NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

HR-1 プロフィール

診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 いえ、その1回目、2回目が2011年の1月と2月に、ま、最初は足の方だけだったんですけども、しまして、それでも駄目だと、で、3月にまたすぐ肛門を取る手術、で、肛門を取るだけじゃなくて、そこら辺が、もう膿の巣が、結構細かいのがあったらしくて、そこら辺もう組織を全部取ろうと。話を聞いてるだけでもどんな手術なんだろうと、今まで経験してきた中で、まったく自分では想像ができない、で、まあ、やはりリスクも言われました。で、もうその辺の周囲の器官が、ま、男性としての機能の集中している部分だったので、もしかしたら子どもができない。ま、できないって言ったら変ですけども、あの、作れなくなると、その辺は覚悟をして置いてくれと。先生は簡単に言うんですけども、えっ、これからと思っていたところにそんなことを言われると、ますます不安になって。受けたくなかったんですね、その手術を。ただ、今のまま放置していたら、さらに膿が広がって、最悪左足を切り落とさなくちゃいけないというところまで言われました。肛門を取るか片方足をなくすか、ま、普通に考えれば、足はなくなってはいけない。肛門、肛門も大事なところだし、ただ人工肛門を付けているので、もう使っていないと。

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診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 12月の初めごろ、そしていろいろ検査をしていくうちに、これはかなりひどい状況だと、こういう症例は見たことがない、膿んでいることは確かなんだけども、普通は肛門周囲の膿瘍、ま、痔瘻ですね、で終わるんだけれども君の場合はちょっと変だと。で、まあ、MRIとか精密検査を何回もしまして、これは手術しかないと。で、まあ、排膿(はいのう)といって、膿を排出する手術をしなくちゃいけない。取りあえず足の方から手術でそこに管を入れて、しばらく排膿をしていこうと。で、まあ、後々、肛門を全部取らないと、駄目な状況になるかもしれないと言われてました。で、それが12月の終わり。で、年明けすぐ手術しようということになってたんで、その時にやはり、まあ、初回の手術と同じような感じなんですけども、後々、ま、肛門は取らなくちゃいけないんだなと。でもまだ先のことだとその時は思っていましたんで、まあ、その時も軽く、あ、じゃ、お願いしますと。で、1月に入りまして、太ももの裏を切開して管を入れて、少し楽になりました。

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 今現在同じ病気で悩んでいる方、あしたをどうしよう、この後の人生をどうしよう、まあ、あの、思い悩み過ぎてうつになったり、人生投げ出したくなったりすると思うんです、絶対に、ま、僕もそうでしたんで。ただ、常に希望は捨てないで前を向いていけば、必ずちょっとだけでもいいことがあると思うんですよ。で、ま、医学の進歩も目覚ましいし、新しい治療法や治療薬も出ていると。で、そこで自分をあきらめない、ただそれだけだと思うんです。
 普通の人でも簡単に自殺してしまう。ましてや僕ら、病気を持っている人たちは、あの、常に死というものに対して、ま、入院していれば分かると思うんですけども、常に、その、死ぬってどういうことなのかなと考えてしまうんです。昨日まで元気だった人が次の日もう亡くなられてしまう。もしかして僕もそうなんじゃないか、わたしもそうなんじゃないかと、絶対思うと思うんです。ただ、あきらめないっていう気持ちは、必ず心のどこかに持っていれば、まあ、今現在つらい思いしている方には、何言っているんだと思われるかもしれないですけども、いつか必ず、ああ、そういうときもあったなって、思えるときが来ると思うんです。だから決して、簡単な気持ちで自殺を考えたりとか、人生投げ出してっていうようなことをしてほしくないんです。これは本当に声を大にして、これからも、まあ、僕が元気であるかぎりは、あの、いろんなところでそういう言葉を発していきたいなと思っています。

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診断時:27歳 インタビュー時:44歳(2012年11月)北陸地方在住。発病後8年間の内科治療の後2003年に大腸全摘手術を受けた。その2回目の手術の後腹膜炎を起こし緊急手術となり、同時に人工肛門を閉鎖した。しかしその後も体調不良が続き最終的に恒久的な人工肛門にした。さらに2011年1月には肛門に膿がたまり肛門摘出の手術も行った。今は落ち着いている。妻と二人暮らし。

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 一日目、職場に行ったところ、まだ4月だったんで、まだ寒いんですね、工場みたいなところだったんで。体がやっぱり思うように動かなくて、お腹も痛くなるし、で、これはもうみんなに迷惑が掛かると思って、職場の人にちょっとすいませんと、用事が急に入ったので、今日はこれで早引けしてもいいですかと。で、たぶんかなり悲愴な顔をしてたんだろうなと思うんですけども、その職場の人は、ああ、じゃ、大変そうだからいいよと言ってくれまして、そのまま家に帰って、布団の中に入って体を休めながら、なぜか知らないけども、涙がポロポロ、ポロポロと。せっかく決まったいいチャンスなのに体が付いていかないと。
 で、気持ちとは裏腹にそういう体の不都合があって、どうしてこんなことになったんだろうと、一時間ぐらいですかね、泣きっぱなしで。で、夕方になって妻は帰ってきて、ただごとじゃないと、で、どうしたんだって言われて、また泣きながら、いや、実はこうこうこうで、たぶん無理だと、どうしようと相談したところ、あの、あなたの思うとおりにしてくださいと、体が大事ですからと言われて、結局次の日に、あの、社長さんのところに行って、申し訳ないと、体、やっぱり体が付いていきませんと、まあ、当然怒られました。大丈夫だって言ったじゃないかと言われたんで、もうその時も泣きながら、申し訳なかった、もうほんとにそれしか言えませんでした。

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 で、まあ、その今働いてるところも、何回も短い入院を繰り返してきたんで、そのたんびに上司に言うんです。「あまり僕はあてにならないので、この入院を機に、首にしてください」と、はっきり言うんですけども、「いや、君は良くやってくれているので、ゆっくり体を治してきてからまた職場復帰してください」と。ま、僕にとっては、すごいありがたくて理解のある職場で、で、それも何て言うんですか、仏の顔も三度まで、も、三度以上なんですけども。で、今回はちょっと長くなりそうだと、でもほんとにあてにならないので、あの、切っちゃってくださいと、解雇してくださいと言ったんですけども、いや、しっかり治療して、また戻ってきてくださいと言われまして。ま、その時また泣きましたね、ありがたくて。で、じゃ、あの、すいませんが、しばらく離れますと言って入院しました。

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 先生にも相談したところ、君はまだ仕事は無理だと言われたんですけども、やはり何か収入を得ないと生活が成り立たない。で、正社員にこだわってたんです。正社員の方が安定しているし、給料も高いし、でも体がっていうそのジレンマですね。そして何て言うんですかね、しばらくは職安に行く振りをして、妻には内緒で、で、ボーっと海を見にいったりとか、で、家に帰って、妻が帰ってきて、今日どうだったと、いや、なかなかいいところがなくてねっていううそを結構ついてましたね。
 ま、ほんとに行って探してもみたんですけども、やはりこういう体なので、なかなか条件に合った、自分の条件に合った職場がないと。で、でも妻には心配掛けさせたくないっていう、変なプライドもあったんで、ま、うそをつくしかないのかなという感じで、しばらく続いたんですけども、ある時に文房具屋さんに買い物に行ったんです。で、そこで中学の時の同級生に出会いまして。「今どうしてんの?」、「いや、実はこういう病気で仕事ないんだ」って言ったら、「ちょうど今、空きがあるから来てみないか」と言われまして、面接を受けたところ、じゃ、リハビリのつもりで、しばらく来てみませんかということになって、行き始めたのが今の職場です。

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 そうですね。まだ、その、大腸全摘する前は、どうしておれだけこんなことになるんだと、まあ、妻にも八つ当たりは何回もしました。で、ま、普通ならそこで離婚かなと思ってたんですけども、何かけなげにもじっと耐えて、ずっと黙って付いてきてくれたと。で、たまにそのころを振り返って言うんですね、まあ、いつでも見捨てれたんじゃないのと。こんな病人よりも普通の健康の人とって言うと、怒るんですよね。で、でも普通そういう考えなんじゃないのって言ったら、あのころのあなたは荒れていたと、でも自分で気付くまでは何も言わんって決めてたらしいです。で、何かそれを聞くと、ああ、やっぱり妻なしでは、おれは生きていけないんだなと、つくづく何かありがたいっていうか。人間って一人では生きていけないんだなっていう言葉ありますけども、まさにそうですね、妻の支えがあって、まあ、周りの看護師さんとか、職場の方の理解とか、先生の助けとかがあって、僕は生かされてるんだなと。

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Q:そうしますと、その退院した後ですね、えー、どういうような、あの、経過をたどって現在まで来てますか。
 はい。退院した後は、最初に考えていた明るい人生はなくて、まず下痢が一日約30回ぐらい、で、朝も昼も夜もトイレにこもりっぱなしで、で、夜中も寝れないんです。熟睡できなかったんです。でも一時間といわず30分おきに、うつらうつらとしたころに、お腹が痛くなってトイレに行って、20分ほどこもり、そしてまた布団に戻って寝ようとするんですけどもっていう生活が、約4カ月ぐらい続きました。で、その退院したときが12月ぐらいだったので、この北陸地方は冬は寒いんで、トイレも寒いんです。で、わざわざ電気店から赤外線ヒーターをトイレに付けまして、で、その20分間はそこで体を温めながらの排便という、ちょっと自分ではかなりプライドとかいろんな今までの経験とかが、崩れ去った時期でもありました。

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 そうですね。もう人工肛門の手術をしてから今現在で4年、もう人工肛門歴5年生です。交換についてはもう全然不安もなく、まあ、毎日の歯磨きとかお風呂に入るような感じで、まあ、言ってみれば生きていかなくちゃいけないからやっている。何て言うんですかね、仕事でもないし、義務でもないし、ごく自然に自分ではしてるつもりなんですけども、やはり心の片隅には、「どうしてこんなものを付けて、生活しなくちゃいけないんだ」という気持ちは消えてないです。ま、QOLは上がったので、差し引きゼロなのかなと、自分に納得させて生活しているという、そんな感じです。
Q:あの、具体的に何かこう人工肛門付けてることによって、その、不便なこととか、例えば、その、温泉に入ったりするっていうのは特に問題ないんですか。
 はい。温泉には入りたいんですけども、やはり人の目があるし、わざわざそんなところに行かなくても、普通のビジネスホテルで、シャワー浴びればいいじゃないかと。で、そんなに温泉好きでもないので、ま、そこは別にお風呂に入らなくても、シャワーだけというのは別に苦ではないです。ただ、やはり人目も気にせずにお風呂に入りたいなっていうのは、少しあります。ただ別に湯船に漬からなくても生きてます、生きていけますからね。そこは別に、あの、何でもないです。

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 その当時に、もうほんとにお腹の調子がひどくて入院したんですね。で、入院したときのその先生の宣告(一生人工肛門を付けなければならない)があり、どうしよう、どうしようと、で、その時は実質8カ月入院してまして、で、その間にも、どうするんだ、付けるのか、付けないのかという選択を、毎日のように迫られてまして。ある時に夜中ふと目が覚めたんです。で、雨が降っている。で、ちょうど窓際のベッドだったので、ふと起き上がって、窓の外を見ました。で、4階に入院してたんですね。窓の外を見て、ここから飛び降りたら楽になれるんじゃないかと、ふと思ったんですね。まあ、いわゆる『病気を苦に自殺』と、シナリオが勝手に頭の中で描かれていて。まあ、よくある走馬燈のように今までの出来事が頭の中で巡って、最後に妻の顔が浮かんで、まあ、いろいろ苦労掛けたけど悪いなと思って。で、ふと窓に手を掛けたんですね。で、今まで何回も入院していて、何回も開け閉めしていた窓なのに、20センチしか開かないということに、まったく気付いていなかったんです。そして、ま、ほんとにその時は死のうと思って、窓に手を掛けて開けたら、20センチしか開かないと、そこでハッとわれに返って、おれは何をしてるんだ。で、またそこで、その自殺を考えるまでの、今までのことが走馬燈のように駆け巡って、いや、こんなことじゃ駄目だって思いとどまって、またベッドに戻って寝た。

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 で、その後2回目の手術を受けまして、一週間ぐらいたったころに1回目の手術と違う痛みがお腹にあって、で、それを毎朝検診の、あの、回診の時に先生に、これおかしいんですと言ったんですけど、いや、数値は大丈夫だから、それが一週間ぐらい続いて、でもやはりその痛みがだんだんひどくなってくんですね。で、痛み止めを打ってもらっても治らないと。で、先生、やっぱりおかしいですと、きちんと検査してくださいときつく言ったところ、取りあえずCTとMRIを取りましょうと、
 検査したところ、「いや、申し訳ない、腹膜炎になっている、すぐ緊急手術をしなくちゃいけない」と。で、これが3回目の手術になるんですけども。1回目は取りあえず痛みとかも乗り切り我慢できて、で、2回目の手術も、ま、術後すごい痛い思いをしたんですけども乗り越えたと。で、2回目の手術から2週間しかたっていないのにまた手術って言われて、やはりそこはちょっと怖くなりまして、直前まで、僕、同意書にサインしなかったんです、それはできないと、怖いと。ただその時の腹膜炎って言われたときの、腹膜炎の知識も全然なかったので、いつでもいいじゃないかと言ったところ、いや、これを放置しておくと、中で膿が広がって君は死ぬと言われて。ま、結局最後まで同意書にサインする気持ちはなかったんですけども、もう切羽詰まっているからと言われて、まあ、渋々同意書にサインして、腹膜炎の手術を終わり。

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Q:その手術の前に、お医者さんにどういう説明を受けたかというようなこととか、具体的に手術は、どういうふうに、な手術をされたのかとかその辺のところを、もう少し詳しくお話しいただけますか。
 はい。先ほども言いましたけども、大腸を全部取ってしまえば、その疾患部分がなくなるので取りましょうと、で、もう大腸はボロボロですと言われて、一応妻とも相談したんですけども、いや、体が楽になるんなら、多少のリスクはしょうがないと、で、その術後にかけましょうということで、一応先生のきちんとした説明の後、承諾書にサインをして手術をしました。
 で、その手術っていうのが、3回に分けて手術をしようということになりまして、で、1回目の手術が終わった後に、一時的に人工肛門を付けなくちゃいけないと言われていましたけども、まあ、一生ではないので、そこはすんなりと自分で受け入れられまして、で、看護師さんにもびっくりされたんですけども。「余計なものを付けるんだよ、不安はないの?」って言われましたけども、そこは全然、で、手術も怖くないんですかと言われましたけども、全然、その、その後の未来が自分の中で明るいはずだったので、そん時は、なので全然そういう不安とか恐れとかはなくて、ごく自然に手術を受けることに同意できました。

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 で、それから一年後に体調がおかしくなって、あの、寝ていても、寝汗をすごいかくんですね。で、体中びっちょりになって、夜中起きて、で、シャワー浴びて、で、また寝ると。で、数時間後にまた寝汗でびっちょりと、それを一週間ぐらい繰り返して、だんだん、だんだんからだが衰弱していくのが分かったんです。それで、これはおかしいと、で、夜中に緊急外来で病院に行ったところ、「あ、悪化しています」と言われまして、2回目の入院になりました。で、その後、毎年入院することになりまして、そうですね、5回目の入院の時に、「もう大腸が悲鳴を上げています、これは大腸を取った方が、君のためにいい」と言われまして、それ手術したら治るんですかと聞いたところ、治りますと言われたので、あ、それでは取ってくださいということで、2003年に大腸全摘手術をしました。

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 はい。えーと、一番ひどい症状の時に「プレドニンという薬もあります、これを一日3錠から始めましょう」と、で、飲み始めたところ、昨日まで調子悪かった体が一気に良くなったんです。これは魔法の薬だと、そのころはそんな薬の知識も全然ありませんでしたので、もうただただありがたい薬だと。ただ後で本とかで調べたところ、かなり怖い薬だと、体にはきつい薬だということが分かりまして、僕は何て恐ろしい薬を飲んでいたんだろうと、今さらながらにちょっと怖い感じがあります。
 そして1万ミリ、1錠が5ミリグラムという単位で、で、1万ミリを超えると手術対象になるというのを、最初に聞かされていましたけども、まさかそんな量まで行くとは思ってなくて。でも回を重ねるごとに体がひどくなっていくと、で、処方される薬も増え、で、下痢止めとかも飲まされまして、でも全然下痢は治まらない。で、プレドニンも量が増えていき、もう体がボロボロになっていくのが、自分でもすごい分かって、で、これはまずいと。ちょうどそのころに手術の話が出たので、これはいい話だと、その時は、結構簡単な気持ちで手術を受けたんですけども、今思えば、もっと経験のある先生の方に頼めば良かったなと思っています。

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Q:その、内科治療的には、えー、何かいろんな治療方法が、ほかにはもう手術以外には、なかったということなんでしょうか。
 いえ、手術の前にいろんな新しい薬とか、こういう治療法も出たと、で、主なものがサラゾピリンの代わりに、ペンタサという薬がその時ちょうど出まして、飲んでみたまえと先生に言われて、あ、いい薬なら、これで体が治るんならと思って飲みましたけども、半年後に副作用が出ました。で、その副作用っていうのが、口の中が口内炎になって、体がすごいだるくなる、虚脱感みたいなそういうふうな体になって、なおかつ風邪の症状がずっと続いたんです。で、熱も上がって、で、最初は風邪の症状だと勝手に思い込んだので、普通の町医者に行って、風邪の薬を処方してもらってました。で、それが一カ月続いたんですけども、なかなか治らない。で、次の受診日の時に主治医に相談したところ「君、それはペンタサの副作用だ、すぐ中止します。」で、元のサラゾピリンに戻ったところ、口内炎がなくなり、取りあえず一安心と。

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 はい。えーと、その発症時はコンビニに勤めてました。で、深夜勤務をやってたんですけども、あの、その当時、結構生活が荒れてまして、で、下痢をするようになりました。で、何かおかしいなと、トイレにも頻繁に通うようになって、その回数が10回、20回と増えていったんです。で、それでおかしいなと思って、あの、病院に行こうということになりました。で、その前に、あの、お尻にできものができました。で、親指大ぐらいの大きさで、で、立っていてもつらい、座るなんてもってのほかで、これはおかしいと。で、仕事終わってからすぐに病院に行ったところ、すぐこれは手術しなくちゃいけないと、痔瘻ですと言われて、その日の昼、緊急手術で、痔瘻の手術になりました。で、一週間ぐらいたってから先生に、「もしかしたら、潰瘍性大腸炎という病気のおそれがある」と、「カメラを入れて検査させてください」と言われて、えー、一週間目にカメラを入れたところ、すぐに、「あ、これは潰瘍性大腸炎です」と。