NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

HK-1 プロフィール

診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 自分が患者会に、最初に求めたのは、えー、転勤に伴ってどこの病院に行ったらいいのか、誰に診てもらったらいいのかを知りたいということでした。それと、自分がこんなにつらい、ま、あまり回り道はしなかったと思ってますが、最初の病院の出会いは、やっぱり回り道だと思っていて、そういう回り道は、なるべく、あの、人にはさせたくない。なので、聞いてくる人がいたら答えてあげたい、それから知らない人には伝えてあげたい、そういう思いで、自分の知ってる経験や体験が、人に役に立つんならという思いで、この間、患者会に接してきているかなと思っています。なので、えー、いろんな人がいて、確かに調子がいい方もいる、で、手助けが要らない方は、あの、不必要と思うけれども、その方の経験が、今悩んでいる人やこれから悩むかもしれない人に、役に立つ部分があるんだなということを知っていただければと、そういう意味で患者会があるんだということを多くの人に知ってもらえればと思います。

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診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 うんと、自分が、まあ、遊んでて病気になったというよりも、職場の中では、ま、課題を持って、あ、異動してくれと。で、単身赴任、ま、当時はしかも新婚ホヤホヤというときでしたけども、そういう中で行かせた人間が、ま、病気になったっていうのを、職場の方、特に上司のところで、ま、あの、仕事上の発病とは言わないけども、そういう気持ちで受け止めてくれていたのは、プラスの材料でした。
 で、単身赴任から戻ってきたときにも、やはり、新規の事業に対する職場だったんですけれども、ま、ちょうどそれが、軌道に乗って、一年ほどたった後の入院ということで、ま、切りも付いたということだったんですけれども、そこで職場の配置替えがありました。で、外勤がメーンの仕事だったのを、経理という自分にとってみれば、まったく未知の分野に、え、肩書きだけは、その、当時課長でしたけども、そういう肩書きを背負っていくということで、この時は、配慮もうれしかったけれども、何も知らないのに短期間で、仕事を集中し、吸収しなければいけないということで、つらい部分とうれしかった部分とありました。で、経理に異動した後に、ま、座り机でしたから、えー、そこで、あの、エレンタールを日中飲みながら、仕事をするということでいくと、飲んでないと周りの女性が、あの、どうして今日飲まないんだという、チェック係りもしてくれたりして、あの、みんなの中では、あの、非常に助けられたなというふうにも思います。ただその経理の職場にいるときにも、2~3回悪化して、入院ということもしてしまったので、ま、そういう病気なのかなっていう、病気に対して、自分が受け止めなきゃいけない部分と、職場との関係では、あの、首にならないくらい、あの、ある程度専門性、なくてはならない人間という役割を果たすのと、入院してもなるべく早期に戻る、少なくとも、え、決算期を迎える前には、彼はいなきゃいけないということだけは、心掛けていたと思います。

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診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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Q:はい。それからもう一つですね、ちょっと話しにくいタイトルなんですけれども、その病気、潰瘍性大腸炎がですね、その、夫婦の、性生活に何か大きな影響っていうのは与えましたか。
 うーん、あの、与えてないと思います。あの、結局、体調がいいか悪いか、お腹が痛いときにその気にならないのと同じで、あの、特段ないですね、病人に対して無理をしないという話ですから。
Q:その調子がいいときには、特に普通の人と変わりないということなんでしょうか。
 そうですね。あの、結果的に、自分は2人目の子どもは発病後ですから、子どもは2人、ま、3人目もできればいいかなと思ってて、いたんですけれども、なので、あの、薬のせいで子どもができにくい時があるということは、先生にも言われてたんですけれども、男性の場合は、そこは調子合わせればいいでしょうし、女性の場合は、あの、逆に、あの、妊娠期間が長いので、その期間を含めて体調維持ができる時を選べばいい、そういう意味じゃ、パートナーに理解をきちんとしていただくということが、大事だとは思いますが、あの、そのことで、無理になるとか、いうことはないと思います。自分の場合はなかったと思います。

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診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 はい。家族にはとても感謝しています。特に、まあ、あの、かみさんとそれから子どもが産まれた後に、かみさんも働いていたんです、いたので、かみさんのお母さんが、仕事辞めて、それで同居してくれて、子どもの面倒も見てくれていたんですね。なので、あの、ま、病気であること以前に、われわれ夫婦を支えるために、ま、義理の母が非常に、その、仕事を辞めてまで、あの、われわれと生活を一緒にしてくれて、子どもの子育ての、かなりの部分を担ってくれたということが、一番大きいなと思っています。
 えー、あともう一つ感謝するとしたら、あの、特にうちのかみさんは、根掘り葉掘り病気の状況とかどうなのということを、ま、聞かないで、ある意味、こう突き放したような状態で、接してくれているということも、気苦労がないという意味では、感謝しています。ま、なので、今はこれだけ全国の同じ患者の人や患者会で知り合った人が、一緒に会えるような機会があるときには、え、かみさんも誘って、こんな人たちと自分は今友達になってるんだよと、病気になって知り合うことができたんだよということは、なるべく機会を設けたいなというふうに思っています。
 子どもとの関係では、子どもが育っていく過程の時に、3カ月とかっていう単位で抜けたりするわけですから、ま、寂しい思いをさせたなという、あの、思いはありますし。6回目の入院の時は、上の子どもが大学進学、下の子どもが高校進学の、え、時に重なりましたので、進路相談どうするかということは、病院に来てもらってしゃべった記憶があります。そういう意味じゃ、何らか、ま、子どもにも、あの、一緒に、接する機会が、大切なときに欠けてしまったかなという分は、ま、申し訳なかったなと思っています。

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Q:手術という方法が、ま、あの、あると思うんですが、選択肢があると思うんですが、それについて検討されたことっていうのはありますか。
 あ、あります。あの、何回目かの入院の時に、何回目かな、やはり基準薬と呼ばれるものや、基準治療、当時の基準治療と言われたものではなかなかうまくいかなくて、当時の新しい治療法、確かGCAPという、血球除去療法をやったときに、これが駄目だったら手術かもしれないということを自分でも思って、内科から外科へ紹介状を書いてもらって、手術になったらどういう処置になるのか、自分の場合について教えてほしいというふうに、聞きにいったことがあります。その時には外科の先生は、本気で手術する気がないんなら、来ないでほしいみたいな冗談も言われたんですけれども一応聞けました。
 それから、患者会を通じて、先生方の医療講演会を何回か企画したときに、外科の先生の講演をお願いしたとき、ま、その先生は非常にいい先生だと、手術の腕も確かだし、ということが分かったので、ま、自分の中では手術を受けるときには、この先生の病院に行こうということを決めて、ま、そのことはその先生にも伝えていました。ですから、今でも一応、ま、先生はキープできてるかなというふうに思っていますが、今の段階でいくと、えー、直近、昨年の入院の時に、今でいう生物製剤を使い始めたんですけども、確率6割それで良くならなかったら手術だねというふうに、言われたこともありますので、手術というのはどこかに意識していました。あの、手術も治療法の一つだと、昔は手術は最後の手段だと言われていて、今は選択肢の一つだと、手術をして再発の恐怖とか、ま、ある重たい治療、負担感のある治療をやっているときには、手術した方がこれから逃れられるんだろうということは、分かっていますけれども、今で行くと、じゃ、あの、今一定期間入院して手術をする、そのてんびんをかけたときに、まだ、あの、てんびんかけるほど手術を早急にやろうということでもないなということですね。

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Q:その薬以外の治療法っていうのは、何かされたことはありますか。
 うーん、あの、医師から説明された治療っていうのは、ま、基本が薬を飲みましょう、それから、食事の取り方ですね。わたしの通っていた病院は、あの、やっぱり食事、特に脂肪の摂取量が、あの、病気を悪化させる、まあ、要するに腸が脂肪を、えー、吸収しようとするために活動が大きくなるので、ここを抑えることが大事だという、栄養科と内科が、バランスが取れた考え方をしていました。なので、栄養士の指導を受けて、食事療法という形で、食事について、潰瘍性大腸炎では、あまり脂肪物、あの、刺激物を避ける、え、脂肪についても、30グラムまでとどめるというような勉強会を、何度かやっていただいて、家族もそれを聞いて、で、食事については注意するようなことがありました。
Q:あと、あの血球除去療法とかそういうのは、されたことありませんか。
 はい、あります。わたしの場合は、血球除去療法の中のGCAPというものでしたけれども、これは5回目ぐらいの入院の時に、一通り経験しましたし、7回目の直近の入院の時にも、わらにもすがる思いで、それもやりました。血管がちょっと出にくいというのと、体の中を、一回血を抜いて、また元に戻すというときに、戻ってくる血液が冷たいと、体が、非常におこりが起こったような震えが起こったりして、一度は、中止をしてもらったというようなこともあります。

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Q:何回も入院されたということなんですけれども、その間のですね、その、内科治療をずっと続けてこられたということですけれども、その内科治療の、ま、どんな薬を飲んだとかあるいは、どういう治療をされてこられたとか、その辺のところちょっとお話しいただけますか。
 はい。最初は基本ステロイドでした。ステロイドの、大量投与で、まず寛解状態に持っていっていただいた。その後は、当時はサラゾピリンだったと思います、サラゾピリンを処方されて飲んでいました。ステロイドはその時で切れてると思います。ただ、あの、甘く見ていた部分もあって、かなり薬はサボっていました。で、定期的にもらいに行く分で、だいぶ余っていったという記憶はあります。
 サラゾピリンの後に、ペンタサが出てきたときにペンタサに切り替えた。だから通院してるときは基本ペンタサでやっていました。何回目かの入院の時に入院期間が3カ月以上になって、絶食状態だったんですけれども、職場に復職しないと仕事のバランスが取れないということがあって、絶食状態のまま退院したことがあります。ま、その時にエレンタールを処方してもらって、えー、エレンタールのみですね、食事は食べずにエレンタール1日8包、で、経鼻でそのうち5包落とすと、という生活を3カ月ぐらいしました。その後、経鼻はなくなったんですけれども、基本はエレンタールを飲むと、朝食事で夜軽い食事、で、エレンタールを3包ないし4包飲むっていう生活を、年の単位で続けていました。
Q:あの、経鼻というのは、鼻から管を入れるということですか。
 そうですね。あの、鼻から管を入れて、モーターで機械的に送ってもらうということです。あの、とても寒い所なので、あの、夜落としていると、朝方、その鼻から通っていく管の冷たさで、何度も目が覚めてしまったり、結構それは、寝不足になったなという記憶があります。

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Q:はい、ほかにはどんな治療をされました。
 えーと、ペンタサでなかなか落ち着かない、自分としては直腸から始まっていくというタイプで、いきなり下血から始まると、ということでしたけれども。だんだん、まあ、下腹部の腹痛が最初に起こるとかいう予兆も、自分なりに感じることができてきたので、先生にお願いして、ペンタサの注腸が出たときには使い始めました。その前にも、あの、座薬、ステロイド系の座薬も使いましたし、それから、えー、注腸剤も使いました。ただ、ステロイドは途中から、目に影響が出ました。入院中にどうも本が読めなくなって、眼鏡屋さんに行ったら、視力が出づらいねということで、眼科を受診したところ、視野狭窄(きょうさく)が出てますと、という形で判明して、緑内障という形が、出てきてます。なので、その時点からステロイド系の薬はやめようということで、最初にはステロイド性緑内障、ま、その後には低眼圧緑内障というふうにも言われましたけども、これは今に至って左目がほとんど見えないということと、そのために手帳が交付されてると、という状態です。

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 パルス療法は、ステロイドを、例えば、100ミリグラムとか500ミリグラムという単位を点滴で、短時間に体に入れると、それを3日間続けるというものでした。通常、飲んでるときは、数十ミリグラムとか数ミリグラムという単位で飲むものを、え、その、10倍、100倍という単位で一気に落として、それで症状を一気に抑えると、という目的というふうに聞いていました。
Q:それは、効果はあったんでしょうか。
 えー、ありませんでした。後で判明したんですけれども、調子が悪くなったときには、中等症と呼ばれるいわゆる中症、うんと、重症度で行くと真ん中のレベルだったので、えー、アサコールの増量試験の治験を受けていたんですね。で、その治験薬を、ま、増量、通常よりも多く飲んでいて、でも症状はどんどん悪くなっていったという状況でした。結果的にこれは、その増量した薬に対するアレルギーが、自分に起こっていたということが分かったので、えー、いくら強力なあの、ステロイドのパルス療法というものやったとしても、原因が薬だったので、意味がなかったんだろうなということです。ま、自分にとってみれば、ステロイドを使うと、視野がもっと狭くなるんではないかと、失明するんじゃないかという危険性もあったので、今から思うとやりたくなかった治療法でした。

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 最初の入院の時には、一月半ぐらいで復職できたという状況です。ま、その後は、ま、単身赴任だという、仕事先での発病ということで、会社の方も結構大事に見てくれて、初めの休職扱いということで、通常4年の単身赴任ルールだったんですけれども、2年で職場移してもらえたということです。で、その後は、職場の中での配慮を頂きながら、通院をしながらということでしたけども、
 ま、自分自身は、たぶん初回発作型だろうと勝手に思い込んでいた。なので、精神的には2度目の発病ってのか、再発があったときは、非常にショックでした。ショックってのは、たぶんその時が、ほんとに自分を病気として自覚したんだろうなと、受け入れなきゃいけないんだろうなというようなことが一つ。
 それから、最近ですけれども、7回目の入院を、昨年したときに、この病気の基本薬である、ペンタサと、最近出たアサコールという両方の薬に対して、薬のアレルギーを発症して、いわゆる基本基準薬を取り上げられたとき、この時も同じようなショックで、自分はもう手術するしかないのかなと、薬がほんとにもう当たらないってのは、こんなに不安な状態なのかということで、も、この時はやっぱり最初の病気を自覚したときと同じようなショックを受けてます。

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 最初の病院の主治医と、2回目の病院では主治医が2回替わりました。それは、あの、主治医の退職に伴って替わったっていうことですけれども。お医者さんと意見が合わないということは特になかったです。ただ、今の主治医に替わるときに、その前の主治医は、基本的にステロイドなるべく使わないという、主治医の方針でもあったし、病院の方針でもありました。ところが、3人目の主治医になったときに、ステロイドは、あの、積極的には使わないが、必要なときには使うというスタイルの方だったので、当時まだ目の発症はしていなかったものの、患者会の中でも、ステロイドが基本薬っていうふうなことはないだろうという話題があったので、その主治医と、ま、治療方針に関しては、いろいろやり取りはしました。そういう意味では、やり取りを、あの、できる関係の主治医だったというのは、非常に良かったなと思います。
 それと最初の病院では、外科に入院してしまったということもあるんですが、潰瘍性大腸炎に対する治療法が、その程度だったと。ところが、移った病院では、まず入院すると絶食という処置がある。それから、IVHという、点滴を24時間、栄養剤を、血管に入れるという治療法もある。そして退院の前には、え、食事に関する指導がある。で、何より、同病の患者がいると。そういう、方針の下に患者も来て、運営されてる、この病気はこうやって、治療するんだという病院に対するそもそもの信頼感も、あの、持てたのかなというふうに思います

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 私の場合は、えー、いろんな症状が順番に起こるというよりも、CRPにも、え、CRPってのは血液検査の結果ですね、血液検査で行ってもほとんど予兆は取れずにいきなり出血すると、ま、出血の何日かに一回、ティッシュに付くと、という形のところからもう便器で分かる程度までこう一気に進んだりするので。あの、ま、最初は血が付いて、数日食事を控えるとかやったんですけれども、それがほとんど、もう痛みを伴って、これはもう家族にも職場にも言わないといけないなという形になって、入院という形でした。なので、ま、その時は、協力してくれた家族や職場のメンバーへの申し訳なさ、それから、ま、自分はこれで、ほんとに仕事を辞めなきゃいけないんではないかとか、いろんなことを、あの、考えました。入院してどれくらいの、治療になるのかっていうこともよく分からなかったので、入院した当初は、まあ、これで入院して直っていくんだろうという、ホッとした気持ちと、この後どういうが治療をされるのかなという不安感と、も、最初は両方強くありました。
Q:で、その後、その、再発したということはですね、その後また何度も再発するんではないかというような、そういう心配っていうのは、その時はありましたか。
 はい、あの、病気の深刻さですね。あの、当時もうその患者会に入っていて、患者会の集いの中で、いろんな経験をした人の話も聞いていました。で、その当時に、非常に、あの、当時の基準薬であるステロイドでも、なかなか症状が落ち着かずに、仕事を退職しているような人もいましたし、ま、どっちかというと当時の患者会、約20年前の患者会に来る人たちというのは、苦労人が多かった。自分はそうじゃないと、初回発作型という一回だけで終わるタイプだと信じてましたから、あ、自分もたぶんあの人たちと同じような苦労をするのかなということで。えー、患者会の中で聞いてああいうふうになるのかという気持ちと、でも、ああいう人たちでも、仕事してる人もいるっていう、まあ、明るさと暗さ両方知ってしまったが故に気持ちとしては、もう非常に不安定になったなと思っています。

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 最初は、あの、外科の病棟でしたし、えー、何だか分からないから、じゃ、腸内を調べようということで、大腸カメラをやったんですが、そこの病院でも初めて使う機械、初めてやる先生ということで、先生方も装置の慣れてないし。で、今から思うと不思議なんですけれども、安定剤も打たれないし、前処置だけだったので、ま、非常にお腹が痛い中、さらに、機械に不慣れな方が、約1時間ぐらい、こちらも脂汗流しながら、のどが渇いて、唇が乾ききって、で、のどが渇いてるって、それを訴えるんだけども、看護師さんは、患者の方に注意しないで、も、機械の方ばっかり注意していたというような状況で、まあ、散々な状態でした。
 で、入院して約1週間、2週間ぐらいは症状がどんどん悪化するばかりで、ま、途中で、部屋のすぐと廊下挟んで向かいにあるトイレの中で、貧血で動けなくなってうずくまってるところを、しばらくしてから、患者さんに見つけてもらって、部屋まで運んでもらったというようなこともありました。ま、それから後に、主治医に呼ばれて、たぶん潰瘍性大腸炎だろうというふうに告げられて、先生もその時には、わたしも初めてですと、まあ、ただ、ステロイド使ってやりましょうというふうに言われたとこですね。