NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

KT-13 プロフィール

診断時60歳、インタビュー時89歳(2017年1月)男性 関東地方在住 発病から10年くらいは大変だったが、主治医の治療方針で、入院も手術もせず仕事を続けながら内科治療だけで寛解に至り、現在では完治したと思っている。現在は家内と二人暮らし。

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 xx先生が、何代目かの(研究班の)班長をされましたけれど、その先生が難病といっても潰瘍性大腸炎はそんなに特殊でなくて、要は生活習慣病だとおっしゃっております。どんな病気でも完全に治るということは無いんだから、一応普通の生活が、日常生活が送れればいいというふうに、割り切って対応したらいい、ということがどこかで発表されているのを見まして、それはいいなと思って私もその説に賛成してるというか。患者会で色々相談に乗ったりしていても、「完全に治らないと」という思いの人が結構多いんですね。ですから1日に4-5回ちょっと下痢があるというようなことがあっても、「日常生活ができると、何とかできる」ということであればいいんだと思いなさい、ということでお話をしているんですけど。みな完璧な健康体にというような思いを持つ方が多いんですけれど、そういう必要はないんじゃないかなと思いますね。

KT-13 プロフィール

診断時60歳、インタビュー時89歳(2017年1月)男性 関東地方在住 発病から10年くらいは大変だったが、主治医の治療方針で、入院も手術もせず仕事を続けながら内科治療だけで寛解に至り、現在では完治したと思っている。現在は家内と二人暮らし。

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 Q.今、テニスとかされているというお話なんですけれど、ご病気で調子悪い時もやっておられたんですか。
A.そうです ね。テニスを本格的に始めたのは横浜に住んでからですので、約40年になりますけど、週2回くらいは必ず行くようにしておりました。私のストレス解消法ということで、仕事の面だとかいろんなことで精神的に疲れている時でも、1時間か2時間コートで汗を流すとスカットするということがありましたね。人間生活する上ではストレスというのは避けられないものですから、ですから精神的なストレスと、肉体的なストレスのバランスを取るというのがよかったのかなと思っています。後は呼吸法じゃないんですけれど、腹式呼吸というのが非常にいいということなので80の手習いということで、地域の方々と語り合ってコーラスクラブを、混声合唱団を作りまして、最初私一人で、男は私一人だけだったんですけれど、今は男性が9名と女性が24名ですか、33名の混声合唱団ができておりまして、緑区の芸術祭と称して毎年秋にはそこに参加したりしております。そういうことで、これは月2回2時間づつのレッスンというか先生に教わるんですけれど、要するにお腹から声を出すということで腹式呼吸というのが健康に非常にいいんではないかと。私は若い時から詩吟が好きだったものですから、詩吟もお腹から声を出すということがあったもんですから、比較的楽に入れましたけれど、今は一応テナーということで仲間と一緒にやっております。

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 Q:はい。今病気のことについてお話しいただいたんですけども、直接その病気のことではなくても病気をしたあとで、してから何か人生観が変わったというかそういうようなことって何かありますか。
 私がこの病気になってから、やっぱり自分には難病の方っていうのは全く無関係な生活をしていましたので、実際自分がなってみるとまだ調子いいときは健常人と同じように生活できる、ただ調子悪かったら同じように生活できないというふうなことの病気なんですけど、やっぱり難病、ほかの難病いっぱいありますので、そういう方も今の社会で不安とかストレスとかと戦いながら前向きに生きているということを難病になってから知るようになって、それで人生観というかやっぱりこういう病気でもがんばらんといけないなというふうに強く思いました。

QS-2 プロフィール

診断時、31歳 インタビュー時歳49歳(2012年7月)九州在住。行政の嘱託員。発病は31歳の時。大腸検査でふさがっているところがあり、32歳で始めての手術。約10年後に再発2回目の手術。翌年に入って3回目の手術で大腸を全摘した。一時(3ヶ月)ストーマをつけたが、現在はクローズド(閉じている)。家族は母、妻、犬4匹、猫1匹。

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 本来であれば健康でありたいというのが一番なんですけど、これはどうしようもないし、もうないものはないので、これはもうしっかり受け止めて。じゃあ今のこの体をどう生かして、自分をどう生かしていくかというのは自分の気持ち次第なので。健常の方がやれることとはまた違う方法とか、違うやり方とか、色んな方面に力はだせるのではないかなあと、ものすごく前向きな考え方を持てるようになりました。

KT-13 プロフィール

診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 そうですね、まず潰瘍性大腸炎っていうふうに診断された時に、自分は、軽かったのでその病気についてあまり調べなかったというのがあって、お医者さんも、当時のお医者さんですけど、軽かったから、そんなに深刻に言うと多分真剣に考えちゃうからだと思うんですけど、おっしゃってもらえなかったので、あの時に、なんだろうな、ちゃんと病気について理解しておけば、坂道を転がるように悪くなることはなかったんじゃないかなって思っていて。だからもし診断されたら軽かろうが重かろうが、基本的には自分の病気のことを自分でお勉強するのが大事かなと思います。だからといっていろんなことを諦めるんじゃなくて、基本的には前向きな気持ちは残したほうがいいんじゃないかなっていうのが自分の経験上の言えることかなと思います。
 なんか、先生たち、お医者さんからいろいろ言われた言葉で残っているのが「やっかいな病気になっちゃったね」とか「この病気は長く患うと自信とかを無くさせてしまう病気だからね」とか、そういうことを言われてどんどん落ち込んじゃったりするんですけど、そうじゃなくて、なんていうんですかね、今を一生懸命生きるっていうのが一番大事なんじゃないかなって、今自分の出来る範囲内ですけど、で自分のやりたいことを探すっていうかそれが大事なんじゃないかなって思いました。

KT-12 プロフィール

診断時54歳、インタビュー時71歳(2016年4月)男性 関東地方在住 一度再燃したが薬物治療と食事療法により寛解(無症状、本人は「全治」と自己診断)が続いている。妻と娘夫婦とその子供二人の6人家族。
医療法人財団 健和会 臨床・社会薬学研究所所長 片平冽彦(インタビュー時の所属。保健学博士【東京大学大学院医学系研究科】

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Q:他に何か病気をしたことによって考え方が変わったとか、対人関係が変わったとか、そういうようなことがありましたらお話いただけますか。
 実は私自身は医者ではないんですが、医学関係の研究を、私の場合は中心テーマは薬害の問題なんですけれども、医学関係の研究をしてきて、それで病気の体験をしたことはすごい貴重なことだったと思っています。
 患者でなければわからないということがありますけれど、その通りでその経験が自分の研究の姿勢にも影響を受けているということかなと。そこは大事なことかなと。健康な者、強い者には不健康な者、弱い者の気持ちがわからない、ということが一般的に言えるんじゃないかなと。逆に、ですから不健康であった者、病弱であった者はその病気の苦しさを知って、体験している、だからそういう患者さんに寄り添って医療関係の研究をするということが、その源となっているということじゃないかなと思います。

KT11 プロフィール

診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住
専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 私がすごく信頼してる方から言われた、自分がすごくつらかったときに言われたのが、「病気は人生の教材だから、自分の精神性を病気を通してどう高めていけるかだよ」というふうに言われたことがあって、それを言われたときは、何かいい言葉だけど、ふに落ちないなというふうに思っていたんですけども、自分がずっとこの病気と付き合ってきて、手術のことですごく迷ったりだとか、あとすごく患者会で、こう人としてすごく本物だなという方に会えたりだとか、あと病気をコントロールすることを通して、自分、うまくこう精神的にも少し、ただつらいっていうだけじゃなくて、うまく少し自分を客観的に見たりだとか、いろんなことができるようになってきて、今本当に何か少しずつなんですけど、そういう、つらかったこともあるけど、「病気は教材だよ」って言われたのが最近になってちょっとふに落ちてきたなということがあるので、この病気になって、どうしてこうなっちゃったんだろうっていう瞬間ってすごくたくさんあると思うんですけども、ただ、きちんと向き合うっていう意思を持ってこれからも付き合っていけたらいいなというふうに思います?。

KT-8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 そうですね、私がこのプロジェクトに参加したのは、私が発病した頃には本当にまだ全然情報がない、潰瘍性大腸炎っていうのは本当に新しい病気って言われた時に発病して、不安もありました。で、その後、その状況で30何年間この病気と付き合って来たんですけども、私自身のこと考えると、本当に病気で辛い時もいっぱいあったんですけど、今振り返って見たら、一応38年間勤めて、ちゃんと勤めてこれましたし、今の生活は体育の教師っていうこともあるんですけど、運動好きですので定年退職後はスポーツセンターに行って、週4日、4時間ぐらい卓球とかバドミントンとかやって、そういう楽しみながら生活してますし、ちゃんと運動もできますし、まそういうふうなことを知ってほしいと思うし、
 それからもう一つ、2年前にその手術した時に、やっぱり若い人たちが、ハタチ前後の人たちが結構入院して他の病院から紹介されて手術だけに来ましたって人を何人か見かけたんですね。意外とみなさんしっかりしているので、ですけどハタチ前後で大腸全摘手術っていってるのは、非常に本人自身は受けた方が楽だと言われたとか、手術するんだっておっしゃってましたけども、ただ本当に若いですし、これから出産とか、女の子は出産とかあるので不安が一杯だと思うんですけども、そういう人たちに私自身がちゃんと子供を産んで育てて、仕事もして、ちゃんと今こうやって生活していますよってことを伝えたいなと思ったものですから、今こういう形で私の病歴のことを話しているんです。

KT-6 プロフィール

診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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Q:ご自身の病気の体験が、何かに活きてるな、活かせそうだな、これから先活かせそうだなとか、今自分がこれが役立っているとか思うことって何かありますか。
 まず一つ目はさっきもお話したけど、将来。多分病気をしてなかったら看護師になろうとか司書になろうなんて多分思ってなかった。看護師のなかでもIBD科に勤めたいって思ったのはやっぱし、自分がちっちゃいころに病気をしてるから、その人のある程度の気持ちは理解してあげれるから、なんだ、役立てるんじゃないか、ん、恩返しかな、恩返しできるんじゃないかなと思うので、役立てるし、後はなんだろう、何かを決めるときにはやっぱし病気のことを考えなきゃいけないけど、病気のお陰で、おかげじゃないけど、自分が潰瘍性大腸炎だったおかげで、人との縁がすごい広がってるんですよ。そういうのが大好きなんです。病気の人とのお話ができるようになったご縁もあれば、同じ病気の友達とも話せることができたし、看護師さんともお話できるし、お医者さんともお話になれるといって、すっごい人との縁が広がっていくのがすごい、あ、病気のお陰だなっと思ってうれしいんです。

KT-5 プロフィール

 

診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 この病気私本当に悪くなったり良くなったりなんで、ただまあ、くよくよしててもしょうがないと思うんですよね。なるようにしかならないし、悪くなるときは悪くなるし、良くなるときは良くなる。だからある程度もうしゃあないやとしょうがないや、本当にある程度割り切ってやってく、気持ちをある程度気楽にした方が、それでもうやってった方が、却って病気のためにもいいと思います。
 打ち込むこと、仕事でも趣味でもなんでもいいですけど、他に打ち込むことがあれば、逆に病気のことを考えてると悪くなる気がするんですよね、かえって。あれ食べちゃいけない、これ食べちゃいけないと神経、気を遣い過ぎたりするのもよくないし、本当にあまり病気のことは考えない、何か他に仕事なり自分の趣味などに打ち込みながら時間を過ごしていくと、逆にその方が自分の人生そのものも楽しいですし、病気にとっても悪くならない方には行くと思っているので、そういう形で同じ病気持ってる方がいらっしゃったら、過ごされるといいのではないかなあと、これはもう科学的でも何でもないですけど、私の今までもこの病気、17年くらい、15-6年くらいやってますけど、私からの感想ではあります。

KT-3 プロフィール

 

診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 自分が動かなくちゃいけないということがわかりました。自分が知りたいと思うことを自分で調べるし、ネットワークが、ありとあらゆる色んなところで色んな人がネットワークを作っているんですけど、そこへ自分が行かないと、自分で電話をするにしても、相談しに行くにしても、とにかく自分が動かないとだめだっていうことがわかりました。
 病気になるとなんとなくへこんでしまったりとか、なんかこう弱くなってしまうんですけど、落ち込むだけ落ち込んだら、こんどは自分で歩き出さないと、自分が動き出せば色んな人が助けてくれるんですけれど、ただ立ってるだけではなかなか・・助けてもらいたいんだよってことをアピールすることを少なくともしないといけないんだなって思いました。自分がアクションを起こせば色んな人が色んなことをしてくれる、色んなことが動いていくっていうことが、本当にこの病気を通して思ったんで、色んなことをあきらめちゃいけないなということも感じたし・・そんなところです。

KT-1 プロフィール

診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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Q:この手術をされたことが、ご夫婦の生活、性生活に影響したということはありますか。
 それはないと思いますね。もちろん、手術したあと、1日に30回も40回もトイレ行かなきゃいけない。要するに、常に便意を感じているような時っていうのは、そういう気には全然なれないわけですから影響はあると思いますが、それは他の病気と同じで、その間はもちろん違いますけれども。通常の生活ができるような状況になった場合には、そういう影響はないと思いますね。
 ただ、人工肛門に関してはあると思います。ですから、人工肛門に関しては、私はトータルでも1年しかやってませんでしたので詳しくはわかりませんけれども、ただ、例えば水泳なんかでもできるんですね。人工肛門してても。ですから、温泉入ったりとかもお風呂入ったりとかもできるんですけれども。そういう用に、ちょっと小さめの人工肛門もあるんですね。そういう物を使えば、何て言うんですかね。そういう夫婦生活もできるという話は聞きました。ただ、人工肛門を外してしまったあとは、これはもう全然問題ないと思います。

KT-1 プロフィール

診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 それと、もう一つ。一つあるとすれば、私は暇だったので、便の回数を記録したんです。1日、正の字を書いて、それをグラフにして、日々の折れ線グラフにしたんですね。それと1週間単位の1週間の平均を出して、それもグラフにしたんですね。そうすると、日々のグラフっていうのは、特に最初の頃は、30回が次の日25回になって次の日また35回になってとか激しく動くんですけども、1週間の平均で見ると確実に右肩下がりになるんですね。もちろん、若干増えることもあるんですけれども。殆ど右肩下がりになってました。それ、あとでわかったことなんですけれども、確実にやっぱり減ってるというのが、目で見て途中まで来たらわかるわけですね。
 で、そういう回数を付けてグラフを作って、そういう作業をやることによって、ああ、これはあと1ヶ月経てばこの辺まで来るなとか、そういうこともできますので。そういう、あの記録を付けたのは良かったかなと。それから、あと、本当に苦しい時は文章を書くこともできませんでしたし、本を読むっていうのも集中できないので殆ど読めなかったですし、テレビを観るのも辛かったですね。一番楽だったのは、やはりラジオですね。ラジオをよく聞きましたね。なので、何か記録を残すことはできなかったですけれども、多少落ち着いてからは、ある程度、記録を残すようにしました。薬の量とか、それから、便の回数は最初から付けてたんですけれども。あと、身体の調子ですね。これも、やっぱり、日々を見ると良くなったり悪くなったりあるんですけれども、やっぱり1週間単位とかで見ていくと確実に良くなってる。その辺、今日は調子良かったとか、日記的に記録を残すと、今日、鍼を打ったとか、あんまり効果なかったとか、そういうようなことをある程度、記録に残しました。あとになって読み返すと、ああ、こんなことだったんだなというのがある程度わかりますし、それは、最終的に、いわゆる闘病記のような形にして患者会の会報にも載せてもらったりとかしたんですけれども。ほかの方の参考になるかならないかはちょっとわかりませんけれども、自分自身では、やっぱり、そういう記録を残したっていうのは良かったかなと思ってますので、皆さん、ほかの方にもそういうことをお勧めしてはいます。

KT-1 プロフィール

診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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Q:やはり、この病気、特にその術後の状態だと思うんですけど。一番辛かった。それがやっぱり自己イメージって言うか、そういったものにも大きな影響を及ぼしたっていう風に感じられますか。
 自己イメージっていうのはどういう?
Q:自己イメージって言うか。自分の自信とか、あるいは男性としての自信とかっていうような部分に何か影響があったと思いますか。
 そうですね。そういう風な考え方をしたことはないのでよくわからないですけれども。そうですね。今まで、それまでの病気するまでっていうのは、割と特に大きな病気もしなかったですし、社会生活の中で大きな挫折とかそういうことを経験したことはなかったものですから。いわゆる順調に来たというか。大きなトラブルもなく生活してきましたので、そういう意味ではちょっと考え方が変わったかなという部分はあるかも知れませんね。
Q:変わったというのは。
 うん。やっぱり、色んなことが、人生には色んなことが起こるんだなと。(笑)確かに、手術っていうのは大変だったし辛い経験ではあったんですけれども、そのこと、病気をしたことによって、今まで会社人間って言うか、普通、日本人の平均的なサラリーマンと同じように、会社の生活が殆どだったんですね。病気をしたことによって、家に一時いる時間もあったりして、その時に、私、今、マンションに住んでるんですけれども、そのマンションの人たちと交流ができたり。それから、一番大きいのは、患者会という今まで経験したことない組織というか、人間関係ができたりしましたし。で、その患者会を通して、また更に色んなところで人とのつながりができてきたり。

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 どこに行くにしても、トイレチェックはすぐにするようになりました。子供らもだんだんわかってきて、「お父さんに聞いたら、どこにトイレがあるか知ってるで」と。どこ行くにしても、通った道にトイレがあったら、バックするようにする。警察署も入るし、消防署も入るし、コンビニも入るし、スーパーでもパチンコ屋でもどこでもトイレのあるところはチェックするようになって。トイレのないところにはだんだん行けなくなってきたんですよね。
 今までは子供らとハイキングに行ったりとかしてたんだけど、山はだんだん行かなくなりました。やはりトイレがないということで。今平気にしていても5分先はものすごい下痢になってトイレに駆け込まないとあかん状態になると。その時助かったのが、今オムツが、恥ずかしい話なんだけどもオムツをして出るようにすると割と安心感が得られるんですよね。今、結構高性能なオムツ、大人用のはくパンツ状のオムツがあるんで、オムツをはいてもズボンをはいてたら、そう違和感がなくはける。だから、オムツを着用するようになって返って安心したのか、そんなに外に出る時にはくことによってトイレの回数が少なくなるんですよね。
 「行けない、行けない」と思うとね、余計にトイレに行きたくなっちゃうんで。オムツをしていると、「まあ、いいや」、「いいや」じゃないけども少しは保つんで、後は綺麗にしたらいいことなんで、妥協できるということで、オムツをはくようになってから、ちょっと行動範囲が広くなって、調子が良い時はもちろん行くんですけども。車でも高速で渋滞するとか、そういった時間帯には一切出歩かなかった、やっぱり渋滞するとトイレとかサービスエリアとか行けないんで。特に渋滞する時は乗らないようにはしているんですけど、車は。オムツすることによって、すごく安心感が得られるようになったんで出歩けるようになりました。

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 病気になられたからといっても、まだまだそのような死ぬような病気じゃないので、直接それが死に繋がるような病気じゃないから、そんなに落胆しないで前を見て明るく付き合っていこうという姿勢で、やっぱりこういったことになったんだから仕方ないんだから、付き合っていかないとダメですよね。
 それから、病気の薬によっていろんな副作用があるんで、そういったことにも対処していかなければいけないし、あまり落胆せんと前を向いて、いろんな情報が今、飛び交っているけれど自分の一番、人によって症状が違うんですよね、薬も合う合わないもあるし、何でもそうやけども同じ症状というのは皆ないです。悪い人もおるし軽い人もおるし、合う人もおるし合わない人もおるし。食べるものも人によって違う。だから、自分の合った方法で最善の方法で、じわっと急がずゆっくりすることによって、だんだん気も休まって治療になって改善していくやないかと思っています。だから、あまり落胆せんと、時が解決してくれるというか、自分自身も知識を増やすことによって、いろんなことをすることによって、食べれるものは食べたらいいし、下痢でひどい時はもうじっとしといたらいいとか、できることを少しずつやることによってだんだん改善していく病気じゃないかと、僕はもうこれからは治る病気だと思っています。

KS-1 プロフィール

診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人

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 この病気との今後ですけれど、今までは治したい、この病気と別れたいと言いますか、治したいと思ってたんですけれども、何かこの入院をきっかけにしてちょっと自分の中で変わったというか、ゆとりができたというか、今までは少食健康法ということで、これを食べずに治す、治したいがためにという感じで来ていたんですけれど、ちょっと視野を広げてこの病気と付き合っていこうというスタンスで、悪くなったらステロイドもまあ、ありかなということで、効くなら、それでまた後はうまい具合に切っていければいいかなという感じで、後はプロの医者の方に任せて医者の言うことを聞いて自分でも情報をちゃんと仕入れて学びながら、そういう風にしていって炎症を抑えていく、
 どうしても仕方なく、大腸がんのリスクも高いですし、もしそういうふうになってどうしても手術しないといけないという時は信頼のおける外科の先生の方にかかってお任せする。後は運だとかそういうこともあると思いますので、先のことはその時に考えようということであまり取り越し苦労をしないようにして、今を精いっぱい、今好い状況にあるからそういうことを言えるのかもしれませんが、それでもまあそんなにばたばたしてもどうしようもない病気なので

HR-1 プロフィール

診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 今現在同じ病気で悩んでいる方、あしたをどうしよう、この後の人生をどうしよう、まあ、あの、思い悩み過ぎてうつになったり、人生投げ出したくなったりすると思うんです、絶対に、ま、僕もそうでしたんで。ただ、常に希望は捨てないで前を向いていけば、必ずちょっとだけでもいいことがあると思うんですよ。で、ま、医学の進歩も目覚ましいし、新しい治療法や治療薬も出ていると。で、そこで自分をあきらめない、ただそれだけだと思うんです。
 普通の人でも簡単に自殺してしまう。ましてや僕ら、病気を持っている人たちは、あの、常に死というものに対して、ま、入院していれば分かると思うんですけども、常に、その、死ぬってどういうことなのかなと考えてしまうんです。昨日まで元気だった人が次の日もう亡くなられてしまう。もしかして僕もそうなんじゃないか、わたしもそうなんじゃないかと、絶対思うと思うんです。ただ、あきらめないっていう気持ちは、必ず心のどこかに持っていれば、まあ、今現在つらい思いしている方には、何言っているんだと思われるかもしれないですけども、いつか必ず、ああ、そういうときもあったなって、思えるときが来ると思うんです。だから決して、簡単な気持ちで自殺を考えたりとか、人生投げ出してっていうようなことをしてほしくないんです。これは本当に声を大にして、これからも、まあ、僕が元気であるかぎりは、あの、いろんなところでそういう言葉を発していきたいなと思っています。