NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 Q:はい。今病気のことについてお話しいただいたんですけども、直接その病気のことではなくても病気をしたあとで、してから何か人生観が変わったというかそういうようなことって何かありますか。
 私がこの病気になってから、やっぱり自分には難病の方っていうのは全く無関係な生活をしていましたので、実際自分がなってみるとまだ調子いいときは健常人と同じように生活できる、ただ調子悪かったら同じように生活できないというふうなことの病気なんですけど、やっぱり難病、ほかの難病いっぱいありますので、そういう方も今の社会で不安とかストレスとかと戦いながら前向きに生きているということを難病になってから知るようになって、それで人生観というかやっぱりこういう病気でもがんばらんといけないなというふうに強く思いました。

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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Q:トイレの回数とかでですね、仕事中急にトイレ行きたくなったりとかいうようなことで、仕事に影響があるとかそういうことはありませんか。
 今は活動期で、少し調子が悪くて、朝がやっぱりひどくて、今6~7回どうしてもトイレに駆け込んでしまうことがありまして、で、朝を過ぎて業務時間が始まってから夕方までにやっぱり調子が悪くて、1~2回ほどなんですけど行ってしまうことがあるんですけど、それは上司の人がいつでもトイレに行っていいよというふうに理解がありまして、それは大きな支障にはなっていないと思います。
Q:そういう上司の方の理解があるということはすごく助かると思うんですけども、一般的な仕事の中でやっぱりこの病気を持っていることによって、いろんな支障っていうか障害っていうのはありそうだなっていうふうに思われますか。
 やはりこの病気というのは、見た目はほぼ健常人と変わらないということがすごいやっかいって言えばおかしいですけど問題で、調子が良いときはほんとに健常人と変わらない生活ができるんですけど、調子が悪いときがどうしてもトイレに行って、お腹は調子が悪いということがありますので、例えば仕事に関してもトイレにいけないような仕事もいっぱいあると思うんですけど、そういうときは例えばどうしてもその仕事をするしかないというのであれば、おむつとかをしたり、動き回るのは例えばお腹に刺激があるので良くないとすれば、例えばもう腹巻きとか体を温める、外での寒い仕事とかはホッカイロとかで体を温めるというふうに何かこう自分らしい対策を考えないとやっぱりどうしても悪くなってしまう病気なので、そういう面で、同じような健常人と仕事ができるということに関してはある程度難しいんじゃないかなと思うんですけど、やっぱりこう、自分が気をつけながら上司とこういう病気ですというふうに相談しながらすれば、できない仕事もあると思うんですけど、ある程度はできる仕事が増えるんじゃないかなというふうに思います。

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 将来結婚なんですが、今やはりそういうこと考えていまして、大阪とか京都に長い期間いましたので、それが終わってこっち戻って来てから考えようって思ってまして、今本当にそういう時期になってきたんですが、やっぱり国の難病の指定の病気だということを相手に伝えるか伝えないかなんですが、それはもう絶対に伝えないと相手の家族とか相手を巻きこむことなので、それはもう絶対に伝えるようにしようと思うんですが、やっぱりそれを認めてくれる方っていうのはやっぱりそんなにいないんじゃないかと思うんですが、やっぱり病気のことを認めてくれてその上で結婚してくれる方を今探してて、それは今紹介とか親も協力してくれてそういうことを行動しているんですけど、やっぱりそうですね。難病とかを受け入れてくれる女性と結婚したいと今考えております。
Q:将来結婚して子供を作るとかいうときに、この病気がそういうことに影響するかどうかというようなことについてはお医者さんは何かおっしゃってますか。
 将来結婚するって、もし子供を育てるということに関しては主治医とかに相談したことは今までないんですが、一応本とかを読む限りは、一応ペンタサとかをずっと飲んでいたんですが、そこまで影響はないというふうに書かれていますので、あまりそこまでは心配はしていないんですが、イムランとか免疫抑制剤とかは治療としてありますので、それを飲むと多少影響あるというふうには読んだ、本に書かれていたんですが、私の今飲んでいる薬で影響は出ないんじゃないかと思っているんですけど、それに関しては影響が出るから子供を育てるのはやめるとかいうふうには考えたことはなくて、それでももし子供ができたら授かった命なので大切に育てていこうとは思っています。

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九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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Q:最初に診断されたのが19歳ぐらいということで、ご家族、お母さんは当然ショックを受けられたと思うんですけども、そのあとお母さんがどういうふうにあなたに接してくれたとか、逆にお母さんに対して、逆に気を遣ったこととかですね、そういう家族との関係と言うんですかね、お話しできる範囲で結構ですのでもしあればお話しいただけますか。
 私がこの病気になったのは19歳のときなんですが、そのときに母はやっぱりショックを受けていまして、やっぱり国の難病ということで大変な病気にかかってしまったということがやっぱり母の気持ちにはあったらしくて、で、初めはこの難病は国に申請すれば医療費とかがある程度、かなり負担してもらえるということなんですけど、やっぱり自分が難病であるということを認めてしまうのでそれは母親とか父親、親にとってはすごいショックだったらしくて、初めは難病じゃない、認めなくていいんじゃないかという考えがあって、初めは特定疾患の申請はしておりませんでした。
 やっぱり難病って認めてしまうと就職とか結婚とか今後の人生においてすごい影響が出るんじゃないかということを本当に心配していましたので、入院費とかも3割負担で初めはしていました。ただ、僕以外にも難病のこういう方がかなりいっぱいいると。で、かなり元気に生き生きと前向きに生活しているということも、母と僕もそうなんですけどこれから知ったので、やっぱり難病でもそういうことを自分に受け入れて、それで前向きに生きていくのが一番いいんじゃないかということを母と父とは話したんで、それから特定疾患の申請をして、自分が難病だというふうに国に認めてもらって医療費とか薬とかも補助していただけるふうにしていただきました。

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 私は潰瘍性大腸炎と診断されたときは、まずはその病名がどういう病気なのかまず分からなくて、で、母親、すぐ入院だったので、入院のベッドだったんですけども、母親はこちらに来て深刻な顔をして泣いてしまったので、何かひどい病気なのかなというふうに初め思っていたんですけども、母親が言うには一応国の指定の難病だということで、これからもしかしたらどこにも出かけられないし、旅行とかにも行けなくて、大変な生活が待ち受けているっていうふうに考えてたらしいんですけども、で、僕もそういうふうに聞いてそういう病気なんだというふうに思ったんですけども、一応その今現在では本当に調子が良いときは普通の人と同じような生活が送れるので、そういう面では難病にしては調子が良いときは、すごいその、幸運だったのかなというふうに思っているんですが、その当時はすごい大変な病気にかかってしまったのだというふうに思っています。

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九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 私がこの病気を発症したのは、今から10年前の19歳のときなんですが、そのときは浪人中のときでした。ある予備校に通っていたんですが、それで普通に生活していたんですけども、11月くらいから少しお腹がおかしいなと思うようになりまして、ちょっと下痢気味になったので、それぐらい受験のストレスかなと思って過ごしていたんですが、下痢がだんだんひどくなってそれで一日に4~5回ぐらい行くようになりまして、で、ある個人病院に行ったんですが、やっぱり受験のストレスと風邪であるというふうに言われまして、風邪薬と下痢止めの薬を処方していただきました。
 それで飲んで普通に生活していたんですけども、やはりお腹の調子が悪くなる一方で、一日10回とか行くようになりまして、そこでやっぱりもうおかしいということである大学病院、大きい病院のほうの先生にかかったんですけれども、やっぱり受験のストレスだということで強めの下痢止めの薬を処方していただいて、それを飲んでいたんですが、やっぱりどうしても良くならないということで、一日10回を超えて15回とか20回とか行くようになったのが、初めは11月だったんですけれども、12月の中旬ぐらいにはもうそれぐらいになってしまって、で、もうつらいのが寝れなくて、夜起きてしまって、どうしてもトイレに行って駆け込んでしまうことがありまして、やっぱりどうしてもおかしいということで、大腸の個人病院、大腸の専門の先生のところに行ったんですけど、受験のストレスですというふうに、過敏性腸症候群というふうに言われまして、大腸の内視鏡の検査はしなかったです。
 で、やっぱりもう、どうしてもおかしいということで12月、年末を超えて1月の初めにある下関の個人病院にかかったんですが、そのときにある先生に大腸の内視鏡をしてもらいまして、そこでもうすぐ、内視鏡をしたら腸が全部出血しているというふうに言われまして、最後までもう入らないというふうに言われまして、そこで臨床、肉眼的にはおそらくもう潰瘍(性)大腸炎で間違いないだろうというふうに言われました。