このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです
1ヶ月半、2ヶ月くらいだったかな入院したんで、娘が生まれて初めての入院だったんで、娘のこともすごく心配しました。私がいない間娘の方はいい子だったみたいで、周りに全然心配かけないでいい子だったみたいなんですけれど、退院して帰ってくると、夜は私の布団に入ってきてですね、首にしがみついて寝るんですね。毎晩毎晩私にしがみついて寝て、多分さみしかったのを取り戻してたんだろうと思うんですけど。入院期間の倍くらいそういうのが続きました。その後入院した時もそうだったんですけど、2か月入院すると4カ月、1ヶ月半入院すると3カ月くらいそうやって娘が首にしがみついて寝るっていうことがありましたね。
そうやって、その治療を外来でしてて、娘とも一緒にお風呂に入るんですね、娘もそういうのを見るわけですね。・・「私も大きくなったらそんなふうにお腹に薬を入れるのって」聞いたりとかしたりしてましたね。だからそこらへんの子供に分かる言葉で説明するのが結構難しかったりはしたんですけど、娘は割と早くこう、私の体がそんなふうになってるっていうのはそんなにびっくりもしなくて受け入れたように覚えています。
夫はですね、最初に発病した時は結構前だったんですけども、入院が長期になって、夫自身も胃潰瘍と十二指腸潰瘍になったんですね。夫自身も胃と十二指腸の両方に穴が開いたらしくて治療を受けながらずっとお見舞いに来てくれてました。二十代のときはずっとプレドニンの副作用で、もうずーとムーンフェイスだったんですね、それで鏡見ては泣いてたんですけど、二十代の時はすごく励ましてくれてましたね。三十過ぎるとですね、夫も、繰り返し繰り返しだからですね、子供が生まれた後の再発は特にその私が長期に入院すると子供の世話まで加わってくるので、多分困ったと思うんですけど、夫自身多分すごくきつかったんじゃないかなと思います。私に対しても結構冷たくなったりとかも、結構ひどいこと言われたりとかもしたんですけど、今思うと夫もいっぱいいっぱいだったんだろうなと思ってます。
会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1
個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2
4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1
平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1
平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3
ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4
寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1
当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1
潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1
仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1
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