなり過敏になってたことはあったようですね。ただ、私はそれほどでもなかったので、他の人にもぺらぺらしゃべっちゃいますし、別にそんなに隠さなくてもなあと思うくらいのものでしたね。却って他の人には言っといた方が、理解は得られて何か色々、こちらも色々物事言いやすい、やりやすいという気持ちはかえって持っていました。
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
Q:この病気になられたことで、ご家族との関係とかご家族がどのように受け止められたかとか、ちょっとお話いただければと思うんですけれども。
そうですね。この病気は、なかなか周りから見てわからない病気だと思うんですね。また、痛いとか熱が出るとかっていうことではないので、たぶん周りの人はなかなか理解しづらいと思うんですね。私の場合も、うちの女房は専業主婦なので、退院してからしばらく家にずっと居たんですけれども、面倒見てくれたんですけれども、やっぱり、最初の頃は特に、私も何て表現したらいいかわからないですね。苦しいんだけども痛いっていうのとも違うんですね。すごい便意が常に24時間って言うか。起きてる間は常に便意を抱えて、ああ、トイレ行きたいんだけれども行っても出ないだろうなとか思いながら。そういう状況なんですね。だからそれをどうして欲しいの?っていうのが自分でもわからないわけです。どうしてもらったら、例えば、背中をさすってくれたら楽になるとか、頭冷やしてくれたら楽になるとか、そういうのがないんですね。ですから、自分でもどうして欲しいってなかなか言わない。言えないので、家族もどうしてあげたらいいのかわからない。でも見てると、とにかく苦しそうで辛そうなんだけども何にもしてあげられないっていうような状況が、特に最初の1~2ヶ月続いてまして。
結局、会話がだんだん少なくなってしまう。たまにはやっぱり運動したほうがいいんじゃない?運動って言うか、外、散歩ぐらい行ったほうがいいんじゃない?とか言われて行くんですけれども、駄目なんですね。もう100メートルも行かないうちに戻って来てしまって、もう家にずっと閉じ籠もってる状況でしたから、会話もどんどん、どんどん少なくなる。その時に、女房がついにキレて、何か言いなさいと。(笑)何にも言わないんじゃわからないと。何かやって欲しいことがあったら言ってちょうだいと。私もその時に、ああ、そう言えば何も言わなかったなというのを感じて、それから色々話をするようになりました。
診断時:22歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、主婦で、家族はご主人とお子さん(11ヵ月)。大学卒業時に発症、母も潰瘍性大腸炎。治療は漢方中心。潰瘍性大腸炎について理解ある、現在のご主人と巡り会い結婚、そして、病気をかかえながらも男の子を無事出産。現在、育児奮闘中で、二人目のお子さんもいずれと考えている。
母が同じ潰瘍性大腸炎なので、どういう病気かというのはわかっていたのですけども、やっぱり当事者になってみないと、全然やっぱり全くわかっていなくて、いざ(病気に)なってみると、お腹は痛いし、何も食べれないしということで最初はすごく辛かったのですけども。母がやっぱりわかってくれるので、すごいよい話し相手になってくれたり、気を紛らわせてくれたりというのが大きくて。私の1つ下に妹がいてるのですけども、ほぼ仕事がない時とか仕事が終わった後とか毎日のように入院している時は見舞いに来てくれて、話し相手になってくれて、すごい家族には助けてもらいました。
診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人
もしかして外科的な手術も考えていたので長くなればということで、親離れ子離れができなかったんですけども、でも結果良ければすべてよしじゃないですけれど、逆に入院して離れてみてお互いに家族のきずなとか言いますか、離れてみてわかることというのも色々ありまして、良かったなという感じでお互いに感謝もするようになりましたし、やはり親離れ、子離れしなといけないですし、こういう病気だったということを娘もなんかわかったような気もしますし、普段はやっぱり家にいると、そんなに病人という感じはないと思いますので、それはやっぱりいたわりの気持ちも出てきたような気もするし、逆に入院してよかったなという感じで、家族のきずなも病気によって深まったという感じはします
診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人
私の場合はなんていうか、(子供が)一人娘だったので発症した時がまだ保育園に預けていて、私も仕事をもっていてという状態だったので、なかなか入院ということに踏み切れなくて、家族に対しても何というんですかね、まだ子供も小さいので入院して母親がいないと不安になるという、まあ兄弟がいれば多少ましだったのかもしれないですけれど、そこでなるべく通院でということをお願いして、ずっと入院はしないで頑張ってきました。
なので、ステロイド、ステロイドって言う感じで頼ってしまったという悪い面もあるんですけれど、でもやはり小さい子供に母親の病気っていうことを理解してほしいというのは無理だと思っていましたので、やはり母親がいないといけないということで頑張ってきたので、それはもう今から思えば仕方のないことだったと思うんですけれど、それがずっと続いてきてもう娘は今年で22歳になるんですけれど、それでも今回入院の時でも、やっぱり入院しないでという感じでさみしいということを表現してくるので、やはりずっと我慢して、始めは医者にも入院した方がいいよという感じでもう半年くらいですかね、もうだいぶ前から入院を勧められていたんですけれど、だましだましというか、まあ色々することもあったので、しかたなく頑張ってきて、もう最後全部片付いた時点でどうしようもなく入院してしまったという感じになったんですけれども、
診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。
そうですね。まだ、その、大腸全摘する前は、どうしておれだけこんなことになるんだと、まあ、妻にも八つ当たりは何回もしました。で、ま、普通ならそこで離婚かなと思ってたんですけども、何かけなげにもじっと耐えて、ずっと黙って付いてきてくれたと。で、たまにそのころを振り返って言うんですね、まあ、いつでも見捨てれたんじゃないのと。こんな病人よりも普通の健康の人とって言うと、怒るんですよね。で、でも普通そういう考えなんじゃないのって言ったら、あのころのあなたは荒れていたと、でも自分で気付くまでは何も言わんって決めてたらしいです。で、何かそれを聞くと、ああ、やっぱり妻なしでは、おれは生きていけないんだなと、つくづく何かありがたいっていうか。人間って一人では生きていけないんだなっていう言葉ありますけども、まさにそうですね、妻の支えがあって、まあ、周りの看護師さんとか、職場の方の理解とか、先生の助けとかがあって、僕は生かされてるんだなと。
診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。
はい。家族にはとても感謝しています。特に、まあ、あの、かみさんとそれから子どもが産まれた後に、かみさんも働いていたんです、いたので、かみさんのお母さんが、仕事辞めて、それで同居してくれて、子どもの面倒も見てくれていたんですね。なので、あの、ま、病気であること以前に、われわれ夫婦を支えるために、ま、義理の母が非常に、その、仕事を辞めてまで、あの、われわれと生活を一緒にしてくれて、子どもの子育ての、かなりの部分を担ってくれたということが、一番大きいなと思っています。
えー、あともう一つ感謝するとしたら、あの、特にうちのかみさんは、根掘り葉掘り病気の状況とかどうなのということを、ま、聞かないで、ある意味、こう突き放したような状態で、接してくれているということも、気苦労がないという意味では、感謝しています。ま、なので、今はこれだけ全国の同じ患者の人や患者会で知り合った人が、一緒に会えるような機会があるときには、え、かみさんも誘って、こんな人たちと自分は今友達になってるんだよと、病気になって知り合うことができたんだよということは、なるべく機会を設けたいなというふうに思っています。
子どもとの関係では、子どもが育っていく過程の時に、3カ月とかっていう単位で抜けたりするわけですから、ま、寂しい思いをさせたなという、あの、思いはありますし。6回目の入院の時は、上の子どもが大学進学、下の子どもが高校進学の、え、時に重なりましたので、進路相談どうするかということは、病院に来てもらってしゃべった記憶があります。そういう意味じゃ、何らか、ま、子どもにも、あの、一緒に、接する機会が、大切なときに欠けてしまったかなという分は、ま、申し訳なかったなと思っています。
診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。
Q:では、あの、えーと、手術後にご結婚されたっていうことで、パートナーの方とは、その病気だったり体調とかに関する、こう、あの、お互いの、こう、やり取りとかは、どんなことをお話されたりとかされますか。
特に私のほうが調子が悪いとかってそんなに言うこともなく。(笑)で、まぁ、夫も潰瘍性大腸炎の患者なので、で、まぁ、その気持ちもわかるんで。ただ、私とはちょっとタイプが違うところがあるので、同じ病気でありながら、え?って思うこともありますけど。そこは、まぁ、何とかコミュニケーション取ってるのかどうなのかわかりませんけど、(笑)感覚でうまい具合にいってるのかなっていう。
中国地方在住。長年にわたり内科治療を受けながら会社の仕事も続けている。ステロイドの副作用もでているが、まだ手術までには至っていない。患者会の仕事も精力的に行っている。家族構成は妻と二人暮らし。
両親、親なんですけど、やはり、あの、病気になってですね、発症した以降は、3、4年ごとに、まぁ、入院してるということについては、やはり、心痛めてるというのはやっぱりあったと思います。ただ、あの、私自身は、辛い時期、入院してる時があってですね。あの、ちょっときつく接するというのがある…あったんですけど、あのー、やはり、親にも心配かけてるというのはある…今でもあります。まぁ、当然、親子の関係ですので、心配をされるし、子どものほうはちょっと鬱陶しいなというとこもあるんですけど。
あと、まぁ、女房なんですけど、実は、女房も潰瘍性大腸炎の患者なんでですね、どちらかというと、病気に対する理解というんですか。それはもう、あの、素人に話すようなことではありませんので、素人に、病気を1から10まで話すという必要はありませんので、ちょっとお腹が痛い、下血したというと、大体、もうピンときて、ちょっと食事を、ちょっと、何ですか、消化の良いものにしようかとか。そういったような、もう、すぐ感覚的に理解する…できるんでですね、そういった苦労は特にありません。