NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

QS-2 プロフィール

診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 人口肛門になかなか慣れなくてですね、漏れがあったり、かぶれたりとか、すごい痛みがあったりとか。排便通とか腹部痛とかはほとんどもなかったんで、食事の方も普通食摂っていいということだったので、そういう部分では気が楽だったんですけど、やっぱりそのストマの管理、パウチの管理、そちらの管理の方に気をとられることがあって、なかなか日常生活でスムーズに他の方と同じようにいけるかというと、どうしてもそちらの部分があるからですね、うまくいくことはなかったんですけど、まあ自分なりにこうしたら、楽にやって行けるとか、改善しながらとか、ストマ看護師さんとかいらっしゃるので、そういう方におたずねしてですね対応策をきいたり、合うストマ、合うパウチを選んで頂いたりとかで、色んな方法を試してみて・・
 最終的に4回目で閉じたのですが、閉じて10日から2週間くらいで退院だったのですが、あと2日という退院の時に腸閉塞をおこしまして、それからまたちょっと退院が何日間延びるかたちになったんです。あ、これが腸閉塞かとその時初めて感じまして、ものすごく痛かったので。それから食事のほうも注意しないといけないのかなと思いながらすごしておりまして、生活自体はですね一応食事の方は普通にとっていいですよということだったんですけれど、食べてると、普通に食べると腹部痛・下腹部痛・肛門痛とか排便後の痛みとか、色々痛みがあるので、それを一応先生の方に相談して、食事の制限とか経口の栄養剤とかをすることによって、なるべく排便の軽減とか痛みの軽減、薬も飲んでいますけども、そういうところでなるべく普通の生活が、一般の生活が出来るような方法をなるべく今模索しながらですけどやっていってます。

QS-2 プロフィール

診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 まず、1回目の手術の時は、どういうふうなというか、どれくらいの規模で塞がっているか、っていうのがレントゲンとかそういうのではわかりずらいということで、開いてみてからの判断になりますということだったんですよ。で、ある場所っていうのはここっていうのはわかってたんですけども、それがどのくらいの広さになってるかってのがわかってないということで、ま一応手術をうけることになったんですけど、その時はそんなに怖いという思いとか、もう任せるしかないという、まったく開き直りではないですが、そういう気持ちでいた。
 どちらかと言うと、自分が手術することによって母親がどういう風に動揺するだろうかとか、妻とか他の人がどうふうに思うだろうかとか、回りのほうに大丈夫だよってことをこっちら言って安心していいからということで、自分としては盲腸の手術するくらいの気持ちで初回の手術は受けたんですよね。で、実際受けてみて、こんな痛いのかと思うくらいの痛みを手術当日とか2-3日痛かったですけども。一番最初の手術はそんなに手術に対しては怖いっていうイメージは持っておりませんでした。手術をすることによって最終的に病理検査を受けないと自分の病気が判明しなかったというのもあったのでそれはそれでよかったんじゃないかなって思っています。

QS-2 プロフィール

診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 退院して半年後にカメラ検査をすると、またちょっと出来始めてたんですね。じゃあやっぱり様子を見ようということで、そのへんからプレドニンとかもまた始めたんですけども、その年の暮れにまた出来ているということで、今年になって、もう少し様子を見ようと見ていたんですけど、もうやっぱり塞がってしまったねということで、3回目の手術をしましょう、ということで、3回目の手術にあたってもカメラをいれて検査をすると、直腸とかは本当綺麗らしいんですよ。ところがS状から上の方が全然ダメになってしまっているということで、3回もやっているっていう、3回目になるということと、内部の方の癒着がひどいので1回、1回の手術が大変だったらしいからですね、今回はもうきれいなところもあるけれど、大腸の全摘をやっとった方が今後のためにも再発の危険性がないでしょうということで、まあそういうことで大腸の全摘をやったのが3年ほど前ですかね、に大腸全摘を受けて、で一時まあ人工肛門を3ヵ月したんですけども、最終的にはクローズドして、一応普通排便のほうで出来るような形にはもっていってるのが状況です。

QS-2 プロフィール

診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 それから10何年経ってからの2回目というのが自分でもさわってわかったし、1回目の時と同じような感覚のしこりみたいなのがあったので、また出来てるなってことで。2回目も一応検査を受けて、これくらいの部所にあるから、これくらい切られなくちゃいけないだろうということで、その時は大体これくらいの幅というのが先生から聞いていたので、そんなにこう1回目と同じくらいの気持ちで大丈夫、大丈夫まだ残っているから、くらいの感じで、2回目もわりと、手術自体は大変だったんですけど、痛かったんですけど、2回目もそんなに怖いとか恐怖心持たずに受けることができました。
 そして3回目ってのは2回目から1年後なので、またかと言うところもあって、3回目の時の説明が大腸の全摘っていうことを言われたときは、正直ちょっと頭の中が真っ白になる感じがありました。べつに癌になると言われたのではないのに、近い感覚だったのかなあと、自分の中では想定していなかった、全摘という話だったので、今後どうなるのだろう。人工肛門の話があったので、これからどういう風にしていったらいいんだろうとか、短期的ですぐ閉じてから普通に排便できるようになるからという説明は受けたんですけども、その前の大腸を全摘するということの恐怖心というのは初めてその時手術への怖さというのは感じましたね。

QS-1 プロフィール

九州地方在住 49歳 女性 潰瘍性大腸炎全大腸型 発症23歳看護師 仕事は非常勤 現在は夫と夫の両親との4人暮らし。

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 娘が小学校5年生の時に重症化しました。また重症化して、その時は本当にに緊急手術を覚悟しておいてくださいっていうふうに言われて入院して、潰瘍がひどくって、深い潰瘍がたくさんできてたんで、その時は相対的手術適用ですって言われて手術するかどうするかっていう話までその時はしました。で、ものすごく迷ったんですね、毎年のように入退院してたんで、一旦よくなっても、いい状態が長く続かなくて、それとあと、プレドニンを経口で飲めないんで、何て言うんですかね、治療を始めても、ものすごく時間がかかるんですね、回復するのに。だから長いこと痛みと戦わないといけなくて、重症化した時は近くの総合病院に入院して、今度はその当時白血球除去療法が結構一般的になってきてたんで、白血球除去療法をやろうということで入院したんですが、プレドニンなしで白血球除去療法オンリーでやったんで、痛みが取れるのにものすごく、病状自体が悪かったということもあるんですが、回復するのにすごく時間がかかって、その時は5回1クールだから1カ月かかるんですね治療に。週1回やるので。それを最初の1クールで痛みが取れなくてもう1クールすることになって・・
 長いこと本当に苦しんで、手術をどうするかという話になったんですね。その時先生と話したのが、やっぱすごく、手術が目の前になると、すごくこうやっぱり、怖かったのとどうしようかっていうの、こんな状態、体の状態で日常生活がまともに送れないっていうのがあったんで、すごく迷ったんですが、その時主治医の先生から、手術をした人は10人のうち一人はやっぱりしなかった方がいいと言う人もいるから、やっぱり個人差がすごくあるから、手術後の合併症を起こすこともあるし、術後にどんなことが起きても受け入れられるだけの覚悟ができてから手術したほうがいいよ、って言われて、それで、しないことに私は決めました。

KT-13 プロフィール

診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 手術の時に、最初はお腹の中が痛いんですけど、どこが痛いかわからないんですけど、お腹の中が痛い。だけどだんだん、2週間で退院させられるんですけど、外科は。最後の方はおそらく肛門のところ、直腸と小腸を繋げてる辺り、肛門から奥2センチくらいかなというようなところがすごい痛くて、痛いので朝とか寝るのも座るのも微妙に辛い感じなので、かと言って夜うろうろうろつくわけにも看護師さんに怒られるのでできないので、3時か4時くらいから円座のクッションを抱いてデイルームっていうんですかね、みんなでお話しできる団欒部屋みたいな所に行って一人で夜を明かすっていうことが結構ありましたが、でもそれも1ヶ月を超えるとなくなってきて、そうですね痛みはそこでなくなったと思います。
Q:トイレの回数なんかは術後どういう状況でしたか。
 手術してすぐは便管っていうのが、肛門のところから付いていてそれが1週間くらい付いているんですけど、それを外すと15回から20回くらいお手洗いに行きたくなるんですけど、なんかその肛門のところの痛みが、奥の痛みがあるのであんまり踏ん張るとそこが切れちゃうんじゃないかと、破裂したらどうしようとか、なんかそう思ってちょっと我慢するっていうか、感じで過ごしました。やっぱり20回くらいが3ヶ月くらい続いた気がします。でも徐々に家にいると20回くらい行っちゃうんですけど、外に出かけるようにしまして、外に行くとトイレ探すというよりも他のことに気が向いているのでトイレに行かなくてもトイレのことを忘れるじゃないですけど、なので回数がどんどん減ってきて、最終的には7回から8回、調子が悪かったら15回みたいな感じで、そうですね回数的にはそんなところですね。今も術後半年くらいなんですけれど職場に復帰したので仕事しているときはそれこそトイレ行くことを忘れてるのか、それとも我慢してるのか今一自分ではわからないんですけれど、今5回くらいですね。

KT-13 プロフィール

診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 手術の方法についてなんですけど、IACAっていう、なんていう名前だったかな、回腸嚢肛門管吻合術(注1)っていう難しい名前がついているんですけど、大腸は全部摘出するんですけど直腸のところを1センチ位残して、そこに小腸を繋げるっていうような手術をしていただきました。先生がすごく上手な、手術が上手な方だったのでトラブルもそんななくて、まあ痛いのは痛かったですけど、すごい術後の経過は非常に順調でした。
 手術で入院してた時にあったことなんですけど、手術当日は朝8時半に手術室に行ってそこから夕方の4時くらいまで記憶がないんですけど夕方の4時に目が覚めたときに全く痛くなくて、すごいなと、これはすごいと思って、本当痛くないんだって思ってたんですね。麻酔は全身麻酔とあと脊椎のところに麻酔をいれる硬膜外麻酔とあと点滴で痛み止めをいれるっていう、この3つで手術をしてもらったんですけど、本当に当日は全く痛くなくて、それこそスマートフォンでメールとか見れちゃう。このまま楽に過ごせるんだすごいなと思っていたら、手術の翌日の朝8時に目覚めて、あれ、なんか痛い気がする。気のせいかな、いや気のせいじゃない。これおかしいみたいになってきて、ものすごい激痛が走って、でもお腹の中を切っているのは頭ではわかっているので、のたうち回るにものたうち回れない。動くと中も動くから痛いかも知れないと思ってうんうん唸って、恥ずかしい話この歳で部屋でしくしく泣いてたらその日の担当の看護師さんがやってきて、体温とかを計る。たまたまその子が来た時間は点滴の痛み止めもなにも打てない、1回打ったら5時間くらい間を開けないといけないので、なにも看護師さんとしては手助けできない時間帯に来た時に私が泣いているのを見て、私のために泣いてくれてというか泣いてて「何もできなくてすみません」みたいな事を言っている声が泣き声だなと思って、ふっとその看護師さんの顔を見たら泣いてくれてたから、私のために泣いてくれる人がいるんだと思って、そこから私は痛みじゃなくて感動して、この看護師さんのために私頑張ろうと思って、その日翌日から歩かないといけないんですけど、癒着しないために、ナースステーションを1周と言われて、めちゃくちゃ嫌だったけれど頑張ってこう歩いてその日から毎日毎日ナースステーションの周りを歩くようにしました。
(注1) 回腸嚢肛門管吻合術は潰瘍性大腸炎の全摘手術の代表的なもので、回腸嚢を肛門管と吻合して肛門管粘膜を温存する術式である。そのほか粘膜を抜去する回腸嚢肛門吻合術や人工肛門を造設する術式などがある

KT-13 プロフィール

診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 (手術に関して)主人とも相談をして、QOLって言うんですか、生活の質っていう、めちゃくちゃ悪かったですし、仕事に行って帰ってくるともう寝たっきりだし、土日は寝っぱなしだし、家族でどっか行くとかもほとんどなかったし、そんな生活で今後いいのかっていう疑問もあったし、食事もほとんどなにも採れないし、食べてるもので固形物はほとんど受け付けなくて、エレンタールっていう名前の栄養剤があって、あれは不味くて飲めないっていう人がたくさんいる中、私は何げにそんなまずくないじゃないみたいな感じで、エレンタールと後経口補水液を飲んで生活しているような状態だったから、それじゃまずいと思ったのと、子供が今2年生で10年前に潰瘍性大腸炎やっててだんだん癌のリスクが高くなるよって言われて免疫抑制剤をこんなに3つとか併用してやってたので、こんなにやってるのは今後副作用が怖いなと思って、免疫をおさえてるから、勿論癌だってなるかもしれないし、そうなった時にそれでもいいのかなっていうこととか、
 後は核家族なのでもし手術を今後せざるを得なくなった時に子供がいて、核家族でフォローが必要なんですけど、自分の両親も主人の両親もだんだん高齢になってきてるので、フォローをしてもらえる期限っていうのが今なんじゃないかと、あとは特定疾患、今難病っていうことで潰瘍性大腸炎が入っているけれど、これもなんて言うんですかね、患者数が多くなってきたから今後どうなるかもわからないよねと。(注1)もし内科入院とかで2ヶ月、3ヶ月で特定疾患外されたらとんでもない費用かかるし、
 そういうことも全部加味して判断をしたものの、入院をしてそれでもすごく怖くて先生に「もし大腸全摘して開いてみて、先生たちは悪くなるから全摘って言ったけど、開いてみて実は中身がすごく綺麗だったらどうしてくれるんだ」って言って詰め寄って手術をキャンセルしようとしたんですけど、やっぱり外科の先生は淡々と、今までのデータから言うと、例え開いた時に綺麗だったとしてもあなたは数ヶ月後には悪くなると思います。ここは私を信じてください、というようなご説明を受けたので、その先生を信じて、その先生は信じられるなと思ったので、当日手術に挑むっていう決意をしました。
(注1)潰瘍性大腸炎は現在医療費助成の対象疾患に認定されているが、認定の条件の一つとして患者数が人口の0.1%(現在は運用で0.15%)以下であること、つまり希少疾患であるということがある。2014年現在潰瘍性大腸炎の患者数は16万人と言われており毎年増加している。

KT11 プロフィール

診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住
専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 手術を、先生がQOLだとか大腸がんのリスクだとかで勧めてらしたんですけども、私が決断できなかった理由としては、QOLってすごく難しいなというふうに思いまして、「手術をすればQOLが良くなるよ」って言われても、何か自分にとってのQOLって何だろうって考えると、すぐには分からないけど、でも、お手洗いの回数が減ることだけではないなっていうふうに思いました。
 あと自分のこの潰瘍性大腸炎という症状をどう受け入れるかというのを今までずっと、どう受け入れてどう考えていくかというのをずっと考えてきたので、何かそれを切ってしまえば終わりだよねというのは、何か違うかなという考えもありました。大腸がんに関しては、大腸がんの予防の手術は本当に必要なのかなというのが自分としてはよく分からなくて、内視鏡の検査を年に最低でも1回していれば、大腸がんになるということはもちろん可能性としてはあるんですけども、がんが転移をしてしまうようなことは現実的にあり得るのかなと思うと、予防のために手術を受ける必要って本当にあるのかなというのが分からなくて、先生は「健康な人の腸とは違うので、がんがすごく見つけにくいので」ということはおっしゃっていたんですけども、ほんとに予防のために手術をする必要というのはないのかなというふうに考えたりしていました。

KT10 プロフィール

診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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Q:その好転した理由っていうのはわかっているのですか。
 やっぱりケアが違いましたね。そこでは一切手術ももちろんしなかったですけど、私が運ばれた時っていうのは、もう肛門の穴がシャーペンの芯が入らないぐらいふさがってしまっていて、そこがふさがったら死んでしまうので、その状態でその町医者に行ったんですよ。そうしたらその先生はその状態を診ても、再度人工肛門を作る必要もないし他に方法はあるからって、希望をすごく持たせてくださって。それで救急病院を紹介してくださって、そこに行ったらそこの先生も正直私の状態を診てびっくりして、「これで手術したのか?」っていう感じだったんですよね。でもそんなことを言っている時間もなかったので、後から聞いたんですけど、シャーペンの芯が入らないので内視鏡のカメラも入らない状態なのですけど、ここがもう本当に私も感動したんですけど、5人の男のドクターが自分たちの指で私の肛門をこじ開けてくれたっていう、それで命拾いをしたっていうのは後から聞いたんですけど。そこで、どんなに設備が調っている病院だとか、IBDをすごく研究しているという大学病院だからって治せるものではなくて、やっぱり個人個人のドクターの気持ちっていうか、患者さんにどこまで寄り添った治療をしてくださるかによって、こうも奇跡が起こせるんだっていうのを目の当たりにした瞬間でしただったというか……。

KT10 プロフィール

診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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 その後ももう本当によくなくて、術後が。もう「手術をしたら食べられるようにもなるし、普通の生活が送れますよ」っていう話だったんですけど、手術をしたことによってむしろ病院から出られなくなるぐらいの状態に陥ってしまって、その2006年の1回目の手術から2009年までは、私はもう入退院、手術の繰り返しでしたね。ただ、やっぱり病院も手の施しようがないので、ベッドの状況もあるから「出てくれ、出てくれ」だったので退院はさせられるんですけど、絶飲食状態なのでなかなか家で点滴ってわけにもいかないので、救急車で何度も何度も運ばれました。それでもやっぱりベッドが空かないからということで、すぐ帰されるという状況がずっと続いていて、まあ正直ちょっと家からその行っていた大学病院が遠かったので、高速飛ばして救急車に乗っても40分かかる所だったので、その生活がもうずっと続いたのですね。で、ほとほと、私はもちろんですけれど家族もやっぱりもうそれは大変だったので、そこの大学病院でオペはしましたけど、術後のケアはあまりにもそういう状態でよくなかったので、もう死にそうだったので(笑)、
 たまたま近所の町医者なのですけど、近所に消化器外科ができたんですよね。で、そこに這って行ったというか、そうしたらそこの先生がこその状態を診てびっくりして、それで別の病院を紹介してくださって、そこから劇的に好転しましたね。「あの3年間は何だったんだろう」っていうぐらい。

KT-9 プロフィール

診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。

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Q:あと、あのー、術後の排便のほうはいかがでしたか。
 最初に、あの、毎日、退院してから手帳に付けたんですが、その手帳読むと、大体16回から約20回の間を1ヶ月ほど往復してまして。その後も付けようと思ったんですが全然変わらないので付けるのやめました。それで、やはり15回以上行っていたのが、自分の場合はかなり排便回数が減るのに時間がかかったので、1年以上は、おそらく15回は行っていたと思います。ただ、それは、あの、食べ物の量とか水分の取り方によっても違うかも知れないので、一概に何回というのは、ちょっと、その同じ物を食べて同じ行動してるわけじゃないので、うーん…測るのは難しいのかなと思いますけど。個人的には、なかなか減らないというイメージがありました。
Q:その1年ぐらい経って徐々に減ってきたということですか。
 そうですね。1年、2年ぐらいはかかったんじゃないですか。10回を割るのには3年かかりました。(笑)今で、一応3年7ヶ月なんですが、3年過ぎたあたりで10回ぐらいかな。ただ、本当によく食べてよく飲むので。そのせいもあるのかなっていう気はします。
Q:今現在は何回くらいですか。
 今は7回ぐらいですね。で、7回という数に関しては、もう自分としては満足しているので、欲を言えば夜中に1回は必ず起きるので(笑)この1回がなくなればいいかなとは思います。術後に夜中に…術後は本当に夜中に3回ぐらいは必ず行ってましたので。直後は。それから減り始めて、1年から、そうですね。1年半ぐらいだと思うんですが、2回ぐらいですね。あと、夕食をたくさん食べたりとか、今日はちょっと大目に食べたなと思うと、必ず回数が増えるという。1回に安定したのは、本当に、そうですね。2年過ぎて3年とかっていう形ですかね。

KT-9 プロフィール

診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。

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 それで、術後は、自分では本当に停滞感があるなと思っていたんですが、先生との話ではかなり順調ということで、術後に出やすいイレウスって腸閉塞とかそういうもの一切起きずに、あとは、あの、潰瘍性大腸炎のその勢いがものすごく強い方は、手術直後にもうその大腸取ったはずのところに、小腸で作った回腸のうというところに、また潰瘍性大腸炎と同じような炎症が起き始めてしまう方がごく稀にいるという話だったんですが、それもなかったという。で、予想外に悪いことが出たのは、ステロイドを2年半休まずにずっと服用してしまったために、ステロイドをやめて…そうですね。やめてから、すごく強い関節痛が出ました。それと、心療内科に行かなくてはならないほどの鬱症状が出ました。
Q:それは、手術したあとですか。
 そうです。手術をしても、手術の近くまでステロイドをずっと飲んで…服用していまして。今度、手術が終わったあとに、まぁ、これはちょっと自分の想像なんですが、お腹の中に、こう、手術後に、たぶん、炎症起こさないようにとかそういうことで、点滴でかなり強いステロイドをするんですね。で、そのステロイドをまた急激にやめることができないということで、ステロイドはちょっと急激にやめることができない薬なので、またしばらくその強い点滴をしてしまったために、またステロイドを減らすために、ステロイドをしばらく飲まなくてはいけなくて。それが完全に切れてから、そうですね。完全に切れて2、3ヶ月ぐらいしてから、ちょっとあり得ないような関節痛が(笑)出まして。その術後に、えーと、大学病院に行った時の症状は、主に、関節痛の悩みで行ってるという感じでした。で、医師からの説明では、ステロイド長い間使っていて切った人は、強い関節痛が出る方が稀にいるということ。

KT-9 プロフィール

診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。

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 そうですね。あのー、初めの専門医の内科の先生からも言われていますが、自分の目的というのが、手術をしたことによって、どこまで今の自分の本来の病気前の自分に戻れるのかっていう気持ちがありまして。で、自分の場合は、慢性持続型なのでずっとそれと付き合わなきゃいけないっていう。でも、慢性持続型でずっと生活するってことはあり得ないらしいので、必ず、手術をどこかで決断しなくてはいけないということで。で、その時に、その内科の先生は、うん。かなりのところまで戻ることができるっていう、前向きな意見を多く言ってくれる方で、で、もちろん、失敗…失敗と言うか、経過が悪い場合のことも話されましたけど。内科の先生との話で、うん、自分は受けたほうが本来の自分に戻れると判断して。その専門医の先生がそういう判断を下したことによって、手術に対する不安とか恐怖感はありましたけど、本来の自分に戻れるんじゃないかっていう希望を、もうできるだけ持つようにしてきました。
 あとは、手術の前日に、あの、執刀医の、その外科の先生からも、様々な術後の合併症とか、そういうものについてですね。術後どういうことが起こり得るかっていうことは説明されるんですが、それは、ものすごい少ない1パーセントの例まで含めて説明されるので。(笑)ものすごくたくさんのことを言われたと思います。で、手術前日っていうのはやっぱりナーバスになっているので、本当に1パーセントとか5パーセントしか起こらないことまで自分にすべて起こるような気がしていました。でも、医療側のほうからすると、1パーセントでも起こることがあり得ることは、すべて患者に納得してもらって同意を得るっていう形を取るのだろうと思います。

KT-8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 やっぱり人工肛門をつけるってことは、当然初めての経験ですし、本当にこんなところから便が出てくるっていうのは最初はびっくり仰天でした。でもまあやってるうちに、自分の体ですし、自分で勿論色んな処置をしなければならないということで、自分で、元気、元気っていうとおかしいですが、手足も動きますから、全部自分でやりましたけども、やっぱり3日に一度取り変えなきゃならないとか、後、用具を買ったりとか、やっぱり高いんですよね、高いし、夏場はかゆいしっていうような、そういうふうな感じで、後、今一つ外に出れない。勿論洋服を着ればいいんですが、旅行には行けないっていうような、このままだと、その旅行に行けないのはどうしようかなって、やっぱり温泉にも行きたいなっと思ったんですけど、それも行けなくなるのかなと思ったんですけど、まあ半年後に幸いにして人工肛門を閉じる、そういう手術ができたものですから、今では主人と一緒に1年に何回か二人で旅行、温泉旅行とか行っています。

KT-8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 平成22年ですか、平成22年、おととしなんですけど、そのつなぎ目が急に、なんか壊疽をおこしたらしくて、まあ勿論腸閉そくなんですけど、腸閉そくを起こしてそこが壊疽、腐っちゃって本当に緊急にまた手術、土曜日の夜中なんですけど、緊急に手術っていうことになりました。その際ですけども、最初の手術のときもそうだったんですけど、なんか、すこしステロイドをたくさん飲んでたもんですから、繋ぎ目を治すためには、一旦人工肛門を作った方がいいと言われて、第1回の手術の時にも人工肛門を作って、半年くらいで人工肛門を閉じるというそういう手術をしました。
 で、今回もです。やっぱり緊急でしたし、前回はぎりぎりのところで、肛門のぎりぎりのところで作ったっていうことで、今度は永久ですよね、永久の人工肛門にするか、それとももう一回きちんと肛門から出すかっていうそういうふうな選択があったらしいんですが、私はそのころ意識がなくて、痛い痛いで意識がなくてそういう判断もできない状況で、手術室に運ばれて行ったという状況ですので、その時主人がちょっと入院してましたので、子供が一応判断して、まあどうなるかわかんないけど、最終的な人工肛門、永久的な人工肛門にするには母親の意見としてやってほしいので、とりあえずもう一回永久的でないストマーを作ってやってほしいって、息子がお医者さんに言ったものですから、その時点でストマーを作って手術を終わったんですけど、それもそうですね去年の4月に人工肛門を取る、そういうふうな手術をして今は普通の生活をしいます。

KT-8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 大学病院ですので、外科の先生、ちょうど潰瘍性大腸炎の有名な先生がそこにいらっしゃるからって、外科の方にそのまま転科して、転科して本当に数日後に大腸全摘手術を受けました。その時もステロイドは高かったんですけども、まあ、大丈夫だろうということで、即手術を受けました。で、手術受けた時には本当にあっという間に自分の判断もなくて外科へ行って手術をしたような、そういう風な感じでしたけども、ただ、やはりその潰瘍性大腸炎の患者さんがいっぱいいた外科でしたので、そういう風な情報もその時点で潰瘍性大腸炎が一杯仲間がいるんだとか、若い子もなっているんだとか、そういうのをその時点でわかったんですけど、それ以前は何の情報もなくて、その後自分はどうなるんだという、そういう非常に不安感がありましたけど、手術した後、同じ病室の人で結構みんな3週間くらいで、2週間3週間で切ったところの痛みが取れた場合には、同じ病室の人が集まってきて、わいわいがやがやみんで笑いあってたことが記憶にあるんですけど、
 で、早い人が本当に4週間、3週間前後で、手術しても退院していきますし、私はその後ちょっと微熱がでたもんですから、5週間ぐらい入院してたと思うんですけど、この時点で退院できるのか不安だったんですけど、退院した後はその関節炎も痛みもなくなっちゃって本当に、勿論ずーと病院生活ですので筋力がなくて、歩けないとかそういうのはあったんですけど、そういう関節の痛みで生活に支障は出ることはなくて、家庭に戻って一般的な家事はできたと思います。

KT-6 プロフィール

診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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Q:一つ伺いたかったのは、手術のね、傷のことを気にしてらして、で初め手術したくないって言ってらした、今はどう思っていますか。
 最近気になり始めたんですよね。修学旅行のお風呂。最初はシャワーも付いてるから、シャワーだけ一人で入ってでいいんじゃないかな。だけれども、逆に私だけシャワーを使うと、何で?って言われる。もうわかっているから、しょうがないかな。タオルをわざとお腹にずーとかけてお風呂にはいる。でもお湯につかる時は外さなきゃいけないから、今入いってる子に悪いけど後ろ向いててって言って、後ろを向いててもらって、やっぱし透明なお風呂だから見えるんだけど、その子は気にせずに、気になるとは思うけど、「私きにしてないから気にしなくていいよ」って言われて、2回目のお風呂の時は、逆にもうバスタオルじたいかけないで入って・・ああ、よかった入れたと思うけど、やっぱし周囲の目は気になりましたよね。「あの子何でこの年で傷があるんだ」説明はしたいけど、やっぱし乗り越えられない。
Q:どういう感じの傷なんですか。
 おへそからまっすぐに縦線が入ってあって、横線がまた入ってあって、おへそのちょっと縦線が入った下のへんに、またおへそとおんなじ形に傷があるんですよ。なんかたくさん傷があって、ドレーンの傷があったり、それこそストマの残った傷があったり・・カラフルにペイントされてるような。(笑)

KT-6 プロフィール

診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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Q:病状というか症状のことでお伺いしたいのですが、手術をして2年近く経つわけですよね、その間、最初手術した直後っていうのは便の回数も多かっただろうし、体力的にもなかったんだろうけど、この2年間で例えば便の回数が減ってきたとか、自分の生活レベルが徐々に変わってきたとか、そういうのって実感することってありますか。
 便の回数は、薬もあるからかな・・ある程度普通の人に近いぐらいの回数になって、7回、せいぜい7回、まだ比べると多いけど、例えばへんにカレーライスを1日に3回も食べない限りは、ずっとトイレに籠ることもないし、手術をする前って自分が本を読んでるのに、本を読んでない気分なんですよ。目が本を1ページめくったらもうトイレに駆け込んでるんですよ。でまた戻ってきたらまた読むんだけど、読めないってことをよくやっていたのが、普通にずっと本を読んでるし、
 後は電車で長時間乗れることになった。今まではすぐトイレに行きたくなるから、絶対に電車はできるだけ短くて各駅停車をしてくれる電車じゃなきゃだめだった。その後もう全然我慢はできるから特急とかに乗れるようになったときに、あ、便の回数が減ったんだな・・食事もうまいこと調整をすればそこまで出血して便器が真っ赤になるなんてことはなくなったなあ。後はストマをしているときよりも、トイレの場所を気にせずにすむようになった。ストマをしている時はオストメイト対応トイレ、必ず行く場所行く場所で検索して、ここにあるから絶対トイレ行く時はここでやろう、で行く時の行動の荷物もいりますよね、ストマの交換する材料、交換する物品自体がいらないから、持っていかなくていいんだ、あ、軽いな。後は検診がなかったこと、2年目で。1年目は手術をしてからだから、検診をしなきゃだめだよって言われてたから、2年目で安定してるから検診しなくていいよって言われた時は、あ、落ち着いてきてるんだなあとは感じました。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 2回目の手術は確か夏休み明けかな、夏休み明けでもう痛いって言うのが、手術が痛いっていうのが分かっているので、入院はしたんですが、1日目で私はもうこのままでいいから帰るっていってわがまま言ってわめいたこともあったし、そしたら学校の先生で、おばあさんでストマをしていた人がいたっていう先生の話を聞いて、ストマはいいもんだけど、まだ若いんだから(ストマを)外して歩いたほうがいいんじゃないのって言われたので外すことを決意し、手術をやりました。手術をやって本当に袋がとれたとき、お腹にいくつか傷はあるんですが、あ、無くなってる、赤くて出っ張ったものが、私のお腹から出てないと思い、ちょっとその時は感動しましたね。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 手術をするっていうのは、何回も入院をしているので、1回も言われたことがないっていうわけではなく、やはり手術をする前に入院をして、治療をして1回ちょっと回復するんですが、また悪化し、悪化になると先生が必ず、「手術をしませんか」っていうことを言われるんですが、ずっと小学生の間はずっとお断りをしていました。手術の内容もはっきり言って理解はしていなくて、でもとにかくお腹に傷を入れるということは、痛いし、絶対大きな傷が残るからいやだよという思いで、これは絶対に、絶対に何があってもしないぞ、という思いだったんですが、最終的に手術に、手術をするっていう時は母の意見も父の意見もまったく聞かずに、いや私は手術をして楽になりたいという思いで手術に挑みました。

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診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 手術を決断した経緯は、どの薬も効かなくて、本当に点滴をしても脱水状態で、動く気力も食べる気力も飲む気力もすべてをなくしてしまったので、もう最終的な段階の手術しかないねという話で、何回も拒んではきたんですが、手術をしようということになりました。その時の気持ちは、とにかく早く楽になりたいっていう思いが強かったです。手術の内容は説明をして頂いているんですが、なんせしんどくて、しんどくてしょうがないので、説明は受けている、という形だけで、こういうことをして、こうして、こうなるんだよというのは術後1週間ぐらいたってから、したんですよっていう形で知らされたので、説明はもうろうとしながら聞いていました。1回目の手術で大腸、直腸以外を全部摘出し、ストマをつけました。

KT-5 プロフィール

 

診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 2回目の入院が終わって、イムランに切り替わった時でしたかね、あれは。イムランを飲んでペンタサも飲みつつ、それでも悪くなってきて、イムランを2錠に増やして、注腸をその、ペンタサの注腸やらステロイドの注腸やらを全部フルコースでやっても全然良くならなかったときがあったんですよね。
 あの時はやっぱりもう内服ではこれがもう限度ということを言われてましたので、やっぱり手術しなけりゃ良くならないということはあって、かなり悩んでましたね。で、まあ私患者会のほうにも入ってるわけですけれども、その方たちにもぼちぼち相談したりはしてまして、でもなかなか手術にまで踏み切れなくて、1回取っちゃうともう着けるわけにはいかないしと思って、悩んでるうちになんとなく良くなっちゃたんですよね。それでまあ、まあ良かった、手術しなくてよかったなと思ってますね。それからの良くなったり悪くなったりということも時々あるんですけれど、それでも薬を変えるわけでもなく、だましだまし生活してると、また戻ってくるという形で、何とか手術は考えたのはその1回で、その後は手術をしようと考えたことは今のところない状態です。

KT-3 プロフィール

 

診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 手術の後大変だったのが、(便が)水ですよね、最初出てくるものが、ほとんど水状なので、普通の健康な人でも下痢がひどいとお尻が痛くなりますよね、そういうことありますよね。それがとっても辛くて、それのために車で病院まで、車にナビがついていなかったんでよくわからないところを夫が道をわかっていたんで、夫に聞きながら行きました。診察を受けないといられないくらいしばらくは辛かったですよね、お尻の痛いのが。
Q:最初の頃は、手術が終わって最初のころはトイレに頻繁に行かれたのですか。
 退院してからはちょっと遠出はできませんでしたね。本当に何回くらい行ってたんだろう。もう、何か飲んじゃうと、口に、お腹に入れちゃうと、トイレっていう感じで、どれくらいだったんだろう、多分20回くらい行ってたんじゃないかと思うんですけど。徐々に徐々に良くなってきて半年くらいで、ちょっと簡単なパートに行ってたんですけど、半年くらいでパートに戻って、1年後に今の職場に行けそうな気がして復帰しました。

KT-2 プロフィール

診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。

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 手術が終わりましたら人工肛門になっていないので逆にびっくりしたくらいで大成功ということで喜んでいたんですけど、手術の後は大変でした。下痢が1日30何回とか、とにかくトイレから帰ってきたらすぐトイレに行きたい状態でトイレに寝泊まりしたほうがいい状態で、その時に先生に人工肛門にしてくださいって訴えたほどです。
 最初は手術の後、すごく言いにくいんですが、肛門に管をいれてそこを肛門に縫い付けてあったんですけどそこがものすごく痛くて、痛くてどうしようもなく、座れないし大変でした。その管を10日ほどで抜いたんですけれど、それからはもうとにかく食事、10日ほどで重湯が出たと思うんですが、重湯をお茶碗に半分くらい飲んでる間にももうトイレに行きたい感じで続けて飲めないという感じでした。食事が怖い感じでしたね。何かをちょっとおなかに入れるとすぐにトイレに行きたい感じでした。とっても辛かったですね。退院して家にいたんですが、もともとスポーツが大好きでランニングもしたかったんですが、ランニングなんてとても体力がなくて、近所にちょっと散歩にいくだけでも30分ともたないですね。本当に辛かったです。それで主治医の先生にこんな状態が続くようでしたら人工肛門にしてくださいって最初訴えたくらいです。そしたら先生はそういう状態は続かないからもう少し我慢しなさいと言われました。

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診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。

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 それから一人で家にいると鬱になりそうな感じがしたんですね。トイレのことばっかり頭から離れないんで、なんでこんな病気になっちゃったんだろうとか、こんなくらいなら手術の時死んでればよかったと思ったほどでした。それでこれじゃいけないと思いまして、外に出ようと、働こうと思いまして、老人ホームとかでちょっと働いてみたんです。そうするとちょっと気がまぎれて、トイレのこともちょっと忘れられるようになりまして、精神的なものが大きかったかなと今にして思うと思います。
 今でも何かに集中しているときはトイレのこと忘れているんです。ただ、ちょっとでも自分の病気のこと思い出すとすぐトイレに行きたくなる感じは今でもあります。お酒を飲むとトイレは近くなるんですが、今は全然気にしないで飲んだり食べたりはしているのでとてもありがたいと思って、最近やっと先生に、3か月に1回診察に行っているんですが、やっと先生に感謝の言葉を述べられるようになりました。

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診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。

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Q:そうすると手術の決断をされたというのは内科治療がうまくいかなかったということだと思うんですが、他に何か手術を決意することのきっかけとなったようなことはありますか。
 ステロイドをやめるとまた再発するということでしたので、いろいろな本を読むとステロイドが何万ミリとかいくと大腸がんのリスクが高いとかいうことも手術を選んだきっかけとなりました。
Q:あと、手術を決意されたときに、ご家族の方とか周りの方の反応はどうでしたか。
 最初に4カ月10日入院した病院で手術してくださいと申し上げたら、先生には大反対されました。あと、そこに勤めている知り合いも反対されました。手術したら大変だよとかそういう感じで言われましたけれど、なんでしょう、決意したのはもうこういう状況はやだという感じが一番大きかったですね。入退院を繰り返すような状態はいやということが一番でした。
Q:手術をするときにお医者さんからメリットとかデメリットとかリスクとかそういう説明があったと思うんですが、その点については納得されましたか。
 メリットは入退院を多分繰り返さないということですね。デメリットの方は8割がた人工肛門になるというお話でした。でももうそれでもいいからしょっちゅう具合が悪くなるのがとってもいやだったんです。それで決意しました。

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診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。

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 その病院で検査をしていただきましたら、手術したほうがいいといわれました。その時はかなりひどい状態が続いていたので迷わず手術を決めました。リスクも聞いていまして、ほとんど人工肛門になる可能性が8割がたと言われたんですが、人工肛門になってもいいから悪いものは全部取ってほしいという感じで手術していただきました。手術が終わりましたら人工肛門になっていないので逆にびっくりしたくらいで大成功ということで喜んでいたんですけど、手術の後は大変でした。

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診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 そうですね。もう本当にその時は、人工肛門に戻してくれと言って先生に何度か泣きついたこともありましたね。先生は、もうちょっとすれば良くなるから、もうちょっと我慢しましょうというようなお話だったんですけれども。ただ、現実に、どうしても上手くいかないとか、それから、特に、つないだところが上手くつながらなくてそこからまた炎症を起こしたりとか、そういう場合には、また人工肛門に戻すという人も実際にはおられるらしいんですね。ただ、トイレの回数が多いから人工肛門に戻すというようなケースは今までなかったということで、もうちょっと我慢しなさいということは言われたんですが、じゃ、いつまで我慢すればいいの?っていうのがわからないわけですね。
 その時、たまたま、患者会を紹介していただいて、今、そこの患者会の役員もさせていただいてるんですが。その時に、たまたま私と似たような症状の方がいて、私の3ヶ月ぐらい先をいってる方がいたんですね。その方を紹介してくださって。電話をして話を伺ったんですね。そしたら、私がこんな状況で、非常に、今、苦しいんですっていう話をしたら、その方が、もう、あなたがおっしゃることはとてもよくわかりますと。もう、まさに私も3ヶ月前、そういう状況でしたと。だけども、今は回数も徐々に減ってきて、もう苦しい状況を今、脱したところです。あなたもあともうちょっとですから、がんばれば確実に良くなりますという話をしてくださったんですね。それが非常に何て言うか。自分にとって勇気を与えてくれたと言うか。もうちょっと、もうちょっとだという気持ちにさせてくれましたね。

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診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 2回目の手術のあとは、この時は、腸閉塞をおこして、これが結構苦しかったですね。2週間ぐらいかかったと思うんですけれども。やはり、手術の回数が増えると癒着も多くなるらしいんですね。ですから、1回目の時は何にもなかったんですけれども、2回目の時に腸閉塞おこして。これ、2週間ぐらい、結構、苦しい思いをしたんですけれども。3回目の時も、やはり腸閉塞をおこしまして。これが、術後ちょっと苦しかったですね。2回目の時も人工肛門にしたので同じ状況だったんですけれども、最後に直腸とつないで自然排泄ができるようになって、このあとが、ちょっと苦しい時期がありました。というのは、便がなかなか上手く出ないんですね。どういう構造になってるのかはちょっとよくわからないんですが、とにかく、便が出そうな感覚はあるんですけれども、トイレに行ってもなかなかスッと出ないんですね。ちょっとしか出ないんですね。で、トイレから出てくるとまた行きたくなる。で、我慢していると、やっぱりちょっと漏れてしまうような状況で。もうそのトイレの回数としては、もう1日にそれこそ30回、40回。殆ど、もう、トイレから5~6メーターぐらいしか離れられない。
 24時間、トイレにへばりついているみたいな状況が3ヶ月ぐらい続きましたかね。それで、もちろん、その間に病院行って色々検査をしてもらったり、それから、肛門括約筋の訓練をしたりとか、それから、もう、鍼とか灸とか、鍼の先生のとこも行って、鍼打ってもらったりとか、色んなことしました。結局、時間ですかね。時間の経過とともに、やはり、手術したあとが上手く適応してきたんですかね。だんだん、便の回数が少なくなってきて、便が割とスッと出るようになって、回数が少なくなってきて。

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診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 それで、1回目の手術の時は初めての人工肛門だったので、人工肛門というと非常に何かおどろおどろしい感じがするんですけれども、確かに非常に不思議な物ですね。経験した人じゃないと、当然わからないと思いますけれども。ただ、私にとっては、何て言うんですかね。排便を我慢する必要はないですね。なので、社会生活を送る上では非常に便利な物ではありますね。ただ、やはり、私の場合は、2日にいっぺん、そのパウチと呼ばれる袋状の物を、これをお腹にくっつけるんですけれども。人工肛門そのものは、小腸を、お腹を切って小腸の先端を外に出すんですね。何か、でべそみたいな感じになるんですけれども。そこから便が出るので、それを受ける袋をお腹にペタッと貼りつけて、袋をくっ付けるんですね。で、その袋を、もちろん、そこがいっぱいになった場合には、それをトイレ行って出して、で、また封をするという形になるんですけれども。
 その袋自体を2日にいっぺん取り替えなきゃいけないんですね。それをシャワーを浴びた時にやるんですけれども、これが慣れないと結構大変なんですね。慣れてしまえば、それでも10分ぐらいかかるんですけれども。その手間とかっていう、それは大変は大変なんですけれども。ただ、便を我慢しなくていいという、トイレに駆け込まなくていいという意味では、非常に便利なものですね。ですから、今でも、たくさん人工肛門付けてらっしゃる方、ほかの病気でもおられると思うんですけれども、私もそれをやってる時は、慣れてしまえば、そんなに大したことないなというのはありましたので。比較的、1回目の手術と2回目の手術の間、人工肛門やってましたけど、それほどの苦痛はなかったですね。

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診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 はい。1回目は大腸を全摘して、1回で終わる手術の場合には、そのまま小腸でJパウチというのを作って、で、小腸とその肛門近くの直腸とをつないで終わりなんですけれども、いきなりつなぐと、万一そこが、つなぐところが漏れたりした場合には大変なことになるということで。私の場合、1回目は全部、大腸を切除して人工肛門にしたわけですね。ですから、小腸の先端をお腹から出して人工肛門にしました。それで、最初の手術が9月で、2回目の手術が翌年の2月だったんですけれども、2回目は何をしたかと言うと、小腸を使ってJパウチという袋を作ったんですね。この時に一緒につないでしまうという選択もあったらしいんですけれども、それはお医者さんの判断で、もう一回、もうワンステップおきましょうということで、その時も人工肛門にしてつながなかった。で、最終的に、3回目の時にその人工肛門を外して直腸とつないで自然排泄ができるような状況にしたというのが3回目の手術ということですね。それで、1回目の手術の時は初めての人工肛門だったので、人工肛門というと非常に何かおどろおどろしい感じがするんですけれども、確かに非常に不思議な物ですね。経験した人じゃないと、当然わからないと思いますけれども。ただ、私にとっては、何て言うんですかね。排便を我慢する必要はないですね。なので、社会生活を送る上では非常に便利な物ではありますね。

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診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 手術後は食事制限なしと言われましたので、気持ち的にも我慢できずに何でも食べています。油物も、あまり体にはよくないファーストフードも全然普通に食べていますが、特に体調は崩しておりません。あと僕よくなったのは脱水症状によくなりました。水分を摂るのが大腸の仕事なので、そこがなくなったことがありますので夏だけでなく普段でも脱水によくなりました。スポーツ飲料でも追いつかないので、手術して1年ぐらいは脱水症状に見舞われたら、すぐに近くの病院に行って点滴をうってもらうということをしていました。脱水で入院ということも、短い間でしたが、2度ほどした記憶があります。脱水になるとめまいがしたり、立っていられなくなるような状態になるので、それはちょっとしんどかったなと思います。ただ水分を補充したらすぐに治りましたので、脱水症状のみが気をつけることだと思っています。

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診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 手術自体はトータルで1ヶ月も入院していなかったと思います。入院してすぐに、確か3日目ぐらいで手術を受けました。予備的な検査など他のことは全部、手術前に通院で行っていまして、もう入院してすぐ手術というかたちでした。手術後も長い間入院させていただけないというか、どんどん次の患者さんも来るので、(術後は)2週間ぐらい、トータルで3週間も入院していなかったと思います。私は、手術がうまくいきましたので、1週間後ぐらいにはある程度食べたりもできましたし、すぐに動いたりもできましたので、退院までは割りと短い間で終えることができました。
Q:手術は1回で終わったのでしょうか。
 私は人工肛門などを造らずに1回で大腸をすべて全摘する手術でした。1回でJパウチを造ってそれで終わりというかたちでした。肛門の状態が私はよかったみたいで、そのようなかたちで手術ができたと伺っています。
Q:手術は痛かったですか。
 手術後、麻酔が切れた時はすごく痛みがあったのですが、あと勿論お腹を切っていますので管とかを通していましたので痛みがあったのですが、そんなに手術自体の苦しみというか痛みはほとんどなかったです。手術中は勿論麻酔をしていましたので何も感じませんでしたし、手術後、手術の創の痛みというのはほとんど感じなかったと思います。

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診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。

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 手術を決断した理由は大きく2つあります。1つはステロイドを全然切れなかったので、総量で1万mgを超えていましたし、このまま内科治療を続けてもステロイドをずっと使い続けるだろうというのが1つ目の理由です。もう1つの理由は、教師という職業を目指していましたし、他の職業に就くにしてもバリバリ働きたいという気持ちがとても強かったので、いつ再発するかわからない、いつ休むことになるかわからないという状況では、やはりなかなか思い切って仕事をすることもできないと思いましたので、そのへんとステロイドの骨の副作用が出てきたタイミングが合いましたので、思い切って手術をしようと思いました。
Q:その手術を受けられる時は、医師の方から何かアドバイスがありましたか。
 手術はやはりリスクもありますし、手術をしたからといって100%元気になるというものではなくて、何かいろいろ副作用が出てきたりというリスクもあるので、医師も完全に勧めるというものではなくて、「そのようなリスクも踏まえたうえで、もしかしたら病気と完全に縁は切れないかもしれませんが、どうしますか?」というかたちでしたので、(医師より)自信を持って勧めて頂いた手術ではなかったです。

KS-1 プロフィール

診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人

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 外科の手術に関しては私が行った病院では、腹腔鏡を使った手術ということで、何ておっしゃっていましたかね、手術の方法は恥骨の上の方を6センチくらい小さい傷で、後は2か所か3か所穴があく程度というんですか、腹腔鏡を使った手術で跡形も残らないし、横に切るのでほとんど傷跡も目立たないと思うので大丈夫ですよ、でも開けてからでないとわからないので、やっぱりそれで、もしかしたら開けてから開腹になるかもしれないけれどもまあ大丈夫だということで、手術の後も気にしなくてもいいということでしたし、私は病歴が長いので、人工肛門に永久的になるんじゃないかという心配もあったんですけども、そういう心配もあったので、手術はいやって頑なに思ってたんですけれど、見ていただいたら、一度はストマを着けないといけないけれども、すぐにそれを戻して普通にできると思いますよって言う感じで言っていただいたので、もしこれから手術することがあったとしても安心しておまかせしようかなとは思っています。
 初めのころは腹腔鏡もなかなか普及されてなかったので、18年とか10何年前は開腹手術でっていう感じで聞いていたので、かなりこわい手術っていうイメージがあったんですけども、今はそんなに恐れは無くなったと言いますか、今回の入院でそいう説明を外科の先生からそれを直接聞いたことでかなり楽になったと言いうか、それは後はもうお任せしましょうという感じで、それだけでもすごく気持ちが楽にはなりました。

HR-1 プロフィール

診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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Q:そうしますと、その退院した後ですね、えー、どういうような、あの、経過をたどって現在まで来てますか。
 はい。退院した後は、最初に考えていた明るい人生はなくて、まず下痢が一日約30回ぐらい、で、朝も昼も夜もトイレにこもりっぱなしで、で、夜中も寝れないんです。熟睡できなかったんです。でも一時間といわず30分おきに、うつらうつらとしたころに、お腹が痛くなってトイレに行って、20分ほどこもり、そしてまた布団に戻って寝ようとするんですけどもっていう生活が、約4カ月ぐらい続きました。で、その退院したときが12月ぐらいだったので、この北陸地方は冬は寒いんで、トイレも寒いんです。で、わざわざ電気店から赤外線ヒーターをトイレに付けまして、で、その20分間はそこで体を温めながらの排便という、ちょっと自分ではかなりプライドとかいろんな今までの経験とかが、崩れ去った時期でもありました。

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診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 そうですね。もう人工肛門の手術をしてから今現在で4年、もう人工肛門歴5年生です。交換についてはもう全然不安もなく、まあ、毎日の歯磨きとかお風呂に入るような感じで、まあ、言ってみれば生きていかなくちゃいけないからやっている。何て言うんですかね、仕事でもないし、義務でもないし、ごく自然に自分ではしてるつもりなんですけども、やはり心の片隅には、「どうしてこんなものを付けて、生活しなくちゃいけないんだ」という気持ちは消えてないです。ま、QOLは上がったので、差し引きゼロなのかなと、自分に納得させて生活しているという、そんな感じです。
Q:あの、具体的に何かこう人工肛門付けてることによって、その、不便なこととか、例えば、その、温泉に入ったりするっていうのは特に問題ないんですか。
 はい。温泉には入りたいんですけども、やはり人の目があるし、わざわざそんなところに行かなくても、普通のビジネスホテルで、シャワー浴びればいいじゃないかと。で、そんなに温泉好きでもないので、ま、そこは別にお風呂に入らなくても、シャワーだけというのは別に苦ではないです。ただ、やはり人目も気にせずにお風呂に入りたいなっていうのは、少しあります。ただ別に湯船に漬からなくても生きてます、生きていけますからね。そこは別に、あの、何でもないです。

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診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 その当時に、もうほんとにお腹の調子がひどくて入院したんですね。で、入院したときのその先生の宣告(一生人工肛門を付けなければならない)があり、どうしよう、どうしようと、で、その時は実質8カ月入院してまして、で、その間にも、どうするんだ、付けるのか、付けないのかという選択を、毎日のように迫られてまして。ある時に夜中ふと目が覚めたんです。で、雨が降っている。で、ちょうど窓際のベッドだったので、ふと起き上がって、窓の外を見ました。で、4階に入院してたんですね。窓の外を見て、ここから飛び降りたら楽になれるんじゃないかと、ふと思ったんですね。まあ、いわゆる『病気を苦に自殺』と、シナリオが勝手に頭の中で描かれていて。まあ、よくある走馬燈のように今までの出来事が頭の中で巡って、最後に妻の顔が浮かんで、まあ、いろいろ苦労掛けたけど悪いなと思って。で、ふと窓に手を掛けたんですね。で、今まで何回も入院していて、何回も開け閉めしていた窓なのに、20センチしか開かないということに、まったく気付いていなかったんです。そして、ま、ほんとにその時は死のうと思って、窓に手を掛けて開けたら、20センチしか開かないと、そこでハッとわれに返って、おれは何をしてるんだ。で、またそこで、その自殺を考えるまでの、今までのことが走馬燈のように駆け巡って、いや、こんなことじゃ駄目だって思いとどまって、またベッドに戻って寝た。

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診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 で、その後2回目の手術を受けまして、一週間ぐらいたったころに1回目の手術と違う痛みがお腹にあって、で、それを毎朝検診の、あの、回診の時に先生に、これおかしいんですと言ったんですけど、いや、数値は大丈夫だから、それが一週間ぐらい続いて、でもやはりその痛みがだんだんひどくなってくんですね。で、痛み止めを打ってもらっても治らないと。で、先生、やっぱりおかしいですと、きちんと検査してくださいときつく言ったところ、取りあえずCTとMRIを取りましょうと、
 検査したところ、「いや、申し訳ない、腹膜炎になっている、すぐ緊急手術をしなくちゃいけない」と。で、これが3回目の手術になるんですけども。1回目は取りあえず痛みとかも乗り切り我慢できて、で、2回目の手術も、ま、術後すごい痛い思いをしたんですけども乗り越えたと。で、2回目の手術から2週間しかたっていないのにまた手術って言われて、やはりそこはちょっと怖くなりまして、直前まで、僕、同意書にサインしなかったんです、それはできないと、怖いと。ただその時の腹膜炎って言われたときの、腹膜炎の知識も全然なかったので、いつでもいいじゃないかと言ったところ、いや、これを放置しておくと、中で膿が広がって君は死ぬと言われて。ま、結局最後まで同意書にサインする気持ちはなかったんですけども、もう切羽詰まっているからと言われて、まあ、渋々同意書にサインして、腹膜炎の手術を終わり。

HR-1 プロフィール

診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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Q:その手術の前に、お医者さんにどういう説明を受けたかというようなこととか、具体的に手術は、どういうふうに、な手術をされたのかとかその辺のところを、もう少し詳しくお話しいただけますか。
 はい。先ほども言いましたけども、大腸を全部取ってしまえば、その疾患部分がなくなるので取りましょうと、で、もう大腸はボロボロですと言われて、一応妻とも相談したんですけども、いや、体が楽になるんなら、多少のリスクはしょうがないと、で、その術後にかけましょうということで、一応先生のきちんとした説明の後、承諾書にサインをして手術をしました。
 で、その手術っていうのが、3回に分けて手術をしようということになりまして、で、1回目の手術が終わった後に、一時的に人工肛門を付けなくちゃいけないと言われていましたけども、まあ、一生ではないので、そこはすんなりと自分で受け入れられまして、で、看護師さんにもびっくりされたんですけども。「余計なものを付けるんだよ、不安はないの?」って言われましたけども、そこは全然、で、手術も怖くないんですかと言われましたけども、全然、その、その後の未来が自分の中で明るいはずだったので、そん時は、なので全然そういう不安とか恐れとかはなくて、ごく自然に手術を受けることに同意できました。

HR-1 プロフィール

診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

 で、それから一年後に体調がおかしくなって、あの、寝ていても、寝汗をすごいかくんですね。で、体中びっちょりになって、夜中起きて、で、シャワー浴びて、で、また寝ると。で、数時間後にまた寝汗でびっちょりと、それを一週間ぐらい繰り返して、だんだん、だんだんからだが衰弱していくのが分かったんです。それで、これはおかしいと、で、夜中に緊急外来で病院に行ったところ、「あ、悪化しています」と言われまして、2回目の入院になりました。で、その後、毎年入院することになりまして、そうですね、5回目の入院の時に、「もう大腸が悲鳴を上げています、これは大腸を取った方が、君のためにいい」と言われまして、それ手術したら治るんですかと聞いたところ、治りますと言われたので、あ、それでは取ってくださいということで、2003年に大腸全摘手術をしました。

HK-1 プロフィール

診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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Q:手術という方法が、ま、あの、あると思うんですが、選択肢があると思うんですが、それについて検討されたことっていうのはありますか。
 あ、あります。あの、何回目かの入院の時に、何回目かな、やはり基準薬と呼ばれるものや、基準治療、当時の基準治療と言われたものではなかなかうまくいかなくて、当時の新しい治療法、確かGCAPという、血球除去療法をやったときに、これが駄目だったら手術かもしれないということを自分でも思って、内科から外科へ紹介状を書いてもらって、手術になったらどういう処置になるのか、自分の場合について教えてほしいというふうに、聞きにいったことがあります。その時には外科の先生は、本気で手術する気がないんなら、来ないでほしいみたいな冗談も言われたんですけれども一応聞けました。
 それから、患者会を通じて、先生方の医療講演会を何回か企画したときに、外科の先生の講演をお願いしたとき、ま、その先生は非常にいい先生だと、手術の腕も確かだし、ということが分かったので、ま、自分の中では手術を受けるときには、この先生の病院に行こうということを決めて、ま、そのことはその先生にも伝えていました。ですから、今でも一応、ま、先生はキープできてるかなというふうに思っていますが、今の段階でいくと、えー、直近、昨年の入院の時に、今でいう生物製剤を使い始めたんですけども、確率6割それで良くならなかったら手術だねというふうに、言われたこともありますので、手術というのはどこかに意識していました。あの、手術も治療法の一つだと、昔は手術は最後の手段だと言われていて、今は選択肢の一つだと、手術をして再発の恐怖とか、ま、ある重たい治療、負担感のある治療をやっているときには、手術した方がこれから逃れられるんだろうということは、分かっていますけれども、今で行くと、じゃ、あの、今一定期間入院して手術をする、そのてんびんをかけたときに、まだ、あの、てんびんかけるほど手術を早急にやろうということでもないなということですね。

CH-2 プロフィール

診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。

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Q:あのー、その1回目の手術をしたあとに腹膜炎を起こして、また緊急手術をして、また人工肛門にしたということなんですけども、その腹膜炎を起こしたあとっていうのはどんな感じだったんですかね。
 えーと、まぁ、そうなったのは、あの、人工肛門を閉じてお腹に戻す時に、どうも穴が開いてしまった…腸に、腸管に穴が開いてしまっていたらしく、で、普通に内科の治療した時も、腹痛とかまったくなかったんですが、その時は、本当にベッドの上で動けなくって、初めて痛み止めを打ってもらうぐらいな痛みがありまして。で、もう肺にも水が溜まっていたので、背中から肺から…背中から注射器で水を抜くような治療をするぐらいだったんですが。本当に大変でしたけど、(笑)もうとにかくがんばろうという気持ちだけです。

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診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。

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Q:その(腹膜炎の)手術をして、その、まぁ、お腹の中を綺麗にして、その後は、もう、あの、すぐに良くなったっていうことですか。
 あ、そうですね。だから、その人工肛門を作…2回目にまた人工肛門に戻してからは、脱水症状が本当にひどかったので、それはちょっと苦労しました。本当に、家の階段も上がれないぐらい体力が落ちたんですけれども。あの、そうですね。一番ひどかったのはそこの時点です。
Q:それは、どれぐらいの期間続いたんですか。
 えーと、3月に初めの手術をして、4月の終わりに人工肛門を通す手術をした時に腹膜炎になったんですけど。で、再度、人工肛門してから、次の手術までは、じゃ、3ヶ月ぐらい置こうということだったので、5月から8月ぐらいまで、そういうちょっと脱水がひどい状態でした。
 自分でも、なるべく脱水にならないように気を付けて水分を摂るようにはしてるんですが、特に、それで、あの、退院して、本当に、全部手術が終わって退院してからは、そういうひどい脱水を起こすこともなく、あの、Jポーチ、まぁ、ポーチを作ってるんですが、そこの炎症を起こすこともなく、順調に今まで推移してきてるかなっていう風に思います。

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診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。

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 大腸がないので、あの、トイレに行く回数、便をする回数っていうのは普通の人とは違う。で、私は、本当に内科治療してる時も、寛解期ではトイレって日々1回ぐらいしか行かない。本当にゼロか100かの状態だったので、それに比べると、もちろんトイレに行く回数は多くて、初め、術後は、やっぱり10回ぐらいトイレに通う感じだったんですけども、もう、あの、大腸がある時と違って、水溶便ではあるんですがお腹が痛いとかっていうこともなく、まぁ、我慢もしようと思えば少しはできるっていう状況から。で、初め、入院してる当初は、やっぱり何度もトイレに通うんですが、私は、割と、退院直後ぐらいからもう日に6回ぐらい通うぐらいになったので、まぁ、女性ということもあって、普通にトイレに行く時に、一応、便のほうも出しておけばだいじょうぶかなというぐらい。で、今でも、そんなに回数は減っていないんですけど、特に不便を感じることもなく。あの、本当に退院直後から、あの、便が漏れて困るということも全然なく、痛みとかも出ることがなかったので、まぁ、うまい具合にコントロールできてるかなっていう感じです。
 で、また、便の状況は、まぁ、毎日、あの、大腸がないからといって水溶便なわけではなくて、軟便な時もあるし、やっぱりちょっと脂っこいもの食べると、あの、本当に水溶便になってしまうこともありますけど、それでもトイレを我慢できないっていうこともないので、そんなに漏れとかも心配したこともないですね。ですから、旅行とかにも普通に行きますし、海外でも、行っても特に困ることもなく。まぁ、何でも食べれるという(笑)何を食べてもだいじょうぶというところが一番メリットだったかなっていう風に思っています。

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診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。

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 家族は、もう、全て病気の治療に関して私に任せてくれていたので、特に反対することもなく、自分がそれがいいと、それでいいと納得してるんだったら、あの、やればいいじゃないかという風に言ってくれました。で、内科の先生は、やはりさっきも言ったように、もっと内科でがんばれる筈なんじゃないかっていう風には言われたんですが、まぁ、私が、もう、手術するっていう意志が固かったので、最終的には、じゃ、しょうがないねということで納得してくれたという形です。
Q:そうすると、あの、まぁ、非常に手術のあと、あの、調子が良いということで、あのー、手術して良かったという風に考えておられますか。
 はい。そうですね。あの、今、とても調子が良いので、特に手術をして良かったとは思うんですけども、例えば、あの、人工肛門が、永久的に人工肛門になったとしても、私は、まぁ、後悔はしていなかったと思うし、病気の時よりも格段、生活の質は上がっていると思うので、私は間違ってなかったと思います。
Q:そうすると、あの、まぁ、結果論ですけれども、もっと早くやれば良かったとかいうお気持ちはありますか。
 早くやれば良かったとは思わないですかね。やっぱり、あの、自分も、なるべくだったら、なくていい臓器はないと思うので。まぁ、なるべくしてちょうど良か…ちょうどやっぱり時期がちょうどそういう時だったんだろうなっていうのがあるので、誰も、あの、すごい早くやっとけば良かったという考えはないです。

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診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。

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 なかなか効かないので、当時考えられる治療を全てしましょうということで、初めてパルス療法、ステロイドのパルス療法をやってみても良くならない。で、そんな治療をしているのに、トイレで気絶するほどの大量下血をしたりとかしてたので。でも、そろそろ手術かなと思いながらも、で、先生が、まだ、じゃ、大腸の動脈に直接ステロイドを入れましょう。で、太もも、足の付け根の動脈から大腸までカテーテル入れて、で、そこでステロイドを入れるっていうのを、こう、動脈を使ってるんで動いてはいけない。で、あの、血管造影をしながらなので、寒いそういうレントゲン室に3時間ぐらい放置される(笑)治療をしていて。もうそれが辛くてしょうがなくて、もしこれで良くなっても、次回また悪くなったら同じことを繰り返すのかっていうことを経験して、もうそれなら切ってしまおうというとこで外科手術を決断しました。
 で、その手術が決まったら、それまで何をやっても良くならなかった調子があっというまに良くなり、もう普通便も出、下血も止まったので、(笑)ちょっとこれは切らなくてもいいかな。手術キャンセルしようかなと思ったんですが、やっぱりその時の内科治療のしんどさを考えると、もう同じことは本当に繰り返したくないので、もうその場で手術は決めました。

CH-1 プロフィール

中国地方在住。長年にわたり内科治療を受けながら会社の仕事も続けている。ステロイドの副作用もでているが、まだ手術までには至っていない。患者会の仕事も精力的に行っている。家族構成は妻と二人暮らし。

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 入院時時点で、あの、外科に送られるということはありませんでした。それで、まぁ、徐々に、あの、寛解になっていって、まぁ、普通の、通院生活してる時に、それで通院生活してると、やっぱり、主治医も、私が、あの、普通便でですね、1日1回の排便で、本当に、普通の暮らしと言うんですか。健常の人と同じ様な暮らしをしているというのは理解していただいてたんですけど、こういった状態だったら、ちょっと手術は勧めることができないよね、ということを、まぁ、私も言いますし、主治医も、うん、そうだよねという風に言っていただいておりましたんで、やはり寛解期に決断するのはなかなか難しいねと。
 当然、あの、手術の相対的適応というのは、一応、目安として、1万ミリまぁ、10グラムですか…というのは目安ではあるんですけど、それを超えているからというのは、あくまでも何かよっぽどのことがないとですね、あのー、難しいのかなと。それで、まぁ、絶対的適応であればですね、例えば、あの、毎年、大腸の検査を受けているんですけど、その時に、例えば、前ガン病変とかですね、そういったものが見つかれば、当然、全摘というのはもう待ったなしで決断できるんですけど。えーと、幸いにも、今現在ではですね、そういった異常というのも見つかっておりませんので、