NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

KT-13 プロフィール

診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 そうですね、まず潰瘍性大腸炎っていうふうに診断された時に、自分は、軽かったのでその病気についてあまり調べなかったというのがあって、お医者さんも、当時のお医者さんですけど、軽かったから、そんなに深刻に言うと多分真剣に考えちゃうからだと思うんですけど、おっしゃってもらえなかったので、あの時に、なんだろうな、ちゃんと病気について理解しておけば、坂道を転がるように悪くなることはなかったんじゃないかなって思っていて。だからもし診断されたら軽かろうが重かろうが、基本的には自分の病気のことを自分でお勉強するのが大事かなと思います。だからといっていろんなことを諦めるんじゃなくて、基本的には前向きな気持ちは残したほうがいいんじゃないかなっていうのが自分の経験上の言えることかなと思います。
 なんか、先生たち、お医者さんからいろいろ言われた言葉で残っているのが「やっかいな病気になっちゃったね」とか「この病気は長く患うと自信とかを無くさせてしまう病気だからね」とか、そういうことを言われてどんどん落ち込んじゃったりするんですけど、そうじゃなくて、なんていうんですかね、今を一生懸命生きるっていうのが一番大事なんじゃないかなって、今自分の出来る範囲内ですけど、で自分のやりたいことを探すっていうかそれが大事なんじゃないかなって思いました。

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診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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Q:お子さんがいらっしゃるということで出産をされたんですけれど、出産されたときは寛解状態の時に出産されたということであんまり病気の影響はなかったということですか。
 寛解だったんですけれど妊娠して少しやはり悪くなったんですけれども、重症までは全然いってなくてまだ軽症とか中等症とかのレベルでそれも直腸型だったと思いますので、そんなに出産の時にだからといって食事制限をするとか、出歩かないとか、そういったことはなかったですね。なので薬も先生曰く、ペンタサっていう薬は出産には影響がないっていうふうに聞いてたので途中まで飲んでて、でもちょっと心配だったのでそんなに重くなかったからペンタサを自己判断でやめてましたね。
Q:出産後ですね、体調が変化したってことも特になかったですか。
 出産後は、そうですね出産後は出産前よりも良くなりましたね。そんなに潰瘍性大腸炎で悩んだということはなくて、むしろ仕事も休んでいるし向かう相手は自分の生まれた子供しかいなくて、核家族なので特に子供のことだけやってればいいみたいな感じがあったのでむしろ穏やかな生活を繰り広げていました。

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Q:あとご主人が非常に協力的でいろいろやってくれたというお話なんですけど、その病気のことについて、手術を決断したときなど特にそうだと思うんですけど、どういうようなお話をされました。
 まず病気に関しては、自分がこんなふうになって申し訳ないっていう、良心の呵責っていうんですかね、なんかこう自分の中にあったのは事実で、なにも勿論できなくなってくるし、ただ、彼はそこらへんは淡々としていて「なったものはしょうがないじゃない」っていう一言を受けて、内科入院して彼の多分目標の一つに毎日見舞いに行くみたいなのが多分その時あって見舞いにだけは結構来てくれて、なので・・一度「こんな弱いお嫁さんいらないよね」って聞いたことがあって、そしたら「そんなこと思ってないよ」って言われて、「あなたはこどものお母さんでしょ」っていわれて「いらない家族はいないよ」って言われたのがちょっとこうジーンってきたのがありまして。
 あとは大腸手術するっていう話になったときも、周りが騒いでいるほど本人はあんまり騒いでなくてそれは今、今後こう自分の家を運営して行くじゃないですけど、「今大腸の手術って必要なことだよね」って言われて、「それに伴って失うものもあるとは思うけれどタイミングは今だよね」って言われたので、一緒に多分「どうしよう、どうしよう」ってなってたら大変悩んで決断できなかったと思うんですけど、そこは彼が結構あっさりポジティブに言ってくれたので決めれたところかなと思いました。

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 潰瘍性大腸炎が悪化してくると貧血もひどくなって、常にだるい状態で、帰ってくると本当にすぐにでもベッドで横になりたいという状況だったので、子供もまだその頃保育園に行って小さかったので毎日の食事を作る、それがもうとにかく苦痛で。あとは土日に自分はどこにも連れて行ってやれない。その分主人が連れてってはくれるんですけれど、なんか良心の呵責っていうか常になにもかまってやれてない自分、みたいな、そういう罪悪感みたいなのは正直あったんですけど。ただ、娘も毎日そういう私の生活を見ているのでわがままはあんまり言わなかったし、保育園で3歳の時に初めて、よく洗濯物とかをするんですけど、干して乾いたものをたたむ余裕がなくて、ソファーの上に山のようにうずたかく山のように積み上げてとかしてるのを、子供が畳んでるのをみてびっくりして。
 あとは小学生になってすぐ、それこそまだ5月とか子供もまだ小学校に慣れてないという時に、仕事をして帰ってきたらご飯が炊けてたっていう、「ご飯炊いてくれたんだ」ちょっとびっくりして、にわかに信じられなくて、本人疲れてソファーで寝てたんですけど揺り起こして「ご飯の匂いがするんだけど誰が炊いたの」って聞いちゃうぐらいちょっとしっかりしすぎた子供になっちゃたんですけど。ただ入院してる時は保育園の4歳だったかな、内科入院のとき4歳で、うちの母に連れられてちょいちょい見舞いに来てくれたんですけど、見舞いに来てくれる時はにこにこ笑顔で来るんだけど、帰りに「ママがいいママがいい」って、泣いて帰って行くっていうのをよく見て、それもちょっと心にしみるものがあって看護師さんとかにも「今日廊下で泣いてる子がいたよ」っていう報告を受けて、ちょっとそこはかわいそうだったなっていうふうには思いますね。

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 家族との関係ですけれど、まず自分自身の実母がベーチェット(注1)をやっていたので、潰瘍性大腸炎になったという話を、独身の時になったんですけど、すごく理解してくれて、日に日にこう、なんて言うんですかね、体調の波があることとか、そういったことをすごく理解してくれたし、食事も比較的和食中心のものがいいとか多分わかっていて、なんて言うんですかね、同じように病気を、同じくらいの年から患っていたので、母も。なのでそこは理解が得られたのですごくよかったと思う。
 結婚してからの主人もすごく淡々としてるんですけどめちゃくちゃポジティブなので、こう、なんて言うんですかね、一緒に落ち込むこともなく淡々と、今何をやらなければいけないのかっていうことをまとめて説明してくれて、後、主人の父親も難病を患っていたのでこれまた主人もある程度理解があったので、そこについては非常に助けられたと思います。入院することになった時も母も遠方から数ヶ月間フォローに来てもらえたりしたし、主人も何もできない人ではなくて、お料理はする人なので、後子供の面倒は本当に赤ちゃんの時からすごく見る人なので、そこだけは非常に助かって良かったなと思います。やっぱり、家族の理解があるのが一番必要なことなので、すごいそこは素晴らしかったなと思います。
(注1) ベーチェット病は口腔粘膜のアフタ性潰瘍、外陰部潰瘍、皮膚症状、眼症状の4つの症状を主症状とする慢性再発性の全身性炎症性疾患。

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 手術の時に、最初はお腹の中が痛いんですけど、どこが痛いかわからないんですけど、お腹の中が痛い。だけどだんだん、2週間で退院させられるんですけど、外科は。最後の方はおそらく肛門のところ、直腸と小腸を繋げてる辺り、肛門から奥2センチくらいかなというようなところがすごい痛くて、痛いので朝とか寝るのも座るのも微妙に辛い感じなので、かと言って夜うろうろうろつくわけにも看護師さんに怒られるのでできないので、3時か4時くらいから円座のクッションを抱いてデイルームっていうんですかね、みんなでお話しできる団欒部屋みたいな所に行って一人で夜を明かすっていうことが結構ありましたが、でもそれも1ヶ月を超えるとなくなってきて、そうですね痛みはそこでなくなったと思います。
Q:トイレの回数なんかは術後どういう状況でしたか。
 手術してすぐは便管っていうのが、肛門のところから付いていてそれが1週間くらい付いているんですけど、それを外すと15回から20回くらいお手洗いに行きたくなるんですけど、なんかその肛門のところの痛みが、奥の痛みがあるのであんまり踏ん張るとそこが切れちゃうんじゃないかと、破裂したらどうしようとか、なんかそう思ってちょっと我慢するっていうか、感じで過ごしました。やっぱり20回くらいが3ヶ月くらい続いた気がします。でも徐々に家にいると20回くらい行っちゃうんですけど、外に出かけるようにしまして、外に行くとトイレ探すというよりも他のことに気が向いているのでトイレに行かなくてもトイレのことを忘れるじゃないですけど、なので回数がどんどん減ってきて、最終的には7回から8回、調子が悪かったら15回みたいな感じで、そうですね回数的にはそんなところですね。今も術後半年くらいなんですけれど職場に復帰したので仕事しているときはそれこそトイレ行くことを忘れてるのか、それとも我慢してるのか今一自分ではわからないんですけれど、今5回くらいですね。

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 手術の方法についてなんですけど、IACAっていう、なんていう名前だったかな、回腸嚢肛門管吻合術(注1)っていう難しい名前がついているんですけど、大腸は全部摘出するんですけど直腸のところを1センチ位残して、そこに小腸を繋げるっていうような手術をしていただきました。先生がすごく上手な、手術が上手な方だったのでトラブルもそんななくて、まあ痛いのは痛かったですけど、すごい術後の経過は非常に順調でした。
 手術で入院してた時にあったことなんですけど、手術当日は朝8時半に手術室に行ってそこから夕方の4時くらいまで記憶がないんですけど夕方の4時に目が覚めたときに全く痛くなくて、すごいなと、これはすごいと思って、本当痛くないんだって思ってたんですね。麻酔は全身麻酔とあと脊椎のところに麻酔をいれる硬膜外麻酔とあと点滴で痛み止めをいれるっていう、この3つで手術をしてもらったんですけど、本当に当日は全く痛くなくて、それこそスマートフォンでメールとか見れちゃう。このまま楽に過ごせるんだすごいなと思っていたら、手術の翌日の朝8時に目覚めて、あれ、なんか痛い気がする。気のせいかな、いや気のせいじゃない。これおかしいみたいになってきて、ものすごい激痛が走って、でもお腹の中を切っているのは頭ではわかっているので、のたうち回るにものたうち回れない。動くと中も動くから痛いかも知れないと思ってうんうん唸って、恥ずかしい話この歳で部屋でしくしく泣いてたらその日の担当の看護師さんがやってきて、体温とかを計る。たまたまその子が来た時間は点滴の痛み止めもなにも打てない、1回打ったら5時間くらい間を開けないといけないので、なにも看護師さんとしては手助けできない時間帯に来た時に私が泣いているのを見て、私のために泣いてくれてというか泣いてて「何もできなくてすみません」みたいな事を言っている声が泣き声だなと思って、ふっとその看護師さんの顔を見たら泣いてくれてたから、私のために泣いてくれる人がいるんだと思って、そこから私は痛みじゃなくて感動して、この看護師さんのために私頑張ろうと思って、その日翌日から歩かないといけないんですけど、癒着しないために、ナースステーションを1周と言われて、めちゃくちゃ嫌だったけれど頑張ってこう歩いてその日から毎日毎日ナースステーションの周りを歩くようにしました。
(注1) 回腸嚢肛門管吻合術は潰瘍性大腸炎の全摘手術の代表的なもので、回腸嚢を肛門管と吻合して肛門管粘膜を温存する術式である。そのほか粘膜を抜去する回腸嚢肛門吻合術や人工肛門を造設する術式などがある

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 (手術に関して)主人とも相談をして、QOLって言うんですか、生活の質っていう、めちゃくちゃ悪かったですし、仕事に行って帰ってくるともう寝たっきりだし、土日は寝っぱなしだし、家族でどっか行くとかもほとんどなかったし、そんな生活で今後いいのかっていう疑問もあったし、食事もほとんどなにも採れないし、食べてるもので固形物はほとんど受け付けなくて、エレンタールっていう名前の栄養剤があって、あれは不味くて飲めないっていう人がたくさんいる中、私は何げにそんなまずくないじゃないみたいな感じで、エレンタールと後経口補水液を飲んで生活しているような状態だったから、それじゃまずいと思ったのと、子供が今2年生で10年前に潰瘍性大腸炎やっててだんだん癌のリスクが高くなるよって言われて免疫抑制剤をこんなに3つとか併用してやってたので、こんなにやってるのは今後副作用が怖いなと思って、免疫をおさえてるから、勿論癌だってなるかもしれないし、そうなった時にそれでもいいのかなっていうこととか、
 後は核家族なのでもし手術を今後せざるを得なくなった時に子供がいて、核家族でフォローが必要なんですけど、自分の両親も主人の両親もだんだん高齢になってきてるので、フォローをしてもらえる期限っていうのが今なんじゃないかと、あとは特定疾患、今難病っていうことで潰瘍性大腸炎が入っているけれど、これもなんて言うんですかね、患者数が多くなってきたから今後どうなるかもわからないよねと。(注1)もし内科入院とかで2ヶ月、3ヶ月で特定疾患外されたらとんでもない費用かかるし、
 そういうことも全部加味して判断をしたものの、入院をしてそれでもすごく怖くて先生に「もし大腸全摘して開いてみて、先生たちは悪くなるから全摘って言ったけど、開いてみて実は中身がすごく綺麗だったらどうしてくれるんだ」って言って詰め寄って手術をキャンセルしようとしたんですけど、やっぱり外科の先生は淡々と、今までのデータから言うと、例え開いた時に綺麗だったとしてもあなたは数ヶ月後には悪くなると思います。ここは私を信じてください、というようなご説明を受けたので、その先生を信じて、その先生は信じられるなと思ったので、当日手術に挑むっていう決意をしました。
(注1)潰瘍性大腸炎は現在医療費助成の対象疾患に認定されているが、認定の条件の一つとして患者数が人口の0.1%(現在は運用で0.15%)以下であること、つまり希少疾患であるということがある。2014年現在潰瘍性大腸炎の患者数は16万人と言われており毎年増加している。

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 いろんな検査をして4日目くらいにようやく潰瘍性大腸炎が軽傷だったのに重症の、直腸型でなくて全大腸型になっているよと。これは大変だと言われて。ステロイド治療は嫌だと言って拒んでたんですけど、先生が言うには、もうそんな嫌とか、嫌じゃないとか言ってる場合じゃないから、ステロイド治療をやるよと言われて、そこから1ヶ月ちょっと入院をして絶食しました。そのおかげで体調は元に戻ってきたんですけど、4ヶ月間会社の方は休職させてもらって復帰して、ゆるゆる仕事を始めていたらまた、再燃し始めてそこからはいろんな免疫抑制剤(注1)を投与されて、最初はタクロリムスという薬から始まって、タクロリムスは結構効いたんですけど、やってたらその副作用で腎臓の機能が落ちてるから、これはダメだと。じゃあロイケリンっていう薬をやろう。ロイケリンをやり始めたらこんどは脱毛とあとは、なんて言うんですかね、顔にブツブツのようなものがいっぱい出始めてこれもだめだからイムランに変えようとか。で、イムランに変えたら変えたで、次はそれも余り効いてないから、ヒュミラという注射をする免疫抑制剤(注2)があってそれをやろうといわれてそれとプラスアルファで白血球除去療法というLキャップというのとGキャップ(注3)っていうのを両方やったんですけど、どっちも効かずに、いろんなことを2年間くらいずっとやって最終的にどれも効かなかったので、内科の先生に「あなたはもう手術対象だよ」って言われました。
(注1)免疫抑制剤は免疫反応を抑えることにより炎症を抑制するものでイムラン、ロイケリン、プログラフなどがある。最近は「免疫調節剤」という言い方もする。
(注2)ヒュミラは免疫抑制剤ではなく「生物学的製剤」レミケードも
(注3)白血球除去療法、正しくは血球成分吸着・除去療法といいLキャップ、Gキャップなどの方法がある

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 そのトイレに行きまくっているのは潰瘍性大腸炎が再燃しているって言われて、でもそれでもそんなには重くなくてしばらくそれで3年くらいそのまま生活してたんですけど、どうも良くならないしずるずる痛いままだし、でそうこうしているうちに熱が39度くらい出初めて、背中が痛くなってきて熱が出るのでロキソニンっていうお薬を飲むんですけど、ロキソニンを飲むから解熱はするんですけど、やっぱり翌日また39度の熱がでる、背中が痛い、おかしい、となって。でもまさか潰瘍性大腸炎だと思ってないので整形外科とか普通の内科とかに受診するんですけど原因はわからないので経過観察をしましょうと言われて、自分ではいったいなんの病気かわからなくて不安で、その時3週間ごとに潰瘍性大腸炎のお医者さんに会ってたんですけど、3週間後にようやくその先生に会えて、顔色を見て入院しましょうと言われたのが最初の重くなる最初の診断だったんですね。入院してすぐもわからなくて、原因が。わからないので4日目くらいに、いろんな検査をして4日目くらいにようやく潰瘍性大腸炎が軽傷だったのに重症の、直腸型でなくて全大腸型になっているよと。

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診断時32歳、インタビュー時42歳(2016年5月)女性 関東地方在住 内科治療をひと通り行ったが改善せず、手術をするなら今しかないと思い手術を決断した。術後は良好。ご主人と小学生の子供と三人家族。

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 ペンタサという薬を飲めば落ち着くよって言われて、それを飲んだら本当にすぐ落ち着いたので、潰瘍性大腸炎がどんな病気かも今ひとつよく分からず、そのまま、なんて言うんですかね、独身時代だったので好きなように生活をしていました。それこそ朝まで飲んだり、なんだろうその頃は合コン三昧とかで毎日飲み歩いたり、食べたいものを食べ、やりたい放題やっていて、
 それでその後結婚をして、地元が四国だったんですけれども首都圏の方に引っ越してくることになって、そこで仕事も引き続き異動させてもらって、新宿だったかな、で働いたんですけども、すぐ結構早く妊娠して出産して復帰してしばらくした頃からまたおかしいなというふうに自分で思い始めて、出社するまでにドアツウドアで1時間かかるかかからないかという距離なんですけれど、トイレを探し回るようになって、電車も途中で降りないといけない、冷や汗をかいてお腹痛いし、冷や汗をかいて降りてわかんない駅でトイレを探すようになり始めたので、これはおかしいと思い始めて、病院に行きました。