NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

KT-3 プロフィール

 

診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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Q:他にはどんなことが大変でしたか。たとえば食事とかはどうでしたか。
 そうですね、食べるのが怖かったというのもありますし、あとそうですね、食事は自分で支度をするので、自分が大丈夫そうなものを食べていたんですけれど、悪くなってくると、食べるのが怖くて、また今年もだめかなー、入院かなっていうのがなんとなくわかるんですね。また変なのが始まってきたなというのが。子供がちぃっちゃかったんで、子供が保育園から帰ってきたらお母さんが入院しちゃってていなかったりとか、朝起きたらお母さんがいなかったりとか、そういったことが一番つらかったですね。
Q:今、なんか変なのが来たなとおっしゃったんですが、もうちょっと具体的に表現できますか。
 まず、お通じの時に粘液が一緒に混ざって、アッ、ていうふうに、それが一番大体最初ですね。後は、出血とかが始まっちゃうと、あーやっぱり今回もだめだったということになります。まず、粘液が混ざった時にはあーって思っていました。
Q:他にたとえば頭が痛いとかなんか関節が痛いとかそういう症状はありませんでしたか。
 私の場合は全くそういうのはなかったです。ただ、先生は関係ないっておっしゃったんですけど、ステロイドを大量に体に入れると歯が沁みるというようなことがあって、絶対関係があると思ったんです。骨粗鬆症になるっていうから歯だって絶対そうだよなって思ってたんです。そういうのがありあます。それからどういう影響がわからないけど爪が変なになったり、病気のせいなのかステロイドのせいなのかわからないんですけれど、いろいろとありました。髪の毛がまとまりにくくなって、ぼうぼうしちゃうとか、あんまり病気と関係ないのかもしれないけれど、そういういろんな細かいトラブルがあって、病気全体のことから考えれば大したことないことなんですけど、やっぱりやだったなあっていうのがあります。

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診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 自分が動かなくちゃいけないということがわかりました。自分が知りたいと思うことを自分で調べるし、ネットワークが、ありとあらゆる色んなところで色んな人がネットワークを作っているんですけど、そこへ自分が行かないと、自分で電話をするにしても、相談しに行くにしても、とにかく自分が動かないとだめだっていうことがわかりました。
 病気になるとなんとなくへこんでしまったりとか、なんかこう弱くなってしまうんですけど、落ち込むだけ落ち込んだら、こんどは自分で歩き出さないと、自分が動き出せば色んな人が助けてくれるんですけれど、ただ立ってるだけではなかなか・・助けてもらいたいんだよってことをアピールすることを少なくともしないといけないんだなって思いました。自分がアクションを起こせば色んな人が色んなことをしてくれる、色んなことが動いていくっていうことが、本当にこの病気を通して思ったんで、色んなことをあきらめちゃいけないなということも感じたし・・そんなところです。

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診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 臨時適用職員として職場に戻って4年目に本採用の試験を一応受けて、たまたま通ったんですけれど、その時も、今度はもうちょっと健康診断はかなり重要なもので、神奈川県では月に1回、県の審査っていうのがあってそれに通らないと採用には多分ならなかったと思うんですが、それもまあ、嘘を書くわけにはいかないので、病名を書いて、やはり医師のコメントを書くようなところがあったと思うんですけれども、そこに仕事をするにあたっては差し障りがないというみたいなことを書いていただけたんで問題なく通りました。
 仕事を始めて困ることっていうのはあまりないんですが、一番最初に遠足の引率というのがあって、ちょっと心配だったんですね。なかなかトイレに行くっていっても、トイレがないわけじゃないんですが、トイレに行くって言っても自由に行けるわけじゃないんで、どうかなって、途中でトイレに行きたくなったら困るなって思ったんですけれど、緊張してたせいか、戻ってくるまで一度もトイレに行かずに何とかクリアーすることができて、ああ意外に大丈夫かななんていうふうに思ってたんですね。その後も遠足だったり修学旅行だったりいろいろあるんですけど、まあ何かかんか、トイレが一番心配なんですね、それ以外のことは全然今心配することは全くないです。

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診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 手術の後大変だったのが、(便が)水ですよね、最初出てくるものが、ほとんど水状なので、普通の健康な人でも下痢がひどいとお尻が痛くなりますよね、そういうことありますよね。それがとっても辛くて、それのために車で病院まで、車にナビがついていなかったんでよくわからないところを夫が道をわかっていたんで、夫に聞きながら行きました。診察を受けないといられないくらいしばらくは辛かったですよね、お尻の痛いのが。
Q:最初の頃は、手術が終わって最初のころはトイレに頻繁に行かれたのですか。
 退院してからはちょっと遠出はできませんでしたね。本当に何回くらい行ってたんだろう。もう、何か飲んじゃうと、口に、お腹に入れちゃうと、トイレっていう感じで、どれくらいだったんだろう、多分20回くらい行ってたんじゃないかと思うんですけど。徐々に徐々に良くなってきて半年くらいで、ちょっと簡単なパートに行ってたんですけど、半年くらいでパートに戻って、1年後に今の職場に行けそうな気がして復帰しました。

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 外科に入院したら、狭くなっているところを切ると人工肛門になります、肛門に近いから人工肛門になりますといわれて。えーってびっくりしたんです。切らないで何とか考えましょうということで、お医者さんたちが考えてくれたのが、風船を入れて膨らませるということで、管の先に風船って言っても、ごく柔らかい素材でできている袋みたいなものがついていて、それをお尻から入れるんですね。多分空気を送り込んで、中でそれを膨らませて直腸を広げるという処置だったんですけど、最初は麻酔をかけるから大丈夫だよとおっしゃったんですが、麻酔をかけちゃうと腸管が破裂、破裂と言ったかとにかく無理して広げたら切れちゃうんで、そうなっちゃうといけないんで、麻酔はかけないで痛みを感じる状態でやりますって言われて、本当にものすごく痛くて辛かったんですね。それをこれから毎週やりますということで、週一で多分半年くらいやったと思うんですけど、結構辛かったです。でもそれでも人工肛門になるよりいいかと思ってやりました。最初は小指が入らないって言われたくらい細かったんですが、男の人の人差し指が入るくらいにまで広がって、それで一応その治療は中止になりました。

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 薬を飲み始めたのが8月の半ばで、その時はサラゾピリンという薬だったんですけれども、これはアレルギーが出る人がたまにいるから、最初は半分の量づつ飲んで、大丈夫だったら全量飲んでくださいって言われたんです。それで半量飲んでも何でもなかったので全部言われた通り飲んだのですが、発疹ができて、でもその発疹がその薬と結び付けられなくて、わからなくて、なんで蕁麻疹かなと思ったんですけど、そしたらある日突然高い熱がでて、なんだろうと、初めて40度の熱だったんですけど、近くの病院に、これじゃあということで入院したんです。理由はよくわからなくて、理由はよくわからなかったけれども取りあえずおさまったので退院してきたんです。それが8月の終わりだったんです。その後3週間くらいでまたすごい急に熱が出て、また同じ病院に行って、そしたら結局その薬のアレルギーだったということが分かって、こんな薬飲んじゃダメと言われたんですが、まあ仕方がないですから、お腹の方の先生にその話をしたら、じゃサラゾピリンは止めましょうということで、

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診断時31歳、インタビュー時50歳(2012年3月)関東地方在住。長年にわたる内科治療と数回の入院のあと手術をし、現在は元気に小学校の教員をしている。家族構成は夫と娘、息子、夫の両親の6人家族

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 始めて聞いた病気だったし、自分に痛みもなにもないので軽く考えていたんですが、先生の方が日常生活はおくれますからとか、なんかすごくこう、大丈夫です、大丈夫です、みたいなことおっしゃって、なんだろうなと思ったんですが、その時に医療費の受給者証を貰えるからという話があって、なんなんだろうとは思ったんですけど、仕事もしてましたし忙しくて申請をするのも結局次の年の1月ころになってしまったんです。
 そんなにその時は深刻に考えたわけでもないし、薬を飲んだらすぐによくなっちゃったという感じなんですが、その時に先生からやたら内視鏡の検査をしながら、「お子さんはいますか」とか「何歳ですか」とか「男の子さん、女の子さん」とか聞かれて、なんでこの先生はそんなことを聞くのかなと思ったら、検査が終わった時、「お子さんは一人いらしゃればもういいですね」と言われて、そういうようなことを言われて、いやそれは困る、まだもう一人生むつもりでいたんで、「先生それだけは困る。もう一人どうしても生みたい」と言ったら、その先生が「じゃ、内視鏡検査で様子を見ながら大丈夫な時があったら生みましょう」みたいなことをおっしゃってくださった。

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 31歳の時に今でも覚えているんですけれど、出血をしてたんですが、ん、何かなって思ったんですけど、もしかしてこういうのを痔かなと思ったんですけれど、その時はそれ1回きりで何ともなくて忘れちゃったんですけど、その後しばらくして、トイレに行ったときに粘液がでるような感じとか、規則的にお通じがあったのが、朝しかなったのが夕方ころもう一回行きたくなるようになって、でも痛みもないし辛くもないのであまり気にしていなかったんですけど、ちょっと変かな、なんか変かな、なんか変かな、ということで、1月に初めて出血に気づいたんですけれど、その出血も1回きりだったんですけど、実際に病院に行ったのは7月でした。で7月にたまたまかかった先生が後から考えたら、割合に潰瘍性大腸炎について詳しい先生だったようで、1ヶ月後に内視鏡検査をしましょうといわれて8月の半ばに潰瘍性大腸炎という病名を言われたんですけれど・・