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このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

最初の大学病院では診断がつかず、半年後にひどい出血があって近所の病院に行ったら潰瘍性大腸炎だと診断された。 KT10A1-1

KT10 プロフィール

診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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 トイレの回数がちょっと多くて、そのたびに便が出るみたいな感じが続いていたのですね。痛みとかは特になかったのであまり気にしていなかったのですけど、ある時そこに血が混じっていることに気がついて、血便っていうのはちょっとびっくりだったので大学病院に行って、一応初めて大腸内視鏡カメラっていうのを入れさせてもらったのですけど、その時には特に異常はなくて、先生にも「何でもないよ、問題ないよ」とは言われていたのです。
 ただ、その時からなぜかペンタサを飲まされていて、でも私にはその病気ではないと仰っていたのですね。なので私は信じてそれを飲んでいたのですけれど、半年後またひどい出血をしたので、その時はその大学病院に行く余裕がなかったので近所の病院に行ったら「もう明らかに潰瘍性大腸炎だよ」っていうことを言われて、もう一転してしまったというか、役所とかにもいろいろ手続きに行かなきゃいけなくなったり、今後のことも含めて「悪くなることはあるけど良くなることはないから、入院施設の調った病院に行ったほうがいいよ」と言われ、また別の大学病院の消化器内科に通うことにしました。そこからがもうずっとこの病気との付き合いになったのですけど、私の場合は寛解期というのが一度も来ず、ずっと劇症というか、ひどくなる一方だったのですね。

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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1