NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 私がこの病気を発症したのは、今から10年前の19歳のときなんですが、そのときは浪人中のときでした。ある予備校に通っていたんですが、それで普通に生活していたんですけども、11月くらいから少しお腹がおかしいなと思うようになりまして、ちょっと下痢気味になったので、それぐらい受験のストレスかなと思って過ごしていたんですが、下痢がだんだんひどくなってそれで一日に4~5回ぐらい行くようになりまして、で、ある個人病院に行ったんですが、やっぱり受験のストレスと風邪であるというふうに言われまして、風邪薬と下痢止めの薬を処方していただきました。
 それで飲んで普通に生活していたんですけども、やはりお腹の調子が悪くなる一方で、一日10回とか行くようになりまして、そこでやっぱりもうおかしいということである大学病院、大きい病院のほうの先生にかかったんですけれども、やっぱり受験のストレスだということで強めの下痢止めの薬を処方していただいて、それを飲んでいたんですが、やっぱりどうしても良くならないということで、一日10回を超えて15回とか20回とか行くようになったのが、初めは11月だったんですけれども、12月の中旬ぐらいにはもうそれぐらいになってしまって、で、もうつらいのが寝れなくて、夜起きてしまって、どうしてもトイレに行って駆け込んでしまうことがありまして、やっぱりどうしてもおかしいということで、大腸の個人病院、大腸の専門の先生のところに行ったんですけど、受験のストレスですというふうに、過敏性腸症候群というふうに言われまして、大腸の内視鏡の検査はしなかったです。
 で、やっぱりもう、どうしてもおかしいということで12月、年末を超えて1月の初めにある下関の個人病院にかかったんですが、そのときにある先生に大腸の内視鏡をしてもらいまして、そこでもうすぐ、内視鏡をしたら腸が全部出血しているというふうに言われまして、最後までもう入らないというふうに言われまして、そこで臨床、肉眼的にはおそらくもう潰瘍(性)大腸炎で間違いないだろうというふうに言われました。

QS-3 プロフィール

診断時28歳、インタビュー時51歳(2012年7月)九州地方在住。寛解と再燃を繰り返しながら、3回の入院を含め長年にわたる内科治療をしている。潰瘍性大腸炎そのものでは、発病したときは全大腸炎型でかなり重症だったが、その後はそれほど重症になったことはない。しかし合併症としての関節炎や免疫抑制剤の副作用としての歯周炎などがひどい。職業は獣医師。独身。

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 発症したころは丁度小動物臨床をやってたんですけれど面白いことに犬猫にもIBDがあるんですよ。丁度その頃は犬用の薬を、名前は忘れちゃったけど、処方してた時に、体調が悪いなと思って、まあもともと便は柔らかいたちなんでそんな気にはしてなかったんですけれど、20代後半から体力が落ちたのかなというふうに思ってたんですけれど、かなり下痢がひどくなったのと、あと、出血がわかったということで、こわかったのはその頃丁度ウォシュレットが出たのでウォシュレットを使っていると便状とか見ないんですね。ただ見なかったから最初わからなかったんですけど、まあ下痢だろうということで自分ですましていて、ただ体はだるいなっていうのがありましたね。で、うんーと、和式で自分の便状と出血の異常に気がついて病院に行ってくるって言ったのがきっかけですね。
 でまあその時は少し痩せてきたっていうのはあるんですが、じゃあ病院行くって決めて3日後にたしか病院行くことにしたけれど、その2日前からお腹が痛くなりましたね。それまでは痛みはなかったですね。その時出血もだんだん増えて来たというのもあります。で、病院に行ったときには潰瘍性大腸炎ってすぐ診断されたんですけど、でその時には全周性ですね。大腸は大きく分けて上行、横行、下行、S字から直腸になるんですけど、全周になってたというのだから重症のほうですよね。それまで気が付かなかったということもあるんですけど、病気がわかるまで時間が掛かったというのが有るんで、もうちょっと早く便を見て気づいていれば、もっと軽く済んだかもしれないかなと思っています。

KT10 プロフィール

診断時33歳、インタビュー時45歳(2015年6月)関東地方在住
3年間内科治療を続けたが寛解に至らず全摘手術を行ったが、術後の経過が悪く長い間苦しんだ。ようやく手術したのとは別の病院でメンタル面も含めて適切な処置をしてもらえて、今では普通の社会生活が送れるようになった。家族は母親と二人暮らし。

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 トイレの回数がちょっと多くて、そのたびに便が出るみたいな感じが続いていたのですね。痛みとかは特になかったのであまり気にしていなかったのですけど、ある時そこに血が混じっていることに気がついて、血便っていうのはちょっとびっくりだったので大学病院に行って、一応初めて大腸内視鏡カメラっていうのを入れさせてもらったのですけど、その時には特に異常はなくて、先生にも「何でもないよ、問題ないよ」とは言われていたのです。
 ただ、その時からなぜかペンタサを飲まされていて、でも私にはその病気ではないと仰っていたのですね。なので私は信じてそれを飲んでいたのですけれど、半年後またひどい出血をしたので、その時はその大学病院に行く余裕がなかったので近所の病院に行ったら「もう明らかに潰瘍性大腸炎だよ」っていうことを言われて、もう一転してしまったというか、役所とかにもいろいろ手続きに行かなきゃいけなくなったり、今後のことも含めて「悪くなることはあるけど良くなることはないから、入院施設の調った病院に行ったほうがいいよ」と言われ、また別の大学病院の消化器内科に通うことにしました。そこからがもうずっとこの病気との付き合いになったのですけど、私の場合は寛解期というのが一度も来ず、ずっと劇症というか、ひどくなる一方だったのですね。

KT-3 プロフィール

 

診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 31歳の時に今でも覚えているんですけれど、出血をしてたんですが、ん、何かなって思ったんですけど、もしかしてこういうのを痔かなと思ったんですけれど、その時はそれ1回きりで何ともなくて忘れちゃったんですけど、その後しばらくして、トイレに行ったときに粘液がでるような感じとか、規則的にお通じがあったのが、朝しかなったのが夕方ころもう一回行きたくなるようになって、でも痛みもないし辛くもないのであまり気にしていなかったんですけど、ちょっと変かな、なんか変かな、なんか変かな、ということで、1月に初めて出血に気づいたんですけれど、その出血も1回きりだったんですけど、実際に病院に行ったのは7月でした。で7月にたまたまかかった先生が後から考えたら、割合に潰瘍性大腸炎について詳しい先生だったようで、1ヶ月後に内視鏡検査をしましょうといわれて8月の半ばに潰瘍性大腸炎という病名を言われたんですけれど・・

KT-2 プロフィール

診断時56歳、インタビュー時61歳(2012年2月)関東地方在住。2007年に潰瘍性大腸炎と診断され、内科治療のあと手術。術後しばらくは大変だったが、現在は大変元気で障害者の働く、ふれあい喫茶で店長をしている。息子と夫婦と3人暮らし。

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 最初におかしいと思ったのが2007年の3月頃です。まず血便が出まして、何回トイレに行ってもまだ出たい感じが続きまして、微熱が出て、頭痛がひどかったんです私の場合は、それで病院に行きましたらすぐに大腸カメラを撮っていただいて、潰瘍性大腸炎ということで言われてとてもびっくりしました。私、ヘルパーをしていた関係でその病気、難病のことは知っていましたので、その時に先生に難病ですねとお聞きしましたら、先生は「潰瘍性大腸炎なんて今は難病とは言えないよ」とおっしゃったんです。それで簡単に考えていて投薬治療が始まりましたがあまりよくならず、どんどん症状が悪くなっていきまして、知り合いの勤めている病院を紹介していただきまして、そこに行ったら即入院ということになりました。その時は頭痛が一番ひどかったんです、症状としては。下痢も続いていましたけれどそれほどひどくなくて、頭痛の検査をしているときに院内感染でインフルエンザに感染してしまいまして、インフルエンザの影響で潰瘍性大腸炎が劇症化しまして、一時は死にそうになりまして、それで4カ月と10日も入院してしまいました。

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 私がはじめにかかったのは近くの町医者でして、町医者というのは何でも診るということで内科からすべていろんな看板があがっているわけですけども、後から聞くとその先生は皮膚科だったと。本来は皮膚科の専門医だけども、開業したので今はいろんな看板もあげてやっていると。そういったことで私自身も他に行かなかったので、生まれた時からそこに行っていたので、その2代目さんがやっていたんですけども、ずっと通い続けて「腸炎」という判断だけで、風邪薬飲んだりとか、いろんな薬を飲んで、あと漢方もそこでやったことがあるんですけども、別に何も効かなくて下痢はずっと続いていると。
 それから、まただいぶしてから他の病院、それもまた町医者なんですけども、そこも町医者だから何でも診ると。そこも長いこと行っていたんですけども、ずっと同じ様な判断で「腸炎」と「痔」だからということで。その先生も内科とかあげているんだけども、専門は整形外科だったと。だから余計に判断がつかなかった。その先生にあたったというか、そこばかり通い始めた時に、こちらからインターネットとか調べて「これは潰瘍性大腸炎ではないでしょうか?」と先生に聞くと、その先生が言うのには「そんなことはありえない。それは難病の中の難病で、ありえない病気だ」と。「まず、あなたにはならないであろう」ということで。

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 兎に角、お腹を壊しやすい子供時代・中学時代・高校時代、それで、高校受験も、滑り止めの私学がトイレに籠もっていて、受験できなくって、滑ったという、まぁ、公立高校があったので、公立は受かったのですけれども、そこからあともトイレに籠もって、テストが受けられないということがしょっちゅうありまして。だけども、近くの病院しか行かなかったので、ずっと腸炎と、あとは「男の子なので腸が下痢になりやすいんだ」と「緊張すると下痢になるんだ」ということで、医者からは普通のビオフェルミンくらいの整腸剤くらいしかくれなかったんですけど、
 だいぶ年いってから、食欲もなくなり、食べられなくなって、もう、下痢と下血が酷くなって、それでも通っていた病院の先生は「これは何だかわからない」ということで、それで自分自身、インターネットで調べて「もしかして、これは潰瘍性大腸炎とちがいますか」と先生に言いましたが、「そんなことはありえない」と、その時点で「だけどもおかしいから、一旦、おかしいから大学病院に検査しに行ったらどうや」ということで、内視鏡を初めて入れて「もう完全な、重症の潰瘍性大腸炎だ」と判断されて、そこで即入院になってしまった。

CH-1 プロフィール

中国地方在住。長年にわたり内科治療を受けながら会社の仕事も続けている。ステロイドの副作用もでているが、まだ手術までには至っていない。患者会の仕事も精力的に行っている。家族構成は妻と二人暮らし。

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 1週間、2週間ぐらい個人病院で治療を続けました。しかし、病状は改善しないというところがありまして、あの、総合病院を。これは、あの、今現在でも行きつけ…行っている病院なんですけど、えーと、そこを受診いたしまして、症状を、説明したら、まぁ、速攻で、大腸の検査をやりましょうということを言われました。それで、あの、大腸の検査をしますと、その時は、左側(さそく)、左側だけ、結果的にはだったんですけど炎症がありまして、潰瘍性大腸炎という診断が付きました。
 その時点ですね。ですから、発症は、えーと、昭和63年の3月に発症いたしまして。まぁ、当然、その病名が確定して、全身状態を確認して、速攻で、あの、入院ということになりました。まぁ、発見は、1ヶ月、家で治療を続けていた…治療と言いますか、放置状態をしていたんですけど、えーと、約1ヶ月半ぐらいの入院で、確かその時は済んだと思います。治療といたしましては、その時は、恐らく、あの、ステロイドと、その当時ですからサラゾピリンですね。薬としては。その…それによる治療。あとは、食事は絶食したという記憶がありませんでしたので、あの、通常の点滴で、ある程度栄養分とか薬を入れながら、えーと、治療をしていたという風に記憶しております。