このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
それと、もう一つ。一つあるとすれば、私は暇だったので、便の回数を記録したんです。1日、正の字を書いて、それをグラフにして、日々の折れ線グラフにしたんですね。それと1週間単位の1週間の平均を出して、それもグラフにしたんですね。そうすると、日々のグラフっていうのは、特に最初の頃は、30回が次の日25回になって次の日また35回になってとか激しく動くんですけども、1週間の平均で見ると確実に右肩下がりになるんですね。もちろん、若干増えることもあるんですけれども。殆ど右肩下がりになってました。それ、あとでわかったことなんですけれども、確実にやっぱり減ってるというのが、目で見て途中まで来たらわかるわけですね。
で、そういう回数を付けてグラフを作って、そういう作業をやることによって、ああ、これはあと1ヶ月経てばこの辺まで来るなとか、そういうこともできますので。そういう、あの記録を付けたのは良かったかなと。それから、あと、本当に苦しい時は文章を書くこともできませんでしたし、本を読むっていうのも集中できないので殆ど読めなかったですし、テレビを観るのも辛かったですね。一番楽だったのは、やはりラジオですね。ラジオをよく聞きましたね。なので、何か記録を残すことはできなかったですけれども、多少落ち着いてからは、ある程度、記録を残すようにしました。薬の量とか、それから、便の回数は最初から付けてたんですけれども。あと、身体の調子ですね。これも、やっぱり、日々を見ると良くなったり悪くなったりあるんですけれども、やっぱり1週間単位とかで見ていくと確実に良くなってる。その辺、今日は調子良かったとか、日記的に記録を残すと、今日、鍼を打ったとか、あんまり効果なかったとか、そういうようなことをある程度、記録に残しました。あとになって読み返すと、ああ、こんなことだったんだなというのがある程度わかりますし、それは、最終的に、いわゆる闘病記のような形にして患者会の会報にも載せてもらったりとかしたんですけれども。ほかの方の参考になるかならないかはちょっとわかりませんけれども、自分自身では、やっぱり、そういう記録を残したっていうのは良かったかなと思ってますので、皆さん、ほかの方にもそういうことをお勧めしてはいます。
ヨーロッパへ出張中突然の大量下血で発症した。帰国後病院に行くと即入院となりUCと診断された。KT1A1-1
4月に今の会社に入ったのですが、その年の6月にまた突然の大量下血で再燃してしまいました。KT1A4-1
私の場合は全大腸炎型といって、大腸全体に潰瘍が発生するというものだったので、最初からステロイドの大量投与になった。 KT1B1-1
私の場合は、3回に分けて行う手術で、1回目は大腸を全摘して人工肛門を作った。 KT1C3-1
1回目の手術の後しばらく人工肛門を付けたが、確かに不思議なものではあるが、非常に便利なものでもあった。 KT1C4-1
2回目の手術の後と3回目の手術の後に腸閉塞をおこして、これが結構苦しかった。 KT1C4-2
人口肛門を閉じる手術の後、便意はあるがうまく出なくて苦しい時期に、患者会から同病の人を紹介してもらって話を聞いたら、とても気持ちが楽になった。 KT1C4D5
便意をがまんするのはとてもつらいのだけれど、自分でもどうしてほしいかわからないし、言わないので、家族もどうしてあげたらいいかわからない状態で家に閉じこもっていた。 KT1D2-1
最初術後1ヶ月で職場に復帰しようとしたが、全く仕事にならず、また休むことになった。 KT1D4-1
病気をして変わったことと言えば、新しい人間関係ができたりして人生に対する考え方が変わったことかもしれない。 KT1D6-1
便の回数を記録してそれをグラフにして週単位の折れ線グラフにしたら、確実に右肩下がりになっているのが判った。 KT1D6-2
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