NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

語って頂いた方のプロフィール KT11

KT11 プロフィール

診断時23歳、インタビュー時30歳(2015年12月)関東地方在住 専門医にかかり標準的治療は殆ど行ったが寛解に至らず、主治医からは手術も勧められているが、自分で納得ができず手術はしていない。最近始めた臨床試験で青黛という漢方が効いているようで現在は寛解を維持している。家族は父、母、祖母。

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 自宅で下血して近くの病院にいったらすぐに入院して潰瘍性大腸炎の診断を受けた。その病院で、「この病気は難病で治療方がない」と言われたが、自分でインターネットなどで調べたらちょっと違うんじゃないかと思って、その病院を退院してIBDの専門医のいる病院に行った。そこの先生は「この病気は根治治療法がないのであって治療法がないわけではない」と言われた。
 その後潰瘍性大腸炎の標準治療はほとんどやった。アサコールに始まり顆粒球除去療法、イムラン、プログラフ、レミケード、ヒュミラ。しかしどれも効果がなく、昨年には主治医から手術を進められるようになった。
 それはQOLの改善と大腸がんのリスクを減らすということだったが、自分では納得できなかったので手術の選択はしなかった。その間症状が悪化して入院も4回し、そのうちの1回は合併症としての壊疽性膿皮症というもので入院した。最悪足を切断しなければないかもしれないという状況にひどく混乱した。幸いこれは完治したが、この症状が潰瘍性大腸炎の合併症だということがわかるまでかなり時間が掛かり、やっとこの壊疽性膿皮症を潰瘍性大腸炎の合併症として治療した経験のある医師に巡り合って、適切な治療をしてもらうことができた。
 このように合併症を含めて何度も入院したりして仕事にも影響がでていたのでどうしたらいいか悩んでいた頃、今から5ヶ月ほど前にたまたま別の大学病院で青黛(せいたい)(注1)という漢方の臨床試験をやることを聞いてそれに参加したら、これが私にはとてもよくあっていたようで、炎症がおさまり今は寛解を維持している。
 これからは患者会で自分の気持ちを共有して、20代で発症した人がどういうふうに病気と向き合っていけばいいかなど、私の経験がすこしでも役に立てればいいなと思っている。
(注1)青黛に関しては2016年12月に厚生労働省から注意喚起の連絡が出されています。
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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1