NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

KT-7 プロフィール

娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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Q:将来の希望として看護師さんか司書さんになりたいっておっしゃってた。
 そうですね、看護師はえーと自分がやっぱり入院して一番看護師さんにお世話になったというのがあるんですけど、ストマを3ヶ月間付けさせていただいた時に、やはり専門的な看護師さんがすごい必要だったというのもあるし、自分がいろいろ研究して、私もすごい研究して、色んなものを購入してみたんですけど、やっぱり人それぞれストマっていうのは合う、合わないっていうのがすごい大きく出たのがあったので、あの子にとっては看護師でもストマ看護師っていうのをすごい一目置いていて、ストマ看護師になりたいっていう希望と、前々から本が大好きなんですよ。で、図書館が大好きなんですよね。匂いが好きらしくてなりたいっていうのが将来の夢になりますね。
Q:お母さんとして見てらっしゃっていかがですか。看護師さんてすごい体力が必要になってくる職業ですし。
 そうですね。体力が必要だからちょっと厳しいかなって思うんですけど、私にとっては、後なれても6年くらいかかりますよね、そしたらある程度自分のペースがつかめてくる、約10年くらい経つんで、手術後、そしたら、みんなの気持ちがわかるっていうこともあるんで、私は看護師をやらしたいかなとは思っています。その方が自分のためにもなるし、同じ病気で苦しんでる人たちのためにもなるんで、一番わかる看護師になれると思ったんで、私は看護師をすごい勧めてはいます。
 あの、司書を選ぶとやっぱり楽な方を選んじゃったという感じがあったんで、私は、お母さんは司書じゃなくて看護師で、自分がすごい苦しんだ体験を活かしながらみんなを支えていってあげたらいいんじゃないかなって、そういって看護師を目指して下さいって言葉に出して言います。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 競技は100メートル走。全然他の人との差はすごかったんですけど、100メートル走と、あと「波乗りでゴー」っていって、背中を踏まれて行く競技なんですけど、もうお腹切ってるから背中を踏まれる自体で激痛が走るみたいなんですけど、それに出てたですね。後、何にでてたかっていうのもあまりに記憶にないくらいです。
Q:そういうのに、痛いからやりたくないとかおっしゃらなかったということですか。
 痛いから病院には行きましたやっぱり。整形に行くとドクターストップかかるし、整体に行ってちょっとでも体を楽にしてやろうと思ったんですけど、そこでもやっぱり出ない方がいいよって言われたんですけど、本人はこれが希望で学校を移ったくらいだから、先生ちょっと体を楽にしてやってくださいっていうかたちで、運動会のぎりぎりまで整体に通いました。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 えーと今の学校に移って4月からなんで、最初病気のことを話す、話さないで、やっぱりあったんですけど、修学旅行前に担任の先生が言うっていうことになったんですけど、担任の先生がお忙しいということもあって、未だに言ってない状態です。先生の方から生徒さんには言ってない状態です。それで子供が仲のいい子何人かには病気のことはやっぱり伝えました。でも一緒の修学旅行なんかは班行動だったので、一緒にいた男子生徒には、ある程度この子は病気だから気をつけてあげてくださいねっていう感じでは、病名は明かさず言ってはいます。担任の先生からですね。でも学校全体の先生自体は全員知っているようにはしています。もし、何があってもいいように、ということで。だから修学旅行の時でも、京都散策しててもどっかで先生に会うから、先生が必ず声をかけることをしていただいたので、本当はしんどかったらしいんですけど頑張れたと。あの体育祭も同じようだったんですけど頑張れたということで、二つのステップが今回踏めたので、すごい本人にとっては成長したかなと思いましたね。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 子供が豚カツを食べたいって言ったので焼き豚カツを作ったら、こんなのとんかつじゃないっていうふうに主人に言われた時に、子供がすごいがっかりしたのを覚えています。そういう点を意外と子供ってその時口にしなかったですけど、後後に言うんですよね。それでちょっと、そうだったのって言ったんですけど、こっちはちょっと頑張ってやっているからって思うんですけど、男の人にはそこら辺が理解できなかったのかな。それが自分がその病気だったらしょうがないと思えたのかもしれないけど自分は元気なのに何故っていうのがあるのかなっていうのが思いました。
 でも、同じ病気で主人のお兄さんが潰瘍性大腸炎なんですけど、同じ病気なんですけど、やはり理解がそこら辺であるのかなと思っても、勉強一つしてもらっていなかったのが一番のショックだったですね。私すごい本をいっぱい買って、何でこんなに本買うのって文句も言われ、じゃあちょっと読んでみてって言っても、読んでもくれないで、子供がおかしくなったのは勉強させたせいだって言われ、小学校4年生の時だったので、ちょうど夏休みに病気が発覚したので、それを自由研究にさせて頂いたんですね。そしたらみんなに発表ができるといいうこともあって、病気のことをみんなに理解してもらわないと学校生活が送れないっていうのもあったので、それを発表して・・いいと思って、それをいいと思ったし、担任の先生もいいと思ったし、担当医もいいと思ったのでしたんですけど、それが主人が猛反対だったんですよね、後から聞くと。それが原因で子供がよけいおかしくなったって言うふうに言われたんで、そこら辺からもう意思の疎通が無くなってきちゃったんで、それから1年は我慢が出来たんですけど、限度がやっぱりあったし、子供にもすごい不愉快な思いをさせたし、自分の親にまで不愉快な思いをさせたんでちょっと距離を置こうと思って、やったらちょっと子供の方が良くなってきたんで、普通だったら三人で頑張ろうと思う方がいいのかもしれないけど、うちにとっては二人の生活の方がすごいよかったので、明るく暮らしていけてるんで今も、だからすごいよかったなと思っています。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 あの、びくびくして、それまでっていうのは、どうやったらストレスを与えないかっていうのでびくびくして過ごしていた部分があったのが、やっぱりそれが無くなった。でも手術は2回に分けてやったんですよね。それで1回目の手術では人工肛門を着けさせて頂いて、でその人工肛門の付け方とかを二人で学ぶ間に、親子っていうよりは友達に近い状態が作れたので、すごい大変いい雰囲気、今までよりすごいいい雰囲気になってきたのは確かですね。で人工肛門から普通の、小腸と肛門をくっつける手術をしていただいた後っていうのは、本当、本人はちょっとやっぱり最初は大変だったんですけれど、1年たって2年たって、そしたらどんどんやっぱり明るくなってくるんですね。
 でその間に親も色々考えないといけないなと思って、少しずつ少しずつですね、問題提起をしていってどうしたらいいのかなっていうんで、最初はやっぱり病院とかも親が不安で付いて行ってたんですけど、そうですね手術が終わって半年くらいからは本当に重要なハンコのいる時以外は、先生とマンツーマンで会う方が自分の意見とかが言えるんじゃないのかなと考えまして、一人で行かすようにやってみたりしたので、すごい明るくなりましたね、すごい。今まではすごい病気におびえてたみたいなところがあったんですが、一人で電車にも乗れないぐらい怯える生活をしていたのに、すごい明るくなったのが私にとってはいい方向にすすんでいただいたかなと思います。最初は私も泣いて過ごしたんですね、すごい、いつ見てもあなたは泣いているねって言われるくらい泣いていて、それがやっぱりどんどん病気のことを勉強もしましたし、色んな人に聞くこともしましたけど、やっぱりその過程で、子供もやっぱりどんどんどんどん勉強するし、同じくらいのお友達が入院してたら、その子とお友達になることによって自分の病気への理解も深まったし、その子たちとメールをすることによっていい方向へ進んでいってくれたので、私は手術して正解だったかなと今思っています。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 最初手術をしましょうと言われたのが小学校5年生の時だったんですけれど、その時は手術したほうがいいですよ、どちらにしますかっていうふうに聞かれた時は、本人にもう一度自分の病気のことを先生とゆっくり理解するように話していただいて、その時には本人が嫌だという決断をだしたので、内科治療を続行して頂いたんですけれど、その時に先生と約束もしてた点もあって、次もし入院して何もお薬が効かなかったら手術だよっていうことはその時から約束していたので、2年経った時に入院してすぐに新薬の治療を始めて、大体1週間もすれば効果が表れますからって言われてたんですけれど、3日目ですかね、全然現れる気配もなかったので、先生の方から手術したらどおっていうことを本人の目の前で先生が言ったので、本人がその時に自分で「はい」って言ったので、その「はい」を私は、この子は同意したんだと受け止めて、すぐに同意書にハンコを押させていただきました。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 そこから二人で勉強をいっぱいして、でも勉強をいっぱいしたことによって、あの子を追い込んでしまって、余計病気を悪化させちゃったみたいで、それが精神的なものになっちゃって困ったことがありました。二ヶ月くらいして、発病から、学校に行けなくなることになっちゃって、それがなぜ行けないのかっていうのが、みんなと同じ給食が食べられないっていう問題。どうしても香辛料とか、刺激物が潰瘍性大腸炎には悪いということで、取り除いてもらうっていうことを給食の方に頼んだんです。
 そうすると本人は大好きなカレーが食べれない。知らずに学校に行ったら自分だけ違うスープが出てきちゃった。そうするともう学校に行けなくなってトイレに固まった状態が起きて、そうするとまたそれがストレスになって再入院なので、2か月の間に4回ほど入院を繰り返して、それで落ち着いたころには精神症状が現れちゃいまして、解離性障害といって、3歳くらいの子供に戻っちゃったんですね。それで精神科のほうへ入院を半年くらいさせていただいて、ああよかった、精神状態安定したなと思ったら、今度は家から学校まで、養護学校だったので、車で登校っていうふうにいわれてて、精神的に安定するまでは車登校といわれてて、それを1時間かけて往復2時間ですよね、それをすることによってそれがまたストレスになっちゃって、また入院を繰り返したっていうんで、すごいそういう親としての、この子にどうやったらストレスを与えないでいられるんだろうというのは感じましたね。

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娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

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 ちょうどたまたま日曜日、土曜日、祭日だったか、記憶には定かでないですが、病院が休みの日で、市民病院の方に行かせていただいたときに、ただの普通の下痢症状だとずっと思っていたのに、最初に隔離病棟に入れられて、小児病棟に移されて入院して、小児科の先生からこれはちょっと普通の病気じゃないかもしれないっていうふうに言っていただいて、外科の先生の方に廻していただいて病気が判明した時に、本人と私とで、一応病名を聞いたんです。
 最初は本当に理解しがたくて、一応遺伝的なものもあるよと聞いていたんですけれど、そういうのも全然知らずにやっていて、ちょうど夏休みだということもあったので、本人にそれを学校の自由研究にさせたぐらい、病気のことを理解させようと思ってやったので、本人はすごい勉強はそれぐらいしたと思います。やはり小児科の先生が一応ついて自分の病気の理解も大切だっていうことを言われたんで、その時はそうやって理解はさせました。私もすごい最初は複雑で、聞いて帰って主人にこういう病気だと言われましたということを言ったんですね、潰瘍性大腸炎だということを。その時はなんともなく、おばあちゃんとお話をしたときに主人のお兄さんも同じ病気だったと、それで急いで電話入れてどういう症状が出るかということを聞いたりしました。