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このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

1回目の手術の後しばらく人工肛門を付けたが、確かに不思議なものではあるが、非常に便利なものでもあった。 KT1C4-1

KT-1 プロフィール

診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 それで、1回目の手術の時は初めての人工肛門だったので、人工肛門というと非常に何かおどろおどろしい感じがするんですけれども、確かに非常に不思議な物ですね。経験した人じゃないと、当然わからないと思いますけれども。ただ、私にとっては、何て言うんですかね。排便を我慢する必要はないですね。なので、社会生活を送る上では非常に便利な物ではありますね。ただ、やはり、私の場合は、2日にいっぺん、そのパウチと呼ばれる袋状の物を、これをお腹にくっつけるんですけれども。人工肛門そのものは、小腸を、お腹を切って小腸の先端を外に出すんですね。何か、でべそみたいな感じになるんですけれども。そこから便が出るので、それを受ける袋をお腹にペタッと貼りつけて、袋をくっ付けるんですね。で、その袋を、もちろん、そこがいっぱいになった場合には、それをトイレ行って出して、で、また封をするという形になるんですけれども。
 その袋自体を2日にいっぺん取り替えなきゃいけないんですね。それをシャワーを浴びた時にやるんですけれども、これが慣れないと結構大変なんですね。慣れてしまえば、それでも10分ぐらいかかるんですけれども。その手間とかっていう、それは大変は大変なんですけれども。ただ、便を我慢しなくていいという、トイレに駆け込まなくていいという意味では、非常に便利なものですね。ですから、今でも、たくさん人工肛門付けてらっしゃる方、ほかの病気でもおられると思うんですけれども、私もそれをやってる時は、慣れてしまえば、そんなに大したことないなというのはありましたので。比較的、1回目の手術と2回目の手術の間、人工肛門やってましたけど、それほどの苦痛はなかったですね。

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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1