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このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

症状が悪化してくると、食事をつくるのが精一杯で子供をかまってやれなかったのが辛かったKT13D2-2

KT-13 プロフィール

診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 潰瘍性大腸炎が悪化してくると貧血もひどくなって、常にだるい状態で、帰ってくると本当にすぐにでもベッドで横になりたいという状況だったので、子供もまだその頃保育園に行って小さかったので毎日の食事を作る、それがもうとにかく苦痛で。あとは土日に自分はどこにも連れて行ってやれない。その分主人が連れてってはくれるんですけれど、なんか良心の呵責っていうか常になにもかまってやれてない自分、みたいな、そういう罪悪感みたいなのは正直あったんですけど。ただ、娘も毎日そういう私の生活を見ているのでわがままはあんまり言わなかったし、保育園で3歳の時に初めて、よく洗濯物とかをするんですけど、干して乾いたものをたたむ余裕がなくて、ソファーの上に山のようにうずたかく山のように積み上げてとかしてるのを、子供が畳んでるのをみてびっくりして。
 あとは小学生になってすぐ、それこそまだ5月とか子供もまだ小学校に慣れてないという時に、仕事をして帰ってきたらご飯が炊けてたっていう、「ご飯炊いてくれたんだ」ちょっとびっくりして、にわかに信じられなくて、本人疲れてソファーで寝てたんですけど揺り起こして「ご飯の匂いがするんだけど誰が炊いたの」って聞いちゃうぐらいちょっとしっかりしすぎた子供になっちゃたんですけど。ただ入院してる時は保育園の4歳だったかな、内科入院のとき4歳で、うちの母に連れられてちょいちょい見舞いに来てくれたんですけど、見舞いに来てくれる時はにこにこ笑顔で来るんだけど、帰りに「ママがいいママがいい」って、泣いて帰って行くっていうのをよく見て、それもちょっと心にしみるものがあって看護師さんとかにも「今日廊下で泣いてる子がいたよ」っていう報告を受けて、ちょっとそこはかわいそうだったなっていうふうには思いますね。

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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1