このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです
診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。
そうですね、私がこのプロジェクトに参加したのは、私が発病した頃には本当にまだ全然情報がない、潰瘍性大腸炎っていうのは本当に新しい病気って言われた時に発病して、不安もありました。で、その後、その状況で30何年間この病気と付き合って来たんですけども、私自身のこと考えると、本当に病気で辛い時もいっぱいあったんですけど、今振り返って見たら、一応38年間勤めて、ちゃんと勤めてこれましたし、今の生活は体育の教師っていうこともあるんですけど、運動好きですので定年退職後はスポーツセンターに行って、週4日、4時間ぐらい卓球とかバドミントンとかやって、そういう楽しみながら生活してますし、ちゃんと運動もできますし、まそういうふうなことを知ってほしいと思うし、
それからもう一つ、2年前にその手術した時に、やっぱり若い人たちが、ハタチ前後の人たちが結構入院して他の病院から紹介されて手術だけに来ましたって人を何人か見かけたんですね。意外とみなさんしっかりしているので、ですけどハタチ前後で大腸全摘手術っていってるのは、非常に本人自身は受けた方が楽だと言われたとか、手術するんだっておっしゃってましたけども、ただ本当に若いですし、これから出産とか、女の子は出産とかあるので不安が一杯だと思うんですけども、そういう人たちに私自身がちゃんと子供を産んで育てて、仕事もして、ちゃんと今こうやって生活していますよってことを伝えたいなと思ったものですから、今こういう形で私の病歴のことを話しているんです。
最初の子供を妊娠して出産したその後半年くらいたったら、下痢とそれから血がはいってるのと、軟便みたいな感じで、それが1日に数回続いてた KT8A1-1
貧血で倒れたのち、救急車で運ばれる途中第三子を亡くし、その後精神的なストレスからか、下痢がまた始まりまして、そこから長い長い10年近く非常に辛い病気との闘いが始まりました。 KT8A4-1
一番関節炎がひどい時には1日の便の回数も非常に多かったし、本当に我慢できない感じで、あっと思ったらすぐトイレいかなきゃならない感じでした。 KT8B1-1
外科の方にそのまま転科して、数日後に大腸全摘手術を受けました。手術受けた時にはあっという間に自分の判断もなくて外科へ行って手術をしたような感じでした。 KT8C1-1
手術の後繋ぎ目が壊疽を起こして再手術になった。緊急手術だったので子供が判断してくれた KT8C1-2
人工肛門をつけるってことは、当然初めての経験ですし、本当にこんなところから便が出てくるっていうのは最初はびっくり仰天でした。 KT8C4-2
好き嫌いはないんですけど、腸閉そくを起こす時はやっぱり、こう何て言うか消化の悪いものを食べると腸閉そくを起こすっていうことが感覚的にわかってきた。 KT8D1-1
さみしかっただろうとは思うんですけども、子供のことに関してはもう割り切ろう。自分自身で思って、早く病気を治して家庭に戻ろう、職場に戻るのが私の務めだと思った。 KT8D2-1
具合が悪くなった時点で療休を取るという感じで届け出をすぐ出していました。それで他の人に迷惑かかるるという、そういうことはないようにして心掛けてきました。 KT8D4-1
私が発病した頃にはまだ全然情報がなくて、不安もありました。しかし、ちゃんと子供を産んで育てて、仕事もして、今こうやって生活していますよってことを伝えたいなと思った。KT8D6-1
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