このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです
診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している
どこに行くにしても、トイレチェックはすぐにするようになりました。子供らもだんだんわかってきて、「お父さんに聞いたら、どこにトイレがあるか知ってるで」と。どこ行くにしても、通った道にトイレがあったら、バックするようにする。警察署も入るし、消防署も入るし、コンビニも入るし、スーパーでもパチンコ屋でもどこでもトイレのあるところはチェックするようになって。トイレのないところにはだんだん行けなくなってきたんですよね。
今までは子供らとハイキングに行ったりとかしてたんだけど、山はだんだん行かなくなりました。やはりトイレがないということで。今平気にしていても5分先はものすごい下痢になってトイレに駆け込まないとあかん状態になると。その時助かったのが、今オムツが、恥ずかしい話なんだけどもオムツをして出るようにすると割と安心感が得られるんですよね。今、結構高性能なオムツ、大人用のはくパンツ状のオムツがあるんで、オムツをはいてもズボンをはいてたら、そう違和感がなくはける。だから、オムツを着用するようになって返って安心したのか、そんなに外に出る時にはくことによってトイレの回数が少なくなるんですよね。
「行けない、行けない」と思うとね、余計にトイレに行きたくなっちゃうんで。オムツをしていると、「まあ、いいや」、「いいや」じゃないけども少しは保つんで、後は綺麗にしたらいいことなんで、妥協できるということで、オムツをはくようになってから、ちょっと行動範囲が広くなって、調子が良い時はもちろん行くんですけども。車でも高速で渋滞するとか、そういった時間帯には一切出歩かなかった、やっぱり渋滞するとトイレとかサービスエリアとか行けないんで。特に渋滞する時は乗らないようにはしているんですけど、車は。オムツすることによって、すごく安心感が得られるようになったんで出歩けるようになりました。
会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1
個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2
4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1
平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1
平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3
ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4
寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1
当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1
潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1
仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1
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