NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 私は潰瘍性大腸炎と診断されたときは、まずはその病名がどういう病気なのかまず分からなくて、で、母親、すぐ入院だったので、入院のベッドだったんですけども、母親はこちらに来て深刻な顔をして泣いてしまったので、何かひどい病気なのかなというふうに初め思っていたんですけども、母親が言うには一応国の指定の難病だということで、これからもしかしたらどこにも出かけられないし、旅行とかにも行けなくて、大変な生活が待ち受けているっていうふうに考えてたらしいんですけども、で、僕もそういうふうに聞いてそういう病気なんだというふうに思ったんですけども、一応その今現在では本当に調子が良いときは普通の人と同じような生活が送れるので、そういう面では難病にしては調子が良いときは、すごいその、幸運だったのかなというふうに思っているんですが、その当時はすごい大変な病気にかかってしまったのだというふうに思っています。

KT11 プロフィール

診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住
専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 最初におかしいなと思ったのは、自宅で下血をしたことです。数日間はそんなに、少量だったので、少しおかしいなと思ってる程度だったんですが、数日後にかなり大量に下血をしたので、これはちょっとおかしいなと思いまして自宅の近くの病院に行きました。で、病院に行ってからは比較的診断までスムーズにいったんですけども、すぐに入院をして数日後に内視鏡の検査をして、潰瘍性大腸炎というふうに診断を受けました。診断を受けた際の説明が、「潰瘍性大腸炎という難病で治療法がないんだ」というふうに先生から説明を受けました。根治治療がないとか原因がまだ分からないっていうことではなくて、治療法がないということをすごく強調されて言われたので、すごく絶望的な気分になりました。
 で、入院をしていて特に治療らしい治療はせず、点滴をしたりだとか、あとペンタサを少量処方はしてもらったんですが、治療らしい治療はせずに数日間入院をしていました。で、先生は一日一度は病室に来てくださって、「どうですか」ということだけ聞いて、「あまり変わらないです」「まあ仕方がないですね、治療法がない病気ですから」っていうような会話をして過ごしていました。で、自分でインターネットで調べたり家族が調べたり友達も調べてくれて、少しちょっと病気の現状とは違うんじゃないかということになって、ちょっと不信感を持ったので自分から退院を、その病院は2週間ぐらいで退院をしました。で、自分で大学病院に行って、IBDの専門医の先生のところに行って、そこで、治療法がないというよりは根治治療がなくて、治療法はあるっていうことだとか、あとペンタサも全然量が足りないしということで、その前の先生に対してすごく先生が怒ってらして、自分でも病気の認識が、全く思っていたような病気ではないということをそこで理解をして、すごく安心をしました。

KT-9 プロフィール

診断時45歳、インタビュー時52歳(2013年2月16日)関東地方在住3年間の内科治療の後2009年に全摘手術をした。術後はほぼ順調で現在は便の回数も7回程度で安定している。家族は母親と妻と3人暮らし。

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Q:そうすると、そのー、ご自分で病気のことについて、あの、調べたりとかされましたか。
 調べたのは、症状がひどくなってきて、これは尋常ではないなと思うようになって、日常生活にかなり支障が出るようになってから慌てて調べた感じですね。
Q:その結果、十分な情報が得られましたですか。
 どれを読んでも、書いてあることはほとんど同じですね。それで…それで、あの、医師側というか、医療側から書いてあるものというのは言葉が少ないので、やはり理解できないと思います。
Q:あと、そうすると、その、患者の体験談とかそういうのもお読みになりましたか。
 うん。徐々に見るようになりました。あの、まぁ、ブログも見ましたし。そうですね。あとは、ネットでも、医療側から書かれてるものと個人が書いたものというのはだいぶ違いがあって、医療側から書いてあるものは、こう、箇条書きにそのことを順序正しく書いてあるっていう印象で、個人的に書いたブログというのはその人、個人個人が様々なので、うん、参考になる部分もありましたし、あまり参考にならない部分ありましたね。(笑) 

KT-6 プロフィール

診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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Q:自分で色々勉強されたじゃないですか、病気について。その時にその難病指定されているということも知って、難病って言う言葉を聞いてショックとか受けましたか。 小学校4年生だったからかな、え、もしかして私は一生治らないんじゃないか、詳しい話は聞いたけど難病って言葉しか頭には入らなかったんですよね。難病?私もなるまでは難病は本当に治らない病気なんだ、もうすぐ死んじゃうのかな、っていう病気だとずっと思ってたから、ああ私難病なんだ、もう病院から一切外には出られないかな、もうすぐ死んじゃうんじゃないかな、それこそ余命宣告じゃないけど言われるようなショックで寝込みましたね。

KT-5 プロフィール

 

診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月) 関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 最初はその近くの病院で19くらいの時に、診断を受けた時に、主治医からこれは難病でということを言われたんですが、そう言われても最初はなかなかピンとこなくて、今のところ治る病気ではありませんといわれたので、厄介な病気だと思いましたけれど、今一つ実感はなかったですね。言われた当時は実感はなかったんですが、日に日に症状が何回も、最初は薬を飲めば何とかなっちゃう病気なのかなと思ってて、じゃ薬を飲んでりゃいいかと思ってたくらいだったんですけれど、それから薬を飲んでも症状が悪くなってきて、で、もうこれ以上薬がないような、なかなか他に手がない状態に陥ってたこともありましたので、そういう時は、そこまで来て初めて、ああやっかいな病気なんだなというのを実感しましたね。言われた最初の時はまあ、若かったせいもありますが、あまりこれはやばいなという実感はなかったんですけれどね。 

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 担当の先生に言われて、それは難病指定、今は特定疾患と言う名前で「治らない病気だ」と言うことをその場で告げられて、もうショックを受けて、家に帰りました。いきなり、そういったことを言われる難病で、治らない病気、こんな下血とかして、「ずっと、一生続くんじゃないかな」という不安で帰宅して、それから、附属病院じゃなくって他のもっと大きい病院にもう1回通って、即入院という状態になったんですけど、なかなか大変な日を過ごしまして、だから、はじめは中学時代から、そういう兆候があったから、はじめに大きな病院にかかっていたら良かったなと、そしたら、もっと早く治っていたのでは、そんなに重症になるまで、まぁ、こっちがほっていたのも悪いんだろうし、

HK-1 プロフィール

診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 私の場合は、えー、いろんな症状が順番に起こるというよりも、CRPにも、え、CRPってのは血液検査の結果ですね、血液検査で行ってもほとんど予兆は取れずにいきなり出血すると、ま、出血の何日かに一回、ティッシュに付くと、という形のところからもう便器で分かる程度までこう一気に進んだりするので。あの、ま、最初は血が付いて、数日食事を控えるとかやったんですけれども、それがほとんど、もう痛みを伴って、これはもう家族にも職場にも言わないといけないなという形になって、入院という形でした。なので、ま、その時は、協力してくれた家族や職場のメンバーへの申し訳なさ、それから、ま、自分はこれで、ほんとに仕事を辞めなきゃいけないんではないかとか、いろんなことを、あの、考えました。入院してどれくらいの、治療になるのかっていうこともよく分からなかったので、入院した当初は、まあ、これで入院して直っていくんだろうという、ホッとした気持ちと、この後どういうが治療をされるのかなという不安感と、も、最初は両方強くありました。
Q:で、その後、その、再発したということはですね、その後また何度も再発するんではないかというような、そういう心配っていうのは、その時はありましたか。
 はい、あの、病気の深刻さですね。あの、当時もうその患者会に入っていて、患者会の集いの中で、いろんな経験をした人の話も聞いていました。で、その当時に、非常に、あの、当時の基準薬であるステロイドでも、なかなか症状が落ち着かずに、仕事を退職しているような人もいましたし、ま、どっちかというと当時の患者会、約20年前の患者会に来る人たちというのは、苦労人が多かった。自分はそうじゃないと、初回発作型という一回だけで終わるタイプだと信じてましたから、あ、自分もたぶんあの人たちと同じような苦労をするのかなということで。えー、患者会の中で聞いてああいうふうになるのかという気持ちと、でも、ああいう人たちでも、仕事してる人もいるっていう、まあ、明るさと暗さ両方知ってしまったが故に気持ちとしては、もう非常に不安定になったなと思っています。