NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

KT-9 プロフィール

診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。

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 一番は、排便のコントロールですね。自分の意志ではどうにもならないっていう状況で。一応、軽症の方は3回ぐらいらしいんですが、自分の場合は、一応、重症は6回以上とか書いてありますけどそれどころではなくて。まぁ、普通に考えても8回ぐらいのほかに、ガスとか、えーと、粘液とか粘血とかがまた別に出るので、それを含めれば15回とか20回とかっていう感じ。しかも急に来るので、トイレに駆け込まなきゃいけないという状況がずっと続いてました。
 結局、その状況は、2年半以上はずっとその状況でした。自分の場合は、あの、慢性持続型というやつで、まぁ、炎症が寛解と言って治まる…症状が治まるという時期がまったくない状態が2年半ずっと続きました。
Q:ほかに、その痛みとかそういうものはなかったですか。
 痛、はい。痛みは、あの、直腸のほうに炎症がひどくなってきて。S状結腸から、自分の場合は、特殊で、普通、直腸から始まるらしいんですが、自分の場合は、S状結腸から始まって、それが直腸に来た時には痛みがひどかったです。やはり、椅子に座っていられないとか、乗り物に乗れないとか、まぁ、ズキズキ痛むとか。あと、物を食べた刺激で、蠕動(ぜんどう)運動、たぶん、内臓が動くと思うんですけど、それでも痛かったです。まぁ、もちろん、一番、痛いのは排便の時、一番痛いです。

KT-8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 で、あのー長いその10年近くの病気との闘いの中で、えーと、ちょっと前後するかもしれませんけれど、どういう症状がでたかというと、まず一つは足に潰瘍が一杯でてきました。後は、何というかな、頭痛がすごかったんですよね、どういうわけか知りませんけど、頭痛の苦しさがひどくて、それも本当に長い長い、毎日毎日の頭痛で、鎮痛剤を飲みながらっていう、そういうふうな生活したりとか、場合によっては脳外科の方に入院なんかもして頭痛原因を調べたりもしました。後は、合併症としては全身の関節炎、これが非常にひどくて、もう痛くて立ち上がれない、そういうふうな状況でずーとベット、その時は病院に入院してたんですけど、ずーとベット生活で、トイレに行くこともできないので、ベットの周りにポータブルのトイレを置いてもらって用を足すという感じの生活を1年近くやっぱりしたのかな。入院生活は長かったです。そういう状況の中で、入退院を繰り返しながら来ました。まあ、その後ですが、病歴だけ話をしますと、胆のう炎が出てきました、胆のう炎の方は、お医者さんは潰瘍性大腸炎の合併症って形で多くなるんだよってことを言われましたので、まあそれも入院して、えーと取り除きましたけど、そういうふうな手術もあります。

KT-3 プロフィール

 

診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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Q:他にはどんなことが大変でしたか。たとえば食事とかはどうでしたか。
 そうですね、食べるのが怖かったというのもありますし、あとそうですね、食事は自分で支度をするので、自分が大丈夫そうなものを食べていたんですけれど、悪くなってくると、食べるのが怖くて、また今年もだめかなー、入院かなっていうのがなんとなくわかるんですね。また変なのが始まってきたなというのが。子供がちぃっちゃかったんで、子供が保育園から帰ってきたらお母さんが入院しちゃってていなかったりとか、朝起きたらお母さんがいなかったりとか、そういったことが一番つらかったですね。
Q:今、なんか変なのが来たなとおっしゃったんですが、もうちょっと具体的に表現できますか。
 まず、お通じの時に粘液が一緒に混ざって、アッ、ていうふうに、それが一番大体最初ですね。後は、出血とかが始まっちゃうと、あーやっぱり今回もだめだったということになります。まず、粘液が混ざった時にはあーって思っていました。
Q:他にたとえば頭が痛いとかなんか関節が痛いとかそういう症状はありませんでしたか。
 私の場合は全くそういうのはなかったです。ただ、先生は関係ないっておっしゃったんですけど、ステロイドを大量に体に入れると歯が沁みるというようなことがあって、絶対関係があると思ったんです。骨粗鬆症になるっていうから歯だって絶対そうだよなって思ってたんです。そういうのがありあます。それからどういう影響がわからないけど爪が変なになったり、病気のせいなのかステロイドのせいなのかわからないんですけれど、いろいろとありました。髪の毛がまとまりにくくなって、ぼうぼうしちゃうとか、あんまり病気と関係ないのかもしれないけれど、そういういろんな細かいトラブルがあって、病気全体のことから考えれば大したことないことなんですけど、やっぱりやだったなあっていうのがあります。

KT-2 プロフィール

診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。

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 最初におかしいと思ったのが2007年の3月頃です。まず血便が出まして、何回トイレに行ってもまだ出たい感じが続きまして、微熱が出て、頭痛がひどかったんです私の場合は、それで病院に行きましたらすぐに大腸カメラを撮っていただいて、潰瘍性大腸炎ということで言われてとてもびっくりしました。私、ヘルパーをしていた関係でその病気、難病のことは知っていましたので、その時に先生に難病ですねとお聞きしましたら、先生は「潰瘍性大腸炎なんて今は難病とは言えないよ」とおっしゃったんです。それで簡単に考えていて投薬治療が始まりましたがあまりよくならず、どんどん症状が悪くなっていきまして、知り合いの勤めている病院を紹介していただきまして、そこに行ったら即入院ということになりました。その時は頭痛が一番ひどかったんです、症状としては。下痢も続いていましたけれどそれほどひどくなくて、頭痛の検査をしているときに院内感染でインフルエンザに感染してしまいまして、インフルエンザの影響で潰瘍性大腸炎が劇症化しまして、一時は死にそうになりまして、それで4カ月と10日も入院してしまいました。

KS-3 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:54歳(2012年4月)関西地方在住。看護師。発症して11年、サラゾピリンやステロイドなど薬の副作用に悩まされることもあったが、経験から、ストレスや過労からくる再燃を避けるようにして、看護師の職も続けるように努力している。循環器系などの病気もあり、それと潰瘍性大腸炎とのコントロールに困るときもある。元気なときは、患者会活動など、人を支援する時間に使うようにしている。

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Q:具体的にはどういう症状があって、活動期の症状などどのようなものがありましたか。
 とりあえず、まずは下血、完全にひどい時は血の色で、少し治まるとピンクとかだんだん薄まってきて、それから粘液も出るのでドロッとした感じとか、朝起きた時にとにかくずっと出るのでトイレから20、30分ぐらいは、終わったかなと思ってもまたという感じなので、すっかり出きるまでは落ち着かないからトイレから出れないという状況で、また食事をすると症状が出ますので、またトイレに入ってというで、それが落ち着かないと動けないので仕事に行くのに1時間ぐらい今までよりも早く起きて、落ち着いてから仕事に行くというような状況でした。腹痛と、あとはすごくだるくて仕事に行ったら、もうそれ以外のことは、家のことは最低限のことはしますけども極力どこにも行かないとか、それからお腹も痛いので食欲もないし、少し食べといた方がよい時には、ご飯をおじやにして食べていました。でも、入院は嫌だったので、とりあえずそれで体をもたせるみたいな感じでした。