このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
Q:この手術をされたことが、ご夫婦の生活、性生活に影響したということはありますか。
それはないと思いますね。もちろん、手術したあと、1日に30回も40回もトイレ行かなきゃいけない。要するに、常に便意を感じているような時っていうのは、そういう気には全然なれないわけですから影響はあると思いますが、それは他の病気と同じで、その間はもちろん違いますけれども。通常の生活ができるような状況になった場合には、そういう影響はないと思いますね。
ただ、人工肛門に関してはあると思います。ですから、人工肛門に関しては、私はトータルでも1年しかやってませんでしたので詳しくはわかりませんけれども、ただ、例えば水泳なんかでもできるんですね。人工肛門してても。ですから、温泉入ったりとかもお風呂入ったりとかもできるんですけれども。そういう用に、ちょっと小さめの人工肛門もあるんですね。そういう物を使えば、何て言うんですかね。そういう夫婦生活もできるという話は聞きました。ただ、人工肛門を外してしまったあとは、これはもう全然問題ないと思います。
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
それと、もう一つ。一つあるとすれば、私は暇だったので、便の回数を記録したんです。1日、正の字を書いて、それをグラフにして、日々の折れ線グラフにしたんですね。それと1週間単位の1週間の平均を出して、それもグラフにしたんですね。そうすると、日々のグラフっていうのは、特に最初の頃は、30回が次の日25回になって次の日また35回になってとか激しく動くんですけども、1週間の平均で見ると確実に右肩下がりになるんですね。もちろん、若干増えることもあるんですけれども。殆ど右肩下がりになってました。それ、あとでわかったことなんですけれども、確実にやっぱり減ってるというのが、目で見て途中まで来たらわかるわけですね。
で、そういう回数を付けてグラフを作って、そういう作業をやることによって、ああ、これはあと1ヶ月経てばこの辺まで来るなとか、そういうこともできますので。そういう、あの記録を付けたのは良かったかなと。それから、あと、本当に苦しい時は文章を書くこともできませんでしたし、本を読むっていうのも集中できないので殆ど読めなかったですし、テレビを観るのも辛かったですね。一番楽だったのは、やはりラジオですね。ラジオをよく聞きましたね。なので、何か記録を残すことはできなかったですけれども、多少落ち着いてからは、ある程度、記録を残すようにしました。薬の量とか、それから、便の回数は最初から付けてたんですけれども。あと、身体の調子ですね。これも、やっぱり、日々を見ると良くなったり悪くなったりあるんですけれども、やっぱり1週間単位とかで見ていくと確実に良くなってる。その辺、今日は調子良かったとか、日記的に記録を残すと、今日、鍼を打ったとか、あんまり効果なかったとか、そういうようなことをある程度、記録に残しました。あとになって読み返すと、ああ、こんなことだったんだなというのがある程度わかりますし、それは、最終的に、いわゆる闘病記のような形にして患者会の会報にも載せてもらったりとかしたんですけれども。ほかの方の参考になるかならないかはちょっとわかりませんけれども、自分自身では、やっぱり、そういう記録を残したっていうのは良かったかなと思ってますので、皆さん、ほかの方にもそういうことをお勧めしてはいます。
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劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
Q:やはり、この病気、特にその術後の状態だと思うんですけど。一番辛かった。それがやっぱり自己イメージって言うか、そういったものにも大きな影響を及ぼしたっていう風に感じられますか。
自己イメージっていうのはどういう?
Q:自己イメージって言うか。自分の自信とか、あるいは男性としての自信とかっていうような部分に何か影響があったと思いますか。
そうですね。そういう風な考え方をしたことはないのでよくわからないですけれども。そうですね。今まで、それまでの病気するまでっていうのは、割と特に大きな病気もしなかったですし、社会生活の中で大きな挫折とかそういうことを経験したことはなかったものですから。いわゆる順調に来たというか。大きなトラブルもなく生活してきましたので、そういう意味ではちょっと考え方が変わったかなという部分はあるかも知れませんね。
Q:変わったというのは。
うん。やっぱり、色んなことが、人生には色んなことが起こるんだなと。(笑)確かに、手術っていうのは大変だったし辛い経験ではあったんですけれども、そのこと、病気をしたことによって、今まで会社人間って言うか、普通、日本人の平均的なサラリーマンと同じように、会社の生活が殆どだったんですね。病気をしたことによって、家に一時いる時間もあったりして、その時に、私、今、マンションに住んでるんですけれども、そのマンションの人たちと交流ができたり。それから、一番大きいのは、患者会という今まで経験したことない組織というか、人間関係ができたりしましたし。で、その患者会を通して、また更に色んなところで人とのつながりができてきたり。
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劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
Q:それは、その復帰しようと思えたのは、回数が減ってきてそろそろ大丈夫かなっていう判断ですか?それとも、例えばお医者さんと相談されてっていうようなことだったんでしょうか。
いや、もうお医者さんは、仕事して良いとか悪いとかっていう状況ではなかったので、お医者さんからは特に何も言われませんでした。要は、最初1ヶ月ぐらいでちょっと会社行ったんですね。で、行ったんですけれども、仕事にならないんですね。もう1時間おきぐらいにトイレ行かなきゃいけないし。それから、普段の時も、もうやはりトイレのことが気になっちゃって仕事に集中できない状況なんですね。それと、やはり動き回るのが駄目なんですね。動き回るとどうしても便意が出て来てしまうので。じっと座ってる分には割といいんですけどね。でも、いくら事務職とはいっても、やはり、会社の中であっち動いたりこっち動いたりしますよね。ちょっと書類を取りに2~3歩動くという。そういうのも辛いんですね。なので、ああ、これはちょっと仕事にならないなと思って、もう一度休ませてくださいっていうことで、そのあとまた2ヶ月ぐらい。
(その後)何とかなるかなっていう時に、最初はだから半日勤務でスタートしたんですけども。私の場合は、午前中が割と調子良いんですね。朝トイレ行って、そのあと、お昼を食べるぐらいまでが割と安定してたものですから、最初の頃は、その午前中だけ行って午後帰ってくるというようなところからスタートして。それで、最終的にフルタイムで戻れたのが3ヶ月ぐらい経ってからというような状況でしたね。
Q:ということは、その半日っていうのがどのぐらいの期間ですか。
半日っていうのは、そうですね。2週間かそこらでしたかね。
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劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
Q:この病気になられたことで、ご家族との関係とかご家族がどのように受け止められたかとか、ちょっとお話いただければと思うんですけれども。
そうですね。この病気は、なかなか周りから見てわからない病気だと思うんですね。また、痛いとか熱が出るとかっていうことではないので、たぶん周りの人はなかなか理解しづらいと思うんですね。私の場合も、うちの女房は専業主婦なので、退院してからしばらく家にずっと居たんですけれども、面倒見てくれたんですけれども、やっぱり、最初の頃は特に、私も何て表現したらいいかわからないですね。苦しいんだけども痛いっていうのとも違うんですね。すごい便意が常に24時間って言うか。起きてる間は常に便意を抱えて、ああ、トイレ行きたいんだけれども行っても出ないだろうなとか思いながら。そういう状況なんですね。だからそれをどうして欲しいの?っていうのが自分でもわからないわけです。どうしてもらったら、例えば、背中をさすってくれたら楽になるとか、頭冷やしてくれたら楽になるとか、そういうのがないんですね。ですから、自分でもどうして欲しいってなかなか言わない。言えないので、家族もどうしてあげたらいいのかわからない。でも見てると、とにかく苦しそうで辛そうなんだけども何にもしてあげられないっていうような状況が、特に最初の1~2ヶ月続いてまして。
結局、会話がだんだん少なくなってしまう。たまにはやっぱり運動したほうがいいんじゃない?運動って言うか、外、散歩ぐらい行ったほうがいいんじゃない?とか言われて行くんですけれども、駄目なんですね。もう100メートルも行かないうちに戻って来てしまって、もう家にずっと閉じ籠もってる状況でしたから、会話もどんどん、どんどん少なくなる。その時に、女房がついにキレて、何か言いなさいと。(笑)何にも言わないんじゃわからないと。何かやって欲しいことがあったら言ってちょうだいと。私もその時に、ああ、そう言えば何も言わなかったなというのを感じて、それから色々話をするようになりました。
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
そうですね。もう本当にその時は、人工肛門に戻してくれと言って先生に何度か泣きついたこともありましたね。先生は、もうちょっとすれば良くなるから、もうちょっと我慢しましょうというようなお話だったんですけれども。ただ、現実に、どうしても上手くいかないとか、それから、特に、つないだところが上手くつながらなくてそこからまた炎症を起こしたりとか、そういう場合には、また人工肛門に戻すという人も実際にはおられるらしいんですね。ただ、トイレの回数が多いから人工肛門に戻すというようなケースは今までなかったということで、もうちょっと我慢しなさいということは言われたんですが、じゃ、いつまで我慢すればいいの?っていうのがわからないわけですね。
その時、たまたま、患者会を紹介していただいて、今、そこの患者会の役員もさせていただいてるんですが。その時に、たまたま私と似たような症状の方がいて、私の3ヶ月ぐらい先をいってる方がいたんですね。その方を紹介してくださって。電話をして話を伺ったんですね。そしたら、私がこんな状況で、非常に、今、苦しいんですっていう話をしたら、その方が、もう、あなたがおっしゃることはとてもよくわかりますと。もう、まさに私も3ヶ月前、そういう状況でしたと。だけども、今は回数も徐々に減ってきて、もう苦しい状況を今、脱したところです。あなたもあともうちょっとですから、がんばれば確実に良くなりますという話をしてくださったんですね。それが非常に何て言うか。自分にとって勇気を与えてくれたと言うか。もうちょっと、もうちょっとだという気持ちにさせてくれましたね。
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劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
2回目の手術のあとは、この時は、腸閉塞をおこして、これが結構苦しかったですね。2週間ぐらいかかったと思うんですけれども。やはり、手術の回数が増えると癒着も多くなるらしいんですね。ですから、1回目の時は何にもなかったんですけれども、2回目の時に腸閉塞おこして。これ、2週間ぐらい、結構、苦しい思いをしたんですけれども。3回目の時も、やはり腸閉塞をおこしまして。これが、術後ちょっと苦しかったですね。2回目の時も人工肛門にしたので同じ状況だったんですけれども、最後に直腸とつないで自然排泄ができるようになって、このあとが、ちょっと苦しい時期がありました。というのは、便がなかなか上手く出ないんですね。どういう構造になってるのかはちょっとよくわからないんですが、とにかく、便が出そうな感覚はあるんですけれども、トイレに行ってもなかなかスッと出ないんですね。ちょっとしか出ないんですね。で、トイレから出てくるとまた行きたくなる。で、我慢していると、やっぱりちょっと漏れてしまうような状況で。もうそのトイレの回数としては、もう1日にそれこそ30回、40回。殆ど、もう、トイレから5~6メーターぐらいしか離れられない。
24時間、トイレにへばりついているみたいな状況が3ヶ月ぐらい続きましたかね。それで、もちろん、その間に病院行って色々検査をしてもらったり、それから、肛門括約筋の訓練をしたりとか、それから、もう、鍼とか灸とか、鍼の先生のとこも行って、鍼打ってもらったりとか、色んなことしました。結局、時間ですかね。時間の経過とともに、やはり、手術したあとが上手く適応してきたんですかね。だんだん、便の回数が少なくなってきて、便が割とスッと出るようになって、回数が少なくなってきて。
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
それで、1回目の手術の時は初めての人工肛門だったので、人工肛門というと非常に何かおどろおどろしい感じがするんですけれども、確かに非常に不思議な物ですね。経験した人じゃないと、当然わからないと思いますけれども。ただ、私にとっては、何て言うんですかね。排便を我慢する必要はないですね。なので、社会生活を送る上では非常に便利な物ではありますね。ただ、やはり、私の場合は、2日にいっぺん、そのパウチと呼ばれる袋状の物を、これをお腹にくっつけるんですけれども。人工肛門そのものは、小腸を、お腹を切って小腸の先端を外に出すんですね。何か、でべそみたいな感じになるんですけれども。そこから便が出るので、それを受ける袋をお腹にペタッと貼りつけて、袋をくっ付けるんですね。で、その袋を、もちろん、そこがいっぱいになった場合には、それをトイレ行って出して、で、また封をするという形になるんですけれども。
その袋自体を2日にいっぺん取り替えなきゃいけないんですね。それをシャワーを浴びた時にやるんですけれども、これが慣れないと結構大変なんですね。慣れてしまえば、それでも10分ぐらいかかるんですけれども。その手間とかっていう、それは大変は大変なんですけれども。ただ、便を我慢しなくていいという、トイレに駆け込まなくていいという意味では、非常に便利なものですね。ですから、今でも、たくさん人工肛門付けてらっしゃる方、ほかの病気でもおられると思うんですけれども、私もそれをやってる時は、慣れてしまえば、そんなに大したことないなというのはありましたので。比較的、1回目の手術と2回目の手術の間、人工肛門やってましたけど、それほどの苦痛はなかったですね。
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
はい。1回目は大腸を全摘して、1回で終わる手術の場合には、そのまま小腸でJパウチというのを作って、で、小腸とその肛門近くの直腸とをつないで終わりなんですけれども、いきなりつなぐと、万一そこが、つなぐところが漏れたりした場合には大変なことになるということで。私の場合、1回目は全部、大腸を切除して人工肛門にしたわけですね。ですから、小腸の先端をお腹から出して人工肛門にしました。それで、最初の手術が9月で、2回目の手術が翌年の2月だったんですけれども、2回目は何をしたかと言うと、小腸を使ってJパウチという袋を作ったんですね。この時に一緒につないでしまうという選択もあったらしいんですけれども、それはお医者さんの判断で、もう一回、もうワンステップおきましょうということで、その時も人工肛門にしてつながなかった。で、最終的に、3回目の時にその人工肛門を外して直腸とつないで自然排泄ができるような状況にしたというのが3回目の手術ということですね。それで、1回目の手術の時は初めての人工肛門だったので、人工肛門というと非常に何かおどろおどろしい感じがするんですけれども、確かに非常に不思議な物ですね。経験した人じゃないと、当然わからないと思いますけれども。ただ、私にとっては、何て言うんですかね。排便を我慢する必要はないですね。なので、社会生活を送る上では非常に便利な物ではありますね。
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
ええ。潰瘍性大腸炎の場合、幾つかの型がありまして、私の場合は、全大腸型といって、大腸の全体に潰瘍ができているということで、更に劇症型ということで、相当。内視鏡検査をやったんですけれども、私もちらっとだけ画面を見ましたけれども、相当程度、重症だったということで。普通ですと、割と軽めの薬からですね。ペンタサとか。そういう軽い薬から入るんですけれども、私の場合はもう最初から重症だったので、プレドニンという強い薬ですね。ステロイドの。それも相当大量にですね、点滴でスタートしたということです。そのプレドニンの治療が始まったんですけれども、なかなか下血が止まらずに、そうですね。1日3時間おきぐらいにトイレに行くというような状況で。その都度、下血があってですね。当然、食事は一切取らずに点滴で治療を続けてたんですけれども、ついに貧血で倒れまして。
そのあと、ですから、輸血もやりました。確か、3日間ぐらいに分けて900CCぐらいを輸血してもらったと思います。そのあと、これは、その時は自分では知らなかったんですけれども、プレドニンよりもさらに強力なステロイドを、相当大量に、3日間ぐらいにかけて大量に投与されたようです。それはあとから聞いてわかったんですけれども。それが効果があったみたいで、徐々に出血が止まって、何とか点滴が外れて、おかゆから、全がゆから始まって、少しずつお米の量が増えていって、結局、7週間入院しました。
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
はい。4月に今の会社に入ったんですけれども、すぐに、その年の6月。だから、入って2ヶ月ぐらいで、再発、再燃してしまったんですね。それで、最初の時の状況よりは多少良かったんですけれども、でも、似たような状況になりまして。同じ病院に駆け込んだんですけれども、やはり、また即入院と。この時も、あまり、前兆は殆どなかったんですけれども、やはり、突然下血が始まりまして、それで、すぐに病院に行ったんですけれども、またすぐに入院ということで。この時は、4週間ぐらいで退院できたんですが、やはり同じ様な状況で、プレドニンの大量投与ということで、やっと出血を抑えて退院したというような状況でした。
Q:その最初の入院から、そのあと、その2回目の入院に至る間っていうのは、通常飲んでいるお薬とかそういったものはあるんですか。
その時は、もう薬は飲んでいませんでした。退院直後は、プレドニンを少しずつ減らしながら飲んでましたけれども、それがゼロになってからは便の状態も良かったですし、特に何も薬は飲んでいませんでした。
Q:そうすると、その再燃が起きたというその時にはどのようなお気持ちになられたでしょうか。
確かに、その時はちょっとびっくりしたというか。再発の可能性はあるとは言われてたんですが、どのぐらいの確率でどういう状況になったらとか、そういうことは自分でも考えてなかったので、まぁ、大丈夫だろうっていう、無責任な楽観的な感情持ってたものですから、実際に再発した時にはちょっとびっくりしまして。その時になって初めて、今のこの潰瘍性大腸炎という病気について自分で詳しく調べ始めたというような状況でしたね。
診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。
はい。潰瘍性大腸炎の場合、一般的には割と軽症といいますか、大体、下痢が続いたりとか、若干の血便が出たりとかっていうところからスタートする方が非常に多いんですけれども、私の場合、ちょっと特殊でして、ヨーロッパに仕事で出張に行ってる時に具合が悪くなりまして。ちょっと風邪のような症状だったんですけれども、ちょっと普段の風邪とは違うなということで、熱があったり、それから、ちょっと気分が悪かったり。ただ、お腹はそんなに痛くなかったんですけれども、とにかく気分が悪かったんですね。熱があって。それで、確か、スイスのホテルだったと思うんですけれども、どうしても我慢できなくなって、ホテルドクターに診てもらいまして、そこで薬を投与されたんですけれども。その日はそれでだいぶ気分が良くなったんですが、翌日、突然の大量下血がありまして、それで発病したと。
で、勿論、その時は何の病気だかわからなかったんですけれども。2~3日、そのままヨーロッパ出張続けて帰国して、即、近くの総合病院に行きましたら、即、入院で。それで、大腸の病気であるということはわかったんですが、そのあと、色々と検査をしまして、最終的に潰瘍性大腸炎という診断が下されたんですけれども。ですから、自覚症状と言いますか、大量下血があって、もう即入院、即潰瘍性大腸炎という診断がされたという。非常に珍しいケースではあると思います。