NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

再燃した時と基本薬であるペンタサにアレルギーが出た時は非常にショックだった。HK1A4-1

HK-1 プロフィール

診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 最初の入院の時には、一月半ぐらいで復職できたという状況です。ま、その後は、ま、単身赴任だという、仕事先での発病ということで、会社の方も結構大事に見てくれて、初めの休職扱いということで、通常4年の単身赴任ルールだったんですけれども、2年で職場移してもらえたということです。で、その後は、職場の中での配慮を頂きながら、通院をしながらということでしたけども、
 ま、自分自身は、たぶん初回発作型だろうと勝手に思い込んでいた。なので、精神的には2度目の発病ってのか、再発があったときは、非常にショックでした。ショックってのは、たぶんその時が、ほんとに自分を病気として自覚したんだろうなと、受け入れなきゃいけないんだろうなというようなことが一つ。
 それから、最近ですけれども、7回目の入院を、昨年したときに、この病気の基本薬である、ペンタサと、最近出たアサコールという両方の薬に対して、薬のアレルギーを発症して、いわゆる基本基準薬を取り上げられたとき、この時も同じようなショックで、自分はもう手術するしかないのかなと、薬がほんとにもう当たらないってのは、こんなに不安な状態なのかということで、も、この時はやっぱり最初の病気を自覚したときと同じようなショックを受けてます。

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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1