食事
潰瘍性大腸炎の症状と食事の関係はあると思われていましたが、最近の専門医の見解では、食事制限は寛解維持にそれほど重要な意味を持たないということのようです。ですから極端な暴飲暴食をしなければ、何を食べてもよいという専門医が多くなっています。そして「3回食べて3回悪化したら、その食べ物は止めればいいでしょう」という程度の関係のようですが、やはり食事には気を使っている方も多くいます。
- 術後の食事は全く制限なく食べている。トイレの回数は多いが、便秘で悩むことはないと前向きに考えるようにしている。 KT2D1-1
- 食生活は仕事の日は経口の栄養補助食品のみ1500キロカロリーで済ませています。QS2D1-1
- 妻は病気のこともちゃんと理解してくれて、最初の頃は食事面でいろいろ気を使ってくれた。 QS2D1D2
- 当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1
- 体調が悪い時は気を使いますけど、良かったら、普通よくないって言われているものもなんでも食べます。QS3D1-1
- 最初はステロイドの大量投与で、その後はサラゾピリン、ペンタサと使ったが、絶食状態で退院してエレンタールだけで生活したこともあった HK1B1D1
- 食事に関しては、やはり脂肪分などは控えていた HK1B2D1
- 給食でみんながカレーを食べているときに自分は野菜スープだった時はため息しかでなかった。 KT6D1-1
- 好き嫌いはないんですけど、腸閉そくを起こす時はやっぱり、こう何て言うか消化の悪いものを食べると腸閉そくを起こすっていうことが感覚的にわかってきた。 KT8D1-1
- 最初は栄養士の言うことを聞いて肉類は一切食べなかったが、そのうち何を食べても悪くなる時は悪くなるんだと思うようになった KS2D1-1
- 主治医の先生に「腸壁に残るものは口の中の唾液で溶けないもの」といわれたのでそれをいつも考えてたべていたら腸閉塞にならなくなった。 KT10D1-1
- 出血があるわけだから普通の人より栄養をとらなければならないということで食事制限はなかった。少量のビールなども飲んでかまわないと医者から言われていた。KT14D1-1
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 1/6 KT12D1-1
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 2/6 KT12D1-2
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 3/6 KT12D1-3
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 4/6 KT12D1-4
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 5/6 KT12D1-5
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 6/6 KT12D1-6
潰瘍性大腸炎のような内部疾患は周りの人に、それが家族でも、なかなか辛さを理解してもらえないという悩みがあります。逆に家族に心配をかけたくないという思いもあるでしょう。一方家族の方は、患者が子供の場合は親がどうしても過保護になってしまう傾向があります。子供の方も親離れができなくて、成人になっても自分の病気の治療方針を自分で決められないようなケースもありますが、今回インタビューに応じて頂いた方々は概ね自分の治療方針はちゃんと自分で決めていました。
- 母親も夫も自分の病気のことをよく理解してくれたのでとても助かった。KT13D2-1
- 症状が悪化してくると、食事をつくるのが精一杯で子供をかまってやれなかったのが辛かったKT13D2-2
- 夫に対しても申し訳ない気持ちだったが、夫は淡々としていてポジティブな人なので手術の決断もタイミングを逃さず出来たと思う。KT13D2-3
- 便意をがまんするのはとてもつらいのだけれど、自分でもどうしてほしいかわからないし、言わないので、家族もどうしてあげたらいいかわからない状態で家に閉じこもっていた。 KT1D2-1
- 娘が生まれてから後、体調は落ち着いていた。神様にもらった時間だったなぁっていうふうに思っています。 QS1D2-1
- 娘は私が入院しているときはすごくいい子だったみたいですが、やっぱりさびしかったんだろうと思います。退院してくると私の首にしがみついて寝るんです。 QS1D2-2
- 妻は病気のこともちゃんと理解してくれて、最初の頃は食事面でいろいろ気を使ってくれた。 QS2D1D2
- 潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1
- 母親はすごく落胆していまして、それでこんな病気になったのは私のせいだとか、よく嘆いていることもありました。 KT5D2-1
- 難病であることを認めたくなくて、初めは特定疾患の申請もしなかったけれど、難病でも前向きに生活している人が居ることを知って、自分もそうしようと考えた QS4D2-1
- 夫も潰瘍性大腸炎の患者なので、お互いの気持ちもわかるが、タイプがちょっと違うところもあるので、え?って思おうこともある CH2D2-1
- 最初は両親が病気のことを隠していたが、結局言わないと治療が進められないということで、聞くようになった KT6D2-1
- 子どもが産まれた後に、かみさんも働いていたので、かみさんのお母さんが仕事を辞めて同居してくれ、子どもの面倒も見てくれた。 HK1D2-1
- 人間って1人では生きていけないんだなと、妻や看護師さんや他の人たちに俺は生かされているんだなと思う HR1D2-1
- さみしかっただろうとは思うんですけども、子供のことに関してはもう割り切ろう。自分自身で思って、早く病気を治して家庭に戻ろう、職場に戻るのが私の務めだと思った。 KT8D2-1
- 発症した時は子供が幼稚園で、仕事もしていたのでなかなか入院に踏み切れなかった。 KS1D2-1
- 入院して親離れ子離れができて逆によかったかな KS1D2-2
- 家内は苦しんでいる私を見ていて胃潰瘍になってしまった KT9D2-1
- 最初に潰瘍性大腸炎と診断された時に母に泣かれたこともあったが、元々明るい性格の人なのでとてもありがたかった。 KT10D2-1
- 患者本人が直接主治医と話をすることが大事KT14D2-1
- 病気の時は妻や娘に世話になって、家族の支えはありがたかった。KT14D2-2
- 母が同じ病気なので、病気のことをよく理解してくれたので助かった KS5D2-1
潰瘍性大腸炎が結婚・妊娠・出産に影響を与えるかということには賛否両論があるようですが、病気を乗り越えて結婚・妊娠・出産そして子育てを経験した方の語りが、これから結婚を考えている方の参考になればと思います。
- 出産の時もペンタサをのんでいたので奇形の子供がうまれるのではないかと心配したが無事出産できたし、産後はUCの症状もよくなった。 KS5D3-3
- 妊娠してからも途中までペンタサをのんでいた。出産後はむしろ体調はよくなった。KT13D3-1
- 丁度婚約、結納の1ヶ月後がその緊急入院だったんですね。もう治らない病気だし、入退院を繰り返すから止めるなら今だよと言ったんです。 QS1D3-1
- 25で結婚してなかなか子どもが出来なかった。29で一度流産をし、次に子どもが出来た時は嬉しいより恐怖心が大きかった。 QS1D3-2
- 妊娠してからはプレドニンの座薬と、あと当時はサラゾピリンを経口で飲んでたと思います。 QS1D3-3
- この病気を持っていると結婚するのは大変だと思うので、結婚はしていない。 QS3D3-1
- 将来自分も結婚したいが、病気のことを理解してくれる人と結婚したいし、子供も欲しいと思っている。 QS4D3-1
- この病気が夫婦の性生活に与える影響はないと思うし、子供を作ることも無理ではない。 HK1D3-1
- 今では自分の病気は結婚や出産に影響はないと考えています。KT11D3-1
- 発症する前から今の主人とは知り合いで、病気への理解があった KS5D3-1
- 妊娠した時漢方も飲んでいたが、効果がなかったので漢方を止めてペンタサに変えてそれを飲みながら出産をしようと決めた。 KS5D3-2
潰瘍性大腸炎は10代、20代で発症する人が多く、また寛解期は普通の人と同じように働くことができるために、逆に就業の問題が大きくクローズアップされています。就労中に発病した場合職場での理解が得られるかどうかが、その職場で継続して働けるかどうかということになります。また、新たに就職する場合に病気を隠して就職するか、開示して就職するかで、採用結果に影響するとともに、就職してからの対応にも影響します。どちらがいいか賛否両論あります。しかし、いずれにしても就労支援という形で何らかの国の支援が必要であることは言うまでもありません。
- 最初術後1ヶ月で職場に復帰しようとしたが、全く仕事にならず、また休むことになった。 KT1D4-1
- 主治医には、看護師は無理だって言われデスクワークを探した方がいいと言われたけれど、私の強い希望で看護師の仕事に戻った。 QS1D4-1
- 以前からやりたかった仕事を4月から正社員で任される予定だったが、発病。半年まっていただき10月に入社したが、10日しかもたなく入院。 KT2D4-1
- 手術後は仕事への影響はほとんどない。術後に就職したときも隠すつもりはなかったが全然影響がないので言わずに入った。今は公表しているが、問題ない。 KT2D4-2
- 最初の手術をした時の職場は自己管理だぞ、ということで一切の配慮はなかったが、現在の職場では配慮して貰えるので安心して手術も受けられる。 QS2D4-1
- 就職の時に健康診断書を出さなければならなかったので、病名を正直に書いて、そこに医師のコメント欄があったので、仕事には支障がないということを書いてもらったら採用になった。 KT3D4-1
- 仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1
- 相手に迷惑にもなるので、入院したら仕事は一旦辞めるっていう形でしたね。 QS3D4-1
- 法廷中に中断してもらってトイレに行ったこともあるので支障はあるが、自分の裁量である程度やっていける。職場でも理解してもらっている。 KT5D4-1
- 司法試験というのがありまして、試験の時のプレッシャーはひどいもんでして、受かった年の司法試験もトイレに駆け込みながらだったので本当に苦労しました。 KT5D4-2
- 仕事において、自分は上司の理解があるので支障ないが、一般的にはトイレに行けないような仕事もあるので厳しいところもあるが自分でも工夫をしながら上司とも相談しながらやることが大事 QS4d4-1
- こんなに良い子にしてるのに悪くなるのだったら、それは人生楽しくないなということに思いまして。もうそれからは好きな時に好きなことをしようと・CH2D4-1
- 友達に自分の病気のことを話すのは難しいけど、これからはできるだけ多くに人に伝えなきゃと思っている KT6D4-1
- 外勤がメーンの仕事だったのを、経理というまったく未知の分野を短期間で、吸収しなければいけないということで、つらい部分とうれしかった部分とあった。HK1D4-1
- ストマの時は学校でたびたびトイレに行くのは辛かったが、カードを作ってもらって助かった。 KT6D4-3
- 自分の病気が間違った形で伝わってしまい、余命宣告されたことになってしまっていた。 KT6D4-4
- 病気はもう自分の一部になっているので、何をするにもそのことを頭に入れながらしなければならない KT6D4-5
- 職安に行くふりをして妻には内緒でボーと海を見に行ったりしたこともあったが、ひょんなことから今の仕事につくことができた HR1D4-1
- 入院するたびに上司に「首にしてくれ」と言うんですが、しっかり治して戻ってきてくださいと言われて、泣いてしまった。 HR1D4-2
- やっと決まった仕事の初日に体が動かなくなって早退して帰ってしまい、布団の中で涙が止まらなかった。HR1D4-3
- 具合が悪くなった時点で療休を取るという感じで届け出をすぐ出していました。それで他の人に迷惑かかるるという、そういうことはないようにして心掛けてきました。 KT8D4-1
- 仕事は簡単な電話番程度だったけれど、当時はまだ若くて、便がもれてしまうことがショックで、仕事を続けられなくなった。 KS1D4-1
- トイレのことがすごく頭にあって、買い物にも行けなくなり、心理的にも病んでしまった。 KS1D4-2
- 治らない病気になってしまったという思いが家族も落胆したが、徐々に「死ぬような病気じゃない」と思うようになった KS2D4-1
- 私の場合一人で自営業だから入院するとその間休業ということになってしまうので、入院だけは拒否していた。 KS2D4-2
- 術後再就職した時には病気のことは話さなかったが、絵本を出版したこともあり、今では職場の理解も得られて働きやすくなった。KT10D4-1
- 友人は私の病気のことをみんな知っているので、私のことを支えてくれてとても嬉しかった。KT10D4-2
- 理想的には調子が悪くなってきたら会社と相談をしながら、うまくやっていけたらいいなというのは頭では分かっているんですけども・・KT11D4-1
- 友達には、この病気のことは言わないようにしています。やっぱり気を使わせたくないと思うので。KT11D4-2
- 就職の面接の時は病気のことは話さなかったが決まってからはオープンにした KS4D4-1
今回のインタビューイーは患者会に所属している方が多いため、患者会に対し肯定的な意見が多くなっています。このプロジェクトは患者会への勧誘が目的ではないので、それを前面に出すことはないよう配慮していますが、患者会に助けられたという経験は事実多くありました。
- 人口肛門を閉じる手術の後、便意はあるがうまく出なくて苦しい時期に、患者会から同病の人を紹介してもらって話を聞いたら、とても気持ちが楽になった。 KT1C4D5
- 患者会はいわゆる、フェイストゥフェイスの活動であり、患者同士がきちんと顔と顔を付き合わせて話をしていく。これがやはり原点だと思っている。 CH1D5-1
- 患者会に入ってよかったなっていうのはみんなの顔を見られる、もうひとつは福祉的な問題で声をあげないと変わっていかないこと。 QS3D5-1
- 最大のメリットは同じ方々と本当に悩みを打ち明けられて、愚痴を言いあえて、それでなんか心が軽くなるといいますかね。 KT5D5-1
- 自分が患者会に、最初に求めたのは、転勤に伴ってどこの病院に行ったらいいのか、誰に診てもらったらいいのかを知りたいということだった。HK1D5-1
- 患者会に行ったら、私も普通なんだと気がついて気持ちが楽になった KS1D5-1
- 患者会に行ったら専門医の話も聞けるのでもっと早く行けばよかったと思っている KS3D5-1
- 患者会ではネットの情報だけでなく直接色んな話が聞けたり交流ができるので、療養生活にプラスになった KS3D5-2
- 患者会というのは自分の気持ちを共有したり、病気になったこととどう向き合っていくのかをみんなで考えたりできる場だと思う。KT11D5-1
- 患者会を運営していてしつこい問い合わせで嫌になったこともあったが後で「助かりました」という言葉を聞いて嬉しかった。 KT14D5-1
- 患者会がなかったら私はこんなに早く病気から解放されることはなかった KS4D5-1
インタビューの最後に「何か言い残したことはありませんか」という質問を行いますが、その時に多くの方が、病気との係わりの中で、自分の人生について、これからの生き方について、同病の人へのアドバイスなど貴重なお話がたくさん出てきました。それらを「病気との付き合い方」というトピックスとしてまとめました。
- 医者の言葉で落ち込むこともあるが、今を一生懸命生きて、自分のやりたいことを探すことが大事かなと思う。KT13D6-1
- 病気をして変わったことと言えば、新しい人間関係ができたりして人生に対する考え方が変わったことかもしれない。 KT1D6-1
- 便の回数を記録してそれをグラフにして週単位の折れ線グラフにしたら、確実に右肩下がりになっているのが判った。 KT1D6-2
- 手術をしたことによる夫婦の生活、性生活に影響はないと思う。 KT1D6-3
- この体をどう生かして、自分をどう生かしていくかというのは自分次第なので。QS2D6-1
- 自分が動かなくちゃいけないということがわかった。自分が動き出せば色んな人が助けてくれる。 KT3D6-1
- あれ食べちゃいけない、これ食べちゃいけないと神経、気を遣い過ぎたりするのもよくないし、本当に病気のことはあまり考えないようにしている。 KT5D6-1
- 病気になるまでは、自分は難病とは関係ないと思っていたが、難病でも前向きに生きている人達が居ることを知った QS4D6-1
- 病気のお陰で人との縁がすごい広がっている。そういうのが大好きなんです。 KT6D6-2
- 今人生を悩んでいる方も決して簡単な気持ちで自殺を考えたり、人生を投げ出したりしないでほしい HR1D6-1
- 私が発病した頃にはまだ全然情報がなくて、不安もありました。しかし、ちゃんと子供を産んで育てて、仕事もして、今こうやって生活していますよってことを伝えたいなと思った。KT8D6-1
- 今まではこの病気を治したいと思っていたが、これからはこの病気とうまく付き合っていこうと思う KS1D6-1
- 直接死につながる病気じゃないので、そんなに落胆しないで前を見て明るく付き合っていかないとだめ KS2D6-1
- 外出するとトイレが気になってしかたがなかったが、オムツをするようになって安心感が得られるようになり、出歩けるようになった。 KS2D6-2
- 自分がすごく信頼している人から「病気は人生の教材だから、自分の精神性を病気を通じてどう高めていけるかだよ」と言われた。KT11D6-1
- 今でもテニスをやっていますが、人間生活する上ではストレスは避けられないものなので、精神的なストレスと肉体的なストレスのバランスを取ることが大事。KT14D6-1
- 完璧な健康体になりたいと思う人がいるが、「なんとか日常生活が送れれば良し」というような割り切りが必要ではないか。KT14D6-2
- 自分は医学関係の研究をしているが、自分の病気の体験は研究姿勢に影響を与えたと思う。KT12D6-1
- 術後の食事は全く制限なく食べている。トイレの回数は多いが、便秘で悩むことはないと前向きに考えるようにしている。 KT2D1-1
- 妻は病気のこともちゃんと理解してくれて、最初の頃は食事面でいろいろ気を使ってくれた。 QS2D1D2
- 当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1
- 体調が悪い時は気を使いますけど、良かったら、普通よくないって言われているものもなんでも食べます。QS3D1-1
- 食事に関しては、やはり脂肪分などは控えていた HK1B2D1
- 好き嫌いはないんですけど、腸閉そくを起こす時はやっぱり、こう何て言うか消化の悪いものを食べると腸閉そくを起こすっていうことが感覚的にわかってきた。 KT8D1-1
- 最初は栄養士の言うことを聞いて肉類は一切食べなかったが、そのうち何を食べても悪くなる時は悪くなるんだと思うようになった KS2D1-1
- 主治医の先生に「腸壁に残るものは口の中の唾液で溶けないもの」といわれたのでそれをいつも考えてたべていたら腸閉塞にならなくなった。 KT10D1-1
- 出血があるわけだから普通の人より栄養をとらなければならないということで食事制限はなかった。少量のビールなども飲んでかまわないと医者から言われていた。KT14D1-1
小学生の給食での出来事が強烈な思い出になっていて、それを自分で「野菜スープ事件」と命名している
エレンタールなどの栄養補助食品に依存している人もいます
食物に含まれる油の種類によりIBDが悪化することを研究しておられる方がいます
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 1/6 KT12D1-1
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 2/6 KT12D1-2
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 3/6 KT12D1-3
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 4/6 KT12D1-4
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 5/6 KT12D1-5
- 食品として摂取する油の種類には炎症を起こしやすいものとそうでないものがある。(このクリップは6個でシリーズになっています。できれば1-6まで通してお聞きください。) 6/6 KT12D1-6
夫婦間の思い
- 夫に対しても申し訳ない気持ちだったが、夫は淡々としていてポジティブな人なので手術の決断もタイミングを逃さず出来たと思う。KT13D2-3
- 便意をがまんするのはとてもつらいのだけれど、自分でもどうしてほしいかわからないし、言わないので、家族もどうしてあげたらいいかわからない状態で家に閉じこもっていた。 KT1D2-1
- 潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1
- 夫も潰瘍性大腸炎の患者なので、お互いの気持ちもわかるが、タイプがちょっと違うところもあるので、え?って思おうこともある CH2D2-1
- 家内は苦しんでいる私を見ていて胃潰瘍になってしまった KT9D2-1
- 患者本人が直接主治医と話をすることが大事KT14D2-1
- 病気の時は妻や娘に世話になって、家族の支えはありがたかった。KT14D2-2
親への思い
- 母親も夫も自分の病気のことをよく理解してくれたのでとても助かった。KT13D2-1
- 妻は病気のこともちゃんと理解してくれて、最初の頃は食事面でいろいろ気を使ってくれた。 QS2D1D2
- 母親はすごく落胆していまして、それでこんな病気になったのは私のせいだとか、よく嘆いていることもありました。 KT5D2-1
- 難病であることを認めたくなくて、初めは特定疾患の申請もしなかったけれど、難病でも前向きに生活している人が居ることを知って、自分もそうしようと考えた QS4D2-1
- 最初は両親が病気のことを隠していたが、結局言わないと治療が進められないということで、聞くようになった KT6D2-1
- 最初に潰瘍性大腸炎と診断された時に母に泣かれたこともあったが、元々明るい性格の人なのでとてもありがたかった。 KT10D2-1
- 母が同じ病気なので、病気のことをよく理解してくれたので助かった KS5D2-1
子供への思い
- 症状が悪化してくると、食事をつくるのが精一杯で子供をかまってやれなかったのが辛かったKT13D2-2
- 娘が生まれてから後、体調は落ち着いていた。神様にもらった時間だったなぁっていうふうに思っています。 QS1D2-1
- 娘は私が入院しているときはすごくいい子だったみたいですが、やっぱりさびしかったんだろうと思います。退院してくると私の首にしがみついて寝るんです。 QS1D2-2
- 子どもが産まれた後に、かみさんも働いていたので、かみさんのお母さんが仕事を辞めて同居してくれ、子どもの面倒も見てくれた。 HK1D2-1
- さみしかっただろうとは思うんですけども、子供のことに関してはもう割り切ろう。自分自身で思って、早く病気を治して家庭に戻ろう、職場に戻るのが私の務めだと思った。 KT8D2-1
- 発症した時は子供が幼稚園で、仕事もしていたのでなかなか入院に踏み切れなかった。 KS1D2-1
- 入院して親離れ子離れができて逆によかったかな KS1D2-2
職場での様々な場面で病気がどう影響したか、サラリーマンと自営業では状況も異なるようで すが、それぞれにご苦労があったようです。しかし手術をした人の中には、今では全く仕事にも 影響がないと言う方もいます。
- 最初術後1ヶ月で職場に復帰しようとしたが、全く仕事にならず、また休むことになった。 KT1D4-1
- 主治医には、看護師は無理だって言われデスクワークを探した方がいいと言われたけれど、私の強い希望で看護師の仕事に戻った。 QS1D4-1
- 以前からやりたかった仕事を4月から正社員で任される予定だったが、発病。半年まっていただき10月に入社したが、10日しかもたなく入院。 KT2D4-1
- 最初の手術をした時の職場は自己管理だぞ、ということで一切の配慮はなかったが、現在の職場では配慮して貰えるので安心して手術も受けられる。 QS2D4-1
- 仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1
- 相手に迷惑にもなるので、入院したら仕事は一旦辞めるっていう形でしたね。 QS3D4-1
- 法廷中に中断してもらってトイレに行ったこともあるので支障はあるが、自分の裁量である程度やっていける。職場でも理解してもらっている。 KT5D4-1
- 仕事において、自分は上司の理解があるので支障ないが、一般的にはトイレに行けないような仕事もあるので厳しいところもあるが自分でも工夫をしながら上司とも相談しながらやることが大事 QS4d4-1
- こんなに良い子にしてるのに悪くなるのだったら、それは人生楽しくないなということに思いまして。もうそれからは好きな時に好きなことをしようと・CH2D4-1
- 外勤がメーンの仕事だったのを、経理というまったく未知の分野を短期間で、吸収しなければいけないということで、つらい部分とうれしかった部分とあった。HK1D4-1
- 職安に行くふりをして妻には内緒でボーと海を見に行ったりしたこともあったが、ひょんなことから今の仕事につくことができた HR1D4-1
- 入院するたびに上司に「首にしてくれ」と言うんですが、しっかり治して戻ってきてくださいと言われて、泣いてしまった。 HR1D4-2
- やっと決まった仕事の初日に体が動かなくなって早退して帰ってしまい、布団の中で涙が止まらなかった。HR1D4-3
- 具合が悪くなった時点で療休を取るという感じで届け出をすぐ出していました。それで他の人に迷惑かかるるという、そういうことはないようにして心掛けてきました。 KT8D4-1
- 仕事は簡単な電話番程度だったけれど、当時はまだ若くて、便がもれてしまうことがショックで、仕事を続けられなくなった。 KS1D4-1
- トイレのことがすごく頭にあって、買い物にも行けなくなり、心理的にも病んでしまった。 KS1D4-2
- 治らない病気になってしまったという思いが家族も落胆したが、徐々に「死ぬような病気じゃない」と思うようになった KS2D4-1
- 私の場合一人で自営業だから入院するとその間休業ということになってしまうので、入院だけは拒否していた。 KS2D4-2
- 理想的には調子が悪くなってきたら会社と相談をしながら、うまくやっていけたらいいなというのは頭では分かっているんですけども・・KT11D4-1
就職の時やその後の職場や友人などに自分の病気をどう伝えているか
- 手術後は仕事への影響はほとんどない。術後に就職したときも隠すつもりはなかったが全然影響がないので言わずに入った。今は公表しているが、問題ない。 KT2D4-2
- 就職の時に健康診断書を出さなければならなかったので、病名を正直に書いて、そこに医師のコメント欄があったので、仕事には支障がないということを書いてもらったら採用になった。 KT3D4-1
- 友人は私の病気のことをみんな知っているので、私のことを支えてくれてとても嬉しかった。KT10D4-2
- 友達には、この病気のことは言わないようにしています。やっぱり気を使わせたくないと思うので。KT11D4-2
- 就職の面接の時は病気のことは話さなかったが決まってからはオープンにした KS4D4-1
就学における様々な人との係わりや大変だったことなどが語られています
- 司法試験というのがありまして、試験の時のプレッシャーはひどいもんでして、受かった年の司法試験もトイレに駆け込みながらだったので本当に苦労しました。 KT5D4-2
- 友達に自分の病気のことを話すのは難しいけど、これからはできるだけ多くに人に伝えなきゃと思っている KT6D4-1
- ストマの時は学校でたびたびトイレに行くのは辛かったが、カードを作ってもらって助かった。 KT6D4-3
- 自分の病気が間違った形で伝わってしまい、余命宣告されたことになってしまっていた。 KT6D4-4
- 病気はもう自分の一部になっているので、何をするにもそのことを頭に入れながらしなければならない KT6D4-5
- 術後再就職した時には病気のことは話さなかったが、絵本を出版したこともあり、今では職場の理解も得られて働きやすくなった。KT10D4-1