このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです
その時は看護師として働いてたんですけど、これもまたなまじ看護師だったがために、病院に行って下血をしてるって言ったら、何の検査をされるかを知ってたんですね。なのでその時は22-3だったんで、とても恥ずかしくて病院なんか行けないっていうのがあってですね、で本当にもう出血しながら仕事を続けてました。でどんどん体重が落ちて、夕方になると毎日微熱が出るようになってですね、周囲も私がどんどん痩せていくんでおかしいって、心配しだして、である日、夜勤あけというか、準夜、夜中まで仕事をした後に40度の熱を出しました。でその40度の熱が出て、翌日は仕事お休みだったんですけども、その次の日が日勤で、ずっと熱が下がらない状態だったんで病院に、婦長さんに電話を入れて、熱が一昨日から40度あって下がらないので今日は仕事を休ませてくださいっていう電話をいれたところ、婦長さんが「もう何を言っているのあなた、タクシー呼んですぐ来なさい。入院しなきゃ」って言われて、それで緊急入院になりました。で入院しても言えないんです、なかなか下血しているって言えなくて、で貧血がひどくて、低栄養状態で痩せてて、で熱が高くて、最初はそれで診断がつかなかったんですけど、私もようやく観念して、出血してるってことを言ったら、すぐに大腸のカメラをしてそれでもう即診断がついたような感じでした。
看護師をしていたため、下血をしてるっていったら、何の検査をされるかを知っていた。当時22、3だったんで、恥ずかしくて病院に行けなかった。 QS1A1-2
私は先生たちに支えれてずっと今まで来ているんです。 QS1A3-1
プレドニンを減らすとリバウンドするので、すごくゆっくり減らしたので8カ月の長期入院になってしまった。 QS1B1-1
重症化して、その時は緊急手術を覚悟して下さいと言われて入院して、相対的手術適用ですと言われた。 QS1B2C2
娘が生まれてから後、体調は落ち着いていた。神様にもらった時間だったなぁっていうふうに思っています。 QS1D2-1
娘は私が入院しているときはすごくいい子だったみたいですが、やっぱりさびしかったんだろうと思います。退院してくると私の首にしがみついて寝るんです。 QS1D2-2
丁度婚約、結納の1ヶ月後がその緊急入院だったんですね。もう治らない病気だし、入退院を繰り返すから止めるなら今だよと言ったんです。 QS1D3-1
25で結婚してなかなか子どもが出来なかった。29で一度流産をし、次に子どもが出来た時は嬉しいより恐怖心が大きかった。 QS1D3-2
妊娠してからはプレドニンの座薬と、あと当時はサラゾピリンを経口で飲んでたと思います。 QS1D3-3
主治医には、看護師は無理だって言われデスクワークを探した方がいいと言われたけれど、私の強い希望で看護師の仕事に戻った。 QS1D4-1
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