このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです
診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。
(入院は)今から3回とも10年以上前なのでステロイドと後は最初はサラゾピリンですねその後にペンタサに変わったくらいで、後は生菌剤、乳酸菌製剤ですね、使っているという形と、あと食事療法ですね。だからそんなに3回とも昔は変わっていない。ほとんどが入院が3回であとは在宅で通院しながら内服治療っていうのがメインですね。今はレミケードもあるので病院での点滴にはなりますけど。
Q:じゃあ20年近く入院しなくて通院でされてあったということなんですけれども、その間身体の状態とか治療が変わってきたその変遷あたりをどうしてそういうふうに変わってきたのかっていうのを少し話していただけますか。
変遷っていうか昔は変わったっていうのは、薬が昔はそれしかなかった、サラゾピリンからペンタサに変わったというのが大きな変革でしたけど、その後そんなに大きな変わりはなかったですね。で後はえーと入院した時に関節病変はもう出てたんですけれど、その時は膝だけだったんですけれど、5-6年前から全身の関節炎、関節痛がでるようになって、それから免疫抑制剤を使うようになったというのが大きな変わりですね。
それとあとえーと、ここ1-2年のレミケードですね。レミケードが使えるようになったというのは大きなことですね。あとさっき言いましたサラゾピリンからペンタサ、今はアサコールですか、それにも変わったというのは大きいので、何で変わったかと言ったら薬の開発がされたからっていうのが正直なところですね。
Q:逆に症状が悪くなったからレミケードが始まったというのは違うのですか。
でも悪くなったとも言えますね。関節炎が全身に出てきたんで。その前はさっき言いましたように普通の免疫抑制剤、えーとあれはなんというか、臓器移植か、臓器移植に使う免疫抑制剤を免疫を抑えるために使っているっていう形で、それからレミケードに変わって、それからは非常によくなりましたね。
娘が小学校5年生の時に重症化しました。また重症化して、その時は本当にに緊急手術を覚悟しておいてくださいっていうふうに言われて入院して、潰瘍がひどくって、深い潰瘍がたくさんできてたんで、その時は相対的手術適用ですって言われて手術するかどうするかっていう話までその時はしました。で、ものすごく迷ったんですね、毎年のように入退院してたんで、一旦よくなっても、いい状態が長く続かなくて、それとあと、プレドニンを経口で飲めないんで、何て言うんですかね、治療を始めても、ものすごく時間がかかるんですね、回復するのに。だから長いこと痛みと戦わないといけなくて、重症化した時は近くの総合病院に入院して、今度はその当時白血球除去療法が結構一般的になってきてたんで、白血球除去療法をやろうということで入院したんですが、プレドニンなしで白血球除去療法オンリーでやったんで、痛みが取れるのにものすごく、病状自体が悪かったということもあるんですが、回復するのにすごく時間がかかって、その時は5回1クールだから1カ月かかるんですね治療に。週1回やるので。それを最初の1クールで痛みが取れなくてもう1クールすることになって・・
長いこと本当に苦しんで、手術をどうするかという話になったんですね。その時先生と話したのが、やっぱすごく、手術が目の前になると、すごくこうやっぱり、怖かったのとどうしようかっていうの、こんな状態、体の状態で日常生活がまともに送れないっていうのがあったんで、すごく迷ったんですが、その時主治医の先生から、手術をした人は10人のうち一人はやっぱりしなかった方がいいと言う人もいるから、やっぱり個人差がすごくあるから、手術後の合併症を起こすこともあるし、術後にどんなことが起きても受け入れられるだけの覚悟ができてから手術したほうがいいよ、って言われて、それで、しないことに私は決めました。
プレドニンが中心の治療だったことを覚えています。でプレドニンを一番最初は50ミリから始めてだんだん減らしていって30ミリを切った時点で、あまり改善してないってことで、また50ミリに増やして、で今度はゆっくり減らそうということで、ゆっくり減らしたんですね。そしたら今度は30ミリを切るところでリバウンドを起こして、でまた入院時のひどい状態に戻ってしまいました。
それで今度先生方は相当ステロイドの量を使っているんで、増量するかどうするかでずいぶん迷われたみたいなんですけれど、やっぱり増やすしかないということで、60ミリに増やしてそれで漸くひどい痛みと下痢がおさまってきたというそんな感じでした。で今度はその60ミリから減量がすごい先生がこわいんですよね、減らすのが怖くてものすごくゆっくり減らされたんですね。1錠が5ミリなんで2.5ミリづつゆっくりゆっくり時間かけて減らされて、それで8カ月っていう長期の入院になりました。
診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。
いろんな検査をして4日目くらいにようやく潰瘍性大腸炎が軽傷だったのに重症の、直腸型でなくて全大腸型になっているよと。これは大変だと言われて。ステロイド治療は嫌だと言って拒んでたんですけど、先生が言うには、もうそんな嫌とか、嫌じゃないとか言ってる場合じゃないから、ステロイド治療をやるよと言われて、そこから1ヶ月ちょっと入院をして絶食しました。そのおかげで体調は元に戻ってきたんですけど、4ヶ月間会社の方は休職させてもらって復帰して、ゆるゆる仕事を始めていたらまた、再燃し始めてそこからはいろんな免疫抑制剤(注1)を投与されて、最初はタクロリムスという薬から始まって、タクロリムスは結構効いたんですけど、やってたらその副作用で腎臓の機能が落ちてるから、これはダメだと。じゃあロイケリンっていう薬をやろう。ロイケリンをやり始めたらこんどは脱毛とあとは、なんて言うんですかね、顔にブツブツのようなものがいっぱい出始めてこれもだめだからイムランに変えようとか。で、イムランに変えたら変えたで、次はそれも余り効いてないから、ヒュミラという注射をする免疫抑制剤(注2)があってそれをやろうといわれてそれとプラスアルファで白血球除去療法というLキャップというのとGキャップ(注3)っていうのを両方やったんですけど、どっちも効かずに、いろんなことを2年間くらいずっとやって最終的にどれも効かなかったので、内科の先生に「あなたはもう手術対象だよ」って言われました。
(注1)免疫抑制剤は免疫反応を抑えることにより炎症を抑制するものでイムラン、ロイケリン、プログラフなどがある。最近は「免疫調節剤」という言い方もする。
(注2)ヒュミラは免疫抑制剤ではなく「生物学的製剤」レミケードも
(注3)白血球除去療法、正しくは血球成分吸着・除去療法といいLキャップ、Gキャップなどの方法がある
診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。
自分の場合は、副作用がとても強く出やすいタイプなので。まぁ、そうですね。一番、気になったのは、やはり、筋肉が落ちてしまうという状況ですね。あとは、精神的に不安定っていうのもありますし。ステロイドを飲み始めの頃は、妙に気分も高揚するとかいうのもありましたけど、それを、症状によって増減を繰り返していくうちに、まぁ、自分の場合はなんですが、うつ症状もひどくなってきました。それで、うーん。良く考えたのは、ステロイドをやめるためにどうすればいいのかっていうことは常に頭にあります。
Q:あと、よく、その、聞かれる、骨ですね。その大腿骨骨頭壊死とかですね。そういうような副作用はありませんでしたか?関節炎とか。
自分でも心配になったので、えーと、骨塩定量検査は、あの、まぁ、結局、自分の場合、手術になってしまってからステロイドやめたんですが、その後に一度、骨塩定量検査をして。で、まぁ、幸運にも結果は良かったんですけど。まぁ、医師には、あの、自分の自営でしてる仕事が、あの、運動に関連する仕事なので、運動をずっと、ステロイド服用中も活動期がずっと続いてる時もしていたんですけど、かえってそれが良かったのかも知れないっていうことは言われています。あの、運動をしていると、カルシウムとかそういうのも吸収もいくらか良くなるらしいので。関節痛とか筋肉痛がすごかったんですけど、まぁ、結果的には、身体は苦しかったですけど、動かしてて良かったのかなっていう考えも少しありますけど。ただ、ステロイドをかなりの量、服用しながらの運動は、やはり別の意味で負担とかがかかると思います。
診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。
そうですね。一番関節炎がひどい時にはやっぱり1日の便の回数も非常に多かったし、本当に我慢できない感じで、あっと思ったらすぐトイレいかなきゃならない感じで、そんな感じでしたのでポータブルを置いてもらって、そこで用を足してたっていうそういうふうな感じでした。近くの病院から大学病院に移った時にやっぱり、ステロイドは主に治療の方針ですので、非常に最初高いそういうふうなステロイドの量を投与して、その後0.5ミリづつ、2週間くらい少しづつ減らしていくような、そういうふうなことを言われて、ずっと我慢して入院してたんですけども、やっぱりあの何ミリか忘れたんですけども、高い投与した後に徐々に減らしていって、20ミリくらいになったころかな、また同じ感じで、またばーとぶり返すわけです、下痢が。悪くなって、血便が出て、病院の中で。そうすると先生はあの、このままではだめ、もう一回ステロイドを投与しましょうって言われて、その時には前回のステロイドよりも高い、もっと高い量からスタートしなきゃだめだって言われたもんですから、またそこからスタートして徐々に徐々にこう減らしていくような、そういうふうな治療を受けたんですけど、それでもなかなか良くならなくて、関節炎もありましたし、それから病気もよくならないってことで、そうですね内科で1年半くらい入院してたんでしょうか
診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。
プレドニンは使いました。プレドニンを使っている間は写真を撮るのがすごくいやでしたね。顔が。膨れるっていうのの、その当時は女の子って言うのもあって、ああ嫌だなって思いながら使ってたし、あと、毛が濃くなるのがすごくいやで、はい、わあまた毛が濃くなっているよといいながら、はい、使っていましたね。プレドニンって急激に止めてはいけないので、ああ、減った、減ったけどまだ残っている、また減るかなという思いで通院をよくしていました。
Q:薬の効果はどうでしたか。プレドニンは効きましたか。
プレドニンは一時的には効きましたが、やはりどんどんどんどん効かなくはなって行きました。
Q:ほかのイムランとか、ペンタサとか使ってたということなんですけれど、そのへんはどうでしたか、効果はありましたか。
イムランもやはりちょっとの間だけ効いたんですが、たまたまイムランがグレープフルーツに弱いってことを知らなかったためにグレープフルーツばかりを食べていて、血液検査をすると悪化しているということで、ちょっと騒動にもなりましたが、一時的にはイムランも効いてくれました。
診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。
しばらくはおさまってたんですけれど、またちょっと悪くなってきて、主治医がじゃあステロイドっていうのがありますので使ってみましょうと言われて、ステロイド、プレドニンでしたかね、プレドニンを飲んで、そしたらまた良くなった形でしたね。良くなって、しばらくそのプレドニンを飲んで良くなっている状態を維持してたんですけれど、またその後に下痢出血がでるようになって、これもうプレドニン結構な量だったんですけど、それでも良くならなかったので入院しようということ、ちなみに入院のときは最初の病院ではなくて近くの都立病院でしたかね、割と大きめのところに通い始めていましたので、そこで入院することになりました。
それでまあ入院して三週間ぐらいで一応退院にはなったんですが、そこではステロイド、プレドニンの1日70ミリくらいの点滴の投与を、大量に投与して治療したという形でした。最初の1-2週間くらいで症状は治まったということでしたけれど、その時は最初の1週間、10日くらいは絶食で、一切何も食べずにしてたということでした。あれば結構辛いものでしたね。でまあ、真ん中、10日くらいから消化にいいもの低残さなものから食事を取り始めまして、最終的には三週間で退院できたという形ですね。その後も良くなったり悪くなったりで、ずっとここまで来てまして、入院は二回ほどしてまして、そうですね薬、結局もうステロイドでは効かないようになってきまして、注腸、お尻に入れて直接プレドニン、ステロイドを投与するものとか、後ペンタサを直接入れるものとかを色々試してみまして、その都立病院から、私引っ越しましたのでちょっと遠くなったので、大きな大学病院に通い始めたんですけれど、そこで色々注腸をやってもあまり効かないし、ステロイドを入れてもあまり効かなくなってきまして、イムランという免疫抑制剤を使い始めまして、これがなかなか私には相性が良かったみたいで、これ飲み始めてからちょっとおさまりましたかね。で、現在に至っているんですけれど、それでも良くなったり悪くなったりなんで、どの薬が一番完璧に効くというわけではなさそうですけどもね。
診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族
外科に入院したら、狭くなっているところを切ると人工肛門になります、肛門に近いから人工肛門になりますといわれて。えーってびっくりしたんです。切らないで何とか考えましょうということで、お医者さんたちが考えてくれたのが、風船を入れて膨らませるということで、管の先に風船って言っても、ごく柔らかい素材でできている袋みたいなものがついていて、それをお尻から入れるんですね。多分空気を送り込んで、中でそれを膨らませて直腸を広げるという処置だったんですけど、最初は麻酔をかけるから大丈夫だよとおっしゃったんですが、麻酔をかけちゃうと腸管が破裂、破裂と言ったかとにかく無理して広げたら切れちゃうんで、そうなっちゃうといけないんで、麻酔はかけないで痛みを感じる状態でやりますって言われて、本当にものすごく痛くて辛かったんですね。それをこれから毎週やりますということで、週一で多分半年くらいやったと思うんですけど、結構辛かったです。でもそれでも人工肛門になるよりいいかと思ってやりました。最初は小指が入らないって言われたくらい細かったんですが、男の人の人差し指が入るくらいにまで広がって、それで一応その治療は中止になりました。
診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族
薬を飲み始めたのが8月の半ばで、その時はサラゾピリンという薬だったんですけれども、これはアレルギーが出る人がたまにいるから、最初は半分の量づつ飲んで、大丈夫だったら全量飲んでくださいって言われたんです。それで半量飲んでも何でもなかったので全部言われた通り飲んだのですが、発疹ができて、でもその発疹がその薬と結び付けられなくて、わからなくて、なんで蕁麻疹かなと思ったんですけど、そしたらある日突然高い熱がでて、なんだろうと、初めて40度の熱だったんですけど、近くの病院に、これじゃあということで入院したんです。理由はよくわからなくて、理由はよくわからなかったけれども取りあえずおさまったので退院してきたんです。それが8月の終わりだったんです。その後3週間くらいでまたすごい急に熱が出て、また同じ病院に行って、そしたら結局その薬のアレルギーだったということが分かって、こんな薬飲んじゃダメと言われたんですが、まあ仕方がないですから、お腹の方の先生にその話をしたら、じゃサラゾピリンは止めましょうということで、
診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。
Q:白血球除去療法というのは具体的にはどういうようなことをするのでか。
血液透析のような感じで1時間ほどなんですが、右腕と左腕、どちらか忘れましたが管でつながれて血液を全部外に出して白血球だけを取り除くという療法です。
Q:それはどれくらい時間がかかって、痛いとか大変さとかはあるのですか。
時間は1時間ほどです。それで腕に針を刺すわけですから、多少痛いですが我慢できないほどではありません。ただ私の場合すごく辛かったのは、ステロイドを大量に使っていたのでじっとしているのがすごく辛かったです。じっと寝ているのがすごくつらい感じでした。ステロイドってこうハイになるんですかね。夜も眠れない状態、睡眠薬をたくさん使っても眠れない状態、それがすごく辛かったです。
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
ええ。潰瘍性大腸炎の場合、幾つかの型がありまして、私の場合は、全大腸型といって、大腸の全体に潰瘍ができているということで、更に劇症型ということで、相当。内視鏡検査をやったんですけれども、私もちらっとだけ画面を見ましたけれども、相当程度、重症だったということで。普通ですと、割と軽めの薬からですね。ペンタサとか。そういう軽い薬から入るんですけれども、私の場合はもう最初から重症だったので、プレドニンという強い薬ですね。ステロイドの。それも相当大量にですね、点滴でスタートしたということです。そのプレドニンの治療が始まったんですけれども、なかなか下血が止まらずに、そうですね。1日3時間おきぐらいにトイレに行くというような状況で。その都度、下血があってですね。当然、食事は一切取らずに点滴で治療を続けてたんですけれども、ついに貧血で倒れまして。
そのあと、ですから、輸血もやりました。確か、3日間ぐらいに分けて900CCぐらいを輸血してもらったと思います。そのあと、これは、その時は自分では知らなかったんですけれども、プレドニンよりもさらに強力なステロイドを、相当大量に、3日間ぐらいにかけて大量に投与されたようです。それはあとから聞いてわかったんですけれども。それが効果があったみたいで、徐々に出血が止まって、何とか点滴が外れて、おかゆから、全がゆから始まって、少しずつお米の量が増えていって、結局、7週間入院しました。
診断時:22歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、主婦で、家族はご主人とお子さん(11ヵ月)。大学卒業時に発症、母も潰瘍性大腸炎。治療は漢方中心。潰瘍性大腸炎について理解ある、現在のご主人と巡り会い結婚、そして、病気をかかえながらも男の子を無事出産。現在、育児奮闘中で、二人目のお子さんもいずれと考えている。
その時に知ったのが広島の方の漢方で、すごいネットで話題になっていたのですけども、それをネットで知り合った方から少しいただいて服用することにしたんですね。それを服用して初めは、副作用かなと思う吐き気と頭痛というのがあったのですけども、それも2,3日で終わりまして、それから1ヶ月もしないうちに血便が止まって、「これはすごい合っているのかも」と思って、そこから広島の方の漢方の先生に会いに広島まで行きました。そこで先生に言われたのが、「この漢方を飲むと2年で症状がなくなるから。その2年で症状がなくなると、もう漢方も、今飲んでいるペンタサとか注腸とかもしなくてよいから、絶対に治るから信じてやってみなさい。」と言われて、そこですごい勇気をもらって、それで広島の漢方を始めたのですけど。それを始めたのが2006年ぐらいですかね。そこからはずっと再燃しなくて、でもなかなか下痢が、血便は出ないのですけど、下痢がなかなか治まらなかったので、ずっと漢方は飲み続けてたのですね。でも生活としては、今までずっと働けなかったフルタイムで働けたり、食事も全然制限しなかったり、お酒を飲んだりしても、暴飲暴食してても全然大丈夫だったので、それは漢方のおかげかなと思っていたのですけども・・・
診断時:21歳 インタビュー時:31歳(2012年4月)関西地方在住。現在、常勤の高校教師。大腸の全摘手術経験者。下痢が半年間続いたため、病院受診、検査ですぐに潰瘍性大腸炎と診断される。ステロイドで回復するも、止めると再発し、これを繰り返す。将来も考えて、手術を決断。術後の経過は、他の手術経験者と比較してもかなり順調な経過をたどり、その後、希望であった教師の職に就く。
私はステロイドを減らすのは順調に減らせていたのですが、ステロイドを切ってしまうと1,2週間ですぐ再発しましたので、ステロイドを最初は2ヶ月間ぐらいで徐々に減らしていって一度切ったのですが、再発して、次は(ステロイド)60mgを使って減らしていったのですが、また再発ということを繰り返していました。
Q:ステロイドの副作用はありましたか。
私が一番感じたのは、精神的な面に一番影響が出まして、すごくハイな気持ちになったりとか、逆に何もできないような無気力な状態になるという副作用が出ていまして、ステロイドの副作用の中でもそれが一番、私自身は苦労しました。
Q:それ以外にはステロイドの副作用はありましたか。
最初の頃はムーンフェイスに何度かなったのと、トータル4年ぐらいステロイドを使って最後には骨の状態が悪くなりまして、70歳ぐらいの骨という診断を受けたこともありましたので、初期のムーンフェイスと長期間(ステロイドを)使った後の骨の副作用が出ました。
診断時:43歳 インタビュー時:54歳(2012年4月)関西地方在住。看護師。発症して11年、サラゾピリンやステロイドなど薬の副作用に悩まされることもあったが、経験から、ストレスや過労からくる再燃を避けるようにして、看護師の職も続けるように努力している。循環器系などの病気もあり、それと潰瘍性大腸炎とのコントロールに困るときもある。元気なときは、患者会活動など、人を支援する時間に使うようにしている。
1回目はサラゾピリンで膨疹が出たので、ペンタサという大体小腸で吸収されてしまうので潰瘍性大腸炎では効きが悪いと言われているのですけども、それに切り替えて、初めはそれとステロイド剤を併用していました。で、一応寛解の時も量を減らして最低4錠まで減らして、もうそろそろ止めようかなということを言っていたのですけども、6年ぶりに再燃をしましたのでペンタサを9錠まで増やしたのですけども、直腸型なので(薬の効果が)あまり奥までいかないので注腸液を併用しまして症状はだんだん落ち着いてきたのですけども、2,3年前にアサコールといってペンタサの外側にコーティングをして大腸まで薬効がいく薬が使えるようになりましたので、それを出してもらって、(これまで他の薬では)結構いろいろ副作用が出たので、初めはお試しで使って大丈夫だったので、今はアサコールを6錠とペンタサ注腸を寝る前に使っています。サラゾピリンはいろんな副作用が出まして、ペンタサの方が(副作用は)軽いのですけども効果が弱いので、アサコールにすると大腸までよく効いて、同じ量でも効きがよいのではないかと思うし、全身に対する副作用も、下の大腸の方だけに効くので他のところに対する作用も少ないのじゃないかと思いました。
診断時:43歳 インタビュー時:54歳(2012年4月)関西地方在住。看護師。発症して11年、サラゾピリンやステロイドなど薬の副作用に悩まされることもあったが、経験から、ストレスや過労からくる再燃を避けるようにして、看護師の職も続けるように努力している。循環器系などの病気もあり、それと潰瘍性大腸炎とのコントロールに困るときもある。元気なときは、患者会活動など、人を支援する時間に使うようにしている。
副作用がある薬は使えない。でもステロイドも副作用があるんだということで、そこで主治医ともだいぶやり取りをしましたが、治療法がないと言われてステロイドを選択しました。すると、すごくむくんで、朝、薬を飲むと6~8kgぐらいむくんで、足の爪みたいとか、シャンプーとか階段の昇り降りとか足元を見れないとか、完全に妊婦状態になって、思考が全くできないという感じと、それからニキビみたいなのが全身に発疹が出たり、ぶつぶつが出たり、汗が30分くらいしたらドバッと出て30分ぐらい引かないとか、毛が濃くなったりとか、イライラしたりとか、夜が全く寝れないとか、光を見るとすごく眩しいとか、薬の副作用に書いてあることが全部、血圧ももちろん上がりましたし、非常にいろんな副作用が出ました。
診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している
あと漢方というのも薬で3年ほど試しました。漢方が効くという方も結構おられたので、僕も効くと完全に信じて最初はずっとやっていたんですけども、やってても本当に漢方で良くなっているのか、ステロイドで良くなっているのか、全然わからなくて。確かにステロイド飲むと良くなっていると、それは効いてくるのがわかっていると。漢方はどんなもんかと。あんまりひどくなって、僕の場合は結局合わなかったみたいで、どんだけいろいろやっても漢方では改善はみられなかったみたいで、3年間は続けましたけども、漢方はやめました。漢方といっても近くのところだったので、一応そこは胃腸科専門のところで、今通院しているのは大きな病院なんですけども、総合病院なんですけども、そこまで通うのが大変なので、点滴だけはそちらでやってもらって、大きな病院の担当医と連絡をとって点滴の治療を近くでさせてもらっていると。
診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している
またレミケードがすごく本当によく効いたので、レミケード打って、1,2日、1日でもだいぶよくなって2日後にはもう普通の状態まで戻るような効き方で、すごくよく効いています。それによってステロイドがやっとゼロなることができました。ステロイドがゼロになることによって骨もだんだん戻ってきて年齢なりの骨になってきて。血液量というか、出血は常にしていたので、血の量もだんだん戻ってきて、今は快調とまでは言わないですけども、
レミケードやり出して今でもう、もうすぐ2年になるんですけども、今ちょっと8週保たなくなってきていますね。最初の頃は8週とかそんなもんはなく、食べるものもしっかり食べていたんですけども、今は7週ぐらいでまた下痢がひどくなったりとか。先日も久しぶりに大量出血が6回ほど続いて、「またヤバイな」と思って、ちょうどレミケードだったんで、レミケードを打つとまた出血が止まるという状態で。効く薬が僕の場合あるというのですごく助かっていますけども。いつまでこのレミケードが効くのか、それが不安な状態で。だんだんだんだんと周期が短くなってくると次はどうしようかと考えておりますけども、考えてるというか、何も考えていないんですけども、どうしようかという不安がよぎるわけですけども。
診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している
1ヶ月断食して、もう1ヶ月徐々に食べるようになって、治療をして2ヶ月後に出てきたわけですけども、最初は3ヶ月は入院してもらわないとダメだと言われていたんですけども、2ヶ月で出て仕事に復帰、その後もずっとステロイド治療ばかりで、主に断食の間のステロイド治療でほとんどよくなって、それがよく効いたので、たまたま助かったんですけども。ステロイド治療を始めるにも、その日からステロイド治療。「ピロリ菌があったらステロイド治療はダメだ」ということで最初は「ピロリ菌の検査をしてからだ」と言われていたんだけども、そんな悠長なことを言っている時間がなかったので、(ピロリ菌が)ないものと判断してすぐステロイド治療を行ったんで、だいたい1ヶ月ぐらいで出血とかは止まって下痢とかもなくなって、その後1ヶ月ぐらい入院治療してから退院して、午前中退院して昼からもう仕事してたという状態なんですけども。
それからもずっとステロイド剤は服用して、服用している間はいいんだけども、やっぱり少しずつ減らしていくんですよね、いっぺんに減らすことはできないので、5錠とか。通院のときは1日に6錠まで私は飲んでいたんですけども、6錠を5錠、4錠と1錠ずつ減らしていって、いつでも1錠か0.5錠か半分に割って飲むようになったときにまた繰り返しということで、せっかく1錠ぐらいになっても結局3ヶ月、4ヶ月ぐらいで1錠に減らしていくんですけど、また繰り返しということが7年間続きました。だから、ステロイドとコロネルとかアサコールとか、アサコールができてからずっと飲んでいるんですけど、主に効いたのはステロイド剤がよく効いて。
診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人
それを玄米は完全栄養食とまではいかないですけれど、かなり栄養価が高いので、色々な栄養素も含まれていますので、それを主食にして、あと体に必要なたんぱく質っていうのはお豆腐から、やっぱり大豆は蛋白源としてかなり優れていると思いますので、だから蛋白源としてはお豆腐、でまあ貧血がひどい時が多かったので私は白身のお魚を200グラムとか、まあ一切れぐらいですがそういうのを食べて貧血予防といいますか、そういう感じ。それと後は青汁。なるべく自分で作るのが無農薬で取れたてのものだとか、自分が栽培したものをつくれば一番いいんですけども、なかなかそういうこともできないので、私の場合は少食健康法をされた先生が近くに、そのなんていうんですかね、その趣旨を理解されて信奉されている方が青汁をちゃんと製造されているというか販売されている業者さんがいましたので、そこで作られた冷凍のもの、それを朝と2回ですね、青汁はミネラルだとか色んなものがビタミンだとかそういうものを補えるので、大体その3つぐらいで、豆腐、青汁、玄米で多分補える、でかなり超少食になると思うんですけれど
診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人
少食健康法というのは、名前は伏せますが、ある医師がなんて言いますかね、すごく厳しい療法なんですけども、とにかく断食だとかそういうこともメインになってくるんですが、まず現代人は取りすぎているというか、栄養30品目食べないといけないとか、それが逆にあまり食べすぎていて今の現代病とかそういうものを起こしているじゃないかという説というか話なので、必要最小限のもの、たんぱく質だとかそういうものを取って胃腸に負担をかけないようにして、それで少食にして体を健やかに保つというような感じの理念でされている療法なんですけれど、
診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人
ステロイドに関しては良くも悪くも、思い入れがいっぱいありますので何から話していいかわかりませんけど、とにかく始めはすごくよく効く薬で飲むとすぐに効くというか、すぐに炎症がひどくて下痢がひどかったのが効くので、あ、なんといい薬だと、やはり薬ってこんなものかなという感じで、全く知識がなかったので安易に使っていました。それと処方された医師の方もそんなに、ステロイドに関しては色々医師の見解といいますか、そういうのがあると思うんですが、あまり使わないでおこうという方、使っても大丈夫だという方、その先生はそんなに使っても大丈夫だよという感じのスタンスだったので、私もその通りひどくなるとステロイドで、なんというか改善される程度で完治はしないんですけれどよくなるので、始めのうちは減らして、切って、再燃すると使うという形だったんですけれど、そのうちだんだん効かなくなってきて、だんだん量も増えてくるし、どういう薬なんだろうということで自分でも勉強し出すというか、だんだんその頃はネットとかも普及してきたりして、その頃私がまずステロイドについて、あれ、こんな薬使ってていいのかなと思いだしたのはメーリングリストだったと思うんです。
診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。
はい。えーと、一番ひどい症状の時に「プレドニンという薬もあります、これを一日3錠から始めましょう」と、で、飲み始めたところ、昨日まで調子悪かった体が一気に良くなったんです。これは魔法の薬だと、そのころはそんな薬の知識も全然ありませんでしたので、もうただただありがたい薬だと。ただ後で本とかで調べたところ、かなり怖い薬だと、体にはきつい薬だということが分かりまして、僕は何て恐ろしい薬を飲んでいたんだろうと、今さらながらにちょっと怖い感じがあります。
そして1万ミリ、1錠が5ミリグラムという単位で、で、1万ミリを超えると手術対象になるというのを、最初に聞かされていましたけども、まさかそんな量まで行くとは思ってなくて。でも回を重ねるごとに体がひどくなっていくと、で、処方される薬も増え、で、下痢止めとかも飲まされまして、でも全然下痢は治まらない。で、プレドニンも量が増えていき、もう体がボロボロになっていくのが、自分でもすごい分かって、で、これはまずいと。ちょうどそのころに手術の話が出たので、これはいい話だと、その時は、結構簡単な気持ちで手術を受けたんですけども、今思えば、もっと経験のある先生の方に頼めば良かったなと思っています。
診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。
Q:その、内科治療的には、えー、何かいろんな治療方法が、ほかにはもう手術以外には、なかったということなんでしょうか。
いえ、手術の前にいろんな新しい薬とか、こういう治療法も出たと、で、主なものがサラゾピリンの代わりに、ペンタサという薬がその時ちょうど出まして、飲んでみたまえと先生に言われて、あ、いい薬なら、これで体が治るんならと思って飲みましたけども、半年後に副作用が出ました。で、その副作用っていうのが、口の中が口内炎になって、体がすごいだるくなる、虚脱感みたいなそういうふうな体になって、なおかつ風邪の症状がずっと続いたんです。で、熱も上がって、で、最初は風邪の症状だと勝手に思い込んだので、普通の町医者に行って、風邪の薬を処方してもらってました。で、それが一カ月続いたんですけども、なかなか治らない。で、次の受診日の時に主治医に相談したところ「君、それはペンタサの副作用だ、すぐ中止します。」で、元のサラゾピリンに戻ったところ、口内炎がなくなり、取りあえず一安心と。
診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。
Q:その薬以外の治療法っていうのは、何かされたことはありますか。
うーん、あの、医師から説明された治療っていうのは、ま、基本が薬を飲みましょう、それから、食事の取り方ですね。わたしの通っていた病院は、あの、やっぱり食事、特に脂肪の摂取量が、あの、病気を悪化させる、まあ、要するに腸が脂肪を、えー、吸収しようとするために活動が大きくなるので、ここを抑えることが大事だという、栄養科と内科が、バランスが取れた考え方をしていました。なので、栄養士の指導を受けて、食事療法という形で、食事について、潰瘍性大腸炎では、あまり脂肪物、あの、刺激物を避ける、え、脂肪についても、30グラムまでとどめるというような勉強会を、何度かやっていただいて、家族もそれを聞いて、で、食事については注意するようなことがありました。
Q:あと、あの血球除去療法とかそういうのは、されたことありませんか。
はい、あります。わたしの場合は、血球除去療法の中のGCAPというものでしたけれども、これは5回目ぐらいの入院の時に、一通り経験しましたし、7回目の直近の入院の時にも、わらにもすがる思いで、それもやりました。血管がちょっと出にくいというのと、体の中を、一回血を抜いて、また元に戻すというときに、戻ってくる血液が冷たいと、体が、非常におこりが起こったような震えが起こったりして、一度は、中止をしてもらったというようなこともあります。
診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。
Q:何回も入院されたということなんですけれども、その間のですね、その、内科治療をずっと続けてこられたということですけれども、その内科治療の、ま、どんな薬を飲んだとかあるいは、どういう治療をされてこられたとか、その辺のところちょっとお話しいただけますか。
はい。最初は基本ステロイドでした。ステロイドの、大量投与で、まず寛解状態に持っていっていただいた。その後は、当時はサラゾピリンだったと思います、サラゾピリンを処方されて飲んでいました。ステロイドはその時で切れてると思います。ただ、あの、甘く見ていた部分もあって、かなり薬はサボっていました。で、定期的にもらいに行く分で、だいぶ余っていったという記憶はあります。
サラゾピリンの後に、ペンタサが出てきたときにペンタサに切り替えた。だから通院してるときは基本ペンタサでやっていました。何回目かの入院の時に入院期間が3カ月以上になって、絶食状態だったんですけれども、職場に復職しないと仕事のバランスが取れないということがあって、絶食状態のまま退院したことがあります。ま、その時にエレンタールを処方してもらって、えー、エレンタールのみですね、食事は食べずにエレンタール1日8包、で、経鼻でそのうち5包落とすと、という生活を3カ月ぐらいしました。その後、経鼻はなくなったんですけれども、基本はエレンタールを飲むと、朝食事で夜軽い食事、で、エレンタールを3包ないし4包飲むっていう生活を、年の単位で続けていました。
Q:あの、経鼻というのは、鼻から管を入れるということですか。
そうですね。あの、鼻から管を入れて、モーターで機械的に送ってもらうということです。あの、とても寒い所なので、あの、夜落としていると、朝方、その鼻から通っていく管の冷たさで、何度も目が覚めてしまったり、結構それは、寝不足になったなという記憶があります。
診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。
Q:はい、ほかにはどんな治療をされました。
えーと、ペンタサでなかなか落ち着かない、自分としては直腸から始まっていくというタイプで、いきなり下血から始まると、ということでしたけれども。だんだん、まあ、下腹部の腹痛が最初に起こるとかいう予兆も、自分なりに感じることができてきたので、先生にお願いして、ペンタサの注腸が出たときには使い始めました。その前にも、あの、座薬、ステロイド系の座薬も使いましたし、それから、えー、注腸剤も使いました。ただ、ステロイドは途中から、目に影響が出ました。入院中にどうも本が読めなくなって、眼鏡屋さんに行ったら、視力が出づらいねということで、眼科を受診したところ、視野狭窄(きょうさく)が出てますと、という形で判明して、緑内障という形が、出てきてます。なので、その時点からステロイド系の薬はやめようということで、最初にはステロイド性緑内障、ま、その後には低眼圧緑内障というふうにも言われましたけども、これは今に至って左目がほとんど見えないということと、そのために手帳が交付されてると、という状態です。
診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。
パルス療法は、ステロイドを、例えば、100ミリグラムとか500ミリグラムという単位を点滴で、短時間に体に入れると、それを3日間続けるというものでした。通常、飲んでるときは、数十ミリグラムとか数ミリグラムという単位で飲むものを、え、その、10倍、100倍という単位で一気に落として、それで症状を一気に抑えると、という目的というふうに聞いていました。
Q:それは、効果はあったんでしょうか。
えー、ありませんでした。後で判明したんですけれども、調子が悪くなったときには、中等症と呼ばれるいわゆる中症、うんと、重症度で行くと真ん中のレベルだったので、えー、アサコールの増量試験の治験を受けていたんですね。で、その治験薬を、ま、増量、通常よりも多く飲んでいて、でも症状はどんどん悪くなっていったという状況でした。結果的にこれは、その増量した薬に対するアレルギーが、自分に起こっていたということが分かったので、えー、いくら強力なあの、ステロイドのパルス療法というものやったとしても、原因が薬だったので、意味がなかったんだろうなということです。ま、自分にとってみれば、ステロイドを使うと、視野がもっと狭くなるんではないかと、失明するんじゃないかという危険性もあったので、今から思うとやりたくなかった治療法でした。
診察時26歳、インタビュー時44歳(2013年1月)女性 中国地方在住。長年にわたり一通りの内科治療をしたが改善しなかったので2002年に手術をして大腸全摘した。直後は腹膜炎を起こして大変だったが、現在は元気に暮らしている。家族構成は夫と二人暮らし。
入退院を繰り返していた時に、白血球除去療法が出始めた頃で、まだ保険適用ではなかったんですが、先生が割と新しいもの好きな先生だったりしたので、保険効かないけどやってみましょうということで、えーと、遠心分離の方法の白血球除去療法で、週に1回とか2回とか。で、それで、その時には、割とその治療が効いて、再燃してもまたそれを外来でやってもらえば復活するのを2回か3回繰り返していました。で、最後、内科に入院した時は秋口だったんですが、まぁ、自分ではそんなに大したことないと思っていたんですけど、入院して。で、先生もそんなにひどくないと思っていたので、ご飯食べる?絶食する?って聞かれて、いや、食べれるんなら食べますと言って。で、もちろん、えーと、ステロイドは静脈からずっと入れてたんですけど、その時、何かもうステロイドが効かない感じで。で、同じように白血球除去療法も繰り返したんですけど、良くならず。で、これはもうステロイドが効かなくなっているねということで、免疫抑制剤の24時間静注の治療に変わりました。
で、それで、ちょっと良く…まぁ、あの、ステロイドすぐに切れないので併用してる期間がありながら、で、だいぶ良くなってきたから、じゃ、免疫調整剤も経口に変えようってなった時に、経口剤にするとすごい体調が悪くなり…頭痛がしたりとか吐き気があったり、で、また下血をするようになる。で、ちょっと経口への変更はうまくいかなくて、また点滴に戻り、で、そこから絶食。もう入院してから2ヶ月経ったあたりから絶食を強いられて、なかなか退院もできず良くもならない。
中国地方在住。長年にわたり内科治療を受けながら会社の仕事も続けている。ステロイドの副作用もでているが、まだ手術までには至っていない。患者会の仕事も精力的に行っている。家族構成は妻と二人暮らし。
Q:あの、今、ステロイドのお話が出ましたけれども、累積でどれくらいとかっていうのはご自分で把握しておられますか。
はい。あのですね、えー、約1万5千ミリグラムくらいですね。恐らく。ただ、あの、パルスのですね。パルス療法での、えーと、カウントをどうするかというのがちょっとあると思うんですけど。あのー、パルスを入れないで約1万5千ミリグラム程度だったと思います。実は、あの、最近ですね、あの、大腿骨頭壊死を発症して以降は、あの、やはりステロイドの影響ではないかなということで、ほかの骨頭への影響いうのがあってはいけないんで、ステロイドの治療というのは、もう、今、やめております。
今現在は、当然、ペンタサに代わる、今、アサコールによる、まぁ、通常の、服用と内服とですね。あとは、ペンタサ注腸。お尻から入れるんですよね。これでやっているんですけど、状態が悪くなった時というのは、血球成分除去で、あの、凌いでおりまして。ステロイドを入れない治療というのを、なるべく、今、主治医と相談しながらやっている状態です。あとは、あの、寛解導入。寛解維持のために、一時期、あの、免疫調整剤、イムランだったんですけど、私。それを服用していた時期もありました。ただこれは、えーと、10数年前に、あの、足の手術、骨頭壊死の手術をする前のタイミングで、やはり、あの、免疫調整剤は、ちょっと、抵抗力の関係もよく問題視されるんで、その時点で、一応、服用をやめまして。今現在は全然飲んでない、服用していない状態になっております。
中国地方在住。長年にわたり内科治療を受けながら会社の仕事も続けている。ステロイドの副作用もでているが、まだ手術までには至っていない。患者会の仕事も精力的に行っている。家族構成は妻と二人暮らし。
ちょっと整形外科を受診しましたところ、あの、大腿骨頭壊死という、あの、足の、いわゆる骨の病気ですね…になっているというのが一応わかりましてですね。まぁ、私の場合は、あの、両足、右…右、左とも大腿骨頭部のみなんですけど、あの、壊死が起こっておりまして。あの、特に右のほうがちょっとひどくてですね。あの、今から11年ぐらい前になるんですけど、平成12、3年頃ですかね。あのー、右足の手術をやっております。
この大腿骨頭壊死の原因というのが、まぁ、これも、やはり、潰瘍性大腸炎と同じように、あの、難病に指定されている病気ですので、あの、原因がよくわからないという風に言われているんですけど。あの、その中でも、例えばお酒であるとか、薬、ステロイドによるものとか、あとはタバコとか、まぁ、色々言われているんですけど。まぁ、全部、私の場合、当てはまるんですけど、まぁ、恐らく、ステロイドの量というのもですね、あの、ずっと、まぁ、病歴が長いんで、かなりの量を入れてるんで、恐らくステロイドではないかなという風には思ってはいるんですけど。あ、まさか、あの、ね、あの、潰瘍性大腸炎という難病1個だけでも大変なのに、2つ目をもらうなんてちょっと思ってもみなくて。
中国地方在住。長年にわたり内科治療を受けながら会社の仕事も続けている。ステロイドの副作用もでているが、まだ手術までには至っていない。患者会の仕事も精力的に行っている。家族構成は妻と二人暮らし。
2回目の入院ということになりまして。えー、2回目の入院の時に、そのぐらいでしたかね。入院したのが、たぶん、平成2、3年頃だったと思います。えー、サラゾピリンからペンタサの古いやつですかね。古いタイプの…に変わっていたような時期だったと思いますけど。まぁ、薬も、まぁ、変わったり。
あと、やはり、治療の主体は、あの、ステロイドによる治療というのをやっぱり受けまして。その時、2回目の入院で初めてIVHし、ここの鎖骨のほうからですかね。ラインを取って絶食状態。それで、あの、24時間の点滴。当然、まぁ、ご飯は食べれない。あの、口から、えーと、入れれるのは、まぁ、水分のみということで。まぁ、かなり辛い治療ですか。入院生活。その時は2、3ヶ月だったと思います。入院期間。2ヶ月ぐらいだと思います。
あの、まぁ、1ヶ月ぐらいが、えーと、いわゆる絶食期間。そのあと、半月ぐらいは、まぁ、徐々に食事をアップしていって、あと最後の1週間ぐらいを自宅療養して、まぁ、その後、職場復帰してると。そんな感じだったと思いますけど。あの、その時に初めて、この病気って、どう言うんですか。再燃と寛解を繰り返す病気だというのをやはり痛感しました。知識として、この病気って、難病指定されてまだ原因がよく分からない。治らない病気ですよという風に主治医のほうから説明を受けていたんですけど、あ、もしかしたら、これ、状態も良いんで治ったんじゃないかと、自分としては、まぁ、思っていたところもあるんですけど。やはり、ちょっとビールを飲んだという、まぁ、トリガーがそれだったんだと思うんですけど、そういった不摂生によってですね、悪くなるというのを、ちょっと、その時に経験しまして。あ、難しい病気なんだと。