NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

語って頂いた方のプロフィール KS2

KS2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月) 関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している。

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 子供時代から腸が弱く、あまりの下痢で高校受験の一つを受けられなかった経験を持つ。近くの町医者には「腸炎と痔」との診断で、整腸剤や点滴程度の治療にとどまっていた。かなりの年月の後、症状がかなり悪化(食欲なし、頻度の下痢と下血)で、大学病院で検査、ようやく「重症の潰瘍性大腸炎」との診断を得る。早くに大きな病院にかかっていればと後悔も。
 入院治療では、食事無しの点滴のみで、1ヵ月で100kgの体重が60数kgまで激減で、出血多量によりトイレで気を失ったこともある。ステロイド治療で2ヵ月後に退院した。通院でステロイド治療、1日6錠から徐々に減らして、1錠か0.5錠になったとき再燃、その繰り返しを約7年間続ける。アサコールも飲み続けているが、やはりステロイドの方がよく効いているが、骨粗鬆症(骨年齢120才と眼圧上昇とムーンフェースなどの副作用が出た。ステロイド治療の限界が近づいたときにレミケード治療を開始。劇的に効いて、ステロイドがゼロとなり、骨年齢も年相応に戻った。ただ、レミケードが8週間保たなくなり不安である。
 手術は拒否している。仕事が自営業で、休むと収入に直結し、復帰後も元の受注を戻すのに数年はかかる。現在は、「月曜日の仕事は16時まで」のルールを内外で決め、通院や点滴に時間を作っている。他に漢方は試したが、合わなかったようだ。食事には気をつけているが、時にはお酒など少し脱線をすることもある。トイレでは本当に苦労したが、下痢の酷いときは大人用オムツをすると、意外と精神的に楽になる。診断時は悲観的に考えたが、今は病気の知識も積極的に吸収し、下痢などの症状は受け入れ、出来ることを少しずつやることを心がけている。そして段々と改善していき、死ぬ病気ではなく、いずれは治る病気と思っている。

この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1