NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

QS-1 プロフィール

九州地方在住 49歳 女性 潰瘍性大腸炎全大腸型 発症23歳看護師 仕事は非常勤 現在は夫と夫の両親との4人暮らし。

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 1ヶ月半、2ヶ月くらいだったかな入院したんで、娘が生まれて初めての入院だったんで、娘のこともすごく心配しました。私がいない間娘の方はいい子だったみたいで、周りに全然心配かけないでいい子だったみたいなんですけれど、退院して帰ってくると、夜は私の布団に入ってきてですね、首にしがみついて寝るんですね。毎晩毎晩私にしがみついて寝て、多分さみしかったのを取り戻してたんだろうと思うんですけど。入院期間の倍くらいそういうのが続きました。その後入院した時もそうだったんですけど、2か月入院すると4カ月、1ヶ月半入院すると3カ月くらいそうやって娘が首にしがみついて寝るっていうことがありましたね。
 そうやって、その治療を外来でしてて、娘とも一緒にお風呂に入るんですね、娘もそういうのを見るわけですね。・・「私も大きくなったらそんなふうにお腹に薬を入れるのって」聞いたりとかしたりしてましたね。だからそこらへんの子供に分かる言葉で説明するのが結構難しかったりはしたんですけど、娘は割と早くこう、私の体がそんなふうになってるっていうのはそんなにびっくりもしなくて受け入れたように覚えています。
 夫はですね、最初に発病した時は結構前だったんですけども、入院が長期になって、夫自身も胃潰瘍と十二指腸潰瘍になったんですね。夫自身も胃と十二指腸の両方に穴が開いたらしくて治療を受けながらずっとお見舞いに来てくれてました。二十代のときはずっとプレドニンの副作用で、もうずーとムーンフェイスだったんですね、それで鏡見ては泣いてたんですけど、二十代の時はすごく励ましてくれてましたね。三十過ぎるとですね、夫も、繰り返し繰り返しだからですね、子供が生まれた後の再発は特にその私が長期に入院すると子供の世話まで加わってくるので、多分困ったと思うんですけど、夫自身多分すごくきつかったんじゃないかなと思います。私に対しても結構冷たくなったりとかも、結構ひどいこと言われたりとかもしたんですけど、今思うと夫もいっぱいいっぱいだったんだろうなと思ってます。

QS-1 プロフィール

九州地方在住 49歳 女性 潰瘍性大腸炎全大腸型 発症23歳看護師 仕事は非常勤 現在は夫と夫の両親との4人暮らし。

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 娘が生まれてから後体調が落ち着いたんですね。丁度8年くらい落ち着いたんですよ。でさっき言ったように娘が生まれつき腎臓に問題が、異常があって、病院にかからなきゃいけなかったんで、定期検査に通わなけりゃいけなかったんで、それが娘で結構大変だったんですね、病院の通院とかで、育児もすごく癇の強い赤ちゃんで、ものすごく激しい声で泣く癇癪持ちの子だったのでとっても育児も大変だったんですけど、不思議と一番手のかかる8年間が病気自体が落ち着いてたんで、本当に今考えても神様にもらった時間みたいに、本当に子供を育てるために神様にもらった時間だったなあっていうふうに思っています。

KT-13 プロフィール

診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 潰瘍性大腸炎が悪化してくると貧血もひどくなって、常にだるい状態で、帰ってくると本当にすぐにでもベッドで横になりたいという状況だったので、子供もまだその頃保育園に行って小さかったので毎日の食事を作る、それがもうとにかく苦痛で。あとは土日に自分はどこにも連れて行ってやれない。その分主人が連れてってはくれるんですけれど、なんか良心の呵責っていうか常になにもかまってやれてない自分、みたいな、そういう罪悪感みたいなのは正直あったんですけど。ただ、娘も毎日そういう私の生活を見ているのでわがままはあんまり言わなかったし、保育園で3歳の時に初めて、よく洗濯物とかをするんですけど、干して乾いたものをたたむ余裕がなくて、ソファーの上に山のようにうずたかく山のように積み上げてとかしてるのを、子供が畳んでるのをみてびっくりして。
 あとは小学生になってすぐ、それこそまだ5月とか子供もまだ小学校に慣れてないという時に、仕事をして帰ってきたらご飯が炊けてたっていう、「ご飯炊いてくれたんだ」ちょっとびっくりして、にわかに信じられなくて、本人疲れてソファーで寝てたんですけど揺り起こして「ご飯の匂いがするんだけど誰が炊いたの」って聞いちゃうぐらいちょっとしっかりしすぎた子供になっちゃたんですけど。ただ入院してる時は保育園の4歳だったかな、内科入院のとき4歳で、うちの母に連れられてちょいちょい見舞いに来てくれたんですけど、見舞いに来てくれる時はにこにこ笑顔で来るんだけど、帰りに「ママがいいママがいい」って、泣いて帰って行くっていうのをよく見て、それもちょっと心にしみるものがあって看護師さんとかにも「今日廊下で泣いてる子がいたよ」っていう報告を受けて、ちょっとそこはかわいそうだったなっていうふうには思いますね。

KT-8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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Q:お子様たちがそのお母さんの病気をどういうふうに見ていたのかとかですね、当然そのご主人にその間色々負担もかかってたと思うんですけど、そのへんは何かそういうお話とかされますか。
 えーとですね。勤めてた関係上、子供が小さいころから保育園にずっと預けていたので、子供たちは保育園生活で、私が元気なころは、勤めの出勤前と出勤後に引き取りに行くという形で全部私がやっていたのですけれども、当然私が入院した場合には主人がそれをやって、やらざるを得ない状況になりましたし、あの、主人の母親と同居していたものですから、主人の母親が一応子供の世話をしてくれるという状況でしたので、そういう意味では子供のことに関してはもう割り切ろう。自分自身で思って、早く病気を治して家庭に戻ろう、職場に戻るのが私の務めだと思ったもんですから、意外と割り切って病気とは戦っていけたかなと思うんですけど。
Q:ご主人の方はいかがですか。
 いやー主人もそうですね、あまりやっぱり深刻に、私の病気に対して深刻に考えてないんだろうと思うんですよね。私が元気でっていうか、あまり症状が出てないときは普通に働いてますから、協力はしてくれなかったですけど、やっぱりあの入院したりすると、せざるを得ない、そういう状況でしたので、まあ、結構入院生活とか病気と闘っている時間が長かったですから、まあ、協力はしてくれたと思いますけども、でもあのおばあちゃんがいた関係で、小学校に二人とも入った時点ではもう、小学校は普通に通ってて、普通に帰ってきて母親がいないだけの状況ですから、まあそれほど、さみしかっただろうとは思うんですけども、大丈夫だったのかと思うんですけど、大腸全摘、最初の大腸全摘した時は上の子が丁度中学2年生でした。その間は勿論ずーと何回も何回も入退院を繰り返してたんですけども、まあ小学校高学年で子供たちもわかってきたのかなあと思うんですけども、あの、意外と男の子でしたのでさっぱりしてる面があって、まあ中学校に入ったころはほとんど病院に来ないという、そういう状況でした。でも私の方も割り切ってましたね。

KS-1 プロフィール

診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人

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 もしかして外科的な手術も考えていたので長くなればということで、親離れ子離れができなかったんですけども、でも結果良ければすべてよしじゃないですけれど、逆に入院して離れてみてお互いに家族のきずなとか言いますか、離れてみてわかることというのも色々ありまして、良かったなという感じでお互いに感謝もするようになりましたし、やはり親離れ、子離れしなといけないですし、こういう病気だったということを娘もなんかわかったような気もしますし、普段はやっぱり家にいると、そんなに病人という感じはないと思いますので、それはやっぱりいたわりの気持ちも出てきたような気もするし、逆に入院してよかったなという感じで、家族のきずなも病気によって深まったという感じはします

KS-1 プロフィール

診断時29歳、インタビュー時47歳(2012年3月)関西地方在住。長年にわたる内科治療のあと去年の年末初めて入院した。今は緩解状態だが、最悪の場合手術も視野に入れている。現在は専業主婦で、家族構成は夫と娘が一人

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 私の場合はなんていうか、(子供が)一人娘だったので発症した時がまだ保育園に預けていて、私も仕事をもっていてという状態だったので、なかなか入院ということに踏み切れなくて、家族に対しても何というんですかね、まだ子供も小さいので入院して母親がいないと不安になるという、まあ兄弟がいれば多少ましだったのかもしれないですけれど、そこでなるべく通院でということをお願いして、ずっと入院はしないで頑張ってきました。
 なので、ステロイド、ステロイドって言う感じで頼ってしまったという悪い面もあるんですけれど、でもやはり小さい子供に母親の病気っていうことを理解してほしいというのは無理だと思っていましたので、やはり母親がいないといけないということで頑張ってきたので、それはもう今から思えば仕方のないことだったと思うんですけれど、それがずっと続いてきてもう娘は今年で22歳になるんですけれど、それでも今回入院の時でも、やっぱり入院しないでという感じでさみしいということを表現してくるので、やはりずっと我慢して、始めは医者にも入院した方がいいよという感じでもう半年くらいですかね、もうだいぶ前から入院を勧められていたんですけれど、だましだましというか、まあ色々することもあったので、しかたなく頑張ってきて、もう最後全部片付いた時点でどうしようもなく入院してしまったという感じになったんですけれども、

HK-1 プロフィール

診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 はい。家族にはとても感謝しています。特に、まあ、あの、かみさんとそれから子どもが産まれた後に、かみさんも働いていたんです、いたので、かみさんのお母さんが、仕事辞めて、それで同居してくれて、子どもの面倒も見てくれていたんですね。なので、あの、ま、病気であること以前に、われわれ夫婦を支えるために、ま、義理の母が非常に、その、仕事を辞めてまで、あの、われわれと生活を一緒にしてくれて、子どもの子育ての、かなりの部分を担ってくれたということが、一番大きいなと思っています。
 えー、あともう一つ感謝するとしたら、あの、特にうちのかみさんは、根掘り葉掘り病気の状況とかどうなのということを、ま、聞かないで、ある意味、こう突き放したような状態で、接してくれているということも、気苦労がないという意味では、感謝しています。ま、なので、今はこれだけ全国の同じ患者の人や患者会で知り合った人が、一緒に会えるような機会があるときには、え、かみさんも誘って、こんな人たちと自分は今友達になってるんだよと、病気になって知り合うことができたんだよということは、なるべく機会を設けたいなというふうに思っています。
 子どもとの関係では、子どもが育っていく過程の時に、3カ月とかっていう単位で抜けたりするわけですから、ま、寂しい思いをさせたなという、あの、思いはありますし。6回目の入院の時は、上の子どもが大学進学、下の子どもが高校進学の、え、時に重なりましたので、進路相談どうするかということは、病院に来てもらってしゃべった記憶があります。そういう意味じゃ、何らか、ま、子どもにも、あの、一緒に、接する機会が、大切なときに欠けてしまったかなという分は、ま、申し訳なかったなと思っています。