NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

QS-3 プロフィール

診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 潰瘍性大腸炎の合併症もいろいろあって、さっき言った痔もクローン病だけでなく潰瘍性大腸炎でも痔もありますし、後もう一つは関節炎で、最初は膝だけだったんですけど、ひどい時には確かに歩くのは辛かったですね。膝も結構荒れてました。で、ステロイドを飲んでるっていって、ステロイドの副作用でも関節の変形が出ることもあって、病院でレントゲンとっても関節の炎症がないからステロイドの副作用ではないだろうと言われてます。その時でもそれは安心してどっちがいいのかわかんなかったですけど、歩くのもままならないっていう時もありましたね。それと後合併症では眼なんですね。えーと目の方の異常があったんで、それから年に1回眼科で診てもらって、虹彩炎とかぶどう膜炎とかがあるかないか検査だけはかかさずやっていますね。
Q:目の方は症状は何か出てましたか。
 えーと、自分では少し、一時ちょっと見にくいな、ちょっとぼやぼやするなっていうくらいですけど、専門的に眼科にいくとアゴを乗せる機械があってっスリットていう検査すると丁度前房といって角膜の奥が見られて、そこまで濁るのが眼内炎なんですけどそれが治まると角膜の内側にちょっと沈着物が見られるんで、そういうのがちょっと前に炎症があったんだろうというのがわかったわけで、それからは気をつけて目の方を検査してもらっています。今までに3回くらい眼内炎が出ていますが、特にひどくはなっていないです。

QS-3 プロフィール

診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 症状が出始めたのはやっぱり下痢ですね。下痢でもどっちかというと軟便とかではなくて、ひどくなるにつれ水様便に近いような形ですね。それに血が混じってイチゴジャムみたいな形になるし。あと、便臭ですね、便臭が普通の便と匂いが違います、ね。何か腐ったような臭いになるんでその時はまた発症なんだろうなというのはあります。だから後は、最初は頻繁にトイレに行くっていうのはあったんですが、最初の時はわからなかったんですけど、後の職場では病気だっていうことなんで、仕事の合間でもトイレに行くってことはありましたし、でその間は多少(患者が)途切れることはありましたし、その時トイレに駆け込むことはありました。
 後はそうですね、合併症としてやっぱり悪い時にはちょっと痔にはなるから出血があるっていうのは、痔はひとつのサインにはなりますね。あんまり痔がひどくて出血が多い時には多分良くないんだろうなっていうのは感じてましたね。年に一回大腸内視鏡検査するんですけど、症巣が飛んでたりすることがあるんですけど、肛門の近くあたりはやっぱりちょっと病状は今でもそうなんですけど、少し炎症は残っていますね。だからまあ、痔の合併症というか痔はままありましたね。

KT11 プロフィール

診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住
専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 今まで潰瘍性大腸炎を発症してから一番怖かったのが、合併症で壊疽性膿皮症という合併症になったときです。壊疽性膿皮症というのは、皮膚が壊疽してしまう、壊疽というか、もう感覚としては皮膚が腐ってしまうみたいな感覚になる合併症です。私は、それが左足のかかとの部分に出ました。朝ちょっと捻挫かなというような痛みがあったんですけども、夕方にはもう歩けなくなっていて、で、次の日、病院に行ったんですけども、足だったのでまさか潰瘍性大腸炎の合併症というふうには思っていなくて、全然別の整形にかかったりだとか、いろんな科にかかってなかなか診断がつかず、足はすごく痛くてもう歩けないし、その診断がつくまではすごく不安でした。
 で、ほんとにいろんな検査をして、最終的に自宅の近くの、IBDの主治医がいる病院ではないんですけども、自宅の近くの比較的大きな大学病院で、壊疽性膿皮症、潰瘍性大腸炎の合併症という診断を受けました。その際の先生は、壊疽性膿皮症ということは分かったんですけども、じゃ、それに対してどういう治療をしたらいいのかということを聞いたんですけども、何かあまり明確な答えがなかったので、何か治療がないのかなと思ったりしてすごく不安でした。で、その先生からまた紹介状を書いていただいて、いつも通っている主治医の先生のいる病院に行きました。 で、そこでは主治医の先生はすごくもうその壊疽性膿皮症を、落ち着いていらして、過去に対応したことがあるということが分かって治療もすぐ、その際はプログラフ、免疫抑制剤のプログラフで治療をすることになったんですけども、すごく対応も早かったですし、今でも、先生のその落ち着いていた対応で、もうそれですごく安心したのをすごく覚えている

HR-1 プロフィール

診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 いえ、その1回目、2回目が2011年の1月と2月に、ま、最初は足の方だけだったんですけども、しまして、それでも駄目だと、で、3月にまたすぐ肛門を取る手術、で、肛門を取るだけじゃなくて、そこら辺が、もう膿の巣が、結構細かいのがあったらしくて、そこら辺もう組織を全部取ろうと。話を聞いてるだけでもどんな手術なんだろうと、今まで経験してきた中で、まったく自分では想像ができない、で、まあ、やはりリスクも言われました。で、もうその辺の周囲の器官が、ま、男性としての機能の集中している部分だったので、もしかしたら子どもができない。ま、できないって言ったら変ですけども、あの、作れなくなると、その辺は覚悟をして置いてくれと。先生は簡単に言うんですけども、えっ、これからと思っていたところにそんなことを言われると、ますます不安になって。受けたくなかったんですね、その手術を。ただ、今のまま放置していたら、さらに膿が広がって、最悪左足を切り落とさなくちゃいけないというところまで言われました。肛門を取るか片方足をなくすか、ま、普通に考えれば、足はなくなってはいけない。肛門、肛門も大事なところだし、ただ人工肛門を付けているので、もう使っていないと。

HR-1 プロフィール

診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 12月の初めごろ、そしていろいろ検査をしていくうちに、これはかなりひどい状況だと、こういう症例は見たことがない、膿んでいることは確かなんだけども、普通は肛門周囲の膿瘍、ま、痔瘻ですね、で終わるんだけれども君の場合はちょっと変だと。で、まあ、MRIとか精密検査を何回もしまして、これは手術しかないと。で、まあ、排膿(はいのう)といって、膿を排出する手術をしなくちゃいけない。取りあえず足の方から手術でそこに管を入れて、しばらく排膿をしていこうと。で、まあ、後々、肛門を全部取らないと、駄目な状況になるかもしれないと言われてました。で、それが12月の終わり。で、年明けすぐ手術しようということになってたんで、その時にやはり、まあ、初回の手術と同じような感じなんですけども、後々、ま、肛門は取らなくちゃいけないんだなと。でもまだ先のことだとその時は思っていましたんで、まあ、その時も軽く、あ、じゃ、お願いしますと。で、1月に入りまして、太ももの裏を切開して管を入れて、少し楽になりました。