NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

語って頂いた方のプロフィール KT5

KT5 プロフィール

診断時19歳、インタビュー時35歳(2012年3月)
関東地方在住。大学に入学した頃発病して内科治療を続けながら司法試験に挑戦し、苦労しながらも弁護士になった。その後も再燃、寛解を繰り返し、薬もだんだん効かなくなってきた時手術も検討したが、最近はなんとか寛解状態が続いている。独身の一人暮らし。

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 最初出血があった時は痔かなと思った程度で、ペンタサやプレドニンで出血も止まり寛解になったが、そのうちプレドニンも効かなくなり、入院治療となった。
 最初の入院は3週間で退院できたが、絶食でプレドニンを大量投与した。退院後も良くなったり悪くなったりを繰り返していた。その間、プレドニンやペンタサの注腸もしたが、なかなか効かなくなってきた。そんなときイムランという免疫調節剤を使ったら自分には合っているようで、最初はとてもよかった。しかし、それも徐々に効かなくなり量を増やしていったが、効くときと効かないときがあり、なんとなくおさまっている感じで、今まで手術をしないまま続いている。
 司法試験の時は、試験中に何度もトイレに行かなければならなくて大変苦労した。しかしこの試験をあきらめて、他の仕事に就くのは自分としてはいやだったので、もうどうなってもいいやと、半分諦めながらもがむしゃらにやっていた。だから今にして思えば良く受かったものだと思う。
 手術については2回目の入院が終わってイムランに切り替わった時に、イムランを飲んでペンタサも飲みつつ、それでも悪くなってきて、イムランを2錠に増やして、ペンタサの注腸やらステロイドの注腸やらを全部フルコースでやっても全然良くならなかったときがあった。その時は内服ではこれがもう限度ということを言われたので、やっぱり手術をしないと良くならないかなと思い、かなり悩んでいた。でもなかなか手術にまで踏み切れなくて、1回取っちゃうともう着けるわけにはいかないしと思って、悩んでるうちになんとなく良くなった。その後も悪くなることもあったが、だましだまし生活をしてると、また戻ってくるという形で、手術を考えたのはその1回だけで、その後は考えたことはない。

この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1